いま読む日本国憲法(24条 女性の地位向上を目指す、25条 貧困救済国に求める(18〜19)

2016-07-25 07:35:47 | 桜ヶ丘9条の会
<いま読む日本国憲法>(18) 第24条 女性の地位向上目指す 

2016/7/23 朝刊

 結婚の自由や、夫婦の平等を定めた条文です。

 旧憲法下では、厳格な家制度や男尊女卑思想があり、相思相愛でも親の許しがなければ結婚できなかったり、「男性は外で働き、女性は家を守る」といった性差による役割分担を押しつけられたりしました。

 現憲法は一三条で個人の尊重、一四条で法の下の平等を定めていますが、旧憲法下への反省から、特に二四条で結婚や家族について定めたわけです。

 この条文を起草したのは米国人女性ベアテ・シロタ・ゴードンさん。少女時代を日本で過ごし、慣習を熟知していた人で、新憲法で日本女性の地位向上を図ろうとしたのです。

 ちなみに、二四条を巡っては、婚姻が「両性」の合意のみに基づくという表現から、同性婚を認めていないという説があります。しかし、この条文はあくまで結婚の自由を定めたものであり、すべての人が自分らしく生きられる社会をつくる憲法の理念に照らしても、同性婚は禁じていないという解釈も有力です。

 一方、自民党の改憲草案は「家族は、互いに助け合わなければならない」という義務規定を追加しました。聞き心地の良い言葉ですが、本来、多様でいいはずの家族のあり方について、国家が枠をはめようとしているようにも映ります。

 草案のQ&Aは「昨今、家族の絆が薄くなっていることに鑑みて」この項を新設したと説明。「家族の形について国が介入しようとするものではない」などと強調しています。しかし、家族の助け合い義務を根拠に、国が担うべき介護や困窮者支援などへの公的扶助を家族に押しつけることにならないかと、疑問視する声も出ています。

     ◇

 「読むための日本国憲法 東京新聞政治部編」(文春文庫)をベースに、憲法の主な条文についての解説を随時掲載しています。天皇の生前退位を巡る最近の動きを受けて二条と五条を取り上げましたが、元の順番に戻ります。



<いま読む日本国憲法>(19) 第25条 貧困救済、国に求める 

2016/7/25 朝刊

 自由競争によって格差が広がると、個人でいくら努力しても生活できないケースが出てきます。そうした弱い立場の人たちも一定水準の暮らしを営める権利を保障し、国家がそのための役割を果たすよう義務付けたのが二五条です。福祉国家の理念を具体化した条文と言えます。

 今の憲法は、国家権力による個人への介入を防ぐという思想で成り立っていますが、この条文は、国の関与を求めるものです。貧困がさまざまな国策の結果と考えれば、国家に救済を求める当然の権利を定めたとも言えます。

 一項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は生存権と呼ばれます。この項は当初、連合国軍総司令部(GHQ)案にはなく、衆院で討論されて修正追加されました。

 二五条に基づく代表的な法律に、生活保護法があります。年金、医療、介護といった社会保障制度も、この条文が根拠です。

 生存権を否定するような議論は聞かれません。自民党の改憲草案も、生存権に関してはほぼ現行通りの表現です。むしろ問題は、現実が二五条に追いついていないこと。子どもの六人に一人が貧困状態にあるとされるなど、世代を超えた貧困が問題になっているのに、生活保護や社会保障は抑制の流れが続いています。

 二五条は「新しい人権」の一つ、環境権との関係でも議論になります。幸福追求権を定めた一三条と、二五条を根拠に環境権が認められているという考え方がある一方、自民党は改憲草案で、環境権を新たに書き込みました。

 また、草案は、海外で緊急事態が起きた際に、国が在外国民を保護する義務も新たに加えています。草案のQ&Aは「グローバル化が進んだ現在、海外にいる日本人の安全を国が担保する責務を憲法に書き込むべきだ」などと説明。しかし、自民党の草案で保持するとした「国防軍」が、在外国民を保護するという名目で海外に派遣される根拠になりかねないとの懸念も出ています。

  

宿営地共同防衛は合憲か(2016年7月24日東京新聞))

2016-07-24 09:07:37 | 桜ヶ丘9条の会
 宿営地共同防衛は合憲か

2016年7月24日東京新聞


 安全保障関連法の施行に伴い南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された自衛隊の武器使用範囲が広がりました。解説しつつ考えてみます。
 政府は南スーダンの自立のためのPKOに二〇一二年一月から陸上自衛隊を参加させ、施設科部隊を中心とする三百五十人が道路補修などに従事しています。今月上旬、自衛隊のいる首都ジュバで大統領派と副大統領派との間で戦闘が発生、自衛隊は外での活動を中止して宿営地にこもりました。
 日本の国際協力機構(JICA)は自力で脱出、日本大使館の四人は急きょ派遣された自衛隊機で南スーダンを離れました。
◆改正PKO法で可能に
 気遣われるのは居残った自衛隊の安否。現在は宿営地内の施設工事や戦闘を逃れて宿営地に入った地元住民の生活支援をしています。宿営地が攻撃された場合、自衛隊はどうするのでしょうか。
 これまでPKO部隊の自衛官は自分や近くにいる同僚、管理下に入った者を守るための武器使用しか認められていませんでした。安保法のひとつの改正PKO法が施行され、宿営地の囲いの中に一緒にいる他国軍を守るための武器使用ができるようになりました。
 結果的に他国軍とともに宿営地そのものを守ることになります。これを「宿営地の共同防衛」といいます。攻撃してくる武装勢力が国や国に準じる組織なら海外での武力行使にあたり、憲法九条違反のおそれが出てきます。
 
一三年十二月、最初に起きた大統領派と副大統領派による武力衝突の際、自衛隊はPKO本部から宿営地の防衛強化を求められました。その中に「火網(かもう)の連携」、すなわち発砲して弾丸の網を張り巡らせることが含まれていました。
 陸上自衛隊研究本部は「教訓要報」の中でこう報告しています。
◆時間不足の国会論議
 「『火網の連携』の実効性を高める上で隣接部隊間の相互支援は不可欠である。しかし、我が国の従来の憲法解釈において違憲とされる武力行使にあたるとされていた」。だから「火網の連携」は実施しなかったというのです。
 では、なぜ「火網の連携」もあり得る「宿営地の共同防衛」は合憲になったのでしょうか。
 入手した改正PKO法をめぐる内閣官房の想定問答にはこうあります。「宿営地は最後のとりで」「宿営地を防護する要員は相互に身を委ねあって対処する関係にあり、自己保存型の武器使用権限を認める」「自己保存のための武器使用は自然権的権利であるため相手が国または国に準じる組織でも憲法九条の禁じる武力行使にはあたらない」。宿営地の他国軍を守るのは自然な権利、だから合憲だと三段論法で主張しています。
 防衛省幹部は「宿営地の囲いの中であれば一キロ、二キロ離れた他国軍を守るために武器使用しても合憲」と解説します。そうでしょうか。大統領派や副大統領派には正規軍が含まれます。軍と撃ち合っても武力行使にならないなんておかしくありませんか。PKO参加の自衛隊は自己保存を大義名分に交戦可能となっていたのです。
 安保法は十一本もの法案を審議したにもかかわらず、わずか四カ月で成立。憲法解釈を変更した集団的自衛権行使の議論に多くの時間が割かれ、野党の追及はPKOの変化にまで及びませんでした。
 南スーダンにいるのは五月に派遣された北海道の部隊です。派遣前、中谷元防衛相は参院選への影響を避ける狙いからか改正PKO法で実施可能になった「駆け付け警護」とともに「宿営地の共同防衛」も「任務として与える予定はない」と明言しました。
 法律上、「駆け付け警護」は閣議決定される実施計画に任務として書く必要があり、確かに書かれていないので実施できませんが、「宿営地の共同防衛」は別です。「改正PKO法の施行と同時に実施できる」(内閣府国際平和協力本部)うえ、首相がさだめた実施要領でも実施可能となっている。
 その点を指摘すると防衛省は見解を出してきました。「突発的な事態の発生に際しては、実際に発生する個別具体的な状況を踏まえ、その時点で実施可能な任務を適切に果たしていく所存です」。できる範囲のことはやるという意味で「宿営地の共同防衛」を排除していません。結局は現地部隊の裁量に委ねられているのです。
◆現地部隊の裁量次第
 東西二キロの宿営地にいるPKO部隊はルワンダ軍、エチオピア軍など。自衛隊は十分に意思疎通できているでしょうか。日本政府を頼っても無駄です。公式見解通りなら「任務としては与えていないが、法的には可能だ」と答え、暗に自分たちで判断するよう求めるに決まっているからです。


同じ轍は踏ませない 争点化避けた憲法(2016年7月1日中日新聞)

2016-07-01 11:23:01 | 桜ヶ丘9条の会
同じ轍は踏ませない 争点化避けた憲法 

2016/7/1中日新聞
 憲法改正をめぐる論戦が低調だ。安倍政権が争点化を避けているためだが、参院選後に一転、改正へと突き進むことはないのか。同じ轍(てつ)は絶対に踏ませない。

 「改憲勢力3分の2うかがう」。先週、本紙を含む各紙がそろって掲載した参院選の序盤情勢を分析した記事の見出しである。

 政権与党である自民、公明両党と、「改憲勢力」とされるおおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の四党合計の議席が、非改選を合わせて三分の二以上に達するとの情勢を報じたものだ。

戦後政治の転換点か

 自公両党はすでに衆院で三分の二以上の議席を確保しており、参院でも三分の二以上に達すれば、憲法改正の発議が可能になる。戦後の日本政治を大きく転換する可能性を秘めた政治情勢である。

 安倍晋三首相は今年の年頭会見で「憲法改正はこれまで同様、参院選でしっかりと訴えていく」と述べ、改正を二〇一八年九月までの自民党総裁の「在任中に成し遂げたい」とも明言している。

 自民党総裁として、結党以来の党是である憲法改正を成し遂げたいのなら、公約の中で明確に位置付け、選挙戦で堂々と訴えるのが筋である。

 しかし、七月十日投開票日の参院選では激しい舌戦にもかかわらず、憲法論議が深まっていない。

 自民党は、一二年に憲法改正草案を発表しているが、参院選公約では最後に「国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」と明記するにとどめている。

 首相は参院選で、自らの経済政策「アベノミクス」の前進か後退かを最大の争点に掲げ、憲法改正については「選挙で争点とすることは必ずしも必要はない」と争点化することを避けている。街頭演説で改正に触れることもない。

改正求める声は少数

 公明党に至っては「国民に選択肢を示して選んでもらうほど議論は成熟していない。だから参院選の争点にならない」(山口那津男公明党代表)として、公約では憲法について掲げてさえいない。

 憲法争点化をめぐる与党の消極姿勢は、報道各社の世論調査で、安倍首相の下での憲法改正に反対する意見が賛成を上回っていることと無縁ではなかろう。

 集団的自衛権を行使する安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復を掲げ、全改選一人区で候補者を一本化した民進、共産、社民、生活の野党四党と同じ土俵に乗ることを避けたのかもしれない。

 自民党が安倍首相在任中の憲法改正を断念したのなら、争点化に慎重な態度も理解できる。

 しかし、私たちは安倍内閣の下での過去の選挙を振り返り、政権の意図を見抜く必要があろう。

 一三年の前回参院選で、安倍首相は「三本の矢」と呼ぶ自らの経済政策の成果を強調して選挙戦に臨んだが、選挙後に成立を急いだのは、公約に明記されていなかった特定秘密保護法だった。

 そして翌一四年七月一日には、歴代内閣が継承してきた集団的自衛権の行使を憲法違反とする政府解釈を一内閣の判断で変更し、行使容認の閣議決定に踏み切る。

 首相自ら「アベノミクス解散」と名付けた一四年暮れの衆院選では経済政策への支持を訴えたが、選挙後は「安保国会」と化し、多くの憲法学者らが違憲と指摘した安保関連法の成立を強行した。

 選挙で争点とせず、選挙後は多くの国民が反対する政策を強行する。そんなことが安倍政権下で続いてきた。今回の参院選でも同じことを繰り返すのか。憲法改正の争点化を避けながら選挙後に一転、進めるような暴挙を二度と許すわけにはいかない。

 改正手続きが明記されている以上、現行憲法は改正が許されない「不磨の大典」ではない。改正の必要があれば国会内で議論を深め、幅広い賛同を得て国民に堂々と訴えかければいい。

 しかし、憲法を変えなければ国民の平穏な暮らしが脅かされる恐れがあり、改正を求める切実な声が国民から澎湃(ほうはい)と湧き上がる政治状況でないことは明らかだ。

 にもかかわらず、改正を強引に進めるのなら、内容よりも改正自体が目的だと断ぜざるを得ない。

主権者にこそ決定権

 集団的自衛権の行使を容認した閣議決定からきょうで二年。私たちが目の当たりにしたのは、憲法に縛られる側の権力者がその解釈を意のままに変え、戦後日本が歩んできた平和国家という「国のかたち」を変えてしまったことだ。

 憲法で権力を律する立憲主義が蔑(ないがし)ろにされれば、民主主義は成り立たない。憲法は主権者である私たち国民のものであり、その在り方を決めるのも権力者でなく国民自身だ。その強い決意を、参院選を機にあらためて確認したい。