疑惑の本質をとらえよ 佐川氏証人喚問(2018年3月28日中日新聞)

2018-03-28 09:13:14 | 桜ヶ丘9条の会
疑惑の本質をとらえよ 佐川氏証人喚問  

2018/3/28 中日新聞
 証言拒否で真相解明には至らなかった。佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問。疑惑の本質は格安での国有地売却だ。国会は追及の手を緩めてはならない。

 学校法人「森友学園」への国有地売却問題を整理すると、大きく分けて二つの論点がある。

 まず第一に、売却の経緯だ。国民の貴重な財産である国有地がなぜ森友学園に、それも八億円も値引きされて売却されたのか。売却の過程に、学園理事長らが親密さを強調していた安倍晋三首相や夫人の昭恵氏らの政治的関与はなかったのか、という疑惑である。

 直接の関与がなかったとしても官僚側による忖度(そんたく)がなかったのかどうかも、重要な論点だ。

文書改ざんは認める

 第二に、公文書である決裁文書を財務省がなぜ改ざんしたのか、である。その動機が売却の経緯を隠蔽(いんぺい)するためだとしたら、これら二つの論点は不可分のものとして追及されなければならない。

 きのうの証人喚問で主に追及されたのは、第二の論点である文書改ざんへの佐川氏の関与である。

 財務省はこれまでの調査で、改ざんは昨年二月から四月にかけて行われたとしている。森友学園への国有地売却が国会で問題視された直後だ。当時、国有地を管理する理財局長が佐川氏だった。

 佐川氏は「書き換えはあった。担当局長としてひとえに私に責任がある」と改ざんの事実は認めたが、安倍首相や官邸側などからの改ざんの指示を否定。改ざんの目的や経緯、自身がいつどのように関わったかなどについては「捜査の対象であり、刑事訴追の恐れがある」として証言を拒否した。

 また、佐川氏が過去に国会で、森友側との交渉記録や面会記録を廃棄済みと答弁したことについては「規則について申し上げただけだった」と釈明した。

国政調査の権能軽視

 きのうの証人喚問で真相が解明されたとは到底言えないが、佐川氏の証言からは、看過できない重要な問題が浮かび上がる。

 改ざんが刑事訴追の対象になる「犯罪」であることに加え、国権の最高機関で、全国民を代表する国会を欺いた、ということだ。

 国会には当初、改ざん後の決裁文書が提示され、この誤った文書を基に一年近くにわたって議論が交わされていたことになる。おびただしい時間の浪費だ。

 佐川氏が廃棄済みと答弁していた交渉記録なども残されていた。佐川氏は証言で「国会対応に丁寧さを欠いていたのは間違いない」と陳謝したが、国会に対する偽りの答弁にほかならない。

 その後、答弁修正の機会はあったはずだが佐川氏はそうしなかった。当時、国会対応に追われ「休むことができず、全くそういう余裕がなかった」と釈明したが、それで済ますわけにはいかない。

 官僚による国会答弁は国会が有する国政調査の権能を重んじ、真実を述べることが前提だ。虚偽の文書や発言に基づいて予算案や法案、内政、外交の重要事項を審議することになれば、判断を誤る。

 佐川氏の理財局長としての振る舞いは、国会の国政調査機能を軽視する重大な行為だ。安倍政権の政治責任も免れまい。

 きのうの証人喚問では売却経緯についても真相解明には至らなかった。国会は引き続き国政調査権を駆使して真相に迫ってほしい。

 安倍昭恵氏に加え、首相夫人付き職員だった谷査恵子氏、佐川氏の前任の理財局長である迫田英典元国税庁長官らの証人喚問を求めたい。

 自民党の丸川珠代参院議員は佐川氏に決裁文書改ざんについて「安倍首相からの指示はありませんでしたね」「昭恵夫人からの指示はございませんでしたね」と尋ねた。

 首相夫妻の指示がないことを印象づける狙いがあるようにも聞こえた。念押しするような質問の仕方で、真相に迫り、国民の理解を得られるだろうか。

 報道各社の世論調査によると、内閣支持率は軒並み30%台に急落している。国民は安倍政権や支える自民党に厳しい目を向けていることを忘れてはならない。

幕引きは許されない


 野党側にも注文がある。一人あたりの質問時間が短く、真相に迫りきれなかったからだ。「一強多弱」の弊害である。野党間で質問事項を調整したり、質問者を絞るなどの工夫が必要だろう。

 佐川氏は証言拒否を連発する一方、首相夫妻ら政権側の関与は否定し、すべての責任を一身に背負おうとしているのではないか。

 しかし、疑惑の本質は、公平、公正であるべき行政判断が、政治の影響で歪(ゆが)められたか否か、である。それを解明するのは国政調査権を有する国会の責任だ。トカゲの尻尾切りで幕引きを許すようなことがあってはならない。

デモを制限しますか? つきまとい規制の都条例改正案(2018年3月27日中日新聞)

2018-03-27 13:52:41 | 桜ヶ丘9条の会
デモを制限しますか? つきまとい規制の都条例改正案 

2018/3/27 朝刊

 東京都議会で審議中の迷惑防止条例改正案に対し、市民らから「街頭での運動が制限されかねない」と反発の声が上がっている。改正は、ストーカーによる「つきまとい」行為などの規制強化が主眼とされるが、条文の解釈次第で、国会前デモや労働組合による会社への抗議活動、報道機関の張り込み取材なども取り締まり対象となる恐れがある。識者は「憲法が保障する言論・表現の自由などが侵害される」と危ぶむ。

◆29日、本会議採決へ

 東京都迷惑防止条例が初めて制定されたのは、一九六二(昭和三十七)年十月のこと。正式名は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」。当時は、繁華街をうろつく不良集団「ぐれん隊」対策に活用された。

 その後、時代に合わせて改正を繰り返し、二〇〇四年十二月に繁華街での「客引き行為」を全面禁止。〇七年十二月には、客引きの手法のうち「立ちふさがる」などの行為を規制した。一二年三月には、高齢者宅などで貴金属を強引に買い取る「押し買い」行為が取り締まり対象となった。

 今回の改正案はどんな内容なのか。同条例を所管する警視庁の「条例案の概要」によると、ITを悪用した「盗撮」と「つきまとい」が焦点という。

 盗撮では、規制対象の場所として公共空間以外に、「住居」や「学校や会社事務室など」を含める。つきまといでは、相手の住居付近を「みだりにうろつくこと」も対象にするほか、「監視していると告げること」「名誉を害する事項を告げること」も加え、禁止事項を現行の四種類から七種類に拡大する。罰則も「一年以下の懲役または百万円以下の罰金」(現行は六月以下の懲役または五十万円以下の罰金)に引き上げる。

 実は、こうした行為は、昨年一月施行の改正ストーカー規制法で既に八種類が規制されており、同行為を「恋愛感情その他の好意の感情(略)を充足する目的」と定義している。しかし、条例にこうした限定はなく、「正当な理由なく、専ら、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的」とあるのみで、対象が幅広い。

 小池百合子知事は先月、開会した都議会に改正案を提出。施政方針で「現在の規制では対応できない悪質な行為を取り締まりたい」と、成立に期待を込めた。

 今月十九日の警察・消防委員会では、つきまといについて条例の乱用を懸念する質問が相次ぎ、市村諭・警視庁生活安全部長が「乱用防止規定があり、政治や組合活動、報道は対象にならない」と述べた。

 この答弁に対し、同委員会所属の大山とも子都議(共産)は「運用は最終的に警察側が行う。恣意(しい)的な運用の怖さは拭えない」と訴える。大山氏のもとには五百を超える個人・団体から、改正案に反対する要請文が届いているという。

 大山氏は「委員会では全会派が改正案について質疑したが、『知事与党』の都民ファーストの会は警視庁の主張を確認するにとどまっている。このままでは数の論理で改正案が可決されてしまう」と懸念を強めている。

 改正案は二十二日の同委員会で、共産を除く賛成多数で可決された。二十九日に本会議で採決される予定で、成立すれば、七月にも施行される。

◆「共謀罪」法東京版

 もともと都迷惑防止条例の「悪意」の定義は曖昧だった。このため、悪意に基づく繰り返しの「つきまとい」などを規制する条項を巡っては、〇二年の改正で「正当な労働運動、抗議行動の規制も可能となるのではないか」との懸念が広がり、都側が提案した条項が削除されるという異例の経緯があった。

 〇三年に修正案が出され、この条項に「正当な理由なく」という文言が付け加えられたほか、都民の権利を不当に侵害しないように定める乱用防止規定を新たに設けるなど、要件を厳しくして成立した。

 今回の改正案に反対する意見書を都議会の各会派に提出した弁護士団体「自由法曹団東京支部」の船尾遼弁護士は「憲法が保障する労働組合の団体行動権や国民の言論・表現の自由、知る権利、報道の自由を侵害している。昨年国会で成立した『共謀罪』法の『東京都版』とも言える内容だ」と危機感を募らせる。

 被害者の告訴がいらないこともあり、行為の正当性や内心の感情が、現場の警察官の判断に委ねられるという危険性は以前からあったというが、「今回の改正で取り締まりの対象がさらに広がる」とみる。

 船尾氏は十九日の都議会警察・消防委員会を傍聴し、「改正が必要な根拠となる立法事実がない」と断じる。「現行法が適用できないつきまといなどが、どれほどあるか知りたかったが、警視庁からそうした行為の類型別の統計は示されなかった。これではなぜ今改正されるのか分からない」と首をかしげる。

 今回の改正で最大の問題点と考えるのは「名誉を害する事項を告げること」への規制だという。「刑法上の名誉毀損(きそん)罪の範囲を超えている。同罪の適用には、不特定多数に告げて名誉をおとしめたという客観性が求められるが、この改正案では『バカ』と繰り返し言われ、むっとするという感情レベルでも、条例違反に問われかねない」とみる。

 ストーカー規制法と違い、名誉を害する相手も限定されないため、例えば国会前で首相を批判する、労働組合が会社の前で「ブラック企業」と抗議しビラを配る、消費者が不買運動を呼び掛ける、といった活動も条文上は対象となり得るという。ツイッターなど会員制交流サイト(SNS)を使った批判も同様に罪に問われる恐れがある。

 「監視していると告げる」行為も「記者の張り込み取材が該当しかねない」とみる。「乱用防止規定があるとはいえ、犯罪の事前抑止を目的とする治安立法に使われ、将来の取り締まり強化につながるという懸念は消えない。こうした条例改正の動きが、基地反対運動が続く沖縄のような他県に広がることも恐れる。現行の都の改正案は廃案にするべきだ」と訴える。

 十四日、森友学園問題に抗議する官邸前デモに参加した小原隆治・早稲田大教授(地方自治)は「デモが拡大しているタイミングで、こうした政治活動を脅かすかもしれない改正案が、多くの都民が知らないうちに採決されようとしていることに驚いた」と話す。

 小原教授は改正案の中身や問題点を自ら調べ、ツイッターで発信している。「治安立法の意図はなくても、デモに参加する市民を威圧する効果はあるだろう。治安のための運用はしないという言質を確実に取るため、乱用防止規定の厳守を念押しする付帯決議を行うなど、都議会でもっと議論してほしい。市民も活動を萎縮せず、懸念があれば声を上げていこう。これからの警察の運用も注視していく必要がある」と話した。

 (白名正和、安藤恭子)


人類の進歩と不調和 週のはじめに考える(2018年3月25日中日新聞)

2018-03-25 08:21:09 | 桜ヶ丘9条の会
人類の退歩と不調和 週のはじめに考える 

2018/3/25 中日新聞
 大阪が二〇二五年、再びの万博開催を目論(もくろ)んでいるようですが、EXPO70のテーマを覚えていますか。そう、「人類の進歩と調和」でした。

 しかし、このごろのニュースなどみれば、世界は「進歩」や「調和」とは逆の方に行っているのかも、という思いが募ります。

 まずは、「壁」のことを考えてみましょう。ハドリアヌスの長城でも万里の長城でも、あるいは城郭都市などを思い浮かべてもらってもいいのですが、かつては世界中に壁がありました。敵からの攻撃に対する防御施設であると同時に、人々を分断する存在でもありました。

崩れた壁、新たな壁


 争いがなくなり、防御の要がなくなる度に壁は消え、あるいは機能を失っていきました。分断されていた人々が交わり、一緒になる時には邪魔になるのです。現代なら、世界を二つに引き裂いていた「ベルリンの壁」がよい例でしょう。

 壁は「分断」の象徴、それを一つ一つ崩していくこと、「統合」へと進むことが世界の「進歩と調和」であったはずです。

 しかし、新たな壁をつくることを大仕事だと喧伝(けんでん)してはばからない人物が今、世界の超大国を率いているのです。ご存じ、トランプ米大統領。メキシコ国境に長大なものをこしらえる計画を、なお捨てていません。

 現代の壁の“先輩格”は、イスラエルがパレスチナ自治区との間につくったそれでしょう。二〇〇九年に由緒ある古都の名を冠した「エルサレム賞」を受けた時、村上春樹氏は、人間個々の尊厳を「卵」に、それを壊すものを「壁」にたとえる受賞演説をしたと記憶します。そして、その古都をめぐり、トランプ氏は昨年、とんでもない宣言をしました。

エルサレム


 エルサレムは、パレスチナも将来の独立国家の首都と位置付けています。多くの国は、イスラエルの首都とは認めておらず、日本や米国も含め、大使館は地中海岸の都市テルアビブに置いています。まさにイスラエル・パレスチナ和平の勘所。なのにトランプ氏は、米大使館をエルサレムに移転すると発表したのです。

 イスラエルは大歓迎。パレスチナは激怒しました。和平の道をさらに後退させる「不調和」の姿勢を多くの国が批判したのは当然です。しかも米紙によれば、巨額献金者である親イスラエルのカジノ王からの圧力が影響したようす。開いた口がふさがりません。

 さらに、このツイッター大統領、反差別や言論の自由など歴史の中で培われてきた大事な価値観を傷つける発言も目に余ります。日々、言葉で新たな「壁」をつくっているよう。米大統領の影響力でそれを広めているなら、これも世界を退歩させる行いでしょう。

 退歩といえば、最近、中国でネット上に、バックする車など後戻りする何かを撮った画像が相次いでアップされたのだそうです。

 文化大革命への反省から、個人への権力集中、個人崇拝を厳に戒めてきた中国ですが、もはや集団指導体制は形骸化、習近平氏一強が決定的になっています。この二十日に閉幕したばかりの全人代では憲法改訂で国家主席の任期を撤廃。事実上、習氏の終身国家主席への道が開かれました。

 こうした動きを歴史の逆回転、社会の退歩とみる国民は少なくないのでしょう。ネット上の後戻り画像は精いっぱいの皮肉、抵抗なのです。ちなみに画像は当局の意向か、次々削除されたようです。

 前後して、ロシアではプーチン大統領が再選されました。お世辞にも厳正な選挙とは言えないようですが、とにかく、70%を超える圧倒的得票率でした。二期大統領を務めた後、いったん首相になって連続三選禁止の規定をかわした後の二期目。個人への権力集中も極まって、ツァーリ(ロシアの皇帝)に擬せられるほどです。

 「ベルリンの壁」と前後して社会主義ソ連は崩壊。民主化後のロシアでは選挙で指導者が選ばれる時代に。それが、どうでしょう、三十年ほどたってみれば、封建時代に後戻りしたように“皇帝”が権勢を振るっているのです。

脅かされる平和主義


 翻って、わが国。あの戦争で辛酸をなめた後、大事に守ってきた平和主義こそ戦後日本の「進歩」でありましょう。しかし今、九条改憲が企図されているばかりか、例えば隣国にも届く射程を持つ巡航ミサイルといった、これまで決して持たないできた武器の配備方針が示されるなど、専守防衛の鉄則を揺るがす動きも急です。戦争の準備を重ねて悲惨な戦争に突入していった経緯を思い起こせば、やはりこれも後戻り、「退歩」というほかないでしょう。

都立高元校長「不当介入」訴え 前川氏授業問題(2018年3月24日中日新聞)

2018-03-24 09:10:25 | 桜ヶ丘9条の会
都立高元校長「不当介入」訴え 前川氏授業問題 

2018/3/24 中日新聞

 文部科学省が前川喜平・前事務次官の授業内容の報告を名古屋市教委に求めた問題では、教育基本法が禁じる「不当な支配」に当たる可能性が指摘されている。戦前の国家主義的な教育への反省から教育の独立が重視されてきたはずだが、近年、学校現場への管理強化は進む一方だ。締め付けに異を唱え続ける東京都立高の元校長に聞いた。

 「ここまで政治が教育現場に介入するなんて」

 文科省が個別の授業内容を細かく照会していたことに、元都立高校長の渡部謙一さん(74)は驚きを隠せない。

 総合学習の講師として前川氏を招いた名古屋市立八王子中学校の授業内容について、文科省は、十五項目にわたる質問状を市教育委に送付。学校側が拒んだが録画記録の提供すら求めていた。質問状は自民党の池田佳隆衆院議員(比例東海)が事前に確認していたが、当初は議員からの問い合わせも隠していた。

 質問状を確認し、修正を求めた池田氏は「質問状への感想を文科省に求められた」と説明。林芳正文科相は「事実確認は文科省の判断。法令に基づき、国が調査することは可能」と説明している。

 だが、「東京の『教育改革』は何をもたらしたか」の著作がある渡部さんは「教育の独立を脅かす現場への不当介入以外の何ものでもない。近年、教育現場の締め付けは悪化の一途をたどってきたが、危機的状況がここまできたか」と嘆く。

◆物言えぬ空気

 一九九九年の石原慎太郎都政発足と同時期に校長になった渡部さんは、まず東京で始まった管理強化の波にいや応なく巻き込まれてきた。

 九五年に始まった都立高校改革は、現場や保護者の意見も聞かず一方的に進められた。「校長の権限がどんどん強化され、職員会議は協議の場ではなく、校長の方針を伝える場や諮問機関化していった。校長は経営者で、数値目標と成果を上げろと言われた」

 さらに学校内で教員の階級分けが進む。「教育委員会から、校長、教師へと上意下達が徹底された。学校現場で一番大切なのは、教師が生徒たちのことを自由に話し協力し合う『協働性』なのにそれが壊されていった」。実際、学校には物言えぬ空気や諦めがじわじわ広がっていった。

 石原都政の誕生した九九年に、国旗国歌法もつくられている。国会審議では文相(当時)が「国民に強制するものではない」と答弁していたにもかかわらず、二〇〇三年に都は完全実施を求める通達を出し、従わない教員らを次々に処分していった。

 〇三年度は、渡部さんにとって教員人生の最後の年だった。校長として最後の卒業式で、日の丸・君が代を強いる職務命令を出さざるを得なかった。都教委には当日の教師の座席表まで提出を求められ、出席した都教委によって、君が代斉唱時に起立しない教師がチェックされた。

 中学時代の担任にあこがれ、教師になった渡部さんにとって、戦後の教育は未来への希望そのものだった。「生徒は一人一人状況が違う。生徒にレッテルを貼らず、徹底的に関わり、絶対に放り出さない。それを信条にやってきた」

 だが、その教員人生の最後に、異論を認めない上意下達のコマであることを強いられた。「これが教育なのか。この時の贖罪(しょくざい)の思いがあり、教育現場のこの空気払拭(ふっしょく)のために、退職後は尽力しようと決意した」

 渡部さんは退職後、教育現場の問題を講演などで発言し続けた。通常なら招待される元の勤務先の卒業式や行事に一切呼ばれなかった。君が代を巡る教員処分問題で〇六年二月に都教委の人事委員会審理で証言を求められたときには、「東京の教育は異常だ」と訴えた。

 現在も「東京の教育を考える校長・教頭(副校長)経験者の会」のメンバーとして、教育の独立を訴え続けている。

 だが、東京から始まった学校現場の締め付けは、第一次安倍政権による〇六年の教育基本法改正とともに全国に拡散しつつある。渡部さんは「学習指導要領などで、指導内容だけでなく、指導方法まで統一され、信じられないことに統一した生徒像を目指すとまでいわれている。教師は管理され、生徒一人一人に向き合う余裕がない。学校現場には疲弊と諦めが起きている。今の学校は学校ではない」と訴える。

◆学習権の侵害

 そもそも教育の独立はなぜ大切なのか。

 名古屋大の愛敬(あいきょう)浩二教授(憲法学)は、教育基本法が教育への「不当な支配」を禁じている理由について「国家が介入し、国に有用な人材の育成を目的にしていた戦前教育の反省から、戦後は子ども個人の能力をより良く発展させるため、教育の自由が唱えられた」と説明。文科省による今回の報告要請は「子どもの学習権と、講演者の表現の自由とが侵害される大きな問題だ」と指摘する。

 「今回のような政治的介入がまかり通れば、政治家ににらまれるような人は、どんなに素晴らしいことを言っていたとしても、学校側が萎縮して呼べない。学校が政治を忖度(そんたく)する結果、特定の価値観だけを教えることになる。一方、子どもたちの成長に必要な情報を持っている前川氏のような人からは、伝える機会を奪う。これは民主主義社会全体にとって、大きな不利益だ」と憂慮する。

◆思想チェック

 新潟大の世取山(よとりやま)洋介准教授(教育行政学)は「具体的な教育活動を特定して調査を行うこと自体が『不当な支配』に当たる」と断じる。実際、〇三年には都内の特別支援学校で行われた性教育の授業を都議が議会で問題視し、都教委も厳重注意の処分を下したが、最高裁はこれを「教育への介入で不当な支配」と判断した。

 世取山氏は「本来、文科省は政治家の介入から教育を守る大きな役割があるのに、その義務を果たせなかった」と批判。やはり、根底には改正された教育基本法の影響があるとみる。

 改正教育基本法では、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と、新たな文言が盛り込まれた。「これ以降、文科省自身が法律の根拠さえあれば自由に現場の教育内容まで統制できるという錯覚に陥り、たがが外れた。それが政治家の介入を誘発している。政治家も行政も介入してはならないという当たり前のことを思い出すきっかけにしなければ」と助言する。

 改正教基法は、子どもたちの「愛国心」養成を盛り込んでいる。一八年度からは小学校、一九年度からは中学校で道徳が教科化され、心の内面が点数などで評価されるようになるが、危ぶむ向きは多い。金沢大の石川多加子准教授(憲法学)は「道徳の教科化は、戦前、国民に愛国心をたたき込んだ修身教育のよう。国家に従順な人間をつくるための総仕上げだろう」と語る。

 上智大の田島泰彦教授(情報メディア法)は「今回の問題は、聴衆の動員や反応など事細かに調査するもので、思想チェックにほかならない。戦前の特高警察と相通ずるものがあり、ここまできたかという印象だ」と驚きながら、危機感を募らせる。「秘密保護法や共謀罪の創設など、安倍政権は思想や表現の自由を抑圧する制度を作っただけでなく、教育現場にも重きを置き、それらを受け入れるような人間の形成を進めてきた。用意周到で、最終的に目指しているのは憲法改正とそれを受け入れる人間づくりだろう」

 (片山夏子、石井紀代美)

軍事力の統制なくす 9条「自衛隊」明記論(2018年3月23日中日新聞)

2018-03-23 09:27:33 | 桜ヶ丘9条の会
軍事力の統制なくす 9条「自衛隊」明記論 

2018/3/23 中日新聞
 自民党が模索する九条に自衛隊を明記する改憲案。実現すれば、軍事力の統制が利かなくなる懸念を持つ。歯止めなき軍拡路線への道かもしれない。

 もともと自民党が改憲草案を持っていたとはいえ、その理由が正しく国民に説明されねばならない。「党是である」ではあまりに説得力が乏しい。とくに戦争放棄を定めた九条に狙いがあるのはよく知られたことである。

 この点について、国会で質疑があったのは二〇一六年二月三日の衆院予算委員会である。質問者は稲田朋美政調会長(当時)。次のように訊(き)いた。

学者のための改憲か?


 <九条第二項を文理解釈すれば自衛隊は九条二項に違反する-、憲法学者の約七割が自衛隊は違反ないし違反する可能性があると解釈しております。このままにしておくことこそが立憲主義を空洞化するものであります>

 九条二項とは、戦力不保持と交戦権の否認を定めた条文である。安倍晋三首相は答えた。

 <七割の憲法学者が、自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきではないかという考え方もある>

 この論法はおかしい。憲法があって学者は研究の結果として九条の条文解釈をし、自衛隊との関係を考えている。それが「違憲」と言っているだけだ。政府は自衛隊を「合憲だ」と一貫して認める立場を取ってきた。安倍首相の論法だと、「違憲」という研究結果を持つ学者のために憲法改正をすることになる。学者のために改憲?

 翻って、もしこの安倍論法が正しいとするならば、国民投票で自衛隊を明記する案が否決された場合、自衛隊に国民も学者同様「違憲」という意思表示をした人も多く含まれる。論理的にそう考えることもできる。

世論は半数が「反対」


 それでいて、安倍首相は二月五日の国会で「自衛隊が合憲であることは明確な一貫した政府の立場だ。国民投票でたとえ否定されても変わらない」と述べた。

 つまり国民投票にかけても、かけなくても、自衛隊は「合憲」-。それなら違憲という憲法学者を引き合いに出す余地などないではないか。安倍首相のロジックは、まるで破綻している。

 いずれにせよ、「何のための九条改憲か」の理由には、もっと背後に強い動機があろう。

 まず推測されるのは、条文に書かれなくとも、既に成立している集団的自衛権の行使容認への国民の承認である。現在は「限定的」とされているが、将来はどうなるかはわからない。

 この自衛隊の任務拡大をあいまいにしたまま国民の同意を暗に求めているのではあるまいか。国民投票で「自衛隊の明記」に対し、安易にゴーサインを出してしまうと、自衛隊の活動範囲は将来、驚くほど広がってしまう事態を招く恐れもあると思う。

 さらに今回は「自衛隊の明記」にとどまっていたとしても、将来、「軍隊」に変えることも予想される。国軍化は自民党の改憲草案でも示されていた。その場合は当然のことであるが、九条二項は削除されるのである。

 要するに自民党の九条改憲案は、段階を踏んで、より軍隊と同質となってくるのではないか。これは日本国憲法の平和主義とは、相いれないと考える。

 共同通信は三月上旬に世論調査を行った。「安倍晋三首相は、九条に自衛隊の存在を明記する憲法改正を行う考えです」としたうえ、この改正に賛成か反対かを問うた。賛成が39・2%、反対が48・5%だった。

 ほぼ半数が「反対」という考えを持っているのは重視すべきである。それだけ改憲を望んでいないのだから。改憲を強く望むのは、自民党なのであり、安倍首相の宿願なのではないだろうか。

 一九四五年の敗戦から、長く平和を保ってきた。この事実は重い。九条が果たしてきた役割は、もっとかみしめるべきなのだ。

 実際に多くの憲法学者が「違憲」と指摘してきたために、自衛隊は正統性に疑いを掛けられてきたともいえる。そのために、かえって慎みのある実力組織となっている。軍人が闊歩(かっぽ)した戦前と比べれば、よほど明るい世の中である。これは軍事の権力統制という言葉で捉え直すこともできよう。

歯止めなき軍拡路線に


 だが、憲法に明記されれば、自衛隊が正統性を持つがゆえに、かえって統制が困難になる懸念もある。財政面からの統制も難しい。

 安倍首相の政権復帰後、防衛費は増え続ける。米国から高額な兵器を購入し、専守防衛では不可能とされた空母まで持とうとしている。歯止めが利かない軍拡路線の再来を恐れる。