ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

ひろかずの日記(21) 将棋・加古川清流戦

2017-05-19 10:23:15 | 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町

 

     将棋・加古川清流戦

 今日の文は「ひろかずの日記」ではありません。100%神戸新聞からのパクリです。

 嬉しいですね。記事にあるように、久しぶりに「加古川」を売り出すニュースになりました。

  記録として、転載しておきます。

*写真も神戸新聞からの転載です。

    藤井四段の活躍で高い注目度 将棋・加古川清流戦

 将棋の「第7期加古川青流戦」は、例年以上の注目度で幕を開けた。18日に関西将棋会館(大阪市福島区)であった開幕戦に、最年少プロ棋士として話題の藤井聡太四段(14)が登場。デビュー後の連勝記録を「18」に伸ばした中学生棋士の活躍を追おうと、会場には報道陣約20社が詰め掛けた。

 藤井四段は竹内雄悟四段(29)と対局。テレビ局や新聞社などのカメラ計20台以上に囲まれる中、岡田康裕加古川市長の振り駒で後手となった。序盤は積極的に仕掛けながら、次第に押し返されて劣勢に。秒読みとなった終盤は「かなり際どいと思った」というものの、冷静に巻き返して120手で制した。

 控室で見守った加古川市ゆかりの棋士たちからは、感嘆の声が上がった。名人戦に挑戦中の稲葉陽八段は「相手に楽をさせない指し方。終盤の落ち着きはさすがだった。自信を持って指せているのでは」。井上慶太九段も「バランスの取れた緩急自在の指し回しが光った。相手の攻めを巧みにかわして勝利した。中学生、新人らしからぬ強さ」とたたえた。

 日本将棋連盟の関係者によると、この日の報道陣の数は「タイトル戦でもなかなかない多さ」。2011年に始まった加古川青流戦にとって格好のPRとなり、岡田市長は「大会を続けていくと、こうしていろんな話題性も出てくる」と喜んでいた。(伊丹昭史)

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ひろかずの日記(15) 浜までは 海女も蓑着る しぐれかな

2017-05-13 08:55:26 | 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町

   老人の生き方(3)

        浜までは 海女も蓑着る しぐれかな

 年をとると、人問が劣化することがすくなくない。いつごろからか、そう思うようになった。

 若いときから中年までは、りっぱな人であったのに、年をとってくると、欲が深くなる、猜疑(さいぎ)心はつよくなる。いうことなすこと、いちいちまわりを傷つけることが多くなる。人格も、体力によって支えられているのか、老いて体が弱ってくるにつれて、人格を支えていた力が崩れて、もっていたのであろう醜(みにく)いものが外にあらわれてくる。

 そのことを自身では気がつかないだけに老醜(ろうしゆう)はあわれである。

 昔から、そうであったに違いない。人々はその堕落(だらく)を怖れて、信仰に入った。出家はしないまでも、隠居して、まわりの人の迷惑にならないことを心がけた。

 いまは、宗教に救いを求めるのは難しい。自分の力で、崩れていくものをとりおさえて、できれば新しい徳をつむようにはできないものだろうか。老いの

入口にさしかかったとき、私はそんなことを考えた。

 そういうときに、たまたま、「浜までは海女も蓑着る時而かな」に出会った。

 啓示のように思われた。死ぬまでは、たとえわずかでも、前へ進めるだけは進もう。恥ずかしくないように、できれば、これまでより、いくらかでもましな人間になりたい。そうして、幸福な人生の中で生を終えたい。死はさけられないが、そこへ至るまではせいぜいいきいきと、美しく、明るく生きていきたい。

 

 『知的な老い方(外山滋比古著)』に瀧瓢水の句が紹介されていたので、お借りしてしまいました。自分の文章で書くべきなんですね。反省。

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ひろかずの日記(14) 俳人、瀧瓢水の生き方(2)

2017-05-12 09:18:57 | 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町

      老人の生き方(2) 『知的な老い方(外山滋比古著』より

 (その2)前号の続きです。

 瓢水は、通称を叶屋(かのうや)新之丞、のち新右衛門と称した。播磨(はりま)の富商であった。

 千石船を七艘(そう)も有するほど栄えていたのを、瓢水の風流によって、産を失い、晩年はむしろ貧しかった。

 1684年生まれ、1762年没。享年79歳一九。

 生涯、無欲、無私の人で、逸話に富んでいる。

 (これらの逸話については、省かせていただきます)

  ・・・・

 「浜までは海女も蓑着る時雨かな」にまつわるエピソードはこうである。

 瓢水の評判をきいた旅の僧が、瓢水を訪ねてきた。ところが、そのときも、あいにく留守だった。

 どこへ行かれたのかという旅僧の問いに、家人が、風邪をこじらせたので、薬を買いに行ったと答えた。

 それをきいて、旅の僧は、「さすがの瓢水も、命が惜しくなられたか」ということばを残して立ち去った。

 帰ってその話をきいて瓢水の作ったのが、この浜までは海女も蓑着る時雨かなであるといわれる。

 薬を買いに行ってなにがわるいか、年をとってはいるが、いよいよ、となるまでは、わが身をいたわりたい、病気はなおしたい、という含意である。

 そうすると、この「浜」は、死ということにもなる。人間、死ぬまで、生きている限りはせいぜい身をいとい、よく生きることを心がけなくてはいけない。

 どうせもうこの年だから、どうでもよいといった、投げやりな考え方、生き方はおもしろくない。せいぜいつとめて、わが身を正すようにしたいものだ。

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ひろかずの日記(13) 老人の生き方(1)

2017-05-11 19:56:07 | 加古川市・高砂市・稲美町・播磨町

          俳人、瀧瓢水

 今日昼から本屋に出かけ、『知的な老い方(外山滋比古著)』(大和書房)を買いました。こんな題名の本を手にするようでは、少しやばい歳の証です。

 退職前の人はけっして買わない本だと思います。

 買った理由は歳のほかに、この本が瀧瓢水の俳句から書き始められていたからです。

 瓢水は、江戸時代の俳人で、現在の加古川市の別府町に生まれています。

 瓢水について、昨年少し凝って調べました。大阪で亡くなっています。

 瓢水の墓参りもしてきました。別府公民館でお話もしました。

 そんな関係で、外山氏の書かれた瓢水の文章を紹介したくなりました。

 *以下『知的な老い方(外山滋比古著)』(大和書房)からの引用です。紙面の都合で少し省いています。

    老人の生き方

 (その1)

 友人の哲学者が、関西のある小さな女子大学の学長をしていて、ある年、その大学の卒業式に私(外山)を招いた。

 カトリックの学校の卒業式はおごそかで、美しかった。

 学長が訓辞をした。なかなか難しいことをいうのは、哲学者だから、しかたがないか、と思ってきいていると、ひょっこり、(瓢水の句)「浜までは海女も蓑着る時雨かな」が出てきた。

 そのあとの訓辞は見ちがえるように鮮やかであった。

 ・・・

 海女はいずれ海に入るのである。時雨が降っていても、どうせ、濡れるのだから構うことはないとしてもよいところだが、さすがにたしなみは忘れないで、蓑を着ていく。その心を美しいと見た句であろう。

 人間は、なにかというと、“どうせ”ということをいって、甘える。

 たしなみを失い、努力を怠る。みっともないことを平気でする。いやしいものである。

 しっかりした生き方をするものは、ぎりぎり最後の最後まで、わが身をいとい、美しく、明るく生きることにつとめる。

 どうせ、年老いたのだから、年寄りだから、いまさら面倒なことはごめんこうむりたい。どうせ退職したのだから、これからは、悠々自適で余生をすごす、などという。その実は、なまけて、なり行きまかせに生きていこうというよくない心にふりまわされているのである。(no13)

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