県民投票無視の政府 民意を矮小化するな(琉球新報2019年2月26日)

2019-02-28 20:54:11 | 桜ヶ丘9条の会
県民投票無視の政府 民意を矮小化するな
2019年2月26日 琉球新報社説

 果たして、この国は民主主義国家なのだろうか。「民主主義の皮をかぶった独裁国家」を疑いたくなる。
 辺野古新基地埋め立ての賛否を問う県民投票で、投票者の7割が「反対」の明確な意思を示した。しかし、政府は民意無視の姿勢を一向に変えようとはしていない。
 民主主義国家としてあり得ない対応だ。政府は埋め立て工事を即座に中止し、本当に米軍普天間飛行場の危険性除去につながる方策を提示し、米側と交渉すべきだ。日本の民主主義が問われている。

 一夜明けて、安倍晋三首相は「結果を真摯(しんし)に受け止める」と語ったものの「移設をこれ以上、先送りできない」と強行方針を変えなかった。
 これだけ反対が根強いのに、地元の意向を無視して一方的に建設を強行するのは、民主主義を押しつぶす行為だ。
 ロシアのプーチン大統領が昨年末、「地元知事が反対しいるのに整備が進んでいる」と指摘したように、今後、国際的な批判も浴びよう。
 県民は辺野古新基地について、2度の県知事選や国政選挙などで繰り返しノーを示してきた。今回は、新基地建設という一つの問題だけに絞った駄目押しの反対表明だ。
 県民投票の投票率は、昨年の県知事選の63・24%よりも低い52・48%だったにもかかわらず、反対票は玉城デニー知事の得票数39万票余を大きく上回る43万票余に上った。
 共同通信社の出口調査では、辺野古移設を推進する自民党の支持層でも、反対の48%が賛成の40%を上回った。保守層の中にも辺野古移設に反対が根強いことが分かる。
 ところが、県民投票の結果を矮小化(わいしょうか)する動きが政治家や一部報道に出てきている。「有権者の半分しか投票していない」「有権者全体では反対は37%止まりだ」などの批判だ。
 投票率の低下は全国的な課題だ。衆院選で見ると、2017年53・68%、14年52・66%と戦後2番目と最低を記録した。50%未満の府県はそれぞれ4県、8県だった。これらの選挙で選ばれた政治家の資格も否定するのだろうか。
 それよりも、人物を選ぶ選挙でもないのに、有権者の52%が投票所に足を運んだという事実は重い。政治に参加する意思のある県民だ。その7割が突き付けた反対の民意を過小評価すべきではない。
 県民投票を2度も実施した都道府県がどこにあろう。民意を踏みにじり、間接民主制の政治が機能不全に陥っているからこそ、直接民主主義に頼らざるを得なかったのだ。
 安倍政権は問題の本質をそらし、辺野古移設か普天間固定化かの二者択一論にすり替えることに躍起だ。県民の民意がはっきりした以上、工事を中止し、新基地建設とは切り離して、最優先で普天間飛行場の運用停止に向けて対米交渉へ行動を起こすべきだ。
 今度こそは民意に向き合い、本気で危険性除去に取り組むことを強く求める。


県民投票に憲法拘束力」 小林節氏 憲法学者・慶応大名誉教授 政府は「県外」追求義務
2019年2月28日 05:30
県民投票 憲法拘束力 小林節 憲法学者 慶応大名誉教授 辺野古新基地建設 辺野古埋め立て 憲法95条
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こばやし・せつ 慶応大名誉教授(憲法、英米法)、弁護士。安保関連法案を審議する2015年6月の衆院憲法審査会に参考人として出席し「法案は違憲」と指摘した。
 辺野古新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問うた24日の県民投票で、投票総数の約7割が埋め立てに「反対」票を投じた結果について憲法学者の小林節慶応大名誉教授は27日、本紙の取材に応じた。小林氏は「県民投票には憲法上の拘束力がある。政府には憲法の趣旨に従って『少なくとも県外への移設』を追求すべき義務がある」と指摘した。

 小林氏は憲法95条を根拠に挙げた。同条文では「ひとつの地方自治体のみに適用される国の法律は、その自治体の住民投票で過半数の同意を得なければならない」と定めている。小林氏は県民投票で辺野古への移設は県民の過半数の同意が得られていないことが明確になったと指摘した。

 憲法95条で対象にしているのは「国の法律」だが、小林氏は「辺野古への米軍基地移設は形式上は『法律』ではないが、中央から地方へのいじめをしてはならないという憲法の趣旨からすれば、政府が過重な負担を沖縄に押し付けてはならないという規範が95条の法意だ」と説明した。

 投票率が有権者の約半分にとどまり、「反対」以外が約70万人いることなどを挙げて「反対が沖縄の民意」とすることを疑問視する指摘については「先の衆院選小選挙区で自民党の小選挙区での得票率は47%余りで全有権者に占める割合は約25%にとどまった。それにもかかわらず約74%の議席を獲得した。安倍政権が県民投票の獲得票の割合が低いと言うのであれば自己矛盾になる」と強調した。

 その上で「県民投票での埋め立て反対票の割合は自民に比べても圧倒的に多い。棄権した人は、投票に行った人の結果に従うというのが法的評価だ」と述べ、そうした指摘は全く当たらないとの見解を示した。

沖縄投票「無視」 民主主義を軽んじるな(2019年2月27日中日新聞)

2019-02-27 08:50:17 | 桜ヶ丘9条の会
沖縄投票「無視」 民主主義を軽んじるな 

2019/2/27 中日新聞
 安倍政権にとり「真摯(しんし)に受け止める」は「無視する」と同義らしい。沖縄県民投票で、辺野古埋め立てに鮮明な反対の民意が示されても新基地工事は止まらない。それでも民主主義国といえるのか。

 安倍晋三首相は二十五日の衆院予算委員会で、前日の県民投票結果について「真摯に受け止め、基地負担の軽減に全力を尽くす」と述べた。だが、言葉とは裏腹に辺野古では埋め立てが続く。

 理由は「世界で最も危険な普天間飛行場の固定化は避けなければならない。これは地元との共通認識」(首相)。相変わらず外交・安全保障に関わる基地政策は、国が強引に進める姿勢だ。

 しかし、国の専管事項とされる外交・安保も、民主主義国では主権者である住民の生活環境を害さない限り、との条件が付けられよう。生活を犠牲にするような安保政策は民主的とはいえない。たとえ基地ができたとしても、地元の協力がなければ円滑な運用などできるはずがない。

 沖縄の人たちは知事選や国政選挙を通し、主権者として、沖縄への過重な負担となる新基地建設に繰り返し異議を表明してきた。

 本来なら、議会制民主主義によって立つ政権はその声に誠実に耳を傾けて是正を図らなければならないが、沖縄に限っては一顧だにしない。選挙による間接民主主義が機能しない「構造的差別」の下、直接民主主義で再度民意の在りかを示さなくてはならなくなったのが今回の県民投票だ。

 結果は、自民、公明両党が自主投票だったとはいえ、投票率は県内の最近の国政選挙並みに50%を超え、72%が反対だった。県内全市町村で反対多数だったことも民意を歴然と示している。首相は、辺野古埋め立てを前提とした普天間返還が「地元との共通認識」となお真顔で言えるのか。

 県民投票が持つ意味の重さは米メディアなども報道した。琉球新報と沖縄タイムスの両編集局長は本紙への寄稿で「日本が人権と民主主義をあまねく保障する国であるのか、県民投票が問いかけたのはそのこと」「沖縄は答えを出した。今度は日本政府、ひいては本土の人たちが答えを出す番」と、それぞれ訴えた。

 政権は埋め立てを直ちに中断し基地再編について米国と再協議すべきだ。本土の側も最大の関心を持って見守り、参院選などの判断材料にしなければならない。それこそが、機能不全に陥った日本の民主主義を再起させる道である。


沖縄県民投票、本土も答えを 地元2紙編集局長寄稿(2019年2月26日中日新聞)

2019-02-26 09:05:28 | 桜ヶ丘9条の会
沖縄県民投票、本土も答えを 地元2紙編集局長寄稿 

2019/2/26 中日新聞

 「辺野古新基地反対」が投票資格者の4分の1を超えた、24日の沖縄県民投票。あらためて示された民意とそれが問い掛けるものなどについて、沖縄にある地元2紙の編集局長に寄稿してもらった。

◆琉球新報・普久原 均(ふくはらひとし)氏

 普天間飛行場の辺野古移設計画は曲折を経たが、現在の計画になったのは二〇〇六年の在日米軍再編に関する日米合意でのことだ。

 この日米交渉をめぐり、沖縄県以外ではほとんど知られていない事実がある。在沖縄米海兵隊について、米側が九州や北海道などへの移転を提案していたことだ。これは当時の在日米大使館安全保障部長で、交渉の実務責任者の一人だったケビン・メア氏が講演で明らかにした事実である。

 〇四~〇六年の間、防衛庁(当時)担当として日米交渉を取材していた筆者は当時、別の筋からその情報を得ていた。そこで、なぜ沖縄県外移設を検討しないのか防衛庁首脳に尋ねた。

 今もはっきり覚えている。首脳の答えはこうだった。「本土はどこも反対決議の山だ。どこに受け入れるところがあるか」

 だが実際は当時、海兵隊移設への反対決議をしていたのは沖縄の市町村議会だけだった。そもそも米側の打診を政府が明かしていないのだから、他県では知る由もない。

 本土では移転打診のはるか手前で、いずれ生じるであろう「民意」をくんで退けるのに、沖縄の反対決議は現にどれほど存在しても押し付ける。筆者は当時、これを「ダブルスタンダード」(二重基準)と書いた。

 もちろん民意をおもんぱかるのが不適切というわけではない。政府とはそうあるべきである。問題は、民意をくまなくてよい存在として特定の地域を位置付けることだ。

 位置付けは今も変わらない。むしろ先鋭化しているように見える。一四年、一八年の沖縄県知事選で辺野古新基地反対を公約した候補が相次いで大差で当選しても、政府は新基地建設を強行し、辺野古の海への土砂投入まで始めた。まるで沖縄には民主主義を適用しないと宣言するかのようだ。

 沖縄では戦後、米軍の戦闘機が小学校に墜落して児童多数が死亡し、赤信号を無視した米兵の車に中学生がひき殺されても「太陽がまぶしくて信号がよく見えなかった」という理由で無罪になった。米軍による辛酸をどこよりもなめた地域である。そんな地域が拒み続けているのに、政府は新たな基地を押し付けている。沖縄以外ではまず不可能であろう。

 県民投票で問われていたのは、沖縄が今後もこの位置付けを甘受するか否かだった。沖縄が政府の決定に従うだけの存在か、自己決定権と人権を持つ存在なのかを問う。そんな色彩を帯びていた。

 その県民投票をめぐり、政府は「結果にかかわらず工事は進める」と公言した。選挙で民意を問うことを許さない地域を国内に設けている。そんな意思を国際社会にはっきりさらしたのではないか。

 投票は埋め立て反対が有権者の四分の一を超えた。条例は結果の尊重義務を知事に課す。だが民主主義国である以上、その義務を負うべきは政府ではないか。他県と同じ程度に民意を尊重してほしい。移設計画の推移に照らせば、沖縄側の要求はそんなささやかな望みにすぎない。

 日本が人権と民主主義をあまねく保障する国であるのか、特定の地域には保障しない国なのか。県民投票が問いかけたのはそのことでもある。

◆沖縄タイムス・与那嶺 一枝(よなみねかずえ)氏

 「分かるよねえ?」

 沖縄でブレークしている沖縄民謡の架空の大御所、護得久栄昇(ごえくえいしょう)の決めぜりふだ。お笑いコンビ「ハンサム」の一人が着物に角刈りのかつら、太い眉で彼に扮(ふん)する。辺野古の新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票の投票日を「分かるよねえ?」と押しつけがましく問う。沖縄県が宣伝役に起用した。

 別のお笑いコンビ「ありんくりん」は、かつて日本復帰運動で歌われ、現在は新基地建設に反対する市民が歌う「沖縄を返せ」をネタに取り入れ、観客を爆笑させた。昨年、地元テレビのお笑いバトルで敗者復活戦から勝ち上がり、優勝をかっさらった。

 演劇集団FECのコント「お笑い米軍基地」は二〇〇五年の初演からシリーズ化し、人気が定着している。しかし、県外出身者は「笑っていいのか?」と戸惑うらしい。複数人からそう聞いた。

 県内では米軍機はほぼ年に一回は墜落するし、女性への暴行事件も後を絶たない。普天間飛行場や嘉手納基地の爆音問題もある。確かに、全く笑えない。だが、広大な米軍基地が戦後七十三年も居座れば、政治の「語り」だけでは、とても言い尽くせない。

 毎年のように数万人規模で開かれる辺野古新基地建設反対の県民集会での語り、お笑いのネタとしての語りもある。そして、今回は直球勝負で挑んだ。

 県民投票には、紆余(うよ)曲折があった。全市町村で実施が決まったのは告示のわずか二週間前だ。

 保守系五市の市議会が県民投票に伴う予算案を否決。市長は議会を尊重し、当初は実施しないと言っていた。玉城デニー知事が出向いても市長たちは首を縦に振らなかった。

 膠着(こうちゃく)状態が大きく動きだしたのは、条例制定を求めて署名活動をしてきた「『辺野古』県民投票の会」代表の元山仁士郎(もとやまじんしろう)さん(27)がハンガーストライキを一人で始めたころからだ。市民は投票権を求めて署名をしたり、役所に抗議の電話をしたりした。

 投票権を求める民意の大きさに押された格好で自民党県連の照屋守之会長(当時)ら自民の一部県議が、三択に選択肢を広げた県民投票条例改正案では賛成に回った。実施過程においても市民と政治家がきっちりと民主主義を機能させたのだ。

 沖縄の戦後史が題材で先日直木賞を受賞した「宝島」が県内で共感をもって読まれ、書店では売り切れが続出した。作者の真藤順丈さん(41)=東京生まれ=はインタビューでこう話している。

 「沖縄の人たちが、日本の民主主義を何度も救ってきた。県民投票の結果を受けて動くのはわれわれだと思う」

 今回は、投票率と大多数を占めた辺野古埋め立て「反対」の得票がどれだけ伸びるかに注目が集まったが、沖縄は答えを出した。

 県民投票とともに、最近では埋め立て海域の「マヨネーズ状」軟弱地盤改良工事が大規模な難工事で長期化し、総事業費は膨大(県試算では二兆五千五百億円)になるとの見立てが現実味を帯びて語られるようになった。

 菅義偉官房長官が判断したように、このまま工事を進めていいのか。今度は日本政府、ひいては本土の人たちが答えを出す番だろう。

辺野古基地反対(2019年2月25日中日新聞)

2019-02-25 09:28:41 | 桜ヶ丘9条の会
辺野古反対 沖縄の思い受け止めよ 

2019/2/25 中日新聞
 重ねて沖縄の確かな民意が示された。民主主義と地方自治を守るのなら政府は県民投票結果を尊重し、工事を中止した上で県民との対話に臨むべきだ。国民全体で沖縄の選択を重く受け止めたい。

 県民投票結果に法的拘束力はない。だが、今後の事業展開に影響を与えないわけがない。

 政府は、結果によらず米軍普天間飛行場の移設を名目にした新基地建設を進める考えだ。判断の根底には「一九九九年に知事と名護市長の受け入れ同意を得て辺野古移設を閣議決定した」(菅義偉官房長官)との認識がある。

 しかし、当時の稲嶺恵一知事と岸本建男市長が表明した十五年の使用期限など条件付き容認案は二〇〇六年、日米が沿岸埋め立てによる恒久的な基地建設で合意し破棄された。一三年に仲井真弘多知事が下した埋め立て承認も、選挙を経ての決定ではなかった。

 その後二回の知事選で移設反対を掲げた知事が就任。今回は埋め立ての賛否に絞って問い、五割超の投票率で反対多数となった。地元同意はもはや存在し得ない。

 それでもなお工事を進めようとしても、埋め立て海域に横たわる軟弱地盤の問題に突き当たる。

 約七万七千本もの砂杭(すなぐい)を打つ地盤改良工事は当初計画になく設計変更が不可避だが、環境への影響は甚大であり民意を代表する玉城デニー知事は認めないだろう。

 法廷闘争に持ち込んだとて政府が勝訴するとは限らない。翁長前県政時代の国と県との裁判は国側勝訴が確定したが、知事選などで示された民意を巡る裁判所の判断は賛否どちらともとれないというものだった。今度は状況が違う。

 民主主義国家としていま、政府がとるべきは、工事を棚上げし一票一票に託された県民の声に耳を傾けることだ。現計画にこだわるのなら納得してもらうまで必要性を説く。できなければ白紙に戻し、米側との議論をやり直す。

 今回、「賛成」「どちらでもない」に集まった票には普天間の危険性除去に対する思いがあろう。無論、「反対」を選んだ県民もその願いは同じはず。普天間返還はこの際、辺野古の問題と切り離して解決すべきだ。

 国策なら何でも地方は受忍せざるを得ないのか。選挙による民意表明が機能しない場合、住民は何ができるのか。混迷の末に行われた沖縄県民投票は、国民にも重い問いを突きつけた。私たちは政府対応を注視し、民意尊重の声を示してゆきたい。


反対がある世界に賛成 週のはじめに考える(2019年2月24日中日新聞)

2019-02-24 11:55:53 | 桜ヶ丘9条の会
反対がある世界に賛成 週のはじめに考える 

2019/2/24 中日新聞
 賛成、イエス。何か明るく前向きな感じがしますね。でも、それだけだと意見は一つ。反対やノーこそが、「それ以外」という別の選択肢をつくります。

 さて、最近、少し驚いたのは、例の統計不正の問題があったにもかかわらず安倍政権の支持率が上昇した、とのニュースでした。その調査結果に関する記事の中で、「自民党幹部」は要因をこう分析しています。

 「野党がふがいないから」

 何となく想が連なったのは、NHKの朝の連続ドラマ『まんぷく』でした。

『まんぷく』の鈴と野党

 ご覧になっていない方には申し訳ないのですが、あのチキンラーメンをつくった安藤百福と妻がモデルのお話です。ドラマでは、萬平と福子という夫婦が二人三脚で即席ラーメン開発を成し遂げていく姿が描かれています。

 あらゆる決断の場面で、萬平が「こうしたい」と言えば、福子は少し躊躇(ちゅうちょ)はしても、結局は「萬平さんのしたいようにしてください」と賛成します。しかし、福子の母鈴は、萬平・福子が「やる」と言えば「やめた方がいいわ」、「やめる」と言えば「何でやめるのよ」といった具合に、まあ、何でも反対する。

 ちょっと重なりませんか。萬平が自民党なら、福子は公明党、そして、鈴は、野党。

 そういえば、「何でも反対」って、野党批判の常套(じょうとう)句の一つでしたね。

 しかし、そもそも野党が与党に反対するのは当然でしょう。英語で言えば、the opposition=反対党なのですから、ひるむことはない。与党から「ふがいない」と言われてしまうのは、むしろ反対が手ぬるい、あるいは反対に工夫が足りないからではありますまいか。「何でも反対」でも、鈴は(演じる松坂慶子さんの力も大きいのですが)、とてもチャーミング。学ぶべきところがあるかもしれません。

権力が異論を軽視すれば

 もっとも、似てはいるが違うといえば、こっちの方が決定的。自民・公明の与党には、萬平・福子の柔軟さ、謙虚さを感じません。

 例えば、萬平が即席ラーメン開発の最初の課題、スープ作りで試作を家族に食べさせる場面。萬平の苦労も察してか、福子をはじめ、みなが口々に「おいしい」と言う中、鈴は一人敢然と「おいしくない」と言い放ちます。まさに、反対によって「それ以外」の選択肢を提出したわけです。

 すると萬平は、悔しそうにしつつも、そのノーを受け入れ、改良を続行、最終的によりおいしい完成品へとたどり着けたのでした。

 野党の反対や批判を容(い)れて、参考にしたり、主張を見直したりする。今の与党、安倍政権には、そういう懐の深さがない。首相は、野党の異論や追及に誠実に応じているとは到底言えず、国会での議論というプロセス自体さえ、軽くみている印象があります。

 萬平・福子が、異論を「聞く耳」を持ち、反対者(鈴)への敬意も決して忘れないのとは、むしろ対照的です。

 与党は衆参両院で多数を占め、いくら野党が反対しようと、確かに、最後は数の力で何でも決められる。現在は、自民党内にも有力な“野党”は見当たらず、ほぼ一強・安倍首相の思うように物事が決まっていく状態です。

 しかし、では反対には価値がないのでしょうか。

 そうでないことは、逆に、「反対のない世界」を想像してみれば明白です。政治体制で言えば、独裁や全体主義でしょうか。賛成一色の中、すべては権力者の思うがまま…。ノーが表明できて、反対者が存在できる民主主義のありがたさを思います。

 しかし、たとえ民主的に多数を得た権力でも、反対に価値を認めず「思うがまま」にことを進めるなら、「反対のない世界」との境界はどんどん曖昧になっていく。即(すなわ)ち、反対できるだけでは不十分。権力がそれに敬意を払ってはじめて民主主義なのです。

たった一人の「ノー」

 米中枢同時テロの直後、米議会は大統領に、ほぼフリーハンドで報復戦争を行う権限を与える決議を採択しました。相当乱暴な内容でしたが、上院は全員賛成。そして下院は賛成四二〇に、反対一。

 この唯一の反対票を投じたバーバラ・リー議員に、後年、ワシントンで会ったことがあります。

 「白紙小切手みたいな決議には賛成できなかった。まさか、反対が自分だけだとは思わなかった」と言っていました。世論の感情もたかぶる中、非愛国的だと脅されたこともあったそうです。

 でも、米国が危うく「反対のない世界」に陥るところを彼女の一票が救ったようにも思えます。こうしたノーを守り、敬意を払える社会でありたいものです。