弾圧された戦前の経済学者・河上肇のおい 河上荘吾さん(88)が語る(2017年7月13日しんぶん赤旗)

2017-11-30 09:51:42 | 桜ヶ丘9条の会
2017年7月13日(木)
2017とくほう・特報

弾圧された戦前の経済学者・河上肇のおい 河上荘吾さん(88)が語る

治安維持法の時代復活は許さない

貧乏根絶と反戦平和――貫いた信念 自分たちも

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 「治安維持法が荒れ狂った時代を二度と許してはならない」。治安維持法の現代版、「共謀罪」法と安倍政権に怒るのは戦前の経済学者で日本共産党員・河上肇のおい、河上荘吾さん(88)です。内心の自由、結社の自由さえ認めない暗黒時代を当時の「特高刑事」の名刺も示して告発し、“社会の羅針盤”をもった生き方が大切だと語ります。(阿部活士)


 荘吾さんの父・河上左京は東京の画家でした。京都大学教授だった河上肇は、左京の10歳違いの兄です。肇の『貧乏物語』(1917年)の表紙は左京が描きました。

翻訳や入党が「罪」とされて

 生家は山口県岩国市錦見(にしみ)にあります。住宅街にある板塀と瓦の門構えの一軒家。いまも荘吾さんが暮らしています。

 肇の『第二貧乏物語』(30年)は、当時の科学的社会主義の入門書としてベストセラーになりました。日本共産党(22年7月15日創立)に頼まれて32年、「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」(三二年テーゼ)を翻訳しました。

 肇は同年8月、日本共産党に入党しました。53歳のときです。その感激を「たどりつきふりかへりみればやまかはをこえてはこえてきつるものかな」と詠みました。

 検挙された肇は、翻訳や入党が治安維持法違反とされ、懲役5年に処されました。37年6月に出獄したものの、恩給だけの生活は健康を害しました。いつも監視される保護観察処分は44年2月まで続きました。

 戦争がおわった45年、公然たる活動を開始した日本共産党は10月に京都の自宅で栄養失調のため病床にあった肇を激励しましたが、翌年1月、67歳で永眠しました。

防空ずきんに「臍曲(へそまがり)」の文字


 肇が入獄した33年、荘吾さんの父・左京は家族で、祖母・タヅの面倒をみるため生家に引っ越しました。荘吾さん4歳の時です。

 「兄貴は、おれの太陽だ。戦争は終わると予見し、社会の発展方向について正しい見通しを与えてくれた」

 父が語った河上肇像です。

 肇は出獄後ひそかに書き続けた「自叙伝」や激励の手紙を生家に送りました。父はその原稿を朝食のあとにタヅのために読むことが何度かあったといいます。

 家の外は、“戦争は勝った”“天皇陛下万歳”という軍国主義一色になるなか、「家のなかはそんな空気はみじんもなかった」と荘吾さん。

 父は手先が器用で、防空ずきんに「臍曲(へそまがり)」という文字を浮き彫りにした手づくりの「記章」をつけていました。

 「臍曲」には深い意味が込められていました。「表面は従うようだが、心は権力の側に向いていないぞという意思の表れです」と荘吾さん。

 「この家は閉門になった」とのうわさが立つなか、父は隣近所と違うことは避けていました。祝日に「日の丸」を掲げるのは子どもたちの役割にしました。父は本心とは別に「おいおい、旗たてんにゃ」と催促しました。

 米軍の空襲警報のサイレンがしばしば鳴った時期です。荘吾さんは父の肝を冷やす“事件”を起こしました。

 その日酒かすを食べ過ぎて、学校で覚えた皇太子誕生の祝い歌を歌ったのです。

 「鳴った鳴ったポーポ サイレン夜明けの鐘まで 天皇陛下およろこび」

 歌のサイレンは皇太子誕生のお祝いですが、歌った当時のサイレンといえば空襲警報。天皇が喜ぶはずのない空襲警報を「お喜び」と皮肉を込めたつもりでした。しかし、天皇をちゃかすと“不敬”で特高の取り締まり対象になります。

 外で歌を聞いた父親が怒鳴りこんできました。「用心せんといけんぞ」

 それから、家に憲兵や特高が現れ始めました。父は適当にあしらい、逆らうようなことはなかったといいます。

 荘吾さんが透明ファイルにしまっている古びた名刺は7枚。特高は、「岩国警察署勤務 特高刑事 津森忠雄」「岩国警察署 特高刑事 須山静男」など6枚。いずれも住所も電話も記されていません。憲兵は1枚だけ。

「特高は繰り返しやって来て、子どもの素行から親の本心、肇の動向を探ろうとした。父の警戒心は正しかった」

「共謀罪」廃止 肇の詩を贈る


 戦後、河上肇の生き方を庶民はどうみていたのでしょうか。

 荘吾さんは大事にしている古びた“紙切れ”を出しました。空き巣に入った泥棒が走り書きしたものです。

 「汗が出たからハンカチだけもらって行く 悪かった 御免なさい せっかく入ったけど 河上博士の生家だと気が付いたから盗らない」

 この文面を見ながら「働くもののための社会の実現を主張して河上肇は抑圧され攻撃されましたが、多くの人たちが自分たちの味方として好意をよせていたと思う」と語る荘吾さん。同じひとすじの道・日本共産党に入党し、2002年まで党山口県東部地区委員会で専従活動をしてきました。

 荘吾さんと二人三脚で戦後を歩んできた妻・シノブさん(85)は、パーキンソン病で不自由な口調ながら「河上肇は、貧乏の根絶と戦争反対、平和のために『いいことはいい』と信念を貫いた。私たちもそれに続く家族です」といいます。

 荘吾さんは、「共謀罪」廃止のたたかいをすすめる次の世代に贈る言葉は河上肇が最期に残した詩のとおりだといいます。

 詩は、こう結んでいます。

 「空しくわれ病床に臥(が)して 思いを天下の同志に馳(は)せ 切にその奮起を祈つてやまず」

大飯原発 安全は約束出来るのか(2017年11月29日中日新聞)

2017-11-29 09:20:41 | 桜ヶ丘9条の会
大飯原発 安全は約束できるのか 

2017/11/29 中日新聞
 福井県の西川一誠知事は、国の積極関与を世耕弘成経済産業相と約束し、大飯原発の再稼働に同意した。国策をより強く表に出すということは、国として、その安全にも責任を持つということだ。 

 大飯3、4号機も、疑問の多い原発だ。

 三年前、福井地裁が運転差し止めの判決を下し、リスクの大きさを指摘した。控訴審は今月二十日に結審したばかりである。

 控訴審で証言に立った元原子力規制委員長代理で地震学者の島崎邦彦さんは、地質調査が不十分であるために、地震の規模が過小評価されていると指摘した。

 政府主導で策定された事故時の広域避難計画には、多くの住民が不安と不信を訴える。

 三十キロ圏に一部がかかる滋賀県は、再稼働を認めていない。

 それでも、原子力規制委員会は、3・11後の新規制基準に「適合」と判断した。そして最後の関門である西川知事は、前日に県庁を訪れた世耕経産相に再稼働への同意を求められると、あっさりそれを受け入れた。“忖度(そんたく)”が働いたようにも映る。

 世耕氏は、福井県側が同意の条件として求めた使用済み核燃料の中間貯蔵施設の県外立地について「国も積極的に関与する」と約束し、福島原発事故の後始末もままならぬまま、国策として再稼働を進める姿勢をあらわにした。


 中間貯蔵施設とは、最終処分が可能になるまで、核のごみを保管しておく場所である。

 電力会社でつくる原子力発電環境整備機構が二〇〇二年から、最終処分場を受け入れてくれる自治体の公募を続けている。だがいまだ、正式な立候補者は現れない。

 中間貯蔵だとしても、さほど違いはないはずだ。最終処分地が決まらなければ、そのままにされる恐れもある。

 多くの原発を受け入れてきた福井県さえ、いやだというものは、他県も当然いやなのだ。

 再稼働が進めばその分、核のごみも出る。国民の過半が再稼働には反対だ。原発の推進と核のごみの処分に対する国民理解は両立しない。ならば国の積極関与とは、強制立地も視野に入れてということか、という疑念もわく。

 そもそも国として、原発の安全をどこまで保証できるのか。

 国が関与を強めれば、これまで以上に国費を費やすことにもなるだろう。立地地域の同意を得ただけで、決めてしまっていいことなのか。

「日本国憲法は希望」(2017年11月27日法学館憲法研究所 今週の一言より)

2017-11-28 09:11:48 | 桜ヶ丘9条の会
「弁護士 白神優理子が語る『日本国憲法は希望』」
2017年11月27日



白神優理子さん(弁護士)


1.弁護士としていつも大切にしていること
 弁護士になり2年間で100回ほど憲法に関する講演をした頃、元高校教員の沖村民雄先生から「ぜひ、全国の教員や若い人たちに特にあなたの話を届けたいから本を出版しないか」というお話をいただきました。
 「高校生から読めるように」ということで具体的なエピソードをたくさん盛り込みながら、これまでの講演内容をまとめて文章を作りました。
 いまは弁護士4年目で講演の数は200回以上になりました。
 常に私が心がけていることは、「どんな絶望的状況でも希望がある」ということです。これは講演に限らず、弁護士としての事件活動や若い世代と取り組む平和活動・政治活動など、どんな時でも大切にしています。
 そして「希望がある」ことを体現しているのが憲法だと思います。だから「憲法は希望」です。

2.憲法に出会う前の私
 憲法に出会う前の私は、テストの成績によってクラスや席順が決まる進学塾に小学生の頃から通い、競争の階段から落ちないように、学校では嫌われないように周りの空気を読むことに必死な毎日でした。
 暗記が中心の勉強をしていて、歴史の年表を表面だけ見ていると人間が争い・差別・戦争ばかりしていると思いました。
 また、私の出身は神奈川県海老名市で米軍基地がすぐ近くにあり、米兵に話しかけられて怖い思いをしたり、騒音に悩まされたりしていました。米兵による少女暴行事件を知った時も、とても辛かったですし、基地問題に疑問も持ちましたが、あまりにも広い米軍基地を前にして、自分に何かができるとは思えませんでした。
 「人間は醜く、歴史は過ちを繰り返すもの。」「だから私にできることは何もない。生きている意味もないのではないか。」と諦めて落ち込んでいました。

3.憲法との出会いが私を180度変えた
 私が変わったのは高校生になってからです。高校生平和ゼミナールという全国サークルに入り、高校生の仲間や教員の皆さんと共に戦跡地を巡り、戦争体験者の方々のお話を聞きました。思い出したくない記憶を、「もう二度と過ちを繰り返させたくない」「こんな残酷な体験を次の世代にさせたくない」という思いから、私たちに語りかけてくれ、「あなたたちが次の社会をつくる主人公だよ」と励ましてくれた戦争体験者の方に出会いました。「歴史が変わらないなんて、諦めていてはいけない」「このバトンを受け取って平和な社会をつくりたい」と強く思いました。
 そして多くの戦争体験者の方々が「日本国憲法を大切にしてほしい」と力強く語ってくださいました。
 実は私は憲法にはあまり良いイメージがありませんでした。法律というからには、校則のように私たちを縛るものなのではないかと漠然と考えていました。
 けれどみんなと学ぶ中で、日本国憲法はむしろ「私たち国民の自由・権利を保障することを国家権力側に命令しているもの」「国民を国家よりも何よりも大事にして、主役にするもの」「戦争をしない・戦力も持たないと徹底的に命を大事にしている世界最高水準のもの」ということを知ってとても感動しました。
 このような画期的なシステムが生まれた背景には、侵略戦争で多くのアジアの人々を殺した後悔、天皇のために死ねと子どもたちに教え戦場へ追いやった後悔、奪われた多くの命がある。真実を隠し侵略戦争を進めた国家権力の手足を縛り、国民を主人公にすることを徹底して、二度と過ちをくり返さないようにしようという「決意」があり、日本国憲法の原点であることを学びました。
 しかもこの憲法の中身をさらに本物にしていこうというたくさんの「声を上げる大人」の姿にも出会ってきました。
 「日本国憲法との出会い」は私に希望をくれました。こんな画期的なシステムを、もう二度と過ちを繰り返さないという後悔と決意の上に、しかも「最高法規」として作り上げた人間は決して醜くなんかないんだと知りました。私にとって日本国憲法は、人間の歴史が前に進むことを教えてくれる希望の存在です。

 それなら私も、憲法の中身を本物にする仕事をすれば、人の役に立てる生き方ができるのではないかと思うことができ、弁護士という夢を見つけました。

4.9条改憲の動き
 日本国憲法は世界にとっても希望です。今や軍事同盟は世界の少数で、問題を話し合いで解決していく平和共同体が大きく広がり、核兵器禁止条約も採択されるなど、世界は日本国憲法の方向へ進んでいます。
 ところが安倍首相は、憲法を守る義務に反し、積極的に憲法違反の法律を次々と強行採択し、今年の5月3日には憲法9条に自衛隊を書き込む改憲を、2020年までに実行とすると宣言しました。
 日本国憲法において、憲法を尊重擁護する義務は国家権力者側にあります(99条)。安倍改憲発言は、これ自体が立憲主義に反する憲法違反の発言であり、許されないものです。
 過半数を超える国民が反対した、憲法違反の戦争法(安保法制)が強行採決された今、憲法に書き込むこととなる自衛隊とは、「災害派遣の自衛隊」ではなく、「集団的自衛権の行使など武力行使ができる自衛隊」なのです。決して、災害支援をする自衛隊を憲法に書き込むなどというものではなく、自衛隊を「殺し殺される軍隊」へと180度変えてしまうことになります。
 「集団的自衛権の行使」とは、日本が攻撃されてもいないのに自衛隊の若者を海外に連れて行き、武力行使をすることができるようにするものです。
 これを内容とする戦争法(安保法制)に大多数の人たちが反対し、「憲法を守れ」と声をあげました。その力で、戦争法の第一弾である南スーダンへの自衛隊派遣を撤退させることができました。そこで安倍政権は憲法9条そのものを変えて、集団的自衛権を無制限で行使できるようにしようと狙っているのです。

5.1% 対 99%
 9条改憲によって日本が「戦争する国」にさせられたら…。
 軍事同盟相手国のアメリカが世界で起こす「戦争」に自衛隊の若者が連れて行かれ、前線で弾薬の提供や銃を撃つことができるようになり、殺し殺され血を流すことになります。
 そしてこれは、海外に憎しみをばら撒くこととなり、日本がテロのターゲットに。戦争のために税金が湯水のように使われるようになり社会保障が切り捨てられ、国民が貧困に。貧困家庭の若者は、医療費や学費のために自衛隊に入らざるを得なくなり、アメリカのような経済的徴兵制が出来上がってしまいます。
 9条改憲とセットで狙われている「緊急事態条項」の創設は、言論弾圧や、国の教育への介入、あらゆる職業への強制的な戦争協力を可能とし、私たちの自由と権利を奪っていきます。
 あらゆる憲法上の価値・権利が破壊される日本へと道を開いてしまいます。
 このようなことを求めているのは、1%程度の大企業・財界の人たちです。1%の人たちが安倍政権へ献金を渡し、買収して「戦争する国」づくりを進めさせています。
 1%程度のお金持ちがもっともっとお金持ちになるために、99%の国民が貧困にさせられ、過労死させられ、戦場に追いやられていく。
 「命よりもお金が大事」そんな1%のための道に進むのか、全ての人の命・自由・幸福追求権を徹底的に大切にした99%のための憲法の道に進むのか、これが私たちに今、問われています。

5.希望を届けるリレーランナーに
 高校時代、金八先生のモデルの一人だった三上滿さんの「歴史のリレーランナたちへ」という本を読み感激しました。
 前の世代から受け取ったバトンを、そのままではなく、自分が勝ち取ったことをそのバトンに込めて、次の世代へバトンタッチする。そうすれば、バトン渡しが続く限り、人間の歴史は必ず前に進むんだというものです。
 私は憲法こそ、次の世代への「希望のバトン」だと思います。
 今、多くの若い世代の方々が、競争教育の中で無理矢理に競争させられ、社会に出れば低賃金・不安定な非正規雇用や、ブラックな働き方に苦しめられ、「どうせ自分なんか」と無力感に苦しんでいるのではないかと思います。
 だからこそ、この苦しみの根っこには何があるのか?ということ、私たちは99%の側で、力を合わせれば苦しみの原因を変えることができること、実際に声をあげる人たちによって社会は変わってきたし、歴史は前に進んでいるという「希望」を一緒に伝え合っていくことが大切だと思っています。
 書籍『日本国憲法は希望』は、ブラックな働き方の問題から、沖縄・米軍基地の問題、核兵器などのテーマから、具体的なエピソードを通して、「問題の根っこが同じ」であること、憲法こそが私たちの「幸せを実現する道」であることを伝えたいと思いつくりました。
 手にとっていただけたら嬉しいです。

書籍『日本国憲法は希望』

新「目的税」浮上 必要性があいまいだ(2017年11月27日中日新聞)

2017-11-27 13:35:59 | 桜ヶ丘9条の会
新「目的税」浮上 必要性があいまいだ 

2017/11/27 中日新聞
 疑問だらけの新税が十分な説明もなしに決まっていいはずはない。政府・与党が来年度税制改正で検討を始めた「観光促進税」と「森林環境税」は必要性すら曖昧である。安直な増税に反対する。

 どうしても出費が必要であるなら、家計をやりくりして工面するだろう。本当に優先順位が高い施策というのであれば、新税をつくる前に、まずは予算を組み替えて財源を確保するのが筋だ。

 観光促進税は、訪日観光客のほか、出張や旅行に出かける日本人までもが出国するたびに一人千円ずつ、航空券代に上乗せして徴収される方向で議論が進む。

 観光財源の確保が目的なのに、なぜ外国人観光客だけでなく国民も負担させられるのか。受益と負担の原則すら曖昧である。

 訪日客の拡大に血道を上げ、観光立国を成長戦略の柱にしようという官邸の強い意向から、政府内の議論もそこそこに一気に流れが決まったからだ。国税としては二十七年ぶりの新税だが、先月投開票の衆院選の前にも後にも、負担を強いる国民に謙虚で丁寧な説明などはないのである。

 昨年の訪日客は約二千四百万人、日本人出国者は約千七百万人だった。この数字を基にすると税収は年四百億円に上り、観光庁の当初予算の二倍に匹敵する。その四割が日本人出国者の負担だ。

 多言語による観光案内表示やネット通信環境が不十分など観光面の課題はある。だが、本当に必要性が高いのなら既存の予算で優先されるはずである。

 観光庁を所管する国土交通省は、公共事業予算だけで五兆円ある。そのわずか1%を削れば確保できる額だ。

 森林環境税も同じことがいえる。住民税を納める約六千二百万人から年間千円を徴収する案が有力だという。地球温暖化防止や国土保全が目的というが、多くの地方自治体がすでに似たような税を徴収している。温暖化ガス削減の設計で後れをとるわが国で、どう役立てるのか疑問は解消しない。

 さらに大きな問題がある。二つの税は使い道を限定する特定財源が想定される。無駄遣いの温床といわれ、長く新設されなかったものだ。負の象徴だった道路特定財源は必要のない道路を建設したり、マッサージチェアに化けたりして批判を浴びた。

 省庁や族議員の既得権益となり、時代に逆行する。丁寧な説明の努力もなしに、新たな負担など到底受け入れられるものではない。

東海第二原発 延命は割に合わない(2017年11月25日中日新聞)

2017-11-25 09:49:20 | 桜ヶ丘9条の会
東海第二原発 延命は割に合わない 

2017/11/25 中日新聞
 日本原電は、来年四十年の運転期限を迎える東海第二原発の二十年延命を、原子力規制委員会に申請した。3・11後の安全強化で、原発はもはや割に合わなくなった。老朽化が進めば、なおさらだ。

 日本原子力発電(原電)は国内唯一の原子力発電専業会社、原発による電気を電力小売会社に販売する卸売会社である。

 沖縄を除く九電力などが出資して、一九五七年に設立された。

 茨城県東海村と福井県敦賀市に計四基の原発を持っていた。

 このうち六六年運転開始、日本初の商業用原子炉である東海原発は、三十二年で運転終了、廃炉、解体中。七〇年稼働の敦賀1号機も廃炉が決まっている。

 八七年稼働の敦賀2号機は、直下を活断層が走る恐れが指摘され、廃炉やむなしの公算大。七八年運転開始、来年操業四十年の東海第二を延命させないと、売るものがなく、電力卸売会社としての存続が困難になる。

 しかし、延長の前には高い壁がある。資金繰りの壁である。

 3・11後、安全対策のハードルは高くなり、四十年廃炉のルールもできた。延長は、本来例外的に認められるが、さらに特別な対策が必要とされている。

 東海第二ではこれまでに、規制委に防潮堤の設計変更や、新しい循環冷却システムの設置を求められ、再稼働にかかる予算は当初の二倍以上、約千八百億円に膨らんだ。原電は、積み立てが義務付けられた廃炉資金さえ、残高不足、自前の調達は困難な状況だ。

 東海第二だけではない。東京電力柏崎刈羽原発は、3・11後の新たな規制にこたえるため、これまでに六千八百億円を費やした。

 これは東芝を揺るがす原発関連の損失額に匹敵する金額だ。いずれにしても尋常な額ではない。

 安全を追求すればするほど、対策費は当然かさむ。

 電力自由化の時代、電気料金に転嫁するにも限度がある。

 東海第二の場合、三十キロ圏内に全国最多の百万人近い人口を抱えている。県都の水戸市もすっぽり含まれる。事故の際、どこへ逃げればいいのだろうか。

 東海第二は“割に合わない原発”の典型なのだ。無理な延長、再稼働はすべきでない。

 それより原電は、実際の廃炉、解体を他社に先んじて進めている。その分野に業態を転換してはどうだろう。原発高経年化の時代。確実に、需要は伸びる。