6割未満は違法 嘱託社員への格差正せ (2020年10月31日 中日新聞))

2020-10-31 10:21:30 | 桜ヶ丘9条の会

6割未満は違法 嘱託社員への格差正せ

2020年10月31日 中日新聞
 嘱託社員の基本給が定年時の六割未満までカットされるのは、不合理で違法−。名古屋地裁は、是正すべき待遇格差の目安を全国で初めて示した。高齢者の雇用が推進される中で、画期的な判断だ。
 原告は、自動車学校の教習指導員だった男性二人。再雇用された後に賃金を大幅に下げられたのは不当だとして、学校を相手に、定年時の賃金との差額を支払うよう求めていた。
 判決は「二人とも、定年後も仕事の内容は変わらなかったのに、基本給は半分以下に減らされた」と述べた。そして、不合理な待遇格差を禁じた旧労働契約法二〇条(現パートタイム・有期雇用労働法八条)に違反するのは、「定年時の基本給の60%を下回る場合」と目安を示した。
 名古屋地裁は、半額以下になった二人の基本給について「経験が浅い若手の正規社員より少なく、生活保障の観点からも看過し難い水準に達しているというべきだ」と学校側を手厳しく批判した。
 判決文に「60%」の根拠は明示されていないが、東京大の水町勇一郎教授(労働法)は「原告は年金と高年齢雇用継続給付金を受給していた。さらに、長期雇用されている正社員にも考慮し、基本給の40%の差は不合理でないと考えたのだろう」と推測。「正社員と仕事の内容は変わらないので、個人的にはもっと高い水準でも良かったと思う」と話す。
 このところ、正規社員と非正規社員との待遇格差を巡り、最高裁での司法判断が揺れた。十三日、大学アルバイトや契約社員と正規社員との賞与や退職金の格差には「不合理とはいえない」との判決だった。一方、十五日には契約社員と正規社員の扶養手当などの格差は「不合理」と判断した。
 今回は、賃金算定の基礎になる基本給の格差の目安を示した上で「不合理」と初判断した。あくまで被告の自動車学校での待遇格差への判断で、未確定の一審判決ではあるものの、水町教授らは「再雇用基本給が60%を下回る企業への影響は小さくない」とみている。
 高齢化や人手不足などを背景に、高年齢者雇用安定法が改正され、定年後の再雇用は希望者全員が対象だ。基本給は、好不況や業績などを総合して決められる。現下はコロナ禍で多くの企業が苦境に立つ。ただ、「同一労働」であれば「同一賃金」が目指される中、長期間培ったスキルを尊重した待遇が求められるのは確かだろう。

 


低調の医療事故調査制度 (2020年10月30日 中日新聞))

2020-10-30 14:18:12 | 桜ヶ丘9条の会

低調の医療事故調査制度

2020年10月30日  中日新聞
 医療事故死の原因を調べ、報告にまとめる「医療事故調査制度」が始まって五年。ところが、報告件数は当初の予測を大幅に下回っている。「訴訟を起こされるのでは」と、医師らが制度の利用に消極的になっていることが背景にあるようだ。ただ、報告は再発防止への手引きになる。同じ過ちを繰り返してほしくないと考える遺族が、自分たちの受け取った報告書を公表し始めた。事故から学ぶ姿勢は、医療界に根付くか。 (木原育子)

報告書公表、動く遺族

 「母の命が軽く扱われているように感じました。本当にお粗末なものでした」
 東京都豊島区の会社員、山本祥子(さちこ)さん(48)は、静岡県の大型総合病院で、母親の昌子さんを六十八歳で亡くした。病院が実施した「院内調査」の報告書を受け取った時にこう感じた。A4サイズたったの二枚しかなかったからだ。
 今から五年前の二〇一五年九月三日、昌子さんに食道がんが見つかった。ステージ1。まだ初期だった。抗がん剤治療の後に切除の手術をし、一六年のお正月は家族で過ごす。そんな予定を立てていた。
 十月二十日から抗がん剤投与が始まった。嘔吐(おうと)が続いて食欲はなく、次第に歩行も会話もおぼつかない状態になった。十一月一日には唾液が喉に詰まって一時、心肺停止に陥った。そして十一月五日に亡くなった。抗がん剤投与を始めて十七日目だった。
 医療事故調査制度は、その年の十月に始まっていた。医療法で定められた制度で、「予期せぬ死亡」が起きた時、まず院内で調査して報告をまとめる。その結果に遺族が納得いかなければ、第三者機関「医療事故調査・支援センター」にさらに調査を依頼できるというものだ。
 病院は院内調査をし、山本さんは翌年三月にA4二枚の報告を手にした。ボリュームだけでなく、内容も不十分だった。調査実施者がだれか分からない。時系列の経過はなく、死亡の理由は「不明」。調査の目的である「再発防止」への方策は示されていなかった。
 説明を受けようと山本さんが病院を訪ねた。会議室に山本さんを囲むように十人の医師がずらりと並んだ。「圧迫感のある雰囲気。私には、先生の説明がよく分からず、一生懸命質問したら、失笑された」
 当然、納得がいかず、山本さんはセンターへの調査も依頼した。その報告書はA4サイズ四十一枚。分刻みの詳細な経過をはじめ、院内調査で示されていなかった内容が記されていた。もちろん、再発防止策も書かれていた。「遺族にとっては、母の最期を知るかけがえのない大事な資料。血が通った報告書で初めて納得できた」
 ただ不十分だったとはいえ、院内調査をしただけこの病院は良心的だったのかもしれない。院内調査は病院が自発的にスタートさせるという制度だからだ。
 ちなみに、制度開始から昨年末まで、病床数六百床以上の大型病院二百四十一施設のうち、医療事故の報告があったのは約六割の百四十八施設。はたして残る四割の施設では「予期せぬ死」は一件もなかったのだろうか。
 調査数も低調だ。制度の検討段階では、調査は年間千三百〜二千件と試算されていた。センターによると、実際に院内調査を始めるという報告は年間三百件台で推移。今年九月まで五年間の累計は千八百四十七件だった。試算が妥当だったか議論はあるが、実際の件数との開きはあまりに大きい。また、山本さんのようにセンターに再調査を依頼したのは百三十五件に上っている。
 医療界は医療事故の調査に及び腰。こう感じている遺族らが動き始めた。
 「このままでは病院間で医療安全に対する意識の格差が広がってしまう」。医療事故の当事者らでつくる「医療過誤原告の会」の宮脇正和会長(70)はこんな危機感を持っている。
 どうにかしたいと、会のホームページで、同意が得られた遺族の院内、センターの報告書を公表した。当初は三人分。宮脇さんは「それぞれの病院やセンターがどんな報告書を出しているか、多くの医師に現実を知ってもらいたい」と語る。
 前出の山本さんも公表に同意した。山本さんは「お医者さんは神様じゃない。人間がやることに間違いはある。だが、真摯(しんし)な説明も反省の言葉もなく、命を軽く考えているような態度が許せない。母の命が医療が変わる一助になるなら喜んでくれるはず」と語る。

訴訟懸念、医療界は及び腰

 一方の医療界。今年五月七日、大学病院長や医学部長でつくる「全国医学部長病院長会議」が文書を公表した。表題は「医療事故調査制度の現状と課題」。全国の大学病院百十七施設を対象にしたアンケート結果をまとめたものだ。
 そこからにじむのは、制度名にある「事故」という言葉への拒否感と、法的責任追及への恐れだった。
 約六割に当たる七十施設が制度の名称変更を要求。これを受け、文書では「医療事故調査制度」を「患者安全のための報告・学習制度」にするよう提案した。さらに、七割を超える八十三施設が「報告書の訴訟利用」を制度の課題に挙げていた。調査した同会議の坂本哲也委員長(帝京大病院長)は「再発防止システムが結果的に医師の法的責任を追及するシステムになり、医療現場が疲弊する事態は避けたい」と訴える。
 この制度はそんなに法的責任の追及に使われているのだろうか。医療事故調査・支援センター常務理事の木村壮介医師は「裁判所から民事訴訟の問い合わせが来ることはある。だが、『責任追及の制度ではないため協力できない』と答えている」と打ち明ける。
 医療事故を理由とした民事訴訟は一時より減った。最多は制度がなかった二〇〇四年の千百十件。制度開始後は八百件前後で推移し、一八年は七百八十五件だった。医療事故に詳しい江戸川大学の隈本邦彦教授は「訴訟になるのは、遺族は医療事故と思い、病院はそうではないと思うケース。調査すれば、結果的に訴訟が減る可能性はある。医療は元々危険をはらむ。制度は医療事故に真摯に向き合い、経験を医療界全体で共有するものだ」と語る。
 刑事責任を追及される場面も減っている。厚生労働省は一七年に医療、司法、警察関係者らで医療過誤事件を分析する研究会を設置した。一九年末の報告書によると、病院が警察に届け出た件数は一六年は六十八件。ピーク時の〇四年の二百五十五件の約四分の一だった。起訴されたのは一六年にはわずか二件。報告書は「必要なリスクを取った医療行為の結果、患者が死亡した場合であっても刑事責任を問われることはない」と記す。
 そもそも制度は〇八年に大綱案がまとまっていた。医療側の反発があり、スタートは一五年までずれ込んだ。この間に、制度があれば防げたかもしれない「事故」があった。
 東京女子医大で一四年に埼玉県の二歳の男児が鎮静剤プロポフォールの投与後に死亡した事故で、警視庁が今月、医師六人を書類送検した。男児が亡くなる前の〇九〜一三年の五年間、同様に投与されて亡くなった子どもは十一人に上る。
 男児の母親は「もし制度があって病院がこれまでのケースを検証していたら、助かる命があったのではと思ってしまう。命に向き合う医師だから、命に誠実であってほしい」と訴える。

 


経験が裏打ち、胸に響く言葉 ウルグアイ「世界一貧しい大統領」

2020-10-28 19:48:28 | 桜ヶ丘9条の会

経験が裏打ち、胸に響く言葉 ウルグアイ「世界一貧しい大統領」ムヒカさん政界引退

2020年10月28日 中日新聞
 質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカさん(85)が政界引退を発表した。二〇一二年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国際会議でのスピーチで一躍有名になり、その後の来日時にもさまざまな名言を残した。地球の裏側の一政治家が発した言葉の何が、そこまで人々の心に響いたのだろうか。 (中沢佳子、石井紀代美)

■貧困、ゲリラ、投獄

 「人と会えないのがつらいんでしょう」。一四〜一八年に駐ウルグアイ大使だった田中径子さん(現日産フィナンシャルサービス執行役員)はムヒカさんの心境をそう推し量る。引退の理由は、新型コロナウイルスの流行。二十日の議会で、高齢の上、免疫系の持病があるため人と話すのもままならないと述べた。
 「一見、気のいいおじいちゃん。大使公邸に招いた時、自分で育てた菊の花束をくれてね。『近所に住んでいた日本人移民に育て方を教わった』って。でも、政治や国民の暮らしの話になると眼光が鋭くなる。彼は物事を深く考え、人の心に刺さる言葉にして伝える力がある」(田中さん)
 ムヒカさんは一九三五年、首都モンテビデオ郊外に生まれて貧困の中に育ち、極左ゲリラ組織に身を投じた。幾度も投獄され、軍政下の七二年に収監後は十三年近く獄中生活を送った。出所後は下院・上院議員、農牧・水産相を経て二〇一〇年に大統領に就任。一五年に任期を終えた後は上院議員として活動していた。
 大統領在任中は多様な政策を打った。密売組織の弱体化を狙い、国の管理下で大麻栽培・売買を合法化。人工妊娠中絶や同性婚も認めた。貧困層への住宅政策では単に家をあてがうのではなく、技術習得を兼ねて建設を手伝わせた。

■給与の9割寄付

 その名を広めたのは、一二年にリオで開かれた国連の持続可能な開発会議での演説。「人類は消費社会にコントロールされている」「貧乏な人とは少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人」などと訴えた。
 「世界で一番貧しい大統領」の呼び名は、質素な暮らしぶりから。給与の九割を福祉に寄付。一七年から今年二月まで副大統領を務めた妻のルシア・トポランスキさんと郊外の家に住み、畑仕事をしながら職務をこなした。
 一四〜一六年に在ウルグアイ日本大使館の専門調査員を務めた南山大の中沢知史特任講師(ラテンアメリカ地域)は「大統領退任から間もなく、街で見かけて驚いた。護衛もつけず、庶民と気さくに対話していた」と振り返る。
 一方で政治的計算も働くと見る。「つましい生活や話し方は、国を支える内陸部の農村の人々そのもの。彼らの代表として振る舞い、共感を呼んだ」。工業振興はうまくいかず、大麻合法化の評価も定まっていない。実行力がないとの批判もある。「しかし、前政権の経済政策を引き継ぎ、国内総生産(GDP)も貧困率も大きく改善させた」
 中沢さんは、人類学の本をよく読むというムヒカさんに理由を尋ねたことがある。「『収監されて自由を奪われた間、人間とは、自由とはと考えるうちに興味を持った』と。物事を探究する姿勢や特異に見える言動は、投獄経験で培われたのでは」
 リオでの演説を機にムヒカさんの人気は世界中に広がり、日本でも数々の関連本が出版された。中でも絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文(ちょうぶん)社)は一四年三月の発売以降、二十六万部を超えるヒットになった。同社編集部の堀江悠子さんは「ロングセラーは別として、通常の絵本は四千部出れば売れた感じがする」という。
 企画を持ち込んだのは、フリー編集者艸場(くさば)よしみさん。ネットでムヒカさんの演説を聞き、衝撃を受けたのがきっかけだった。「心の奥で思っていても、『理想論で政治はできない』と笑われるのが恥ずかしくてなかなか言えないことを堂々と語っていた。こんな大統領がいると子どもたちに知ってほしいと思った」

■原爆被害に絶句

 ムヒカさんは一六年四月、汐文社などの招きでルシアさんと共に来日。「広島を訪れないことは日本人のつらい記憶に対する冒涜(ぼうとく)だ」として、広島市の広島平和記念資料館(原爆資料館)に赴いた。館長として案内した志賀賢治さんは、外国首脳は通常、大勢のSPを引き連れて来るのに、通訳らを含め五、六人だけだったことに拍子抜けしたのを思い出す。
 見学を終え、ムヒカさんが発したのは「科学者は倫理、道徳をわきまえなければいけない」との言葉。志賀さんは「皆当たり障りのないことを言って帰るのに、自分の価値観から出る本音を話した」と振り返る。
 ムヒカさんは外国の要人が記帳する芳名録に、スペイン語でこう記した。「倫理や道徳で歯止めをかけなければ、科学が思いも寄らない悪意の道具になることをわれわれは知るべきだろう。人間は唯一、同じ過ちを犯す生き物であることを歴史が証明している」
 同行した艸場さんは、ムヒカさんが見終えた後、ベンチに座ったままうつむき、十五分ぐらい黙っていたと証言する。原爆被害のすさまじさに衝撃を受けたのか「取材に来ていた記者が感想を聞くと、『何も言えない』と声を絞り出した。一人の人間として歴史に向き合ったんだと感じた」。
 未来を担う若者と話をしたいと、広島訪問に先立って東京外国語大で講演もした。「人生で一番大切なのは愛であるのに、新しい物、いい物を買うために愛情を注ぐ時間を浪費している」「民主主義には限界がある。それでも社会を良くするために闘わなければならない」など、ここでも独特の言葉で語りかけた。

■閉塞日本で人気

 ムヒカさんの人気が高まった理由について、夫妻に取材して本を著したノンフィクション作家の佐藤美由紀さんは、日本を閉塞(へいそく)感が覆っていることが関係しているとし「ムヒカさんは温かさの中にも鋭くさえた、意志が強い人の目をしていた。経済が停滞し、疲れているところに彼の口から出た言葉がじわっと入ってきた」と分析する。
 映画ジャーナリストの大高宏雄さんは「日本の政治家に物足りなさを感じている裏返しだろう」と考察する。ムヒカさんは自らの言葉で哲学や人生論を語る。それは壮絶な体験や、民衆と向き合ってきた経験に裏打ちされている。「しがらみだらけの日本の政治家に、こんなに率直に語れる人はいない。日本人はこういう政治家を求めている」
 消費を追い求める生き方では幸福になれないし、持続可能な社会はつくれない−。ムヒカさんがリオの会議で投げ掛けた問いの答えは、簡単には見つからない。大高さんはこう考える。「多くの人がムヒカさんの言葉を頭の片隅に置き、ふとした時に自分の生き方や働き方を省みる。それを積み重ねていくことで、世界は徐々に変わっていくのではないか」

 


核禁条約発効へ 日本の参加欠かせない (2020年10月27日 中日新聞)

2020-10-27 10:56:28 | 桜ヶ丘9条の会

核禁条約発効へ 日本の参加欠かせない

2020年10月27日 中日新聞
 核兵器の保有、使用を全面禁止する「核兵器禁止条約」の来年一月発効が決まった。核保有国は参加していないが、実効性を持たせるために、唯一の戦争被爆国である日本も参加し、協力すべきだ。
 発効が実現したのは、高齢化する被爆者が「最後のチャンス」として核兵器の非人道性を訴え、世界の国々が応えた結果だ。
 被爆者とともに活動してきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のフィン事務局長は、「ついに核兵器が禁止された」と歓迎。そして、条約が核兵器削減を迫る圧力になると意義を強調した。
 ただ条約を批准しなければ、法的な順守義務は生じない。核保有国や、核保有国の「核の傘」に依存する日本を含めた国々は批准していない。むしろ「核廃絶には役立たない」として無視したり、冷ややかな反応を見せている。
 核兵器のバランスこそ平和に貢献するとの「核抑止論」もある。しかしこれは、危険な幻想だ。
 核兵器の数は冷戦時からは減少しているものの、米ロを中心に依然として一万発以上存在する。米中の対立が深まり、小型核の実戦配備も進んでいる。
 米国は二〇一七年、北朝鮮への報復として、八十発の核兵器の使用を検討したと報道されている。核戦争は、日本にとって決して遠い国の絵空事ではない。
 核軍縮は現在、核拡散防止条約(NPT)が中心となっている。米英仏ロ中の五大国に核保有を認め、この枠内で削減を図るものだが、交渉は停滞している。
 核禁条約を契機に核軍縮を求める声が高まれば、NPT側が反発、対立が深まる危険性もある。
 重要なのが、日本の役割だ。日本は米国の核の傘に入っているものの、日米安保条約には核兵器に関する記述はなく、核禁条約に参加することは不可能ではない。
 日本政府は「わが国のアプローチと異なる。(核禁条約に)署名は行わない」(加藤勝信官房長官)と否定的な姿勢だが、理解し難い。大切なのは、「核兵器のない地球」という共通の目的を実現することだ。
 日本政府は、唯一の戦争被爆国として、核保有国と非核保有国の「橋渡し役」を担うと、再三表明してきた。いまこそ、そのタイミングではないか。
 条約発効後、具体的な運用について協議する締約国会議が開かれる。この会議に、オブザーバー参加することを決断すべきだ。

 


中日春秋 (2020年10月26日 中日新聞))

2020-10-26 21:40:31 | 桜ヶ丘9条の会

中日春秋

2020年10月26日  中日新聞
 「つらい。とてもつらい。私はただ電話とメールができればいいのだ」。『桐島、部活やめるってよ』などの作家、朝井リョウさんが携帯電話をスマートフォンに機種変更した際の悪戦苦闘ぶりを書いていらっしゃった
▼お店の説明が皆目分からなかったそうだ。「知らない単語に戸惑いつづける私に向かって、お姉さんは説明をたたみかけてくる」「もう帰りたくなっていた。だってわからないのである」
▼同じような経験をした方もいらっしゃるのではないか。料金プランや機能を丁寧に説明してくれるのだが、どうも理解できない。いちいち質問するのも申し訳ないようで、適当にうなずき、わけの分からぬままに携帯電話を受け取って帰ってくる
▼携帯大手は政府の要請を踏まえて料金引き下げに取り組む姿勢を示している。国際水準より高いとされる日本の携帯電話料金が安くなるのは助かるが、複雑怪奇な料金プランやサービス内容についても、もう少し分かりやすくしていただけまいか
▼若い世代の朝井さんでさえ苦労しているのだから、IT用語とは縁遠い世代にとってはチンプンカンプンだろう。みえもあるので黙っているが、だまされていないかという気もしてくる。それは携帯会社にとっても喜ばしい話ではなかろう
▼自分の携帯はなぜか、一時期、「アニメ見放題」になっていた。どこでうなずいたんだろう。