<いま読む日本国憲法>(33)第50条 立法権の担い手守る(2016年11月29日中日新聞)

2016-11-29 09:25:57 | 桜ヶ丘9条の会
<いま読む日本国憲法>(33) 第50条 立法権の担い手守る 

2016/11/29 中日新聞

 国会議員が会期中、逮捕されない「不逮捕特権」を定めた条文です。

 歴史上、強大な権力を持つ専制君主が、都合の悪い人物を不当に逮捕したり、逮捕すると圧力をかけたりするケースは数多くありました。こうした干渉から、立法権を担う議員の自由な活動を守るために生まれたのが不逮捕特権です。

 あくまでも国会開会中の特権で、閉会中に不逮捕特権はありません。

 さらに、五〇条は「法律の定める場合」は例外とする規定を設けています。これに基づき、国会法は三三条で、国会外の現行犯と、議院の許諾があった場合は逮捕を認めています。

 許諾の議決を経て逮捕された例は、戦後十六件十五人にのぼっています。多くは「政治とカネ」にかかわる事件に関与した疑いがかかったケースですが、衆院が二〇〇三年三月、政治資金規正法違反容疑で坂井隆憲衆院議員の逮捕許諾を議決して以降、十三年以上議決は行われていません。

 五〇条は、会期前に逮捕された議員を会期中、釈放する規定も設けています。ただ、衆院事務局によると、この釈放要求を議決したことはありません。

 自民党の改憲草案も、五〇条はほぼ現行通りとしています。

 憲法は不逮捕特権のほか、議員の活動を保障する特権として、相当額の歳費(給料)を受け取る「歳費受領権」(四九条)と、国会内での演説や投票行動について国会外で責任を問われない「免責特権」(五一条)を定めています。

共謀罪(「テロ等組織犯罪準備罪」)に反対する日民協声明(2016年9月23日日本民主法律家協会)

2016-11-23 08:58:38 | 桜ヶ丘9条の会
共謀罪(「テロ等組織犯罪準備罪」)の国会上程に反対する声明
政府が今秋の国会に提出すると報道された共謀罪(テロ等組織犯罪準備罪)法案は、いったん提 出が見送られたものの、今後の再上程が企図されている。本法案は、各層の広汎な批判を受けて廃 案となったかつての共謀罪法案と本質的に変わるところがない。
このような法案を、名目のいかんを問わず上程・成立させることに対し、本協会は強く反対する。
2 立法事実の存在に疑問
共謀罪は、「国際越境犯罪防止条約」の実施のため立法が必要だとされる。しかし、同条約の実施 に共謀罪立法が不必要なことは、再三、指摘されてきた。共謀罪の構成要件自体、国際的越境犯罪 を対象としたものでない。また、今回の立法は、東京五輪等に向けたテロ対策の一環とされるが、 これは、国際的越境犯罪防止と必ずしも関係しない。日本国内におけるテロ発生の可能性が高いと いえないことは、警察実務に携わる者も認めるところである。法案の真の狙いは、刑訴法改定・秘 密保護法制・安保法制とも連動する、国家危機管理の強化にある。
名義のいかんを問わず、共謀罪を必要とする立法事実自体が、疑わしいのである。
3 刑法の基本原則に反する
共謀罪は、一定以上の法定刑を科す犯罪類型につき、「組織的な犯罪集団の活動」としての謀議・ 共謀と、共謀関与者による「その共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為」の実行を処罰 の対象とする。対象犯罪類型は、600 を超えるともいわれる。
現行刑法は、既遂犯処罰を原則とし、未遂処罰を一定の重大犯罪に限る。予備・陰謀の処罰は、 きわめて例外的である。このような処罰範囲の段階的設定は、法益保護機能と保障機能という刑法 の2大機能を調和させるためである。しかし、共謀罪は、共謀と準備行為の存在のみで一律に処罰 を図ろうとするもので、刑法の2大機能の調和という観点と根本的に相容れない。
4 市民生活への監視・権力的介入を強化する
共謀罪が処罰対象とする、犯罪組織による犯罪の共謀・準備という行為も、その多くは日常の市 民生活で営まれる行為となんら変わるところはない。これらの行為を摘発するには、通信傍受(盗 聴)や協議・合意制度なども含め、市民社会全体への広汎かつ強力な監視が必要となる。しかし、 「犯罪組織」も含め、何が共謀・準備行為かは、権力機関たる捜査機関の判断いかんにかかり、そ の恣意的な認定を免れることはできない。
監視・権力的介入の強化は、必然的に、集会・結社・表現の自由を損ない、市民相互に不信感を 醸成し、社会的マイノリティーを排除する等の結果を生む。自由で自律した市民社会の根幹を破壊 するものであり、共謀罪はこのような流れを促進するものである。
5 真のテロ対策とは
共謀罪はもとより、警察力・軍事力の安易な利用による先制や報復は、テロ対策の特効薬どころ か、現実には、悪影響の連鎖をもたらしている。テロの背景には、貧困・経済格差、企業活動によ る人間疎外などの社会的病巣がある。そうであるなら、俗耳受けのする権力的・軍事的手段を安易 に用いるのでなく、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」(日本国憲法 前文)することによる緊張緩和を真剣に構想することこそが、真のテロ対策である。
以上の観点から、本協会は、改めて、共謀罪の上程そのものに強く反対する。 2016年9月23日
日本民主法律家協会 理事長森英樹
事務局長 米倉洋子

憲法審査会 権力が鎖を解かぬよう(2016年11月19日中日新聞)

2016-11-19 17:16:07 | 桜ヶ丘9条の会
憲法審査会 権力が鎖を解かぬよう 

2016/11/19 紙面から
 「改憲のための改憲」であってはならない。衆院の憲法審査会でこの原点が確認されたとは言い難い。多くの国民から要望が出ているわけでもない。目的があいまいな議論を進めるのに反対する。

 みんなで憲法を議論しましょう。よりよい憲法をつくりましょう-。もっともらしい理屈だが、この考え方は実に危険だ。何のために憲法を改正するのか明示せず、「改憲ありき」の議論のスタイルだからだ。

 とくにいわゆる「お試し改憲」は権力の目的外使用にあたる。権力の乱用であると憲法学者は指摘している。まず、この点を押さえるべきである。

 実際に「よい憲法」とは、十人いれば十通りの考えが出るものであろう。収拾のつかない空想的なテーマ設定といえる。実際に憲法審査会でも各党がばらばらの意見を述べ合うだけにとどまった。

 自民党は九条などを、民進党は立憲主義から、公明党は新たな条文を加える「加憲」、共産党と社民党は改憲反対、日本維新の会は統治機構改革や憲法裁判所…。各党の問題意識は理解するが、何のための審議かわからない。

 こんな事態になるのは、そもそもなぜ現行の憲法を変えなければならないか、喫緊の事態がないからである。具体的な改憲の必要性に迫られていないからである。

 自民党から「国民は今の憲法では家族や国家を守れないと考え始めている」との指摘があった。果たしてそうだろうか。

 国民の側からみても今、改憲しないと平穏な暮らしが脅かされる事態が起きているわけでもない。改憲とは幅広い国民層からそれを求める声が湧き上がって初めて着手するべきものである。

 むしろ改憲を求めているのは、「改憲派」の国会議員本人たちだ。衆参両院で三分の二以上に達した今、いよいよ改憲発議に向けて動きだしたというのが真相であろう。

 いわゆる「押し付け憲法論」を自民党はいうが、同じ与党でも公明党はこの考え方を否定している。占領軍という外圧を利用しつつ、帝国議会で議論し、自らの憲法をつくり上げたと考えるべきである。公布から七十年、連綿とこの憲法は守られ続けている。その重みをかみしめるべきだ。

 憲法とは権力が暴走しないように発明された制御装置である。その政治権力者たちが鎖を解くがごとく、自ら装置の改変に没頭すること自体に矛盾がある。

公布70年を迎えて 憲法の ”初心” 生かすことこそ (2016年11月3日しんぶん赤旗)

2016-11-16 09:51:16 | 桜ヶ丘9条の会
主張
公布70年を迎えて
憲法の“初心”生かすことこそ

日本国憲法を守り生かすのか、それとも安倍晋三政権が狙う改憲で「戦争する国」に突 き進むのか、憲法をめぐるせめぎあいが激しくなる中で、1946年11月3日の憲法公 布から70年を迎えます。憲法は翌47年5月3日に施行されました。憲法が制定されて から70年間、一度も改正されず現在に至っているのは、日本国憲法が世界でも先駆的な もので、国民に定着し、度重なる改悪の策動にもかかわらず国民が改定を望まなかったか らです。公布70年を機に憲法の値打ちを見つめなおし、“初心”を生かすことこそが重要
です。
平和と民主主義が原点
日本国憲法が制定・公布されたのは、2000万人を超すアジアの諸国民と310万人 以上の日本国民が犠牲にされた、アジア・太平洋戦争での日本の敗戦から1年余り後のこ とでした。
「日本国民は、(中略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする ことを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。日本国憲 法が前文の冒頭に掲げるこの言葉は、まさに憲法の初心そのものです。
当時の日本政府は、日本の非軍事化と民主化を受け入れて降伏したにもかかわらず、憲 法については戦前以来の明治憲法の部分的手直しで乗り切ろうとしました。マッカーサー を最高司令官とする占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)はそれを許さず、民間の案など も参考に草案を作成しました。日本政府はそれを受け入れて政府案を作成し、半年近い国 会審議でも修正を加え、制定に至ったのです。
憲法の制定作業を支え、憲法学者としても活動した佐藤功氏(故人)は、55年に出版 しつい先日復刻された『憲法と君たち』の中で、日本国憲法は明治憲法のもとでの間違っ
た政治を繰り返さないため、民主主義と基本的人権の尊重を原則にしたが、「一番ほこって もよい」のは二度と戦争をしないことをはっきり決めたことだと指摘しています。「ほかの 国ぐにはまだしていないこと」を「日本がやろうというわけだ」―と。「憲法が君たちを守 る。君たちが憲法を守る」。佐藤氏の言葉です。
日本国憲法を変えてしまおうという改憲勢力はしばしば、憲法は「押し付けられた」も のだといいます。しかし、戦争に反対し、「国民が主人公」の政治を求め続けてきた戦前・ 戦後の国民のたたかいを振り返れば、日本国憲法を「押し付け」などと描くのは一面的で す。戦前戦中、命懸けで戦争に反対した日本共産党が、戦後も他党に先駆けて「新憲法の 骨子」を発表(45年11月)し、「主権は人民にある」と主張、その後の憲法制定議論に 影響を与えたといわれていることも特筆すべき事実です。
初心否定する改憲許さず
今年、教育学者の堀尾輝久氏が、戦争放棄、戦力不保持をうたった憲法9条を46年1 月に提案したのもマッカーサーではなく、当時首相だった幣原(しではら)喜重郎だった という史料を発掘して話題になりました。改憲勢力の「押し付け」憲法論はいよいよ通用 しません。
日本国憲法の平和主義、民主主義、基本的人権の尊重の原則を丸ごと踏みにじっている のが自民党の憲法改正草案です。憲法の“初心”を踏まえ、なによりこの改憲案は許さな いことがいま重要です。

「土人」発言擁護 沖縄相の資格を疑う

2016-11-15 08:47:56 | 桜ヶ丘9条の会
「土人」発言擁護 沖縄相の資格を疑う 

2016/11/15 中日新聞
 沖縄での警察による「土人」発言について、鶴保庸介沖縄北方担当相が八日の国会で「差別だと断じることは到底できない」と発言した。人権感覚に疑問符が付き、担当相の適格性も疑われる。

 沖縄県の米軍北部訓練場へのヘリコプター離着陸帯建設に抗議する住民たちに先月中旬、大阪府警の機動隊員が「土人が」と、別の隊員は「黙れコラ、シナ人」と発言した。撮影された動画はインターネット上でたちまち拡散した。

 住民をロープで縛ったり、微罪で逮捕する強硬姿勢には反発が広がっていた。その中で権力の側が住民をさげすむ「土人」発言である。県民全体に向けられた暴言だともとらえられた。

 「土人」とは「未開・非文明」という意味を含んだ差別用語である。これは常識である。沖縄から抗議の声が上がったのも、当然である。

 府警がこの二人を戒告の懲戒処分としたのも当然である。菅義偉官房長官は「不適切な発言で大変残念だ。許すまじきことだ」と述べ、金田勝年法相も国会で「土人」という言葉が差別用語に当たるとの認識を示していた。

 こういう経緯をたどりながら、鶴保氏は国会の場で「差別だと断じることは到底できない」と発言したのである。

 もともと鶴保氏は記者会見で「沖縄振興策は例えば基地問題と現実にリンクしている」とも発言し、後に「エールを送ったつもり」と釈明に追われた。

 この問題では「消化できないものを無理やりお口開けて食べてくださいよでは、全国民の血税で使われているお金を無駄遣いしているという批判に耐えられない」と発言したこともある。

 米軍基地の辺野古移設をめぐっては「注文はたった一つ、早く片付けてほしいということに尽きる」。県民が移設に反対の声を強めているのに「片付けて」という言葉は、あまりに無神経すぎる。

 「土人」発言について、明治政府の「琉球処分」から受け継がれた差別意識の表れだととらえる人もいよう。そこに戦後の米国占領と復帰後も続く日米両政府の傲慢(ごうまん)さを感じる人もいよう。

 それでも差別ではないと言うつもりなのか。

 本来、沖縄の声に耳を傾けて、理解を得るべき担当相が、県民を敵視するかのような発言を繰り返す。もはや失格である。閣僚としても失格であるし、首相の任命責任も問われねばならない。