安倍一強と国会の劣化 ニッポンの大問題(2017年12月29日中日新聞)

2017-12-29 10:34:47 | 桜ヶ丘9条の会
安倍一強と国会の劣化 ニッポンの大問題  

2017/12/29 中日新聞
 安倍晋三氏が再び首相に就いて五年。このまま続投すれば歴代最長も視野に入りますが、眼前に広がるのは「安倍一強」がもたらした国会の惨状です。

 国会は今年三回開かれました。一月召集の通常国会と、安倍首相が冒頭、衆院解散に踏み切った九月の臨時国会、衆院選後の十一月に召集された特別国会です。会期は三国会を合わせて百九十日間。首相の政権復帰後、最も短い会期の年となりました。

 野党側は通常国会閉会後、憲法五三条に基づいて臨時国会を召集するよう求めていましたが、首相は三カ月間も放置し続け、召集した途端の冒頭解散です。

野党の召集要求を放置

 野党側は「森友」「加計」両学校法人をめぐる問題と安倍首相らとの関わりを追及しようとしていました。国会を開かなかったり、会期を短くした背景に、追及を避ける首相らの狙いがあったのかもしれませんが、召集要求の放置は憲法軽視にほかなりません。

 「内閣の助言と承認」に基づいて天皇が国事行為を行うと定めた憲法七条に基づく衆院解散も、慣例化しているとはいえ「解散権の乱用」との批判が続いています。

 衆院解散は、立法府を構成する国会議員の職を、行政府の内閣が一方的に奪う行為だからです。

 内閣不信任決議の可決や信任決議案の否決という憲法の規定に基づくものでなければ、政府提出の予算案や重要法案が否決された場合や、国論が二分されて国民に判断を仰ぐ必要がある場合など、大方の国民が納得できる相当の理由が必要でしょう。

 首相は国会議員から選ばれる必要があります。閣僚の過半数も同様です。政府は国会が決める法律や予算に従って行政権を行使します。国会は憲法上、内閣に優越するように見えます。何せ、国会は「国権の最高機関」ですから。

下請け機関と化す与党

 国会議員の多くは政党所属ですから、この権力構図は気圧配置にならい「党高政低」と呼ばれ、長らく政権の座にあったかつての自民党では、これが当然でした。

 しかし、この力関係は「政高党低」へと徐々に変化し、二〇一二年の第二次安倍政権の発足以降、特に顕著になりました。

 背景にあるのが平成に入ってからの政治改革です。自民一党支配下での疑獄事件を機に、政治腐敗をなくすには政治に緊張が必要だとして、政権交代可能な二大政党制を目指して衆院小選挙区制と、政党助成制度が導入されました。

 政党・政策本位の制度への転換です。確かにこの制度の導入後、疑獄事件は鳴りを潜めました。

 同時に、選挙での政党による公認と、政治資金の配分という政治家の政治生命を左右する権限が、首相を頂点とする政権中枢に過度に集まってしまいます。

 首相やその周辺の機嫌を損ねるような言動をすれば、自らの政治生命が絶たれるかもしれない。そんな空気が政権与党、特に自民党議員の間にはびこっているからこそ「安倍一強」とされる政治状況が生まれ、増長するのでしょう。

 首相は野党の主張に耳を貸そうとせず、謙虚な姿勢で、丁寧に説明すると言いながら、野党議員に対する国会答弁は尊大です。

 特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法など国の将来を左右する重要法案では採決強行が繰り返されました。そこにあるのは首相官邸の意向を追認する下請け機関と化した与党の姿です。

 極め付きは安倍首相の改憲発言です。歴代首相は憲法改正への言及を避けてきました。首相や閣僚らには憲法尊重・擁護義務があり首相による改憲発言は憲法に抵触しかねないからです。

 今、自民党内で首相の改憲発言に、面と向かって異を唱える議員はほぼいません。いくら自民党が「改憲政党」だとしても、現行憲法を軽んじるような言動を、許してはいけないのではないか。

 首相官邸の振る舞いに国会が注文をつけられない。それは立法、行政、司法が互いを監視し、均衡を図る三権分立の危機です。国会の劣化と言ってもいい。

行政に「民主的統制」を

 主権者である国民が、その代表で構成する国会を通じて行政権力である内閣を民主的な統制の下に置く。これは権力を暴走させないための重要な仕組みであり、先の大戦の反省に基づくものです。

 平成の政治改革が始まって二十年以上がたちますが、そろそろ弊害にも目を向け、改善策を講じなければなりません。安倍政治がその必要性に気付かせてくれたのだとしたら、せめてもの救いです。

 平成の時代もあと一年余り。いまだ解決されない、また新たに浮上した「ニッポンの大問題」を読み解き、読者とともに考えます。

米国の安保戦略 力任せは世界を乱す(2017年12月27日中日新聞)

2017-12-27 09:06:07 | 桜ヶ丘9条の会
米国の安保戦略 力任せは世界を乱す 

2017/12/27 中日新聞」
 圧倒的な軍事力と経済力で競争を勝ち抜く-。トランプ米大統領が発表した外交・安保政策の指針「国家安全保障戦略」のこれが要点だ。そんな力任せの姿勢は対立をあおり、世界が乱れるだけだ。

 冷戦時代をほうふつとさせる好戦的な基調である。安保戦略は「米国は世界中で政治、経済、軍事の競争激化に直面している」との現状認識を示した。

 そのうえで米国主導の国際秩序に挑戦する中国、ロシアの「修正主義勢力」、イランと北朝鮮の「ならず者国家」、それに過激主義の国際テロ組織を脅威として認定した。

 特に中ロ両国はライバルと見なして対抗心をむき出しにした。両国を自由主義陣営の仲間に取り込もうとした冷戦後の関与政策は失敗だったと認めた。

 トランプ氏持論の「力による平和」を前面に出し、核戦力は「平和を守り、米国と同盟国への攻撃を抑止する戦略の礎」と位置付けた。オバマ前政権の「核なき世界」は跡形もない。前政権が脅威に挙げた地球温暖化も消えた。

 トランプ氏がかねて見せた同盟国軽視の姿勢は鳴りをひそめた。だが、米国の力の限界を認めて同盟国・友好国と協力して難局に当たろうとしたオバマ前政権の国際協調路線とは異なる。

 「強い米国は米国民だけでなく、われわれのパートナーになりたい者にとっても死活的な利益だ」とうたったところに、「米国第一」の独善主義がちらつく。国際社会の先頭に立つリーダーの気概とは、これは別物である。

 それにトランプ氏の一貫性のない言動は、目標とする「強い米国」に逆行している。

 アジアの貿易秩序の主導権を握る道具立てのはずだった環太平洋連携協定(TPP)と決別したのは、中国を利するだけだと厳しく批判されている。

 地球温暖化対策の国際的な枠組みであるパリ協定からの離脱を表明したことで、米国は孤立した。

 エルサレムをイスラエルの首都に認定したことでも孤立したばかりか、パレスチナでは流血を招いた。

 首都認定撤回を求める国連総会決議をめぐる米国の恫喝(どうかつ)姿勢は、米国の信用を著しく傷つけた。

 米国の繁栄も世界の平和と安定があってこそだ。

 ところが、国際社会はトランプ・リスクに身構え、秩序をどう守ろうかと腐心している。トランプ氏は自己の矛盾を悟るべきだ。

法学館憲法研究所 今週の一言 戦争と憲法と女性・子ども(角田由紀子さん弁護士 2017年12月25日)

2017-12-26 09:06:09 | 桜ヶ丘9条の会
戦争と憲法と女性・子ども
 2017年12月25日 法学館憲法研究所 今週の一言
 
 私が小学校に入ったのは、1949(昭和24)年だ。憲法公布からまだ2年であった。私はできたてほやほやの憲法と共に生きてきた。日本中の他の学校と同じく、入学したときは焼け残った僅かな校舎で授業が行われていた。先生の中には何人も復員兵の人がいた。片腕をなくし、義手の先につけた鍵状のものに鞄を引っかけ、改造した軍服と思しき洋服を着て登校してくる先生もいた。戦争はまだ焼け跡から煙が立ち上っているようなついこの間のことであった。
 憲法との関係で思い出すのは、3年生の時にクラス担任になった栗田先生のことである。子どもから見れば相当の高齢であり、おじいさんのようであった。栗田先生は、今から考えれば指導要領(当時もあったはず)など無視して、自分の教えたいことを勝手に教えていた。例えば、図工で何かを作るとなれば、丸一日その作業を続けるという具合であった。私はその先生の教え方が好きだった。子どもの私は先生の背景に何があるのかなどは考えることもなかったが、先生のひたむきさに心打たれた。他のクラスとの進行状況など全く無視して自分の教えたいことを教えていた。今でも懐かしく思い出す先生の一人だ。それが許される時代であったのだ。栗田先生は、そうとは言わなかったが、憲法が謳っている個人の大切さ、平等の大切さと正義を教えてくれたのだ。栗田先生の教え方は、自身の戦争への関わり方から来るのかもしれないと後に思った。当時の大人はみんな何らかの形で戦争に関わっていたはずだ。4年生になって谷先生という女性の先生が担任になった。谷先生は、憲法について教えてくれた。新しい憲法の大事な点は、主権在民、戦争放棄、象徴天皇だと話してくれた。これらの言葉はきちんと板書されたので、私は今でもそれを思い出すことができる。
 これほどはっきりと憲法について教えられたことはそれが初めてであった。私の憲法理解は、小学生の時に始まったことになる。私が小学生であった1950年代には朝鮮戦争の勃発とともに日本は再軍備が議論される時代になっていた。私は、男の子のおもちゃ(メンコ)にはびこる戦車などの戦争関連の絵は、戦争放棄の憲法を持つ国では許されないのではないかと考えていた。生意気な小学生であったが、本心から戦争の臭いと恐怖を感じ、怒っていた。北九州の田舎で生まれ育った私には、朝鮮戦争は身近な危険であった。遊び友達の年上の女の子は、今度戦争になったら服をたくさん持って逃げたいと言った。彼女は、アジア・太平洋戦争中着るものがなくみじめな思いをしたのだろう。私はその言葉に切実さを感じた。朝鮮の方向へ飛んでいく、と二人で話した飛行機を見上げながらそんなことを話していた。
 さて、長じて私は弁護士になり、今は安保法制違憲訴訟の弁護団に加わっている。安保法制違憲訴訟で私は国賠と差止請求の弁護団に加えて安保法制違憲訴訟・女の会(以下「女の会」)の弁護団にも加わっている。
 再軍備という言葉は、いつの間にか聞かれなくなり、事態は十分に再軍備に突入しているが、「再」という認識自体が今ではない。「再」ということばには、「軍備をふたたびやってはいけないのではないか」というためらいや違和感があったはずだ。しかし、今では当然の軍備とされており、毎年軍需費が過去最高額と報道され、少なくない国民は別に驚かなくなっているのではないだろうか。そういう社会の中で、とりわけ女性・子どもたちは戦争に無批判に向かう動きを感じて、言い知れない恐ろしさを感じている。私は、子どもの時に見た焼け跡や復員兵であった先生や、隣家に落ちた焼夷弾が燃え上がった時の激しい炎を思い出す。70年経って時代がぐるりと逆回りしているように思われる。ようやく抜け出してきたあの地点に帰ろうとしているのか。その愚かさを指摘するまでもない。
 2017年にはJアラートが発せられた際の避難訓練が都内の小学校でも行われている。子どもたちは頭を両手で覆って机の下に潜る「訓練」をしたとか。ある小学校では、防災頭巾(これ自体が防空頭巾からの発想であろう)を被った子どもたちが、ゾロゾロと避難訓練で先生に付き添われて校外に出て行ったとか。
 80歳を越えた女の会の原告の一人は、自分が小学生であったときに学校で体験させられた「訓練」と全く同じことが今行われていると怒りをもって訴える。そんな訓練で爆撃から身を守れるなんて、実は誰も思っていなかったのかもしれない。例え、訓練であっても今も昔も子どもたちは怖い思いをしたことだろう。世界のあちこちで戦争が行われており、シリアの例をあげるまでもなく、多くの子どもたちが今も殺されている。殺されなかった子どもたちからは、戦争は親や愛する人を奪い、未来を奪う。子どもたちを戦争から守る確実な唯一の方法は、戦争をしないということである。憲法9条のいう戦争放棄を確実に守ることである。
 この国の政府は、表向きは子どもが大事といい、「少子化」を国難とまで位置付けた。しかし、実際にやっていることは、子どもが大事とは眞反対のことである。例えば、2018年度から実施されるとする生活保護費の減額は、生活保護費のうち、食費などの生活扶助費の削減と母子加算の減額を含んでいる。理由は、低所得層の生活費よりも生活保護基準が高くなるからだという。日本の生活保護の捕捉率は2割であり、受給資格のある人の8割の人は受給しておらず、勢い、受給者の方が生活費が高いという結果になる。この政策の結果、今でも困難な生活を強いられている子どもたちはさらに貧しい生活になる。子どもが貧しい生活しか送れなければ、進学もできず、貧しさから抜け出すことは難しい。その先に待っているのは、経済的徴兵制かも知れない。貧しい子どもたちを大量に生み出す社会の仕組みは、戦争する国の政策を下支えする。どこの国でも、貧しい家庭の子どもたちには兵士になることが生き延びる方策の有効な一つである。戦前の日本の農村の貧しさを思い起こしてもいい。子どもを戦争から守るには、子どもたちに不自由のない生活と平和な未来を保障することである。子どもの生活を財政的にも支えるということである。
 人を殺すという最も非人間的な行為に子どもたちを誘導する政策は、集団的自衛権の容認から生まれるし、今、安倍首相が唱えている憲法に自衛隊を書き込んで公認することによって、この国の政策として決定的なものになる。
 膨大な軍需費を指摘するまでもなく、しかも、2018年度予算で求められているものは、明らかに人を殺すための武器である。人を殺さない武器があるはずもなかろうが・・・2017年12月19日の閣議で政府は、アメリカ製の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」2基の購入を決めた。一基あたり1000億円が見込まれる子どもたちを十分に生かすことなく、人を殺すことに税金を使うなど本末転倒でしかない。さらに、軍需費から見れば、驚くほど軽視されているのが、女性にというから驚きのあまり身体が震えてくる。対する暴力防止及び被害者支援の費用である。これも人を生かすお金である。政府は、性犯罪被害者支援のために、2020年までに全国都道府県に1か所ずつ「ワンストップ・支援センター」を設置するとしている。2017年夏までにできたところは39か所である。その全体に対して政府から支給される補助金はわずか1億6000万円でしかない。単純計算すると1か所410万円である。片や政府が17機購入を予定しているオスプレイは装備費も入れて1機100億円という。戦争は究極の暴力であり、安保法制法によって戦争することに舵を切ったこの国では、今まで以上に暴力が大手を振って歩くことが予想される。暴力の犠牲になるのはいつの時代でも、とりわけ戦争の時には、女性・子どもたちであることは、歴史が繰り返し教えている。私たちは、歴史に学ばず、再び、女性・子どもたちを犠牲にするのか。今ほど、憲法9条の中身の実現が急がれるときはない。しかし、9条の中身の実現というとき、私たちは沖縄には今に至るもそのかけらもないことをしっかり理解しなければならない。日本には、9条の力の及ばない地域があり、そこに住む人々は米軍機による命の危険に日々曝されていることを忘れてはならない。戦争のない国は、沖縄抜きには実現できないことを知らねばならない。沖縄の女性・子どもたちをも苦難から解放するための憲法でなければならない。

中日春秋 (2017年12月25日中日新聞)

2017-12-25 10:20:36 | 桜ヶ丘9条の会
中日春秋 

2017/12/25 紙面から
 「親子の無精」という小噺(ばなし)がある。ある夜、火事を出した。せがれが気づいて父親に教えるが、「めんどうくさい。おまえが消せ」。息子も息子で「おれだって、めんどうくさいや」

▼火は燃え広がるが、親子はめんどうくさいと言い合うばかりで、いつまでたっても火を消さない。ついに全焼し、二人とも焼け死んでしまう。地獄で閻魔(えんま)さまに叱られ、動物にするといわれ、ならばと親父(おやじ)が望んだのが、鼻に白い斑点がある黒猫。「ご飯粒と間違えてネズミがやって来るかもしれない」

▼あのばかげた噺を、いやでも思い出してしまう。博多発東京行きのぞみ34号の台車の一部に亀裂が見つかった問題である

▼妙な臭いがする。変な音がする。運行中、それに気がつきながら、そのまま、列車を走らせてしまった。あの噺とは違い、めんどうくさかったわけではなかろうが、異常を放置してしまったことに変わりはない

▼台車は破断寸前。写真を見れば首の皮一枚でつながっている状態である。「次の駅で、止めて点検したらどうか」の声も出たが聞き入れられていない。安全の神さまの声はことごとく無視されてしまった

▼電車を止めなかったのは定時運行の一心からか。危険の中で守られるような定時運行に感謝する人は一人もおるまい。JR西日本は生まれ変わるべきだ。あのものぐさな猫ではなく、用心深く、俊敏な猫に。
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平和を願う言葉の力 (2017年12月24日中日新聞)

2017-12-24 10:17:54 | 桜ヶ丘9条の会
【中日新聞】 平和を願う言葉の力 週のはじめに考える
 2017年12月24日中日新聞

 「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない」と言われますが、平和を願う言葉が平和を実現する大きな力となることも、また真なりです。
 本紙が朝刊で毎日掲載している「平和の俳句」は、戦後七十年の節目となる二〇一五年一月一日から始まりました。日々の紙面で紹介できたのは千句余りですが、応募総数は十三万句に上ります。この数は、読者の皆さんの平和への思いの強さにほかなりません。
 「平和の俳句」誕生のきっかけとなったのは、その前年、さいたま市の女性(当時七十三歳)が詠んだ<梅雨空に『九条守れ』の女性デモ>という俳句でした。 「九条守れ」の句拒む
 この句は、同市の公民館が開く俳句教室で互選により「公民館だより」の俳句コーナーに掲載されることが決まっていましたが、市側の判断で見送られました。「意見が二つに割れている問題で、一方の意見だけを載せるわけにはいかない」という理由です。
 安倍晋三首相は一四年七月、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」を一転容認することを、内閣の一存で閣議決定しています。女性デモはそれに反対するデモだったのでしょうか。その中で起こった<九条守れ>俳句の掲載拒否でした。
 その前年には、防衛・外交など特段の秘匿が必要な「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法の成立が強行されています。一五年には集団的自衛権を行使するための安全保障関連法も成立が強行され、今では、安倍首相自身が憲法九条改正に堂々と言及する状況です。
 憲法を尊重、擁護することは国会議員や公務員には義務のはずなのに、市民が詠むことは認めようとしない。改憲を目指す政権や政治勢力に対する公権力の「忖度(そんたく)」以外の何ものでもありません。 戦前の弾圧と重なる
 この問題を、戦前の新興俳句弾圧の歴史と重ね合わせたのが、俳人の金子兜太さんでした。
 昭和初期、伝統俳句からの脱却を目指す新興俳句運動が起こり、多くの俳人が参加しましたが、一九四〇年から四三年にかけて治安維持法で投獄されていきます。
 厭戦(えんせん)句や、貧困を嘆いて社会変革を目指す句は、当時の軍国主義体制にとって、戦争遂行の邪魔だったのでしょう。俳壇内部にも新興俳句を快く思わない人たちがいて、弾圧に便乗したといいます。
 中国との戦端はすでに開かれていましたが、新興俳句への弾圧が始まった翌年には、米国などとの太平洋戦争に突入します。
 「平和」と唱えることすらできず、言葉の歯止めを失った社会が国民を戦争へと駆り立て、国内外に多大な犠牲を強いたのです。
 徴兵され、南方の凄惨(せいさん)な戦場を目の当たりにした金子さんは、戦後六十九年の終戦記念日に当たる一四年八月十五日の本紙紙面で、作家のいとうせいこうさんと語り合います。
 <九条守れ>の句について聞いてみたいんだけど、と振られたいとうさんは、監視社会のように互いを縛る風潮への懸念を表明し、上から抑え付けられたように語られてきた戦前も「本当はこうだったんだろう」と応じました。
 そして、その場で二人は、自ら選者となり、戦争体験や戦後世代が戦争体験をどう考えるかを詠んだ俳句の募集を提唱したのです。
 そうして始まった平和の俳句を二人は「軽やかな平和運動」と呼びます。当初は一年の予定でしたが、「やめないで」という読者の声に励まされて三年続きました。
 他国同士の戦争に参加することを法的に可能にし、戦争放棄と戦力不保持の憲法九条改正すら公言してはばからない安倍政権の下では、私たちの平和な暮らしが脅かされかねない。そんな時代に対する危機感を読者の皆さんと共有できたからこそ、続けることができたのです。
 安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。 「軽やかな平和運動」
 しかし、平和を強く願う気持ちがなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。だからこそ、その気持ちを言葉で率直に表現することが大事なのです。
 過去の教訓を顧みず、再び戦争への道を歩むことがあってはならない。政権監視は、私たち新聞にとって重要な役割です。
 読者の皆さんが参加した三年間にわたる「軽やかな平和運動」が持つ意味は、とてつもなく重いものです。「平和の俳句」は年内いっぱいで、いったん幕を閉じますが、その意味の重さを、これからもずっと肝に銘じながら、新聞の役割を果たし続けます。