ひろかずの日記

74歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

河川敷の植物(3) シロツメクサ

2018-04-30 06:44:37 | 加古川河川敷の植物

 

   シロツメクサ

   〈ツメクサのトレビア(雑学):ツメクサは「詰め草」〉

 シロツメクサの名は、これを乾燥したものが、江戸時代にオランダから長崎に輸入されるガラス製品の梱包材として使われたので、白い「詰草」と名付けられました。

 名前の由来はっもともとカラス製品などの輸入品が割れないように柔らかい詰め物として使われた所からつけられた名前だそうです。

 アカツメグサおなじようにツメクサとして利用されたのでしょう。

 もっとも現在のツメクサは明治期に牧草として輸入されたものが、広く繁殖し野生化したものです。

  私の小学生の頃(昭和20年の後半)、女の子はシロツメグサで大きなネックレスをつくり遊んでいました。

 こんな、遊びもすっかりなくなりました。少し寂しいね。

  今、河原を散歩ください、一番得意顔でその姿を誇ぅているのがシロツメグサです。

 緑(草)の宇宙の星のようです。(no185)

 

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河川敷の植物(2) アカツメグサ

2018-04-29 07:58:35 | 加古川河川敷の植物

 

    アカツメグサ

 春になると野原は一斉に緑色に変身します。

 今年は、この冬から春への変身の具合は激変でした。一挙に加古川の土手は春になしました。

 加古川の土手は、春の前にきれいに刈り込みがなされており、緑は一斉に背丈の短い絨毯のようになりました。

 でも、少しだけ寂しいんです。

 自然の草花ですので、華やかさが少ないのです。

 加古川の河川敷の場合は、黄色いカラシナがひときわ目を引きますが、アカツメグサハの赤い花が河川敷では目立ぐらいです。

 ほんのりと赤い花が緑に混ざります。

 その近くに、シロツメグサが咲いているのですが白いため華やかさがあまり目立ちません。

 インターネットで調べてみました。

 

 アカツメグサはマメ科の多年草植物で、牧草としてヨーロッパから日本へ入って来ました。

 花色はピンク色からやや紫色で、ムラサキツメグサという別名があります。同じ仲間のシロツメグサと同じ三つ葉をしていて、花色を除けばよく似ていますが、こちらの方が草丈がかなり高くなり葉も大きいです。

 

 いまの時期河川敷で、ねころんでください。

 空が大きいですよ。

 人間が宇宙の中では小さく感じてしまいます。(no184

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河川敷の植物(1) 河原で野生化するヘアリーベッチ

2018-04-28 06:22:27 | 加古川河川敷の植物

 

   河原で野生化するヘアリーベッチ

 3・3年前でした。志方町の水田跡にカラスノエンドウに似ている草を見つけました。

 レンゲ畑状状態で咲いていたのです。明らかに植えられている植物です。

 調べてみると、鋤こむといい肥料になるヘアリーベッチという植物であることを知りました。

 その後、ヘアリーベッチを採用する農家も多いとのニュースにであいました。

 先週でした、加古川(東岸)の河川敷を散歩きました。

 野草化したヘアりーベッチがたくさん咲いているんです。

 もう一度インターネットで調べてみると、次のようです。


 ・・・春になったらよく見られるカラスノエンドウを大きくしたものだとイメージの緑肥。

 この緑肥が育っている時、不思議な現象に遭遇したんだ。

 それは、これから春になるというのに、ベッチ以外の草が全然生えてこないということ実際には生えてはいるんだけど、中々ベッチを超える草が現れなかったというのが正しい解釈だろう。


 ・・・・この説明を読んで考えました。

 ヘアリーベッチは生命力の強い植物みたいです。かつてキリンソウが、ものすごい勢いで広がり、今では秋の普通の景色となったことです。

 ヘアリーベッチも近い将来において日本の春の風景を征服してしまうかもしれません。

 害は、なさそうですが・・・(no183)

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イッペイ(ブラジルの国花)の花が咲きました

2018-04-27 07:34:57 | 風景

    イッペイ(ブラジルの国花)の花が咲きました

 「イッペイ」の花が咲いています。

 もともとイッペイの木は暖かい気候を好みます。そのためか年イッペイの木は元気がなくなっているようです。

 沖縄では、1970年ごろから植樹され、沖縄市のイッペイ(黄色)並木は有名とのことです。

 あまり、聞きなれ知られていない木ですが、1954年にブラジルの木として選定され、ブラジルを代表する樹木です。

 ブラジルでは、桜のような木に成長します。

 そして、春には黄、淡紅紫、そして白い花を咲かします。

 沖縄では、2月頃から少しづつ咲き、3・4月が盛りである。

 JR加古川駅北側のロータリーのイッペイは、昨年マリンガ市と加古川市の友好の印として植樹されました。

 マリンガ市は、緑いっぱいの都市です。春には、イッペイが街にいろどりをそえるそうです。

 私事ですが、30代の終わりごろマリンガ市に行ったことがあります。

 その時、イッペイの季節ではありませんでした。

 イッペイの花に埋まったマリンガ市を見てみたい・・・

 毎年、元気がなくなっています。来年あたりはひょっとしてもう見られないかもしれません。今イッペイが咲いています。

 加古川駅の近くに行かれた時はご覧ください。(no182)

 *写真:イッペイの花(加古川駅北側)ロータリー・4/26撮影)

 

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円照寺で、モッコウバラが満開

2018-04-26 06:57:41 | 風景

 きのう(4/24)神戸新聞は、志方広尾の円照寺のモッコウバラを紹介しています。

 一昨年「ひろかずのブログ」で「円照寺の花たち」と題して、いっぱい紹介しました。

 もちろん、このモッコウバラも紹介しています。この記事を読んで、いろいろ思い出しています。きれいですよ。お出かけください。

 *以下の記事・写真は神戸新 聞からの転載です。

   円照寺で、モッコウバラが満開

 100種類以上の花が咲き誇り、「花の寺」として知られる兵庫県加古川市志方町広尾の円照寺境内で、モッコウバラが見頃を迎えた。「モンスターツリー」の別名を持つ木は、約7メートルの高さまで黄色や白の花をつけ、訪れた人を楽しませている。(小森有喜、津田和納)

 モッコウバラは中国原産で、漢字では「木香薔薇」と書く。その名の通り、ほんのりと甘い香りが特徴。園芸が趣味の上月義宗住職(71)夫妻が約20年前に5株を植えた。

 当時は高さ30センチほどだったというが、今では上月さんの自宅2階の屋根にまで枝を伸ばした。上月さんは「剪定をしなかったら、いつの間にかこんな大変なことになった」と笑う。市外からモッコウバラを目当てに訪れる客もいるという。三木市の主婦(67)は「木の大きさにびっくり。上品な香りで、落ち着きます」と話した。

 観賞無料。見頃は5月上旬まで。境内ではほかに、オオデマリ、スノーボール、シャクナゲなどが咲く。

 29日午後1時半からは、バラが咲く時期に合わせて毎年開く「バラコンサート」が同寺境内である。加古川や姫路市出身のメンバーでつくるバンド「モンデュー」がフランスのジャズを演奏するほか、フラメンコギタリストの国光秀郎さんとのセッションもある。2千円。開場は午後0時半。円照寺TEL079・452・2067(no181)

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「才能」とは?

2018-04-25 09:21:32 | 余話として

         「才能」とは?

 きのう(4/24)の神戸新聞のコラムの「才能」の定義がおもしろかった。

 私の高校時代の数学(理科系)の成績は惨憺たるものでした。

 数学の授業があると、その日は休みたかったものです。まさに才能なしでした。

 いまでも「人間には才能がある人とない人がいる」との観念が頭にへばりついています。

 でも、「才能」をコラムにあるように考えると安心します。

 コラムの最初の部分を紹介します。

        さて、何をしましょうか?

 「才能」とは何か。それは「努力に勝るもの」

 将棋の永世棋聖、米長邦雄さんがある対談で語っていた。

 「むしろ『努力しない』ということなんだ」

 つらい練習に耐えるのが「努力」ならば、好きなことに無心で打ち込めるのが「才能」だろう、と。

 苦労を苦労と思わず、いつの間にか深い谷を、険しい山を越えている。

 一流の世界には確かにそんな人がいる・・・・

 

 才能は「好きなことに打ち込めること」だとすると、私にも自信が湧いてきます。

 さて、次に問題なのは「お前の好きなことは何だ」と問われた時にハタとかんが考えてしまいます。

 それに、年です。これからそれを見つけるわけにはいきません。

 そんなことをしていたら嫌なことを強いるばかりです。

 しばらくは、好きな歴史の本でも読むことにします。そして、夜、少しばかりのビールを楽しみます。(no180)

 *私の本だな(歴史関係の本がほとんどです。入門書ばかりですが)

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あわただしい一日

2018-04-24 08:35:38 | 散歩学

 

   あわただしい一日

 もう一つのブログの「ひろかずのブログ」は、前日につくり、翌日の日の朝にUPすることにしています。

 きのう(4/23)は大変でした。ブログをUPしていたら突然ブログがトラブルをおこしてしまったんです。

 無意識に、どこかのキーに触ってしまったのかもしれません。

 この段階ではまだよかったのですが、機械音痴のお爺さん(私)が、いろんなキーをいらったものですから、画面はとんでもないことになってしまい、完全にアウト。

 近所にパソコンに詳しい方がおられます。無理を言って来ていただきました。

 それでも、なかなか回復しません。

 でも、さすがでした。2時間ほどして何とか使えるようなりました。

    平荘湖のベンチで

        『ホセ・ムヒカの言葉』読了

 おかげで、午前中の5.000歩の散歩ができませんでした。

 昼から平荘湖へ散歩で出かけました。

 1周を歩きましたが、途中の駐車場近くのベンチで休憩を取りました。ここまで約4500歩。

 そこで、きのう紹介した『ホセ・ムヒカの言葉』をリックから取り出し、残り半分を読みました。

 この時期、木の下のベンチでの読書は最高です。

 読了。

 疲れもとれ、ムヒカの行動に力をもらい残り半周を歩きました。

 平荘湖1週は9000歩で10000歩になりません。

 残りは自宅周辺をあるきました。

 きのうは、パソコンのトラブルはありましたが、ブログの製作、読書それに散歩だけで1日が終わってしまいまいました。

 まあいいか・・・・(no179

 *写真:平荘湖周回の遊歩道

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ホセ・ムヒカの言葉

2018-04-23 08:41:36 | 読書

       ホセ・ムヒカの言葉

 最近は散歩の途中本屋に寄ることはありますが、本は、ほとんどインターネットで購入しています。

 でも、きのう(4/22)は、散歩の途中「古本店・ブックオフ」へ寄りました。

 マンガは高いのですが、他の本は安く手に入ります。

 インターネットで注文すると、ピンポイントで本がみつかりますが、知らない本は購入することはありません。

 その点、本屋さんでは、時々思いがけない本を見つけることがあります。

 きのうは、名前だけは知っていた本を偶然、本棚に見つけました。

 『ホセ・ムヒカの言葉』です。新本では1000円+税の本です。

 それがなんと108円。安い・・・

 彼は、一時ウルグアイの大統領で、世界一貧乏な大統領と言われました。

 でも、日本ではほとんど紹介されていません。

 一般的に、個人を紹介した本には、若干の美化されて紹介されていますが、彼に関しては、そんな必要もない人物です。

 彼は言います。「インド人がドイツ人のような生活をしたら地球は崩壊してしまいます・・・」と。

 またこんな言葉もあります。

 「私は貧乏ではない‥‥質素なだけです」と。

 事実、妻が所有する農場で住んでいます。そして、大統領としての給料・日本円で約131万円の9割を彼の属する政党と慈善事業に寄付をして生活にしています。

 もっとも、奥さんの土地・家・トラックターの収入はありましたが、それでも、前任の大統領の3分の1程度だといわれています。

 何も、貧乏生活が褒められることではありません。が、彼は、地球が壊れない生活を実践し、国民にも進めています。

 これだけの説明では、いろいろご誤解があると思います。

 詳しくは『ホセ・ムヒカの言葉(佐藤美由紀著)』(双葉社)をお読みください。きっと、一気に読まれると思いますよ。(no178

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藤の花を見に出かけました

2018-04-22 10:04:05 | 風景

       藤の花を見に出かけました

 4月の気候ではありません。5月の気候でもありません。

 (初)夏でした。

 先日まで冬用の下着を着ていたのがウソのようです。

 とにかく暑い。

 海も見たかったし、きのう(4/21)、孫(小4)と一緒に明石市魚住町中尾の住吉神社の藤を見に出かけました。

 少し、早いかなとは思いながら出かけたんですが、結構咲いていました。

 もっとも、見頃は今月の終わりあたりだそうです。

 そのころにお出かけください。

 今年は一挙に夏になったのか、植物も戸惑っているようです。

 一斉にいっぱい、いろんな種類の花をたのしめます。

 境内の牡丹もきれかったですね。今年は、今がそんな花の見頃です。

     花より石ころ

 孫も花の前でポーズをとって「綺麗・・・」と言っていたのですが、すぐに飽きてしまったようで。海岸に出ました。

 海岸を少し東へ行けば、石がいっぱいの浜があります。

 孫は石を拾いはじめました。

 なるほど、波でぶつかりあった小石で角がない石ばかりの海岸です。

 「何するの・・」と聞くと、「絵の具で絵を描くの」と言って、いっぱい集めました。

 家に帰ったのは、330ごろ。

 それから、人の顔、野菜、果物を630ごろまで一生懸命描いていました。

 お爺ちゃんの、踊っている絵も描いてくれました。

 楽しい週末でした。(no177

 

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「社会学」について

2018-04-21 07:19:28 | 読書

 

  「社会学」について

 きのう(4/20)の散歩は、自宅から駅前の「紀伊国屋書店」まで歩きました。

 欲しい本があったのですが店頭にはなく、「社会学(加藤秀俊著)」(中公新書)と『週刊新潮』を買いました。

 『社会学』は名前に魅かれて買っただけです。

 学生時代、社会学を専攻しました。専攻したとは言うものの単位を取っただけで、特に社会学を学んだという意識はありませんでした。でも懐かしさで買ってしまいました。帰りに喫茶店でその一部を読みました。

 いくら勉強しなかった学生とはいえ著者の加藤氏の名前ぐらいは知っていました。

 加藤氏は、「社会学という学問は、極言すれば、故郷の学なのである」と書いておられます。

 私も退職後「ひろかずのブログ」で「加古川地方」を歴史を中心に歩き回り、紹介しています。

 社会学(もどき)を続けていたのです。嬉しかったです。加古川地方を散歩を兼ねてもっと歩きます。

 以下は加藤氏の『社会学』の一部の紹介です。

    社会学は「ふるさ勉強する学問」

 ・・・・宮本常一は山口県周防大島で生まれ、育った人物である。その郷土愛はごく自然で、強烈だった。

 祖父からきいた子守歌もずっと記憶していたし、苦労しながら、はたらきつづけた父親からは農作業から漁業まで手ほどきをうけ、教えをうけたことがらもことごとく鮮明におぼえていた。

 17歳で故郷をはなれて大阪にゆき、さらに東京にでたが、この民俗学者はつつねにみずからを「離郷」した人間ではなく「出稼ぎ」にでている人間だとかんがえていた。

 じぶんの「居場所」は一生周防大島なのだ、といって、いくら忙しくても、かならず毎月いちどは周防大島の自宅で数日をすごし、村のしごとをしていた。

 「郷土研究するのではなく、郷土勉強する」ことをみずからの生き方だと信じてその生涯をすごしたのである。

 ・・・・・

 社会学という学問は、極言すれば「ふるさとの学」なのである。(『社会学』より)・・・(no176

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いま、麦が育っています

2018-04-20 10:23:08 | 風景

 稲美町を歩いていると、外の地域では、すっかり姿を消した麦畑が多いのに驚きます。

 この麦(大麦)は、ほとんどお茶の原料になるそうです。

 写真は、きのう(4/19)稲美町の帰りに神野町で撮影しました。

    麦が育っています

 時代は、江戸時代とそれ以前とします。

 456月の3ヶ月は、冬作麦の刈り取りの時期に当たります。

 農繁期です。

 特に5・6月ごろは麦の収穫期で、この時期を「麦秋(ばくしゅう)」と呼んでいます。

 現在では、麦秋というと、どこか「ロマンチック」にさえ感じる言葉です。

 が、麦秋の頃は、食料の端境期に当たるため飢えの季節でした。

 さらに、この時期は梅雨のために疫病が流行する時期です。

 農繁期の過酷な労働と飢えと疫病とが重なって農民たちにとっては厳しい季節でした。

 死者が多かったのもこの季節です。

 この夏の飢えを乗り切るための食料が畑作であり、特に56月に収穫する麦でした。

 つまり、麦は、飢えを乗りきるための重要な食料だったのです。

 その証拠に、7月になると死亡率は減少しました。

 

 以上は日本の話です。

 戦前の朝鮮でも事情は同じでした。この時期の食糧事情はさらに深刻でした。

 日本と同じく、5・6月はまさに春窮(しゅんきゅう)の時期となりました。

 食料のたくわえが底をつく時期でした。

 それに加えて、日本や両班(やんばん・朝鮮の指導層)が強制的に麦を取り上げたのです。

 麦を見ながらこんなことも考えました。(no175)

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法音寺(尾上町養田)のお地蔵さん

2018-04-19 07:07:09 | 散歩学

 散歩の途中に養田(尾上町)の法音寺に寄りました。

 山門のすぐ右手に赤い椿の木のそばに、赤い帽子をかぶり、赤いエプロンをかけたお地蔵さんがおられました。

 特別な歴史を刻んだお地蔵さんではなさそうですが、なぜか手を合わせてみたくなるお地蔵さんでした。

     法音寺(尾上町養田)のお地蔵さん

 植物は種をまけば成長して葉、花、実を作り出すように大地は恵みを宿しています。お地蔵さんは大地の恵みを宿した仏様です。

 また、お地蔵さんは、人々の苦悩をいやすことをもっぱらとする仏様です。

 生きた者の苦悩のみでなく、死者の苦悩をもいやす仏さまです。

 むかし、政治の圧制がありました。旱魃の苦しみがありました。病苦がありました。

 苦悩の生涯を送って死んで行った親しき人に対して、生き残った人は、痛恨の涙を流しました。

    せつなかいね・・・

 「お地蔵さん」は、子どもの死に対しては特別なものがありあました。

 かつて、子ども死亡率が非常に高く、この罪なくして死んだ子供に対し親は特別な感情を抱いたのでしょう。

 「可愛そうに」「せつなかいね・・・」

 生きているうちに、「ああもしてやったらとか、こうもしてやったら・・・」とか、しきりに悔恨の思いが心をかすめたことでしょう。

 時には、生活の苦しさゆえに間引きによる死もありました。

 生きているものは生活の苦しみから逃れるために、そして死者のために必死で地蔵さんにお願いをしました。(no174)

 *写真:法音寺の地蔵さん(尾上町養田)

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菜の花と子ども

2018-04-18 11:37:59 | 風景

      菜の花の迷路登場(神戸新聞記事より)

 ちかごろ、子どものいる風景を見るのが好きになりました。

 歳ですかね・・・・

 きょうの神戸新聞(東播版)に、素晴らしい写真がありました。

 子どもと菜の花の写真です。

 子どもの表情がいいです。

 写真を撮られたのは記者の津田さんです。

 一昨年、志方の円照寺のクリスマスローズの記事に背景に孫を使っていただいた記者の方です。

 嬉しくなるような写真ですので紹介しておきます。

 なお、記事は新聞をお読みください。(no173

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旧国鉄高砂線跡

2018-04-17 08:15:48 | 散歩学

 

     旧国鉄高砂線跡

 私の小学校時代(加古川小学校)は、昭和20年代の最後の頃でした。

 その頃、夏には学校から高砂の浜へ海水浴に出かけました。

 高砂線は、子供の声であふれかえっていました。

 旧国鉄高砂線は、浜に続く思い出がつまった鉄道でした。

 高砂には戦前から多くの工場が進出し、高砂線はお客だけでなく、貨物も大いに利用されていました。

 高砂線は、大正3年播州鉄道高砂線として開通したが、経営難のため大正9年に播丹鉄道に譲渡され、さらに昭和18年、国鉄に買収されました。

 昭和36年頃から、海岸は埋め立てられ、海水浴場は姿を消しました。

 そして、急速なモータリゼーションによりアッという間に貨物・乗客とも急減したのです。

 その後、膨大な赤字が重なり、高砂線は昭和59年10月30日廃止になりました。

 現在、線路跡の大部分は、道路として利用されています。

 加古川東岸の養田(加古川市尾上町養田)の山陽線と平行している場所に、線路跡が一部そのまま残っています。

 きのう(4/16)は、散歩で河川敷を北からくだってきて山陽電車の場所から土手に上がったのです。

 そこに、旧国鉄高砂線跡が残っていました。懐かしいね・・・(no172)

 *写真:旧高砂線跡(4/16撮影)

 

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用水がつくる、ゆとりの空間

2018-04-16 09:29:16 | 散歩学

    用水がつくる、ゆとりの空間

 散歩のことです。一日の目標・10.000歩の散歩は、1年近く続いています。「しんどい」と感じる日もあります。

 風邪気味の時などは特にそうです。

 「休んだらよい」とおも思うのですが、なんとか続いています。

 そんな時は、短くしたり、いつものコースに少しの変化を入れます。

 いつもは通らない、初めての道を歩いたりします。

 知らないところ(道)も結構あります。あたらしい発見があります。

 きのうは、近回りをして、あることを考えていました。 .

  ・・・

 近くの自宅周辺の新しい住宅地域には、結構ゆとりの空間があることです。

 歩いていると気付きますが、原因は、農業用水路です。

 最近は、農家が少なくなり、農地はどんどん宅地に変わっています。

 が、農業用水路だけはそのままに残っています。

 農業は衰えたとは言え、水路には水利権があり、よほどの理由がない限りつぶすことはできません。

 私たちの地域には大規模な古い歴史を持つ「五ヶ井用水」が網の目のように流れています。

 そのため、本来は隣り合わせに建つ住宅の間に水路があり、ゆとりの空間となっている場所が結構あります。

 写真は、自宅の近所の新しい住宅地です。空間があります。この写真の用水路はかつて「フケの川」と呼んでいます。五ヶ井用水(ごかいようすい)の支流です。

 空間(すきま)のある住宅はいいですよ。少し贅沢な空間となっています。(no171

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