平岡町をゆく(2) 印南野台地のはなし(1)
印南野台地(いなみのだいち)の話を野口からはじめます。
加古川の中心街を抜け、国道二号線を少し東へ行くと野口の手前で、ゆるやかな上り坂になっています。
その辺りから東へ明石川辺りまでは、東に高い地形になっていますが、ほぼ平坦な台地が続きます。
この広大な台地は、印南野(いなみの)と呼ばれてきました。
「平岡町」の名称は、平らな岡の上に発達した地域の意味から名づけられたのでしょう。
また、印南野の沖あいの海は、印南野の海と呼ばれ、陸・海ともに交通の要所でした。
そのためか、印南野(台地)については、『万葉集』にも多く詠まれ、『枕草子』にも登場します。
しかし、水の少なかった印南野台地の本格的な開拓が進むのは、江戸時代以降で、古代においての印南野は荒涼とした土地でした。
『播磨灘物語(司馬遼太郎)』の、次の文章を紹介しておきましょう。
野口は印南野の西の端にあって、多少の丘陵が起伏し、西からくる旅人にとっていかにも野の入り口といった地形をなすために、そういう地名が出来たのであろう。・・・
「野口」の地名のおこりは、印南「野」の入り「口」と説明しています。
播磨町の「野添」は、印南「野」に「添」った集落と言う意味です。
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