名古屋大学平和憲章(1987年2月5日制定)

2015-08-31 16:26:55 | 桜ヶ丘9条の会
名古屋大学平和憲章(1987.2.5制定)


 わが国は、軍国主義とファシズムによる侵略戦争への反省と、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害をはじめとする悲惨な体験から、戦争と戦力を放棄し、平和のうちに生存する権利を確認して、日本国憲法を制定した。
 わが国の大学は、過去の侵略戦争において、戦争を科学的な見地から批判し続けることができなかった。むしろ大学は、戦争を肯定する学問を生みだし、軍事技術の開発にも深くかかわり、さらに、多くの学生を戦場に送りだした。こうした過去への反省から、戦後、大学は、「真理と平和を希求する人間の育成」を教育の基本とし、戦争遂行に加担するというあやまちを二度とくりかえさない決意をかためてきた。
 しかし、今日、核軍拡競争は際限なく続けられ、核戦争の危険性が一層高まり、その結果、人類は共滅の危機を迎えている。核兵器をはじめとする非人道的兵器のすみやかな廃絶と全般的な軍縮の推進は、人類共通の課題である。
 加えて、節度を欠いた生産活動によって資源が浪費され、地球的規模での環境破壊や資源の涸渇が問題となっている。しかも、この地球上において、いまなお多くの人々が深刻な飢餓と貧困にさらされており、地域的および社会的不平等も拡大している。「物質的な豊かさ」をそなえるようになったわが国でも、その反面の「心の貧しさ」に深い自戒と反省がせまられている。戦争のない、物質的にも精神的にも豊かで平和な社会の建設が、切に求められている。
 今、人類がみずからの生みだしたものによって絶滅するかもしれないという危機的状況に直面して、われわれ大学人は、過去への反省をもふまえて、いったい何をなすべきか、何をしうるか、鋭く問われている。
 大学は、政治的権力や世俗的権威から独立して、人類の立場において学問に専心し、人間の精神と英知をになうことによってこそ、最高の学府をもってみずからを任じることができよう。人間を生かし、その未来をひらく可能性が、人間の精神と英知に求められるとすれば、大学は、平和の創造の場として、また人類の未来をきりひらく場として、その任務をすすんで負わなければならない。
 われわれは、世界の平和と人類の福祉を志向する学問研究に従い、主体的に学び、平和な社会の建設に貢献する有能な働き手となることをめざす。

 名古屋大学は、自由闊達で清新な学風、大学の管理運営への全構成員の自覚的参加と自治、各学問分野の協力と調和ある発展への志向という誇るべき伝統を築いてきた。このようなすぐれた伝統を継承し、発展させるとともに、大学の社会的責任を深く自覚し、平和の創造に貢献する大学をめざして、ここに名古屋大学平和憲章を全構成員の名において制定する。

平和とは何か、戦争とは何かを、自主的で創造的な学問研究によって科学的に明らかにし、諸科学の調和ある発達と学際的な協力を通じて、平和な未来を建設する方途をみいだすよう努める。
 その成果の上に立ち、平和学の開講をはじめ、一般教育と専門教育の両面において平和教育の充実をはかる。
 平和に貢献する学問研究と教育をすすめる大学にふさわしい条件を全構成員が共同して充実させ、発展させる。

大学は、戦争に加担するというあやまちを二度とくりかえしてはならない。 われわれは、いかなる理由であれ、戦争を目的とする学問研究と教育には従わない。
 そのために、国の内外を間わず、軍関係機関およびこれら機関に所属する者との共同研究をおこなわず、これら機関からの研究資金を受け入れない。また軍関係機関に所属する者の教育はおこなわない。

大学における学問研究は、人間の尊厳が保障される平和で豊かな社会の建設に寄与しなければならない。そのためには、他大学、他の研究機関、行政機関、産業界、地域社会、国際社会など社会を構成する広範な分野との有効な協力が必要である。

 学問研究は、ときの権力や特殊利益の圧力によって曲げられてはならない。社会との協力が平和に寄与するものとなるために、われわれは、研究の自主性を尊重し、学問研究をその内的必然性にもとづいておこなう。

 学問研究の成果が人類社会全体のものとして正しく利用されるようにするため、学問研究と教育をそのあらゆる段階で公開する。

 社会との協力にあたり、大学人の社会的責任の自覚に立ち、各層の相互批判を保障し、学問研究の民主的な体制を形成する。

われわれは、平和を希求する広範な人々と共同し、大学人の社会的責務を果たす。平和のための研究および教育の成果を広く社会に還元することに努める。
 そして、国民と地域住民の期待に積極的に応えることによって、その研究および教育をさらに発展させる。

 科学の国際性を重んじ、平和の実現を求める世界の大学人や広範な人々との交流に努め、国際的な相互理解を深めることを通じて、世界の平和の確立に寄与する。

この憲章の理念と目標を達成するためには、大学を構成する各層が、それぞれ固有の権利と役割にもとづいて大学自治の形成に寄与するという全構成員自治の原則が不可欠である。われわれは、全構成員自治の原則と諸制度をさらに充実させ、発展させる。

 われわれは、この憲章を、学問研究および教育をはじめとするあらゆる営みの生きてはたらく規範として確認する。そして、これを誠実に実行することを誓う。

怒りの渦 国会包囲12万 全国1000カ所(2015年8月3日号外しんぶん赤旗)

2015-08-31 08:27:08 | 桜ヶ丘9条の会
戦争法案反対、憲法を守れ、安倍派やめろ、の怒号が、昨日、日本列島全体に満ちた。民意を完全に無視した自公政権の暴走に国民が反撃するノロシである。
憲法違反を平然と行う自公政権、国民主権と平和、基本的人権、戦争および武力の放棄は戦後70年かけて日本国民に完全に定着しており、世界中に拡散しつつある。もはやこの流れを押しとどめることはできない。 (しんぶん赤旗2015年8月30日号外  https://pbs.twimg.com/media/CNp_jKdVAAAQuZG.jpg:large)



可児市でも呼応し、「可児、加茂8・30総が総がかり行動」約200人参加 場所ふるさと川公園で午後4時から集会が行われ、集会後市役所周辺をデモ行進。


河川敷に徐々に集まり始める


ふるさと川公園に終結

行進を開始

行進を終えて流れ解散

デモの民主主義が来た 週のはじめに考える (2015年8月30日東京新聞)

2015-08-30 08:36:38 | 桜ヶ丘9条の会
週のはじめに考える デモの民主主義が来た

2015年8月30日東京新聞


 きょうも国会周辺などで行われる「デモ」が力を増しています。民衆の声をのせた風が政治に吹き込む時、日本の民主主義はどう変わるのでしょうか。
 いま、安全保障法制で政治が国民世論から離れていくのを目の当たりにして「居ても立ってもいられずに」「子や孫たちのため私たちの手で何とかしなければ」。全国各地で繰り広げられるデモの渦中で、多くの市民が口にする、政治への強い参加意欲です。
 日本の政治空間にデモの存在感が増しています。東日本大震災後の「脱原発」以降、ここ数年で定着した大規模デモは、個別の利害が絡む従来の組織動員型デモと区別して、「草の根デモ」と呼ばれることがあります。
◆シアトルの教え
 ほとんどはインターネットを介し、さまざまな生活感や価値観をもつ不特定の、つまり「草の根」の一般市民が自由につながり自発的に参加するデモの形です。
 デモといえば思い浮かぶ光景があります。一九九九年十二月、米シアトルでの出来事です。
 ちょうどインターネットが爆発的に普及したころ。世界貿易機関(WTO)閣僚会議の周辺に世界から約五万人が集結した「反グローバリズム」運動は、草の根型デモのはしりでした。このデモが今に残した教えが二つあります。
 一つ目は、ネットがもたらす連帯力の効果です。会議の専門的な議論を、ネットの交流で一般市民向けにかみ砕き、デモ参加の敷居を低くしたことでしょう。
 二つ目は、暴力の逆効果。草の根デモの自由さゆえに統制が利かず一部が暴徒化し、民主主義的なデモの効果を自らそいでしまったことです。
 さて日本のデモがここまで大がかりに定着してきたのはなぜか。シアトルの教えをなぞれば見えてきます。
◆参加の敷居を下げる
 一つ目。市民レベルの議論が広まった背景には、原発政策をはじめ特定秘密保護法、安保法制と矢継ぎ早の国論を二分する大問題に対し、国民の関心がおのずと高まったことがあります。
 さしずめ憲法や国民の命に関わる重大事では「選挙で全権一切を政権に預けたわけではない」との思いが、人々の政治参加意欲をかき立て、デモに向かわせたのでしょう。その過程で例えば安保法制では、自衛権の「集団的か個別的か」という政治家の議論が、ネットで「戦争か平和か」の選択に変換され、敷居を下げた議論の輪が広がっていったのです。
 二つ目の暴力性は、当初の脱原発デモが暴力とは無縁の3・11追悼ムードから始まり、非暴力の流れが後のデモに根付いたことで、これも市民参加の敷居を下げデモの拡大を促しました。
 日本の草の根デモはこうして、選挙とは別に、国民が求めた第二の参政権の使い方として定着しました。しかし、ここで問題となるのは、選挙を通じた議会制民主主義とデモとの関係です。
 一二年春の脱原発デモ直後に、『「デモ」とは何か』(NHK出版)を著した五野井郁夫・高千穂大准教授がそこに引用した古い論文に興味深い考察があります。
 いわゆる六〇年安保に際して、戦後を代表する政治学者、丸山真男氏が残した『議会政治をきずくには』の一節です。
 要約すれば、議会内の「院内」政治と、デモなど社会運動による「院外」政治とを切り分けて、双方のずれをなくし、風通しをよくしていくことが、健全な議会政治には肝要なのだ、と。五野井氏はこれを踏まえ、議会制とは別の、デモによる直接民主主義への期待を記しています。
◆政治家の意識の中に
 そして今日、安保法制に挑むデモは高、中、若年の各層に広がり規模拡大の勢いは止まりません。 昨年は騒音を理由に国会前のデモ規制まで示唆して強気だった政権も、その勢いに押されてか、今年七月の安保法案の衆議院通過はその週末に企画された大規模デモの前に急ぎ足ですり抜けた印象です。安倍晋三首相も法案通過後、国民の理解が進んでいないことを認めざるを得ませんでした。
 世論調査の結果もあるでしょうが、政治家たちの意識の中にデモが大きな地位を占めてもいるはずです。これはもはや、デモが議会制と並ぶ第二の民主主義に成長した姿なのかもしれません。
 ともかくも「院外」の市民たちは、デモの民主主義を日本の政治に打ち立てつつあります。
 あとは「院内」政治が窓を開けて風を通すことです。健全な議会政治を築くため、デモの声に耳を傾けることです。さもなければ、デモで巻き上がった風は次の「院内」をつくる選挙に、何らかの形で吹き込んでいくはずです。


意見広告(2015年5月28日中日新聞掲載)

2015-08-29 10:35:20 | 桜ヶ丘9条の会
中日新聞の2015年8月28日号に「保身目的の判決」と題する裁判所の「違憲状態判決」に関する意見広告が掲載されました。
「違憲状態判決」は憲法違反の保身目的の判決と言われても仕方がない、これでは三権分立は成り立たない。
「選挙は違憲状態、しかし、選挙は合憲」という詭弁判決を許していいのかという弁護士らの意見広告である。
もう建前だけの法治国家、三権分立は、主権者である国民を欺くことはできないと法曹界は認識すべきである。



言葉を馬鹿にするな 赤川次郎さん政治に怒る(2015年8月29日中日新聞)

2015-08-29 08:28:16 | 桜ヶ丘9条の会
言葉をばかにするな 赤川次郎さん政治に怒る 

2015/8/29 朝刊

邦人保護を強調する安倍首相。だが、この想定は米艦防護の条件ではないことが審議で判明した=昨年5月、首相官邸で
 「政治家にとって言葉は命。命がけの真剣勝負であるべきなのに…」。「三毛猫ホームズ」シリーズなどで知られる作家の赤川次郎さん(67)が「安倍政治」に対して積極的に発言している。憤りの矛先は安全保障関連法案など政策にとどまらず、言葉を軽んじる政治姿勢に向けられている。この姿勢は「議論の否定」であり、言葉をなりわいとする作家の一人として、黙っていられないという。赤川さんに思いを聞いた。

◆「積極的平和」、70年談話の軽さ…

 「(一昨年七月に麻生太郎副総理が発言した)ナチスのやり方に学ぶようなことを口にすれば、(欧米では)政治家として終わり。しかし、日本では撤回しましたと言えば、済んでしまう。いかに日本では、政治家の言葉が軽いか。そこが作家として許せない」

 赤川さんはそう話す。

 「流行作家」というイメージがあるが、社会派的な作品も少なくない。今年出版したエッセー集「三毛猫ホームズの遠眼鏡」(岩波現代文庫)でも、安倍晋三政権を痛烈に批判する。

 文芸誌「すばる」八月号掲載の作家、高橋源一郎さんとの対談では「日本語がおかしいと思いませんか。積極的平和主義って何ですか。言葉をそこまでばかにしていいのかと腹が立ちますね」と発言した。

 その意味について、赤川さんは「積極的平和主義という言葉には『戦争』を『平和』と言い換える怖さがある。平和というのは、戦争がない状態ではない。言論の自由があり、自由に行動ができて、海外と外交で問題を解決できることが平和で、戦争をしていないから平和ではない。平和という言葉自体をよく考えないといけない」と語る。

 安保関連法案をめぐる国会審議を見ていても言葉の機能不全が如実だという。

 「(現政権には)議論で相手を説得しようという気がない。そもそも議論をかみ合わせると、矛盾が出てくる。でも、それ以上に採決すれば通るんだ、手続きとして国会に出ているだけという印象を受ける」

 「民主主義をばかにする」(赤川さん)人たちが主導権を握れば、独裁的な政治が立ち現れるのは必然だ。言葉の軽さは与党政治家に端的に表れているが、国民的な現象であるようにも見える。赤川さんは、原因の一つとして「あまりに早く浸透しすぎてしまったネット社会」を挙げる。

 「メールは気楽に出せ、その場で届いてしまうが、手紙は書いてから出すまでに考える余裕がある。相手に腹を立て『絶交だ』と思っても、自分も悪かったなと思い直す時間があった。そういう文化の変化が影響している気がしている」

 そんなネット文化に慣れている若者の一部を「うまく利用している」のが、現政権ではないかとみる。

 言葉の軽さは、首相の戦後七十年談話にも感じたという。「結局、自分は謝りたくない。(談話は)長くて、修飾語がやたらに多い。自分の気持ちを言っていないから、人の胸を打たない。たくさん並べれば、価値があるぐらいの発想。言葉の重みはこの程度なのか、とつくづく思った」

 今夏、出版された小説「東京零年」(集英社)の舞台は近未来の警察国家、監視社会だ。登場人物の一人はこう話す。「優しさは大切だけど、この世の中を動かしているのが誰なのか、そしてその人たちが、日本をどんな社会にしたがっているか、知る必要がある。言い換えれば、知らないことは罪なの」

 こうした視点の底にあるのは、戦前・戦中を旧満州(中国東北部)で過ごした母親から聞いた話だ。「(敗戦まで)日本の軍人が、どれだけ中国人に横暴だったか。加えてソ連が攻めてくるとなったら民間人より先に逃げたことも。軍隊がいかに国民を裏切るものか随分、聞かされた」

 いま、国会周辺では連日、安保法制反対の声が響いている。赤川さんは若者らに期待を寄せつつも、こう注文した。「貧しく、いくつも仕事をしているシングルマザーのような人たちは、民主主義や選挙のことを考える余裕はない。若者は法案だけでなく、学校の給食だけがまともな食事というような子どもたちの存在にも目を向けてほしい。そうでないと、せっかくの運動が根付かない」

 政治に対する発言はこれからも続けていく。それは「作家は進歩的であれというつもりはない。しかし、言葉をばかにされたら怒るべきだ」という職業倫理と強く結びついている。

 (木村留美)

◆文芸誌も危機感

 文芸誌も昨今、安保法案や戦争などに関心を示す。「すばる」八月号は「“戦後”71年目の対話」と題し、瀬戸内寂聴さんと若手作家の平野啓一郎さん、田中慎弥さんの鼎談(ていだん)などを扱った。

 平野さんは米国で学費を餌に軍へ入隊させる制度に言及し「日本も格差によってそういう事態になる」。近著に「宰相A」がある田中さんは、米国の支配下に置かれた「もう一つの日本」を舞台に「戦争こそ平和の基盤だ」とあおる首相を描いたことに触れ「いま書いておかないといけないという焦りというか、直感が働いた」と述べる。

 すばるは九月号でも「戦争を知るための一冊」という特集を組んだ。戦後七十年特集「戦火は遠からず」を企画したのは「文学界」九月号。「群像」は九月号で被爆作家、林京子さんの随筆などを掲載した。

 文芸評論家の川村湊さんは「日本の文学界はこの二十年ほど、政治と距離を取る傾向にあった。闘争の挫折感や内ゲバに対する幻滅があったからだ。流れが変わったのは、現政権の政治手法がひどすぎるからだ」と指摘する。

 「文学者が重きを置くのは論理的思考と想像力、そして言葉。これらをないがしろにする現政権に反発が巻き起こっている。政権のごまかしを暴く上で、言葉を扱う文学者の果たす役割はとても重い」

 (榊原崇仁)