厚生労働省が雇用保険料引き上げの検討
国民に負担を強いる前に、まず国が議員削減、国会議員の給与など歳費削減をするのが優先。
オリンピック開催と同じ、国民にだけ背負わせて自分らは知らないは許しませんよ。
真夏の五輪 拝金主義を見直さねば
2021年7月30日 (中日新聞)
東京の猛暑に五輪選手から悲鳴が上がり、テニスでは競技開始時間の変更が決まった。真夏の開催は、巨額の放映権料を負担する米メディアの意向とされる。国際オリンピック委員会(IOC)の根底にある「拝金主義」を見直さなければならない。
東京の最高気温は連日のように三〇度を超え、湿度も高い。懸念通りの蒸し暑さだ。
テニス競技では、スペインの女子選手が体調不良で試合途中に棄権。男子選手から開始時間を変更するよう提案があり、当初の「午前十一時」から「午後三時」に遅らせることになった。
アーチェリーでもロシア・オリンピック委員会の女子選手が競技後に倒れ、スケートボードでは米国の男子選手が暑さでボードが曲がると明かした。
真夏の野外競技は危険が伴うにもかかわらず、東京都は招致活動時、この時期を「晴れる日が多く温暖」「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」とPRしていた。
無責任極まりない虚言だ。無観客でなければ、観戦中や入場時の行列で何人が倒れただろう。
真夏の開催は、IOCの収入の約七割を負担する米テレビ局の意向とされる。米国では秋に、大リーグのワールドシリーズやプロバスケットボールNBAの開幕などがある。時期が重なるのを避けるため、五輪を真夏にしか開催できないとしたら「アスリート・ファースト」ではなく「テレビ・ファースト」。本末転倒だ。
気候変動で北半球の多くの大都市は七、八月に熱波に襲われる懸念がある。開催時期を柔軟に決められるよう、IOCはテレビ局への過度の依存を改めるべきだ。
日本側は暑さの問題で小手先の対応に終始した。遮熱性舗装やミストシャワーなどに巨費を投じたが、マラソンと競歩の札幌移転はIOC主導。日本側が主体的に会場変更を提起すべきだった。
五輪後にはパラリンピックが控える。車いすの選手には頸髄(けいずい)損傷などで体温調整機能を失い、暑さが致命的になる人もいる。対策に万全を期さねばならない。
きのう開幕した東京五輪の無観客映像を目にして、一抹の寂寥(せきりょう)とともによみがえる四十年前の記憶がありました。一九八一年十月二日付。私ども中日新聞社の社説です。
八八年夏季五輪の開催地選考で韓国ソウルに敗れた「幻の名古屋五輪」への論評でした。
「だからいったではないか」
名古屋の地元紙にしては、その見出しが、やけに冷めた物言いだったのを思い出します。
なぜこんな見出しになったか。当時の紙面をたどると、現代に通じる民主主義と政治のあるべき形が見えてくるようです。
五輪招致が名古屋で動きだした七〇年代後半、日本経済はとうに低成長、財政難の下り坂を降り始めていました。けれども招致当局の自治体は旧態依然。五輪カードを使って地域の振興、開発を有利に運ぶもくろみでした。
万事知らしむべからず
環境面などから反対運動も出ていたが、政治の思惑を先行させる当局に取り合う余地はない。「何のための五輪か」。まともな理念はなく、説明もない。市民は徐々に冷めていきました。
市民が五輪に燃えないのは「理念がはっきりしないから」と考えた自治体はある日、東西の文化人を集め「理念を語る会」を開きました。だがこれも「市民自身が決めること」と一蹴され、市民不在への批判が沸騰したそうです。
「一事が万事これ式で『よらしむべし、知らしむべからず』ではたまらない」。社説は招致後の社会分断をも見通し、民主的な招致プロセスを求め続けました。
そして得た教訓が「民主主義の原点を忘れた思い上がりの運動は結局成功しない」のだと。これが名古屋落選の一因であり、社説の真意でもありました。
さて、あれから四十年後の今に刺すこの成句。「民は由(よ)らしむべし知らしむべからず」とは−。
「論語」の原意から転用した徳川家康の解釈は「為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民に分からせる必要はない」とされます。いわば封建時代の政治原理が、今日再び東京五輪にも重なります。
開催都市・東京でコロナ禍の感染がまさにピークを突く中、迎えた開会式でした。会場に「民」の姿はない。直前でも「五輪で感染拡大」を不安視する国民が九割近く。何もかもが異常です。
なのに大会当局は一貫して中止論議を封じ、まず開催ありきで突き進む。「何のための五輪か」。納得いく説明はありません。
忘れるわけにはいかぬ
六月初め。政府の専門家が、コロナ禍の現状で五輪開催は「普通ない」が、開くなら「何のためにか」説明が必要と公言した時。担当閣僚の反応が強烈でした。
「(政府側は)スポーツの持つ力を信じてやってきたが、全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても通じづらい」
専門家が代弁した国民の素朴な疑問は「別の地平」からの遠吠(ぼ)えだったのか。これぞ「知らしむべからず」の真骨頂でした。
それにしてもこの政治と「民」を分断する壁の厚さはどうか。
ひとたび選挙を経て権力を手にすれば、あとは民意との信頼関係を遮断。批判の声は虚偽、隠蔽(いんぺい)でかわし、国民が忘れるのを待てばいい。五輪に限らず、ここ何年も私たちが目の当たりにする「民」なき政治の不条理です。もはや真の民主主義ではありません。
政界では、今秋の衆院総選挙に向け五輪成功を浮揚力にしたい、との政権の思惑が語られます。それ故か、五輪優先でコロナ対策のちぐはぐが続き、陰で幾多の人々の命や店や職が失われました。ただこの失策も、五輪選手の活躍に熱狂する裏で、国民は忘れてくれるとの読みがあるようです。
しかし大会の熱狂は別として、私たちは忘れるわけにはいきません。何も知らしめられず政治の犠牲となった「民」の無念を。忘れたら、また「知らしむべからず」の闇夜が続くからです。
思えば四十年前のあの社説も、民意を蔑(ないがし)ろにする権力の思い上がりを戒めていました。
忘れぬことによって、真の民主主義の底力を示し、ついには「封建時代の原理」を終わらせなければなりません。いろいろあったこの東京五輪をこそ奇貨として。
東京・神宮外苑にある国立競技場のスタンドは白、黄緑、灰、深緑、濃茶と五色に塗装された六万八千の座席がランダムに配置されています=写真。まるで、美しいモザイク画のよう。木漏れ日をイメージしたそうです。
カラフルな座席は、無人でも人が座っているように見えて、空席が目立たない視覚効果があるといいます。まさか、この日を予測したわけではないでしょう。今夜、開会式を迎える東京五輪は史上初の無観客開催となりました。
東京は新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言の真っただ中。観客はゼロでも、選手や大会関係者の感染が続出しています。いくら「ステイホーム」を呼び掛けても、大会が感染拡大を助長することへの懸念は広がります。
五輪は過去にも、国際政治の対立の場になったり、過度な商業主義に陥ったりと、問題を抱えてきました。その中でも、コロナ禍の今回は最大の危機でしょう。
国民的な挫折の経験
憂えるのは大会が人々の間に対立や分断をもたらしたことです。最近の世論調査では、無観客開催を適切だとする人が四割超、なお中止を求める人が三割超と、「国論」が二分されています。
あるアスリートが複雑な心境を明かしてくれました。「日本代表に選ばれたことを、会員制交流サイト(SNS)で公表できない。ワクチンの優先接種についても話せない」。インターネット上での批判を恐れてのことです。
大会ボランティアが見知らぬ人の罵声を浴びる、というニュースにも接しました。
弱い一市民へのバッシングには断固として反対します。
国民の間には「海外からウイルスが持ち込まれるのでは」との懸念があります。ただ、外国人選手らへのワクチン接種は日本の一般市民以上に進んでおり、偏見は避けねばなりません。
一方、外国人選手らにとって感染対策でがんじがらめの滞在には不満があるでしょうが、規則の順守を求めるのは当然です。
混乱の最大の責任は、感染を収束できないまま開催を強行した日本の政界、スポーツ界のリーダーらと国際オリンピック委員会(IOC)にあります。
抜本的な解決策ではなく、その場しのぎの対応を重ねたり、結論を先送りしたり。観客数を巡る迷走や大会予算の膨張、関係者の相次ぐ辞任・解任と、統治機能の不全を思い知らされました。
今大会は、国民的な挫折の経験ではないか。私たちは主権者として、国を根本から変えなければと肝に銘じなければなりません。
大会は本来、対立や分断ではなく、連帯と共感を示す場となるはずでした。五輪憲章の冒頭に理想が掲げられています。
平和を目指し、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる。人種や性別、宗教や政治的意見など全ての差別を禁じる−。
一人の選手の姿が脳裏に浮かびました。日本選手団の旗手を務めるバスケットボール男子の八村塁(はちむらるい)選手(23)。アフリカのベナン出身の父と日本人の母との間に富山市で生まれ、現在は米国のプロリーグNBAで活躍しています。
互いの差異認め合う
昨年、ワシントンでのデモ行進に八村選手の姿がありました。全米を揺るがした白人警官による黒人男性暴行死事件。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」と、人種差別に抗議する人の群れに加わりました。
ところが今年、八村選手と弟へのSNSでの中傷が判明したのです。アフリカ系の蔑称を記し「死ね」「間違えて生まれてきた」。八村選手は「こんなの毎日のようにくるよ」と明かしています。
海の向こうではない、この日本で起きている人間の尊厳を冒す事態。今夜、八村選手が掲げる日の丸から、「この国から差別をなくしたい」とのメッセージを読み取る感性を持ちたいと思う。
大会には母国を逃れた難民選手団、性的少数者(LGBT)だと公表した選手も参加します。迫害や生きづらさを乗り越え、肉体の極限に挑む人々です。
お互いの差異を認め合い、多様性を尊重する。同じ一人の人間として共感し、連帯する。混乱する大会が、その機会であることを忘れたくはありません。
私たちにできること 海の日に考える
2021年7月22日 (中日新聞)
リヤカーを引きながら、ポイ捨てされたごみを集めて回る「リヤカーボランティア」=写真=は、豊橋中央高校(愛知県豊橋市)の“伝統行事”になりました。
豊橋は530(ゴミゼロ)運動発祥のまち。一九七五年に始まり全国に広がった毎年五月三十日の一斉美化活動。その豊橋で「自分たちにできることを自分たちのやり方でやってみたい」と二〇〇四年、生徒会の発案で始まったユニークなボランティア活動です。
自分の足で歩いて自分の手で拾う。リヤカーは「自発」と「自律」のシンボルというわけです。
毎年夏休み。当初は三河湾一周延べ百八十キロを九日間で踏破しました。旧東海道を歩いたこともありました。しかし、おととしからは、プラスチックごみによる海洋汚染への問題意識から、渥美半島先端の西ノ浜に打ち寄せる漂着ごみに的を絞って活動しています。三河湾の入り口の海洋ごみがたまりやすいところです。
押し寄せる海のごみ
昨年は、コロナ禍を考慮して日程を二日間に絞り、延べ百三十人が三キロにわたって浜辺に展開し、徹底清掃を試みました。
かつては、名も知らぬ遠き島よりヤシの実を一つ運んだ海流に乗り、今は大量のごみが押し寄せます。よその国からもペットボトルや食料品のパッケージなどが流れて来ます。
砂浜に埋まった漁網や釣り糸を引っ張り出すのは大変です。キャンプのあとの食べ残しや消し炭を埋めて帰る人もいます。紙おむつとか、何やらわけのわからない物が詰まったペットボトルが“発掘”されることもありました。
「何でこんなことができるかなあ」。いら立ちと葛藤、時には怒りさえ覚えつつ、目の前のごみに向き合うことをやめません。
生徒たちこそ、なぜごみに挑むのか。リヤカーボランティアの歴史の中で、生徒たちは自ら多くの気づきを得、多くのことを学んで、後輩たちに伝えています。
昨年まで生徒会の顧問を務めた権田拓朗教諭(48)が言いました。
「ごみを拾っているうちに、不意につぶやく生徒がいたりします。『先生、風ってこんなに涼しかったんだ』『イネの背丈が昨日と違う』…。電車やバスからは見えないものが見えてくるらしい」
やるっきゃないじゃん
生徒たちは気付いています。例えば道路の脇で風に漂うレジ袋。今拾っておかないと、川に落ち、流されて海に出て、魚やウミガメのおなかに入って彼らを苦しめ、時には命を奪ってしまいます。太陽の光で分解されて微細な粒になり、やがては人の体や命をむしばむことになるかもしれないと。
「西ノ浜に打ち寄せられた大量のごみの中には、自分自身が出したものが交ざっているかもしれません。ひとごとではなく自分ごと。あれは自分たちのごみ。だからやめられないんじゃないのかな」と権田さん。
「もっとも一度リヤカーボランティアを経験すれば、生徒たちもわれわれも、ポイ捨てなどしなくなりますけどね」と、笑います。
昨年の活動の話に戻りましょう。二日目の正午すぎ。リヤカーで一カ所に集めた計約二トンのごみを地元のごみ処理センターに引き取ってもらい、延べ四時間の作業日程を終えました。
権田さんには、その時の光景が忘れられません。
再びすっかりきれいになった砂浜にへたり込むようにして、生徒たちはようやく海を眺めます。
知多半島先端の羽豆岬が遠くにかすみ、その隣には篠島、そして日間賀島。さらにその向こうには世界につながる太平洋。水平線には大小の船舶が港を目指して連なります。
生徒の一人が言いました。
「おれたちには、こんなに豊かな海があるんだなあ。やっぱやるっきゃないじゃん」と。
自分たちの海だから、ごみを拾うことはやめられない。これも正解なのかもしれません。
♪片付くことを知らないこの部屋はなんだか/他の誰かの暮らしから借りてきたみたいだ…。Official髭男dism「パラボラ」。
片付けても片付けても一年もしないうちにまたごみだらけになる海岸線。心折れそうにもなるけれど、豊橋中央高校のリヤカーボランティアは海の日のきょうから三日間の日程で、西ノ浜での徹底回収に三たび挑戦します。
「私たちにできることは何か」と、ふるさとの海に今年も問いかけながら。