尾上町をゆく(13) 今福(2) 『歴史探訪・今福』
1998年10月に町内会から、簡単な『歴史探訪・今福』を出版しました。
原稿は、なつかしくなったワープロのフロッピーに残していましたが、役に立たなくなっていました。
そのため、新しく原稿を書くつもりで新版『歴史探訪・今福』を書いてみました。
今回はの『今福(2)』はその「はじめに」からの引用です。
1996年、今福出身の俳人・永田耕衣(ながたこうい・写真)氏は96歳で大往生をとげられました。彼は少年時代をすごした明治の終わりのころの今福を、次のように書いていおられる。
・・・・(今福は)ただ、ダダっぴろい田圃と畦道が遊び場であった。
わずか残る荷車が通ることができる程度の農道が幹線道路で、その他は各農家所有の田を、お互いに区切った畦ばかり。
その畦に、春はレンゲを茂らせていた。
まったくの「春の野」と言える豪華な夢の世界であった。
村童たちも夢のように、村をはなれて、ソコらじゅうを自由に駆け廻った。
そうした「野遊び」に「孤独」感はなかった。
両親をも忘却して天人さながら舞い遊んだ。遊び暮らした。
一切の「世苦」などは身に覚えぬ別天地であった。
・・・・(『火の記憶』1998)より
こんな今福の風景はどこかへ行ってしまったのでしょう。
愚痴を言っても始まりません。
すばらしい新しい今福も生まれています。
*永田耕衣については、後に詳細を紹介します。