映画「独裁者」でのチャップリンの演説(世界をログする書き起こしメディア LOGMI から転載)

2018-05-24 10:06:55 | 桜ヶ丘9条の会
映画『独裁者』(1970年上映)の作中で、独裁者ヒンケル(ヒットラーを風刺していると言われる)と瓜二つの顔をしていたために間違われた床屋(チャーリー・チャップリン)が兵士たちの前で演説する、ラストシーンを書き起こしました。チャップリン自身によって書かれたもので、史上もっとも感動的なスピーチとして世界中で賞賛されています。

スピーカー
チャーリー・チャップリン

チャップリンの史上ベストスピーチ
申し訳ないが……。私は皇帝になどなりたくない。私には関わりのないことだ。支配も征服もしたくない。できることなら、皆を助けたい。ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。お互いの幸福と寄り添いたいのだ……。お互いの不幸ではなく。憎み合ったり、見下し合ったりしたくないのだ。世界で全人類が暮らせ、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。人生は自由で美しい。
しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。欲が人の魂を毒し……。憎しみと共に世界を閉鎖し……。不幸、惨劇へと私たちを行進させた。私たちはスピードを開発し、自分たち自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げてしまった。知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、無情にした。私たちは考え過ぎ……。感じなさ過ぎる。
機械よりも、人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさ、思いやりが必要なのだ。そういう感性なしでは、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。飛行機やラジオが、私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は、人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万の人々のもとに届いている。何百万もの絶望した男性たち、小さな子供たち。人々を苦しめる組織の犠牲者たち。罪のない人たちを投獄させる者たち。私の声が聞こえている人たちに言う……。絶望してはいけない。私たちに覆いかぶさる不幸は、単に過ぎ去る貪欲であり、人間の進歩を恐れる者たちの憎悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶えるであろう。人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。決して人間が永遠に生きないように、決して自由が滅びることもない。
兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、考え、感じるかを指図する。君たちを鍛え、食事を制限する者たちは、君たちを家畜として、ただのコマとして扱うのだ。身を託してはいけない。そんな自然に反する者たちなどに。機械人間たち……。機械のマインドを持ち、機械の心を持つ者たちなどに。
君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者が憎むのだ。愛されず、自然に反するものだけだ。
兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」とある。ひとりの人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間なのだ。君たちの中になんだ。君たち、人々は力を持っているんだ。機械を作り上げる力、幸福を作る力を持っているんだ。君たち、人々が持つ力が、人生を自由に、美しくし、人生を素晴らしい冒険にするのだ。
民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために闘おう。常識ある世界のために。皆に雇用の機会を与えてくれ、君たちに未来を与えてくれ、老後に安定を与えてくれる世界のために。そんな約束をして、獣たちも権力を伸ばしてきた。しかし、奴らは嘘つきだ。奴らは約束を果たさない。これからも果たしはしない。独裁者たちは自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。
今こそ、闘おう。約束を実現させるために。闘おう。世界を自由にするために。国境のバリアをなくすため。欲望を失くし、嫌悪と苦難を失くすために。理性のある世界のために闘おう。科学と進歩が全人類の幸福へ、導いてくれる世界のために。兵士たちよ。民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。

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医療介護の将来 支える人がいなくなる(2018年5月22日中日新聞)

2018-05-22 09:10:47 | 桜ヶ丘9条の会
医療介護の将来 支える人がいなくなる 

2018/5/22 中日新聞
 人口減少社会の到来は避けられない。二〇四〇年には高齢者数がピークに達し、医療と介護を支える人材不足が深刻化する。あまり時間がない。長期的な社会保障の姿の検討を始めるべきだ。

 医療と介護のサービスは支え手がいなければ提供できない。人材確保が最大の課題になる。

 四十代の団塊ジュニアが六十五歳を迎える四〇年ごろは、総人口が今より約千六百万人減る。一方、七十五歳以上は約六百万人増え約二千二百四十万人でピークを迎えると推計されている。

 団塊世代が七十五歳を超える二五年の次に迎える少子高齢化の節目で「二〇四〇年問題」と呼ばれる。これまでは二五年に向け社会保障改革と財政再建を実行する「社会保障と税の一体改革」で示した将来像しかなかった。

 六月にまとめる「骨太の方針」を検討している政府の経済財政諮問会議が、やっと四〇年の社会保障の将来見通しを公表、議論のテーブルに載せた。医療と介護の効率化を進めても費用は対国内総生産(GDP)比で今より増える。税や保険料など負担増の再検討は避けられまい。

 示された将来見通しの中で最大の課題は人材不足だ。医療や介護などの分野で必要な就業者数は千六十五万人に上る。就業者全体の五人に一人が就業しないと支えられないことになる。人手不足で他業種と人材の取り合いになるだろう。待遇も他業種より低いままでは人手が確保できず、サービスの質と量を維持できなくなる。

 厚生労働省は、高齢者の健康寿命を延ばして医療と介護の必要量を減らし、ICT(情報通信技術)やロボットの活用などで生産性を上げ必要人員を減らすことを目指す。だが、仮に実現しても必要な人材はまだ九百万人を超える。不十分だろう。

 社会保障の財源は企業業績や現役世代の賃金が上がればその分増える。成長産業の育成など経済成長につながる対策とも連動している。安倍政権はそれをどう育てるのか明確な処方箋を示していない。議論が手詰まりのまま放置することは許されない。

 社会保障を支える対策の検討はこれからである。国民的な議論の場をつくり検討してはどうか。

 一体改革では与野党が合意をまとめた。社会保障改革は負担増など痛みを伴う可能性があるだけに政治の責任は重い。明確な未来像が示されなければ、国民は判断できないし、協力もできない。
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安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名の実施状況報告とご協力の御礼

2018-05-21 08:18:48 | 桜ヶ丘9条の会
安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名の実施状況報告とご協力の御礼 
           2018年5月22日 桜ヶ丘9条の会

2017年5月3日、安倍首相は憲法改正の期限を「2020年施行」と区切り、9条1項、2項を残し自衛隊を明記する考えを表明しました。 

この安倍9条改憲は、「海外での戦争する国」づくりを進める上で「9条の壁」が大きく立ちはだかっているからと憲法会議;憲法改

悪阻止各界連略会議は「9条改憲NO!3000万人の全国統一署名で、総理大臣・衆議院議長・参議院議長に全国市民の声を届けようと本年5

月末を目途に呼びかけ団体・全国市民アクション「9条を壊すな実行委員会・全国1000人委員会・憲法共同センター・九条の会等が活動を

実施してきました。わが団地の「桜ヶ丘九条の会」もこれに呼応し今日まで署名行動を実施の結果、総計56筆分を5月21日郵送できま

したので、ここにご支援ご協力の御礼とご報告を申し上げます。有難う御座いました。
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週のはじめに考える 裁かれる国家の犯罪(2018年5月20日東京新聞)

2018-05-20 08:42:31 | 桜ヶ丘9条の会
週のはじめに考える 裁かれる国家の「犯罪」

2018年5月20日東京新聞


 国家の「犯罪」と呼ぶほかありません。障害者らに子どもを産ませない手術を強いた旧優生保護法。悲劇を招いた責任を問う怒りの裁判が相次ぎます。
 宮城県の児童施設にいた一九五七年の十四歳のころ、全く事情を知らされないまま精管を縛る不妊手術をされたというのです。施設の仲間から後日にその意味を聞かされ、驚くしかなかった。
 今は東京都で暮らす七十五歳のこの男性は十七日、国の謝罪と賠償を求め、東京地裁への提訴に踏み切りました。憲法が保障する子どもを産み育てるかどうかの自己決定権を奪われたと訴えている。
◆「人生を返して」
 四十年連れ添った妻が五年前に白血病で逝く寸前まで、手術のことを打ち明けられなかった。「一人の女性を不幸にしてしまった。私の人生を返してほしい」。怒りとやり切れなさはいかばかりか。
 障害があると診断されたこともないという。でたらめな手術が横行していた疑いが濃厚です。
 「不良な子孫」の出生防止を掲げた優生保護法が定められたのは四八年です。現憲法が施行された翌(あく)る年、世界人権宣言が国連で採択されたのと同じ年。先の大戦の過ちを反省し、国際的に人権保障の機運が高まっていた時期です。
 日本は逆行するように、個人の尊厳と権利を踏みにじる仕組みをつくった。しかも、満場一致の議員立法でした。人権意識がいかに未熟だったかがうかがえます。
 遺伝性疾患やハンセン病、精神障害、知的障害などを理由に、不妊手術(断種)や人工妊娠中絶を施すことを可能にした。
 法律名の「優生」とは優生思想に由来します。人間に優劣の序列をつけ、優れた人を保護し、劣った人を排除することに価値を見いだす考え方といえるでしょう。
◆優生思想の呪縛
 ちょうど戦後の復興期。引き揚げや復員、ベビーブームで過剰になった人口を抑えることが重要な政策課題でした。人口の「質」を向上させつつ「量」を管理することが焦点だったのです。
 やがて障害のある子どもを「不幸」とみなす優生運動が兵庫県を皮切りに広がる。高度成長は障害者の犠牲の上に実現したのです。
 七〇年代には出生前診断の普及を背景に、胎児の障害を条件に中絶を認める規定を設ける動きもあった。脳性まひ者らの「青い芝の会」が反発するも、法律の不平等性、非人道性は問われなかった。
 優生思想に根差した条文を削除した今の母体保護法に改められる九六年まで、優生保護法は半世紀もの間生きていました。社会の偏見や差別が被害者に沈黙を余儀なくさせてきたと思うのです。
 統計に残るだけでも、約一万六千五百人が不妊手術を強いられました。身体を拘束したり、麻酔薬を使用したり、うそをついてだますことさえ、国は認めていた。
 さらに、同意を得たとして約八千五百人が不妊手術を、約五万九千人が中絶を施されました。強要されたのかもしれない。そもそも無辜(むこ)の個人の私的領域に、国家が介入すること自体がおかしい。

 にもかかわらず、政府は「当時は適法だった」と強弁し、国会は救済立法を怠ってきた。私たちメディアも無関心でした。
 優生思想の呪縛は恐ろしい。すでに古代ギリシャの哲学者プラトンの『国家』で肯定的に述べられています。人類史に重大な影響を与えたのは、英国の遺伝学者フランシス・ゴルトンが十九世紀に唱えた「優生学」でしょう。
 いとこにあたるダーウィンの進化論に刺激され、人為的に遺伝的素質を改良すれば、人類は進歩すると考えた。それが近代科学の装いのもとで支持を集めていく。
 二十世紀に入り、劣悪な遺伝的素質を断ち切るとして、米国をはじめ世界各国が断種法をつくりました。戦時下の日本もナチス・ドイツにならい、優生保護法の前身となる国民優生法を定めた。
 ナチスは約三十六万人の障害者らに手術を強いたばかりではなく、虐殺に及びました。その犠牲者は二十万人を超すといわれる。
 それでも、ドイツは八〇年代には補償金の支給を始めた。約六万三千人に手術を強いたスウェーデンは、九〇年代に国の調査委員会を設けて補償制度をつくった。
◆良心と勇気の声を
 日本ではさる一月、宮城県の六十代の女性が先駆けて司法の良心に裁断を仰ぎました。それを契機に、国会は救済の必要性に目覚め、政府は調査に乗り出した。やはり鈍い人権意識です。被害者は年輪を刻み、時間との勝負です。
 東京の男性にも、北海道と宮城県で同日に提訴した男女二人にも被害を裏づける記録がありません。一人でも多くの被害者と真相を知る人に、勇気を出して声を上げてほしい。私たちも支えます。
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9条俳句訴訟 表現の自由を侵すのに(2018年5月19日中日新聞)

2018-05-19 08:09:08 | 桜ヶ丘9条の会
9条俳句訴訟 表現の自由を侵すのに 

2018/5/19 中日新聞
 「九条守れ」の言葉が入った俳句を掲載拒否。さいたま市の公民館で起きた問題は表現の自由を奪うに等しい行為だ。だが東京高裁は違憲とはせず、わずかな賠償を市に命じたのみだ。疑問に思う。

 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」-。二〇一四年、俳句サークルの女性が詠んだ句は、会員の投票で「秀句」に選ばれた。慣例により公民館の月報に掲載されるはずだった。ところが、公民館側は「不掲載」と判断した。

 ちょうど集団的自衛権の問題が大きな政治課題となっていた時期にあたる。公民館側はサークル側に「公平・中立の立場から掲載は好ましくない」と説明した。

 だが、この判断はおかしい。なぜなら、俳句を詠んだのは女性なのであり、表現の自由が憲法で保障されている。公民館側が「九条守れ」の言葉に対し一方的に「公平・中立」というものさしを持ち出し排除することは、その自由を踏みにじることになるからだ。

 東京高裁も「世論が大きく分かれていたという背景事情があっても、掲載しなかったことは正当な理由にならない」と述べている。思想・信条を理由にした不公正な取り扱いで、女性の利益を侵害したと認めたわけだ。

 ただし、判決は表現の自由を狭く解釈していないだろうか。「特定の媒体による表現行為を制限されたにすぎない」「表現者が表現手段の利用権を有することが必要」などと説明する。

 しかし、月報への掲載は慣例だったからサークル側に「利用権」があると解せないのか。何より「九条守れ」に過剰反応する対応は、まるで戦前の検閲による掲載拒否を思わせる。

 俳人の故・金子兜太さんは、この問題に危機感を持ち、「表現や作品を政治的判断で葬ろうとする姿勢は戦争のころと変わっていない」と語っていた。本紙も一五年から一七年にかけ読者から募った「平和の俳句」を載せた。金子さんには、選者をつとめてもらった。

 さらに深刻に思うのは、九条俳句問題にとどまらず、公共施設などで中立性や公平性を盾にして、さまざまな集会などが制限されてはいないかという疑いだ。大学でも集会は全く自由ではない。表現や言論の自由が息苦しい。

 片や自民党総裁たる首相は公然と「改憲」を訴え、「九条を変える」と言う。「九条守れ」の市民の意見が自由でなくては、公正な社会とは到底言えない。
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