奇跡への絆

図師ひろき

宮崎県を代表して闘う選手にエールを!

2014年12月21日 20時19分58秒 | Weblog
無条件に高鍋高校ラグビー部員の、この凛とした立ち姿はいい!

朝日を背にして堂々と胸を張り、頬を強ばらせている姿は、若き勇者そのものであります。

いよいよ、出陣です!

厳しい県予選を勝ち抜き、4年連続で見事、花園への道を切り開いてくれました。

今朝、高鍋高校グラウンドて行われたラグビー部壮行会に参加してきました。

今年のチームは、体格的には恵めれていないようですが、フォードも機動力が充実していて、走力が抜きん出ていると聞いています。

保護者の方の話では

「前半が力が入りすぎて、エンジンがかかるのが遅い…」

とも言われていましたが、前半を力みなく少しでもリードして試合を進めることができれば、後半は走り負けないスタミナで優位な展開に持ち込めること間違いありません。

是非、2勝して花園で年を越して欲しい。

そしてさらに準決勝、決勝と快進撃が続くならば、県としても鵬翔高校サッカー部や延岡学園野球部が大活躍をしてくれた時に傍観していたことを省みて、県民(特に保護者の方々)が花園に駆けつけられるよう臨時の応援バスを手配するなどの支援が絶対に必要です!

鵬翔高校サッカー部快進撃の時に、保護者の方から応援バスを出してもらうことを懇願され、担当課との協議をしたのですが、執行部の判断、知事の決断まで至りませんでした…

選手たちは高校を代表するとともに、宮崎県を背負って闘い、県民に勇気と元気を届けてくれるのですから、県としての支援は当然至極です。

これからもできるすべてのことを尽くし、選手と保護者を支えていきたいと思います。


私も一緒に地域を盛り上げ隊

2014年12月20日 22時43分59秒 | Weblog

 私が住んでいる木城町川原地区も山深いところにある集落ですが、うちからさらに50分ほど山を分け入ったところに“中之又”という地区があります。

 ここも木城町です。

 行政区は木城ですが、美郷町や日向市へ出た方が早いため生活圏は異なります。

 以前は中之又地区にも、小中学校があり人口も1000人近くおられたのですが、今は50戸ほどの小さな集落になってしまいました・・・

 その中之又地区にしっかりと神楽が息づいています。

        

 先日、神事に参加させていただき、神楽まで見学させてもらいました。

       

 地元の方々だけではなく、周辺の神社関係者や以前中之又小学校に山村留学をしていた生徒や勤務していた先生たちが集い神楽を守ってくれています。

       

 17時過ぎから神事が始まり、19時から神楽が舞われ始め、次の日の朝まで続きます・・・

 舞い手も大変ですが、笛や太鼓のお囃子の方々も延々と演奏される姿に頭が下がります。

     

 またこの日は、今年一番の冷え込みということもあり、見ている方もたき火のそばから離れられないほど刺すような寒さでした・・・

 出店も並び、温かいものの振る舞いもあり、山間の小さな神社に夜の華が咲きました。

       

 こんな小さな舞い手さんも・・・

  

 親子3代で神楽を支えられています。

 そして、今年は新たに嬉しい出会いがありました。

    

 この方々です!

 県が事業委託している『中山間盛り上げ隊』もみなさんです。

 中之又地区の方々と一緒に会場設営から、次の日の撤収まで動いていただくということで、すっかり地域に溶け込まれていました。

 現在、中山間盛り上げ隊は約600名の登録があり、県内各地の行事の手伝いや草刈りなどの労働奉仕を積極的に行われています。

 地域を支える貴重な戦力であることはもちろんのこと、地域に新たな風と笑顔を届けてくれる大切な存在でもあります。

 児湯地区にも、地域の力だけでは存続が難しくなりつつある行事や文化がありますので、地域と盛り上げ隊の方々との橋渡し役になっていきたいと思います。

 その前にまずは私が、しっかり地域を支える力になれるよう動きます!

   


小さい地区こそ守る、それが行政の仕事。

2014年12月19日 20時50分38秒 | Weblog

 川南町の細神社冬まつりに参加させていただきました。

   

 とても寒い日でしたが、細地区の皆さんの温かい人柄にふれ、とても和やかな時間を過ごさせていただきました。

 細地区は、私が住む川原とよく似た山深い小さな地区で、そこの神社を地区の方々がまるでたき火に手をあてるかのように大切に大切に守られています。

 まず神事が行われたのちに、神楽の奉納もありました。

 見てください、この勇壮な舞を!

   

 鬼の面をかぶった舞手の腕の中には、子どもが抱かれ、邪気を払ってくれています・・・

 おや、どこかで見たことのある子どもじゃないか・・・

   

 うちの長男でした(笑)

 神楽を家族で見学していたところ、舞手の方がひょいと息子を抱え上げてくれて、無病息災を祈願する舞を踊ってくれたのです。

 親は大喜びでしたが、見ての通り息子は怪獣にでも連れ去られたかのように怖がって泣いてしまいました・・・

 驚いたことに、この光景を見た長女が・・・

   

 次は私の番だと察知したのか、息子が私の腕に帰って来るや否やギャン泣きを始めてしまいました。

 さすがにこの状態で、神楽に登場させるのは忍びなかったので、娘は頭を撫でてもらうだけになりました。

 こんなサプライズもあり、家族みんなで楽しませてもらい思い出に残る冬まつりとなりました。

 思い出に残るといえばもう1つ・・・

 地区の方から仕事に関する要望で

 「もっと介護報酬を上げてください!医療福祉の現場にいる私たちは、働いても働いても生活が豊かにはなりません・・・自分が満たされていないのに人に施すことには限界があります・・・福祉を充実させて人件費を上げてください!」

 と懇願されました。

 その通りです!

 医療福祉に携わる方々は、尊い仕事をされているにも関わらず、それに見合う給料が支払われていません。

 問題は、医療保険と介護保険の内容にあることは明らかですが、国の制度見直しは全く期待できませんし、国の対応を待っていたのでは現場は疲弊してしまいます。

 今までも宮崎県からできることを提案してきましたが、まだまだ足りません・・・でも諦めません!現場を知る議員として力を振り絞ることを再確認した冬まつりでもありました。

 

 

 


松岡修造さんのカレンダーが売れてるみたいですね

2014年12月18日 22時01分45秒 | Weblog

 町議会議員をしながら公務の合間を縫って、専門学校の講師をしていた頃があります。

 精神保健福祉士と介護福祉士を養成する専門学校で、金八先生に憧れていた私は教壇に立たせてもらうことに大きな喜びを感じていました。

 生徒たちは国家試験合格を目指して、厳しい授業と実習を乗り越え福祉の現場を目指していきます。

 そんなひたむきな姿を見ていたら・・・

 “もうマラソンは走らない”

 と思ったはずの私でしたが、授業の時に

 「みんなが頑張っているから、俺も頑張る!フルマラソンを走ってベストタイムを出してくるから、みんなもベストを尽くしてくれ!」

 と松岡修造みたいな宣言をしてしまいました。

 そして挑んだのが鹿児島県指宿市で行われる『菜の花マラソン』でした。

 この時の膝の状態は良く、自信満々で会場に乗り込み、気持ちよくアップをしている時に、ドラマがありました・・・

 テレビ局が取材に来ていて、アナウンサーの方から呼び止められインタビューをされたのです。

 「どちらから来られましたか?」

 「宮崎県から来ました。」

 「わざわざ宮崎から、なぜ指宿まで走りに来られたんですか?」

 「生徒たちと約束をしたんです!」

 など専門学校でやり取りを説明すると

 「それでは生徒さんたちに向かって、今の意気込みを伝えてください!」

 とカメラに向かってコメントを求められたので

 「先生は頑張ってベストタイムを出して帰るから、お前たちもしっかりベストを尽くしてくれ!」

 とガッツポーズをビシッと決めました。

 バカですよね・・・鹿児島のテレビ番組が宮崎で放映されることはなく、大会から帰って生徒たちに

 「テレビ見てくれたか!」

 と聞いてもシラーッとされただけでした(笑)

 ところで大会の方は、アップダウンの激しいコースで、悪戦苦闘をしながらも約束のベストタイムを出すことができ、タイムが記入されている完走証を生徒たちに誇らしく見せたのでした。

 果たしてそのベストタイムが、どれほど生徒たちのやる気につながったのかは定かではありませんが、その年の国家試験合格率は過去最高を更新してくれました。

 ちなみにその時のタイムは4時間26分でした・・・市民ランナーの1つの目標にフルマラソンを3時間台ではしること、このことを『サブフォー』と言いますが、サブフォーを達成することがよく話題になります。

 いつかは・・・とは思いますが、しっかり練習をしなければ達成できるものではありません。

 まずは議員活動と選挙活動で、しっかり走り込み体力をつけていきます!


座薬は慎重に入れてください

2014年12月17日 23時32分23秒 | Weblog

 座薬のおかげで、なんとか5㎞付近までは痛みに襲われることなく来ることができましたが、なぜか頭がボーっとしてフラフラ蛇行するようになってきました・・・

 どうやら座薬を2錠も入れたものですから、効きすぎて血圧が下がってしまい、めまいがしてきたのでした・・・

 ふわふわとした感覚のまま10㎞までは走り、それはそれで楽しかったのですが15㎞に差し掛かるころにはふわふわ感が薄れていくとともに、膝の痛みがよみがえってきました。

 なんとか折り返し地点までたどり着くことができましたが、痛みがMAXだったので、追加の座薬を入れることにしました。

 近くにトイレがなかったので、少しコースアウトして茂みの中で座薬をポケットから取り出し、ズボンを下ろそうとしたときに大事件が起きてしまいます!

 なんと小袋から取り出した座薬が草むらの中に落ちてしまったのです・・・

 慌てて拾い上げましたが、座薬には砂や枯葉がまとわりついていて、払いのけてみましたがこれをお尻から入れることには強い抵抗を感じました・・・

 幸いもう1錠持っていたので、慎重に慎重に慎重に挿入しました。

 ようやく走り出すことができましたが、残り半分を走りきる自信はありませんでした・・・

 30㎞付近まで来ると、もう足を引きずるような走行になっていましたが、あと10㎞だと思うと座り込む勇気もなく、ただ目の前のコースだけを見て

 「いち、に、いち、に・・・」

 前進を続けました・・・

 フルマラソンは、最初の10㎞と最後の10㎞は全く別物です!

 体にかかる負担が全然違い、息はそんなに上がっていなくても腰や膝はかなりの疲労がのしかかってきます。

 どのランナーも痛みに耐えながら走るので、不思議な連帯感も生まれ、声をかけあってのラスト10㎞となります。

 私もおそらく孤独に走らなければらならない状況ならばリタイアしていたと思われますが、他のランナーに引っ張られてなんとかゴールすることができました。

 しかし、タイムは5時間30分以上かかってしまい、さすがにゴール後は

 “もう走るもんか”

 と思ったはずなのですが、これがまたスタートラインに立ってしまうことになります(笑)

 続きは明日のブログで・・・

 

 


ゴールがスタートライン

2014年12月16日 22時26分52秒 | Weblog
42.195㎞を走りきるまでは、もう二度とマラソンなんか…など考えているのですが…ゴールしてクールダウンしていると、再び走りたいエネルギーが沸々とこみ上げてくる不思議な感覚は走った者にしか味わえないものなのでしょう。

ということで、つくばでリベンジを果たした後もちょこちょこ走るようになりました。

県外の大会にエントリーしては、観光がてら走りに行くために、トレーニングもするようなりました。

岡山県の大会に出場したことがあります。

山あいにある町のマラソン大会で、出場者もほとんどが周辺地域から来られているようで、受付の時に

「わざわさ宮崎からありがとうございます!」

と感謝され、ちょっとはテンションがあがりましたが、この日は最悪のコンディションでした…

大会前のトレーニングで、古傷の膝が痛み出していることに加え、前日から熱っぽく、フルマラソを走るのにポジティブになれない心身でした…

走らなければ、ただの観光になってしまうので、つくばの時同様、走れるとこまで走ろうと、ダメもとでスタートラインに立ちました。

ただこの日は秘策がありました!

それはボルタレン『座薬』です。

膝の痛みを和らげるために前もって、4錠の座薬を持ってきていました。

解熱効果があるので一石二鳥のつもりで走る前に2錠の座薬を入れてスタートしました。

走り出してからも無理はせず、膝と相談しながらローペースを維持しました。

時には年配女性グループが

「今日はスーパーのキャベツが特売日よ」

「一人1個までだったから子ども連れて行こう」

などかなりローカルな会話の集団に追い抜かれながらも、我慢…我慢…と言い聞かせてペースを守りました。

しかし、5㎞付近で体に異変が…

明日へ続く……

フルマラソを軽く考えてたらケガをします

2014年12月15日 23時07分51秒 | Weblog
青島太平洋マラソンがありましたね…

私も走りました!と言いたいところですが、ろくに練習もしていないので、今フルマラソに出場することは無謀以外の何ものでもありません。

初めてフルマラソにチャレンジしたのは、今から15年くらい前で、大学時代の仲間と走りました。

その頃は、毎年同窓会がてら仲間と集まっては、いろんなイベントに参加していました。

そのイベントが1つが茨城県つくば市のフルマラソ出場でした。

今、考えるとかなりふざけたマラソンチャレンジでしたが、まだまだ体力には自信があり、楽に完走できると思っていました。

大会一週間前くらいに、少しくらい練習しておこうと思い立た、20㎞くらいジョギングしました…

すると日頃ろくに走っていなかった私は、この時に膝を痛めてしまいました(笑)

これが結構重傷で、その日は屈伸ができない程の痛みがありました…が、大会出場まで一週間…茨城行きのチケットも購入済みでした…ので、一週間後つくばのスタートラインに立っていました…

仲間とは5㎞くらいまでは一緒に走れましたが、明らかに足手まといになっていたので、私にかまわず先に行くように促し、笑顔で見送りました(笑)

もうこの時、膝は限界だったのかもしれませんが、とりあえず痛みが我慢できるうちはマイペースで走りました…

10㎞通過…15㎞通過…20㎞通過…

とうとう走れなくなりました…

足を引きずりながらも歩いてみましたが、『ここが中間地点』の表示を見て心が折れました。

路肩に座り込んだ時、すぐそばまでタイア者を拾う収容車が来ていました…

完璧な挫折感とともに、確実にリベンジを誓いました。

そして1年後、同じつくばのスタートラインに立っていました。

タイムはなんとか4時間代で平凡なものでしたが、完走したことだけで満足でした。

ここが私のランニングライフの始まりでもありました。

明日に続く…

ヒゲも悪くないと思うのですが…

2014年12月14日 23時04分18秒 | Weblog
一度、ヒゲを伸ばしたことがあります。

きっかけは…

まだ病院勤務をしていた頃、山本周五郎の『赤ひげ診療所』を読み、触発されたことと、仕事柄ふけて見られた方がいいと考えたからです。

そして何よりヒゲが濃くて、毎日のヒゲ剃りが面倒だったからです(笑)

朝、ちゃんと剃っても夕方には青くなってきます…

3日も剃らなかったら、きれいにもみあげからもみあげまで繋がり、いわゆるちょっと前の“ドロボー”みたいな人相になります。

病院勤務の時、正月休みは利用して伸ばしたので、ほぼ一週間そのままにしていました…

すると…予想以上にきれいに生え揃い、鏡を見ながら、“満足、満足”となでまわしていました(笑)

休み明け満を持して出勤すると、予想通り同僚からは指を指されて笑われるなど反応は上々でした(笑)

しかし、昼休みに想定外の呼び出しがありました…

上司から

「その無精ヒゲは、この病院にはふさわしくない!」

と一喝。

あえなく帰宅後、断髪式ならぬ断ヒゲ式となりました…

年を重ねるたびに、ヒゲは濃くなり続けているように感じています。

立場上なかなかヒゲを伸ばしにくいのですが、伸ばしだいという欲求は以前のままです。

ただ以前と違うのは、ヒゲにかなり白い毛が増えており、伸ばしたときに頭髪とのギャップがどうなのかということです。

そもそも今は、元旦から政務の連続であり、一週間も接客のない休みはあり得ないので、ヒゲを伸ばすことは夢のまた夢ですね…

年末に2、3日は伸ばせそうなので、少しだけドロボー人相を楽しみたいと思います(笑)

MAXの円を目指して

2014年12月13日 23時13分56秒 | Weblog

 先月、受診した健康診断の結果が出ました。


 昨年と比較して身長は1mm伸び、体重は1㎏減っていました。


 そんなことは大したことではないのですが、3種類受けたがん検診の結果が…


 まず胃がん検診は…“胃部X線判定・異常を認めす”


 次に、前立腺がん検診…“基準値以内(基準値4.0以下)・PSA値0.69”で異常なし。


 そして大腸がん検診…“便潜血反応・陰性”よって異常なし。


 どれも再検査にはならず、安心しました。


 私は便秘がちなので、大腸がん検診が最も気がかりでしたが、今回も潜血は確認されなかったようですが、これからも注意していきたいと思います。


 次に気がかりなのは、肝臓です…


 GOT、GPT、?GTPの中でも、特にアルコールが原因で肝臓に障害を受けると値が高くなる“?GTP”が気になっていましたが、数値23(基準値0~50)でここ3年間でもっとも低くなっていました。


 しかし、すべての検査数値が基準値内であったわけではありません…


 まずは“血圧”です。


 上が134で、下が86でした。


 基準値は上が129以下で、下が84以下ですから、両方とも上回ってしまっています…


 医師のコメントには


 「正常高血圧です。血圧は環境などの変化に左右されます(白衣高血圧など)ので、定期的に測定し、自分の血圧値を確認しましょう。」


 とありました。


 もともと病院勤務をしていた私なので、白衣を見たから緊張して血圧が上がるということはないと思われるので、やはり食生活を気を付けなければならないようです。


 さらに、血清尿酸値が7.1(正常値2.1~6.9)となっており、“要観察”でした…


 血清尿酸は、細胞の核であるプリン体が分解されてできる老廃物で、高尿酸血症いわゆる“痛風”であるかどうかを調べる時に用いられます。


 過食などが原因で値が高くなり、この状態を放置すると痛風をはじめ、尿路結石などの原因にもなってしまします…


 痛風も尿路結石も、強い痛みをともなう病気なので、まだ0.2しかオーバーしていないじゃないかと考えるのではなく、気を配っていきたいと思います。


 健康診断結果表の最後に、図で生活習慣病のリスクを示してくれているところがあります。


 円が大きければ健康な証なのですが…


 


 2年前はMAX円だったのですが、昨年…今年…と少しずつ円に凹みができるようになりました…


 来年は再びMAX円を描けるように、食事と運動のバランスを今まで以上に意識して生活していきます。 


 




25年ぶりのサンタクロース

2014年12月12日 22時31分37秒 | Weblog

大学を卒業して、地元に帰ってきてすぐに青年団活動を始めました。

同世代の仲間と木城から元気を発信するために様々なイベントを企画しました…というのは建て前で、自分たちが楽しむことを第一に木城だけではなく、県内全体を遊び場にしてあちこちの青年団と交流していました。

楽しく遊んでいると自然に仲間は増えるもので、仲間が増えると夢も増殖するもので、次から次に活動は広がっていきました。

冬になると血が騒ぐイベントをしていました…

それは木城を見下ろす城山という小高い丘の斜面に、電球を何千個も並べて絵を描く“電飾イルミネーション”です。

実は今ではすっかり川南町の電飾イルミネーション大作戦が大きい規模になってしまいましたが、当時は木城町青年団のイルミネーションの方が有名だったんですよ(笑)

そのイルミネーション事業と双璧をなすクリスマスイベントとして『出前サンタクロース』をやっていました。

団員がサンタクロースとトナカイに扮して、事前に親御さんから預かっていたプレゼントと夢を家まで届けるというイベントでした。

私も3年はトナカイでしたが、4年目でサンタクロースになれたときは…感無量でした(笑)

未就学児へプレゼントを届けるときには、ほとんど泣かれていましたが、帰るころにはサンタに抱かれての笑顔で記念撮影でした(笑)

寒さを忘れて、一晩で10軒以上走り回っていたものです。

あれから20年ほどが過ぎたこの冬に心温まる知らせが届けられました…

それは木城町商工会青年部が“出前サンタクロース”をしてくれるという案内でした。

速攻で申し込みをさせてもらいました。

プレゼントはすでに親父が買ってくれましたm(_ _)m

さあ、果たして子どもたちはどんなリアクションをしてくれるのでしょう…

間違いなくわが家でも25年前と同じ光景が繰り広げられ、泣き顔と笑顔の記念撮影となるのでしょう(笑)

あ!サンタさんたちに渡すクリスマスプレゼントの焼酎も用意しとかなければ(笑)