石の宝殿の謎(2部) 石の宝殿界隈を歩く(5)
渋沢栄一と今市札(藩札)
まず、藩札(今市札)で「播州今市」に注目ください。
渋沢は、売買の便をはかるために木綿預手形(今市札・藩札)を発行しました。
この木綿手形の背景には、当時金相場が高騰して正貨である幕府貨幣の流通が滞っていたという事情がありました。
人々は正貨の代替物として、どの藩も藩内で通用する藩札を求めていたのですが、それには、なによりも「信用」が大切でした。
とはいうものの、どこの藩(天領を含む)の台所は火の車でした。
そこで、渋沢は裕福な者から銀を借りて、準備金を用意することを考えました。
この出資者は、揖東郡日飼村(たつの市)堀彦左衛門(2500両)、加東郡垂水村(加東市)藤浦常八(1250両)、多可郡下比延村(西脇市)広田傳左衛門(800両)のほか地元・今市の村伊藤長次郎(600両)、同村入江十郎(300両)、同村鈴木又蔵(200)両、同村入江亀太郎(150両)などから、総額6330両を集めました。利息は年8朱で10年返済としました。
一橋家領の木綿預手形(藩札)は、一匁のものはいつでも一匁と額面通り流通したといいます。
これらの出資者は、すべて産物会所及び引替所の役職に就きました。
ほとんどの藩が藩札発行に失敗する中で、一橋家の発行する手形は、どこの藩よりも大きな信用を作りあげることに成功しました。
今市村の商は、大いに繁栄しました。
今市地区を散策ください。現在でも大商人のご子孫の大きな家の多いのにはビックリします。
*写真:今市札(藩札)、『高砂市史(伊保篇)』(注:『旧高砂史』より)
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