平和国家の道を外すな 憲法9条改正論(2017年6月30日中日新聞)

2017-06-30 09:11:48 | 桜ヶ丘9条の会
平和国家の道を外すな 憲法9条改正論  

2017/6/30 中日新聞
 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定からあすで三年。憲法違反との指摘は放置され、九条改憲論が先行する。「平和国家」の道を外れてはならない。

 あの日を境に、自衛隊の本質が根本から変わってしまった。二〇一四年七月一日。集団的自衛権は行使できない、という政府の憲法解釈の変更に、安倍晋三首相が踏み切った日である。

 集団的自衛権は密接な関係にある外国への武力攻撃を、自らは直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止する権利を指す。

 安倍内閣までの歴代内閣は日本は国際法上、集団的自衛権を有するが、行使は憲法九条の下で許容される自衛権の範囲を超え、許されないとの解釈を堅持してきた。

反省の上に戦争放棄

 なぜか。それは現行憲法が、国内外に多大な犠牲を強いた先の戦争を反省し、行使できる自衛権の範囲を自ら厳しく制限してきたからにほかならない。「平和国家」として生きる宣言でもある。

 憲法九条はこう定める。

 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」

 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 一項「戦争放棄」と二項「戦力不保持」の下で自衛隊が創設されたが、「日本に対する急迫不正の侵害がある」「排除するために他の適当な手段がない」「必要最小限度の実力行使にとどまる」という三要件を満たさなければ、自衛権は行使できないとされた。

 自衛隊を、日本を防衛するための必要最小限度の実力組織と位置付け、他国同士の戦争には加わらず、海外では武力の行使をしない「専守防衛」政策である。

集団的自衛権を容認

 ところが三年前の閣議決定でこの三要件が改められ、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合には、日本に直接攻撃がなくても、他国同士の戦争に加わり、海外で武力の行使ができる、となった。

 自衛隊は個別的自衛権しか行使できない組織から、憲法違反とされてきた「集団的自衛権の行使」ができる組織へと変貌したのだ。

 この閣議決定を基に、自衛隊が海外で武力の行使ができるよう、安倍政権は一五年九月、憲法学者ら多くの専門家が憲法違反と指摘したにもかかわらず、安全保障関連法の成立を強行した。

 そして、首相が在任中の実現に意欲を示す憲法改正である。

 今年五月三日の改憲派集会に寄せたビデオメッセージでは、現行九条の一、二項を残しつつ、自衛隊の存在を明記するなど、改憲の具体案に踏み込んだ。

 国防軍創設を目指してきた首相にとっては軌道修正だが、その狙いは、自衛隊を憲法に位置付け、合憲か違憲かという議論に終止符を打つことだという。

 しかし、このまま自衛隊の存在を明記すれば、憲法違反とされてきた「集団的自衛権の行使」が許される存在として、自衛隊を追認することになる。それは専守防衛に徹してきた、戦後日本が歩んできた「平和国家」の道から外れることにならないか。

 自衛隊は何をすべきで、何をすべきでないのか。本質的な議論を経て国民的合意に至ったのならまだしも、それを欠いたまま自衛隊の存在だけを明記しても、自衛隊による集団的自衛権の行使が合憲か違憲か、国論を二分した議論は続くだろう。

 そもそも歴代内閣は、専守防衛に徹する自衛隊は戦力には該当せず、九条の下でも合憲と位置付けてきた。憲法にあえて書き込む必要があるのだろうか。

 自衛隊の存在を憲法に明記しないことが、活動の歯止めとなってきたこともまた現実である。

 首相や閣僚らには、憲法を尊重し、擁護する義務が課せられている。国民が憲法を通じて権力を律する「立憲主義」である。

軍事力重視の延長に

 その首相が進んで改憲を主導する。いくら自民党総裁としての発言だと強弁しても、憲法に抵触する行為と指摘されて当然だ。

 ましてやそれが、自らと考えを異にする自衛隊違憲論者の意見を封じるためだとしたら、憲法の私物化だとの批判は免れない。

 九条改正は、集団的自衛権の行使容認、安保関連法成立と続く、首相主導の「軍事力重視国家」造りの延長線上にある。

 九条を改正することで深刻な影響が出るのではないか。国際的信頼を得るに至った平和国家の道を外れ、国を再び誤らせることはないのか。自衛隊の存在を明記するだけ、という言に惑わされず、その本質的な意味を問い続けたい。

防衛相発言 不問に付せぬ政治利用(2017年6月29日中日新聞)

2017-06-29 08:36:31 | 桜ヶ丘9条の会
防衛相発言 不問に付せぬ政治利用 

2017/6/29 中日新聞
 撤回すれば済むという話でもあるまい。稲田朋美防衛相が東京都議選の応援で「防衛省・自衛隊として」自民党候補を支援するよう呼び掛けた。行政の中立性を逸脱する触法行為にほかならない。

 法律に従って「政治的中立」を順守している防衛省職員、自衛隊員にとっては、迷惑極まりない発言だったのではないか。

 稲田氏は東京都板橋区で開かれた都議選の自民党候補を応援する集会で演説し「ぜひ当選、お願いしたい。防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と呼び掛けた。

 板橋区の隣の練馬区には、陸上自衛隊の東部方面総監部や第一師団が置かれており、多くの隊員らが勤務する。その存在感を背景に自民党候補の当選に向けた支援を防衛省・自衛隊の組織として働き掛けているかのような発言だ。

 自衛隊を政治利用し、行政の政治的中立性を著しく逸脱する不問に付せない発言である。

 後に、稲田氏本人が認めたように「防衛省・自衛隊に限らず、政府機関は政治的に中立で、特定の候補を応援するのはありえない」のは当然であり、それらは法律にも明記されている。

 弁護士出身である稲田氏がそんな基礎的知識を欠いたまま、自衛隊を率いていたとしたら、驚きを超え、危うさすら感じる。

 軍隊や軍人は政治に関与せず、文民の統制に服するのが、近代国家の要諦だ。自衛隊は軍隊でないが、火力を有する実力組織である以上、政治に関与しないのは当然である。防衛相として不適格で、安倍晋三首相は罷免すべきだ。

 にもかかわらず、政権中枢はなぜ、稲田氏をかばうのか。首相に関係が近いからか、稲田氏辞任が他の閣僚の進退にも波及し、政権の体力を奪うと恐れるからか。

 安倍首相は国会演説で、自衛隊員らをたたえるため、起立して拍手するよう議員に促したことがある。自衛隊の存在を憲法に明記する憲法改正を提唱し、これに謝意を表明した自衛隊最高幹部の政治的発言を不問に付したこともある。

 稲田氏発言の背景に、自衛隊重視の姿勢を吹聴して支持を広げたり、民主主義の基本原理や手続きへの理解を欠く政権の体質があるとしたら根は深い。

 憲法一五条は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定める。防衛省・自衛隊を含めてすべての公務員を、自民党だけのために政治利用すべきではない。

世界の海洋異変 環境破壊を今止めねば(2017年6月26日中日新聞)

2017-06-26 09:17:28 | 桜ヶ丘9条の会
世界の海洋異変 環境破壊を今止めねば 

2017/6/26 中日新聞
 世界中の海は、人に例えれば、幾つもの深刻な病気を抱えている。国連海洋会議が今月上旬に開かれ、海の環境を守り育てると誓う宣言を採択した。何をすべきか、一人一人が思いを巡らせたい。

 海洋会議は汚染防止と生産性回復をテーマとした、国連本部での初のハイレベル会合だった。「海洋・海洋資源の保全と持続可能な利用」を目指し、加盟国が具体的な行動を起こすよう訴えた。

 確認事項を各国が履行すれば、二〇二〇年までに世界の海洋面積の10%以上を、水質や生物多様性が周辺より高いレベルの「保護区」に設定できるという。

 宣言は課題として、プラスチックごみ、海水温の上昇と海洋の酸性化、サンゴ礁やマングローブなど生態系破壊、水産資源乱獲などを例示した。

 プラスチックごみは、目に見える容器や漁具から、五ミリ以下の微小なマイクロプラスチックまである。レジ袋が砕かれた破片や、洗顔料に入っている微粒子マイクロビーズなどが含まれる。

 魚や亀、海鳥などがのみ込んで死んだり、体内に有害物質を蓄積する恐れがある。プラスチックごみの多くは細かくなって海中を漂うか、海底に沈殿する。回収は難しいことを知っておきたい。

 海水温の上昇も深刻だ。海面が高くなってオセアニアの島々や東南アジアの低湿地帯では浸水被害が続く。台風やハリケーンの大型化にも関係があるとみられる。

 サンゴが白色に変化する「白化」の原因といわれる。世界最大のサンゴ礁であるオーストラリアのグレートバリアリーフでは、昨年から白化が急速に広がり、景観と生態系に影響が出ている。大気中で濃度が増した二酸化炭素(CO2)がより多く海洋に溶け込んで起きる海洋の酸性化も、生態系を変化させる。

 海洋の異変の背景には、CO2の排出量増加と地球温暖化がある。海洋会議では、二〇年度以降の温暖化対策の枠組みを決めた「パリ協定」の重要性を確認した。トランプ米政権が協定からの離脱を表明して混乱は続く。しかし、各国がパリ協定の履行に取り組むことが、海の健全さと生産性を取り戻すカギになる。

 次の世代のためにも、海を守る行動を起こしたい。プラスチックごみになるレジ袋の利用を減らす、日用品のリサイクルを心がける、家電製品や自動車は効率的に使ってCO2削減に努める。私たちも暮らしを見直そう。

政治家と官僚と国民と(2017年6月25日中日新聞)

2017-06-25 09:16:19 | 桜ヶ丘9条の会
政治家と官僚と国民と 週のはじめに考える 

2017/6/25 中日新聞
 国会は閉じても加計(かけ)学園問題の幕引きは許されません。事の本質は、政治家と官僚が敵対する傍らで真に国民のための行政が蔑ろ(ないがし)にされていることです。

 「森友」「加計」問題と続いた一連の“忖度(そんたく)行政”ではっきりしたのは、安倍政権による霞が関支配の極端な強さでした。

 「総理のご意向」などを後ろ盾に、官僚を忖度の糸で操り、政権に歯向かう者には人格攻撃まで仕掛けて抵抗を封じる。ここまで強権の支配力は一体、どこからくるのでしょうか。二つの断面から切り取ってみます。

補い合う関係だった


 一つは歴史的な背景です。

 戦後日本の政治家と官僚は補い合う関係でした。復興期、官僚たちもまだ貧しい社会の一員に身を置いて、いつか豊かな時代を切り開こうと気概に燃えていたはずです。安定政権の高度成長戦略に呼応し、官僚は成長成果の公平な配分政策で支える。こうした関係が繁栄の礎にもなりました。

 けれど、成長が行き詰まるにつれ、この関係も崩れていきます。かれこれ四半世紀前の一時期。まず主導権を握ったのは官僚側でした。ヤマ場は、一九九四年二月三日、未明の記者会見です。

 非自民の八党派連立政権を率いる細川護熙(もりひろ)首相は突如「消費税を福祉目的税に改め、税率を3%から7%に引き上げる」国民福祉税の構想をぶち上げたのでした。

 消費税の増税を軸とする財政改革は大蔵省(現財務省)の悲願。対する連立の政権基盤はまだ薄い。細川氏や側近の回顧録によればこの当時、大蔵省の“豪腕”事務次官らが、新政権の中枢にしきりに接触してくる様子がうかがえます。

 細川氏の日記には、あまりに強硬な官僚主導に対し、首相が気色ばむ場面も出てきます。

敵対関係に駄目押し


 「大蔵省のみ残りて政権が潰(つぶ)れかねぬような決断は不可と強く叱正(しっせい)す」。民主主義の基本に沿えば官僚は、選挙を経た政治家の下に立って支えるのが、本来あるべき姿です。首相の叱正は、政治側の意地でもあったでしょう。

 結局、最後は官僚側に押し切られた末の未明の会見でしたが、強引さが批判され、細川政権はこの二カ月後崩壊。大蔵省もその後、政治側の“意趣返し”で本省から金融部局を分離され、権威はみるみる失墜していきました。

 こうして政治との敵対関係から始まった官僚の弱体化は、歯止めなく一方的でした。極め付きは二〇〇九年九月、官僚が事実上、閣議を振り付けていた「事務次官会議」の廃止です。歴史の振り子は勢いを増して、政治主導の極端へと振り切れていきました。

 そして、もう一つの断面。その振り子に駄目を押したのが、内閣人事局の存在です。縦割り行政打破の名の下に、国家公務員の人事を首相官邸で一元管理するため一四年に設置されました。加計問題で渦中の萩生田(はぎうだ)光一・内閣官房副長官が今の局長です。

 問題は、官僚側の命脈である省庁の幹部人事が一括、ここに握られていることです。それがために官僚たちは、省庁の行政判断よりも、政権の意向を忖度して動くことで組織を守ろうと考えるようになる。その結果が都合悪くなれば政権は「勝手に忖度した」官僚側の責任にもできる。となれば、これが加計問題に浮かんだ「官邸一強」のやはり正体でしょう。

 しかし、内閣人事局の仕事は何も幹部人事だけではない。本旨はむしろ、国の将来も見据えて行政基盤をしっかりと支えうる官僚集団を育成し、未来に引き継いでいくことです。次に続く人材を確保するためにも、官僚たちが士気高く働けるような環境作りが重要でしょう。

 その士気を高めるためにこそ、求められるのは政治側から官僚側への歩み寄りです。共に国民生活の向上へ。政治家は政策決定力を今以上に磨き、官僚も共感して情報力や知識力で支える。たとえばあの戦後のような補い合う関係に再び歩み寄れないものか。

今と将来に共同責任


 いま私たちが立ち返ってみるべきは、国民主権を謳(うた)う憲法上、政治家は「全国民の代表」であり、官僚は「全体の奉仕者」ということです。行政に携わる政治家と官僚には、今と将来の国民に負うべき共同の責任があるはずです。両者が敵対する関係では、到底その責任は果たしえないでしょう。

 歩み寄りなどとは対極の加計問題で、現政権が見せた一方的な官僚支配は、官僚たちの士気を高めるはずもなく、官僚を志す次代の若者たちをも遠ざけかねない。それは現代のみならず、未来の国民に対しても、国の行政基盤を築く政治の責任放棄として、禍根を残すのかもしれません。


韓国の脱原発 福島が教えてくれた(2017年6月24日中日新聞)

2017-06-24 08:51:24 | 定年後の暮らし春秋
韓国の脱原発 福島が教えてくれた 

2017/6/24 中日新聞
 隣国の脱原発。福島の教えに従って原発の寿命を守って漸次、再生可能エネルギーへの転換を図りつつ、廃炉ビジネスなどで市場をリード-。容易ではないだろうが、堅実な前進を望みたい。

 文在寅(ムンジェイン)大統領の「脱原発宣言」は、釜山市郊外にある古里(コリ)原発1号機の「永久停止宣言式」で飛び出した。韓国初の原発運転終了だった。

 古里1号は、一九七八年に運転を開始した韓国で最も古い商業用原子炉だ。かつて「漢江の奇跡」といわれた経済発展の象徴的な存在だった。時代が変わる。

 韓国国内で稼働中の原発は二十四基になった。総発電量に占める割合は約30%と、まだ高い。

 朴槿恵・前政権は、原発の増設と海外輸出に積極的で、二〇二九年までに三十六基に増やす計画だった。

 これに対して文大統領は「(原発の割合を)三〇年までに18%に引き下げる」と、脱原発依存を掲げて五月の選挙を勝ち抜いた。

 大統領は「進行中の新規建設計画はすべて白紙化し、稼働中の原発も設計寿命を超える延長はしない」と明言。五年前に三十年の設計寿命を終えたあと、十年の運転延長に入った慶州市の月城(ウォルソン)原発1号機に関しても「できるだけ早く閉鎖する」と述べている。

 風力や太陽光など再生可能エネルギーが占める割合は、現在5%程度だが、三〇年までには20%台に引き上げる方針で、脱原子力、脱石炭の工程表の提示を急ぐという。廃炉産業で世界の先頭に立ちたい“野心”もある。

 文大統領は「福島の事故が、原発が安全でも安くもないことを明白に示している」と語っている。昨年九月、原発のある慶州も強い地震に襲われた。人口密集地の近くに多いのが、韓国の原発立地の特徴だ。

 釜山市長も新設中止に賛意を示している。

 台湾でも一足早く、福島の教訓に従って、新政権が脱原発にスイッチを切り替えた。未来を見通す政治家ならば、福島の教訓→生命最優先→脱原発依存→再生エネへの転換という大きな流れに乗る方が、むしろ自然なのではないか。

 ところが福島のあるこの国が、教訓を生かせず、流れに乗りきれず、次に原子力規制委員になる人が「寿命延長」を公然と支持するような逆行をほのめかすのは、なぜだろう。隣国の変化を見守りながら、よく考えてみたいと思う。