コロナ禍、あるデマから考える 敵つくる正義感の危うさ 三品信(文化芸能部)
「共有された情報」誤信
ネット発信 複雑な課題
日本に米軍が駐留するのに必要な経費(在日米軍駐留経費)の負担をめぐる日米交渉が今秋、本格化する見通しです。同経費の日本側負担のうち、日米地位協定にも反する「思いやり」予算の特別協定が2021年3月末で期限を迎えるためです。トランプ米政権は現状の4倍以上になる法外な負担要求を日本側に伝えていたことも明らかになっています。「思いやり」予算は廃止が当然であり、増額が許されないのはもちろん、特別協定の延長もやめるべきです。
在日米軍への「思いやり」予算は、円高・ドル安と財政難を理由にした米国の要求に応じ、1978年度に始まりました。しかし、日米地位協定24条は、「日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費」は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と明記しています。78年当時、防衛庁長官を務め、「思いやり」予算の生みの親とされる金丸信氏(元自民党副総裁)は著書で、同協定に反するのを承知の上での「政治的決断」だったと明かしています。
「在日米軍駐留費の分担増は政府内でも長くタブー視されてきた」「亘理(彰・防衛)施設庁長官は、まず、地位協定をじっくり研究したらしいが、(米軍の)経常的経費は地位協定第二十四条一項で『米側負担』に該当するという。しかし、ここを切り抜けて妙案を考えないことにはどうにもならない」「ここは一番“政治的決断”が必要だと私は思った」(『わが体験的防衛論』)
金丸氏は同著で、「“思いやりの精神”の前に不可能ということはない」と豪語しています。
その言葉の通り、米軍基地で働く日本人従業員の福利費などの負担(78年度62億円)から始まった「思いやり」予算は、79年度に新規の基地施設の整備費などにも拡大され、額も毎年膨れ上がります。87年には、政府自身がこれ以上の負担は不可能と国会答弁していた基地従業員の労務費そのもの(退職手当など)に対象を広げるため、米国と特別協定を結びます。政府は、特別協定は「暫定的、一時的、特例的な措置」だと弁明しましたが、その後も改定を繰り返し、今では基本給を含めた労務費の全てと米軍基地で使う光熱水料、訓練移転費まで負担しています。
しかも、政府は、沖縄の米軍基地・演習を移転するSACO(沖縄に関する特別行動委員会)経費の負担を当初予算で97年度から始めます。2007年度には、沖縄の辺野古新基地建設などのため米軍再編経費の負担も開始します。
その結果、20年度予算には、「思いやり」予算1993億円、SACO経費138億円、米軍再編経費1799億円の計3930億円が盛り込まれています。いずれも日米地位協定に反する負担で、78年度から20年度までのこれら予算の総額は10兆円近くに達します。
「思いやり」予算に関し、ボルトン前米大統領補佐官は、現職だった19年7月、当時、国家安全保障局長だった谷内正太郎氏に対し、トランプ大統領が年間80億ドル(約8500億円)の負担を求めていると伝えたことを回顧録で告白しています。“不可能はない”とまで言われる「思いやり」という名の、屈辱的な対米追従から今こそ抜け出すべきです。
広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」の被害をめぐる訴訟で、国は、住民ら84人全員を被爆者と認めた原告全面勝訴の広島地裁判決を受け入れず、広島県・市とともに広島高裁に控訴しました。「控訴断念」を求める原告をはじめとする被爆者の悲痛な声にあくまで背を向け、裁判を長引かせる安倍晋三政権の姿勢は重大です。控訴を取り下げ、被爆者の幅広い救済に即刻踏み出すべきです。
広島地裁判決(7月29日)は、「黒い雨」を浴びて被害を受けた人たちの援護対象区域を狭くした国の不当な線引きを退け、被爆者の被害実態にもとづき広く救済することを国に求めた画期的な内容です。内部被ばくの影響も加味した健康被害の検討も指摘するなど、国のこれまでの被爆者援護行政を根本から問うものでした。
国は、同判決は「十分な科学的知見」はないと強調します。しかし、国の指定した区域外で住民が原爆に起因する病気に苦しみ、亡くなった事実は、裁判を通じ明らかになっています。広島地裁判決も被害をめぐる住民の陳述は合理的と認めています。国の言い分はもう成り立ちません。
国が控訴と合わせ、援護区域の拡大を視野に入れた再検討を表明したのも、これまでの主張の行き詰まりの反映です。援護区域が実態に合わないと認めるのなら、控訴をやめ、高齢化した原告全員に直ちに被爆者健康手帳を交付し、すべての「黒い雨」被爆者の早期救済に力を尽くすのが筋です。
国が控訴に固執するのは、同判決が、原爆被害を「過小評価」してきた従来の基本姿勢を否定する中身だからです。1980年、被爆者援護運動の高まりに対し、政府は「戦争という国の存亡をかけての非常事態」では、その犠牲は「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」として原爆被害への国家補償を認めない立場を示しました。そして、被爆者支援を放射線障害の一部に限る方向を示した「原爆被爆者対策基本問題懇談会」答申を基調にしました。
アメリカの核戦略下で進められた日米軍事同盟の強化路線が背景です。原爆投下の違法性とその補償を認めれば、アメリカの核政策の障害となると判断したのです。
1954年の南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験では、多くの日本漁船員が被ばくし、放射線障害に苦しんだにもかかわらず、日本政府は「政治決着」をはかりました。被害の全容解明と責任追及をやめたのは、核兵器の非人道性が明らかになり、反核世論が強まることを恐れたアメリカの意向に追随したためでした。
原爆被害を矮小(わいしょう)化し、被爆者に冷たい行政を続ける日本政府の態度は、アメリカの「核の傘」に依存し、核兵器禁止条約への参加を拒む姿勢と深く結びついています。被爆者の悲願に応える新しい政治を一刻も早く実現することがいっそう重要になっています。
被爆者の長年のたたかいは、被爆者援護行政の矛盾を浮き彫りにし、根本的転換を迫っています。実態に合わない狭い基準でなく、高齢化した被爆者を早く幅広く救済する方向へ転じる時です。国家補償にもとづく援護と被爆者施策の抜本的改善に取り組むことが政府に課せられた責任です。