ひろかずのブログ・3

81歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

大学生53% 読書時間ゼロ

2018-02-28 07:32:23 | 読書

 昨日(2/27)の神戸新聞に信じられない数次が紙面に踊っていました。

 「学生が、読書で学ばなくてどうするのですか」「学生をやめなさい」と言いたくなりました。

 これでは考えることができません。時代に流されるだけです。

 大学の抜本的な教育改革が必要です。世界から確実に取り残されます。

  大学生の諸君!楽しくない本を無理に読書をやめましょう。好きな内容の本をいっぱい読みましょう。

 皆さんは、人生100歳時代を生きているんです。

  *以下神戸新聞の記事より

     大学生53% 読書時間ゼロ

 全国大学生協連(東京)は26日、1日の読書時間について大学生の53%が「ゼロ」と回答したとの年次調査結果を発表した。

 半数を超えたのは、調査に読書時間の項目が入った2004年以降初めて。 「本離れ」が若い世代で進行している実態が明確になり、アルバイトをする学生に読書時問ゼロが多いとの結果も出た。

 調査結果を分析した浜嶋幸司同志社大准教授(学習支援)は、「大学入学前に読書習慣が身に付いていない学生が増えている」と指摘する。

 この調査は「第53回学生生活実態調査」。

 大学生の1日の読書時間は平均23.6分。ゼロと答えた学生は 53.1%で、前年より4.0㌫上昇。

 文系が 53.1%、理系が54.5%だった。

 アルバイトをする学生では54.5%、していない学生は49.4%。

 読書時間ゼロを除いた「読む学生」の平均読書時問は51.5分。

 前年より2.5分伸びており、 「二極化」を示した。(no126)

 *グラフ:大学生の一日の読書時間セロの割合

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最後の授業(講座)

2018-02-27 07:26:40 | できごと

 

    最後の授業(講座)

 きのう(26日)「国包けやきの会新春セミナーに参加してきました」いう記事を書きました。

 これは私にとって記念になる記事となります。

 というのは60才で退職して、その後2年間は大学(院)で英語を勉強しました。歴史ではありません。

 何とか卒業ができました。

 その後、地域史を中心にした「ひろかずのブログ」を書き始めました。

 性にあっていたのか、迷惑をかけながら今まで続いています。

 途中で、公民館等から「歴史学講座」を担当するよう依頼があり、あつかましくも、月に2・3回ほどでお話をさせていただきました。

 これが、10年以上続きました。

 ですが、去年あたりから異変が起こりました。

 耳が少し聞こえなくなり、質問が聞きづらくなりました。

 おまけに、歯が大幅にダウンし、発音があやしくなってしまいました。

 そのため、講座の担当の方に来年度から担当を外していただくことにしました。

 ということは、25日の「国包の講座が最後となりました」

 その間多くの方々にお世話になりました。ありがとうございました。

 

 ですが、ブログは、ひき続き続けますのでよろしくお願いします。(no125

 

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「国包けやきの会新春セミナー」

2018-02-26 08:35:13 | できごと

 

    「国包けやきの会新春セミナー」

           に参加してきました

 きのう(2/25)、国包の公会堂で「けやきの会」主催の新春セミナーが行われました。

 100人を超える方の出席された会でした。

 一部では「国包と八幡町の歴史に学ぶ」と題して、私がお話をさせていただきました。

 何せ、国包で国包のお話をするのですから少し緊張しました。間違いは、はすぐにばれてしまいます。

 会場で、かつての同じ仕事のなつかしの方とも、久しぶりでお会いできました。皆さんお元気でした。

 集まっておられる方が国包とそのお近くの方が多いせいか、会場の雰囲気が和やかなんです。

 国包には「地域がある」ということを実感しました。

     モアナニ・ハワイアンズの演奏

 2部では、モアナニ・ハワイアンズの演奏でした。

 なんとメンバーの平均年齢が86歳の方々のバンドです。もちろんアマチュアの方々です。

 が、見事な演奏でした。

 少し考えさせられました。

 演奏は、長い年月で鍛えられたテクニックに支えられているようです。

 その技術で多くの皆さんに感動を与えておらます。また、自らも元気会場からいただいておられます。

 これこそが本当の社会福祉活動ですね。楽しい一日でした。(no124

 *写真:モアナニ・ハワイアンズの演奏

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盤珪(ばんけい)

2018-02-25 08:23:11 | 読書

      盤珪(ばんけい)

 「ひろかずのブログ(99)」で、原(志方町西志方)の仏性寺の中興に盤珪がかかわっていたことを紹介しました。

 盤珪について最近小説『盤珪(寺林俊)』(神戸新聞出版センター)ですが、紹介しておます。

 盤珪・「ありのまま生きる」を説いた高僧

 元禄三年(1690)、晩年近い盤珪は郷里の網干(姫路市)に、三カ月にわたって説法をしました。

 この間、詰めかけた信者は数万人にのぼり、農家の納屋から物置まで宿をとる人でいっぱいだったといいます。

 69才の盤珪は、ありのままに生きる尊さをじゅんじゅんと説きました。

 盤珪は、今の姫路市網干区浜田の医者の三男坊として生まれ、12才で読まされた儒教書「大学」に出てくる「明徳(めいとく)」の言葉にとらわれてしまいました。

 その意味を儒者に聞くのでしたが、言葉の解釈しかしてくれません。

 この「明徳」こそ、真実の生き方があると思われ、それを体得するため、彼はすさまじいまでの修業をしました。

 しかし、それらはすべて無駄に思えるようになりました。

 自分はひどくむだ骨を折ったので、皆の衆には畳の上で楽々とまことの生き方に目覚めることを説いたのです。

 他の人にはあまり座禅をすすめていませんでした。

 「むだ骨は折らせない」という、この温かさに人が押しかけたのかもしれません。

 人は、もともと、生まれもせず滅びもしない不生の仏心を持っているのに、知恵がついて、せっかくの仏心を悪に仕えさせてしまう。

 だから「怒り腹立ちせず、欲しや憎しみの心なき時は、もう完全な自分を生きております」と説きました。

 彼は、やさしい言葉で話しました。

 これが盤珪の不生禅ですが、座禅を強いず、公案も用いないユニークさで、禅の世界では異端の道を歩むしかなかったのです。

 しかし、行く先々で大衆が盤珪の説法を待ち構えて聞き入りました。

 盤珪は、求められるまま、気の向くまま各地を旅し、法名を与えた弟子は五万人あまりにもおよびました。

 そんな中に田捨女(でんすてじょ)もいました。

 元禄6年9月3日、盤珪は72才で亡くなりました。最後まで異端の誇りを貫いた人生でした。(no123)

 *小説『盤珪(寺林俊著)』(神戸新聞出版センター)』参照

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「破局噴火」は、いつかは確実に起きるんですが

2018-02-24 07:53:40 | 読書

     「破局噴火」は、

     いつかは確実に起きるんですが

 火山についての本はよく読みます。

 以前、「火山はすごい(鎌田浩毅)」(PHP文庫)、小説『怒る富士(新田次郎著)』(文春文庫)等火山・地震についての本は何冊か読みました。

 お陰で、火山については少しだけ詳しくなりました。

 でも、きのう(2/23)読み終えた『死都日本』は特別でした。

 文庫本とは言いながら631pの大作です。

 この本で使われている「破局噴火」という用語は、現在では学会でも普通に使われ、すっかり定着しています。

 「破局噴火」とは、国(日本)を滅ぼしてしまうほどのカルデラ噴火のことです。

  *過去には何回も起きています。

 この小説では、霧島噴火1時間で南九州を壊滅に追い込んでしまいます。死者は噴火後の24時間で350万人以上、被害額はおよそ2000兆円。

 北半球は、日照不測のため農作物に甚大な被害を受けます。

 飢えが始まります。

 読んでいて、少し怖くなりました。いつかは分かりませんが『死都日本』が描く世界は、確実に日本に起こるのですから。

 さいわい、この小説では「その絶望的な風景」を生生しく描写していません。ですから読むことができました。

 日本には無計画の国土開発。東京への一極集中など、急がなければならない課題が多すぎます。

 でも、「私たちは、あすは何もこらないはず・・・・」と思い、生活をしてだけですね。

 破局噴火ほどではないのですが、南海・東南海地震が迫っています。

 『死都日本』でも、原発の被害を含んでいません。(no122

 *写真:南九州の破局噴火のはじまり(イメージ)

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戦争を知らない政治家たち

2018-02-23 09:49:16 | 政治

 先日、俳人・金子兜太(とうた)さんが(98歳)がお亡くなりになりました。

 きのう(2/22)神戸新聞のコラムは金子氏について書いていました。

 重ねて紹介させていただきました。

 コラムに題はないのですが、勝手につけています。

    戦争を知らない政治家たち

 胸に響く1句だった。〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉。初めて読んだとき、激しく心を揺さぶられたのを思い出す。 

 太平洋戦争の激戦地トラック島で九死に一生を得、復員の船上から遠ざかる島影を見る。戦場に倒れ、飢えに命を奪われた非業の仲間に恥ずかしくない生き方を。そう誓った若者の後ろ姿が、鮮やかに浮かび上がってきたのだ。

 現代俳句界の重鎮、金子兜太(とうた)さんが98歳で亡くなった。戦後の出発点だったろう句をもう一度かみしめる。日々の暮らしが戻っても、船上での決意のたがは緩まなかった。

 例えば、俳句との向き合い方。〈内海型の顔の鴎(かもめ)よ初冬の神戸〉。日銀神戸支店に4年余り勤めたので、神戸港にもよく足を運んだのだろう。こだわらず、とらわれず。俳壇へ挑んだ作風がこの作品にも漂う。

 例えば、反戦と平和。東京新聞で始めた「平和の俳句」は13万句も集めた。集団的自衛権に危うさを感じての書「アベ政治を許さない」は反対運動の象徴になった。戦争を知らない政治家を「無知は怖い」と怒ったのも、あの島での過酷な体験からである。

 駅前駐輪場で「アベ政治を-」の紙を貼ったままの自転車を見かけた。金子さんを導いた水脈は消えてはいない。どこかの誰かの心へつながっている。(no121)

 *写真:金子兜太(とうた)さん(2015年撮影)

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「イタイのイタイの」飛んでいった

2018-02-22 07:36:58 | 散歩学

     春の話題????

 暖かくなりました。

 それにしても1週間ほど前の寒さは何だったのでしょうね。

 散歩には、絶好の季節になりました。朝の散歩は,約5.000歩です。

 この頃は、9時ごろから歩き始めます。

 散歩中、たいしたことを考えていません。きのう(2/21)の散歩では、明日のブログ(今日の「ひろかずの日記」)のことを考えていました。

 春のことを書きたいのですが、材料がみつかりません。

 空気は春なのですが、それだけでは文書になりません。

 春の花もまだのようです。

 「ふっ」と一番春らしい話題が思い浮かびました。

     「イタイのイタイの」飛んでいった

 実をいうと、2週間ほど前までの散歩では快調とはいえませんでした。

 というのは、左足のかかとが痛かったのです。

 筋肉痛ではありません。犯人は、アカギレです。左のかかとに割れ目ができて、うっすらと血が出ていました。

 散歩では、その部分に75キロの体重が乗ります。

 「カットバン」を張っていたのですが、傷部分が横に開くのか、歩くたびに痛みが走ります。

 左足だけですが、一日10000歩とすると5000回痛みがあります。

 「がまん、がまん」とは思うのですがやはり痛い。

 それが今週に入り、その痛さがピタリときえました。

 暖かくなりアカギレも、冬に勝ったようです。

 左足にも春がきました。(no120

 *写真:昨年の513以来、毎日散歩に使っているシューズで~す。

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「播州大橋」下の風景

2018-02-21 08:25:10 | 散歩学

 

    「播州大橋」下の風景

 「播州大橋」って、どこの橋かご存知でしょうか。

 加古川にかかる明姫幹線の橋のことです。

 この橋は、よく利用されると思いますが、その橋の下の景色は御存じないと思います。

 河川敷を歩いてこそ見ることのできる風景です。

 その幾何学模様(写真)はきれいです。

 橋の上をひっきりなしに自動車が走っています。無機質な音と響きがあります。

 でも、この風景を見ているとそれらが妙に調和しているのです。

 自動車の音と、幾何学模様だけでないようです。

 この無機質な景色を快い風景に変えているのは、水が動いているからかもしれません。

 水鳥もいました。それに、何よりも空気が暖かくて気持ちがいいんです。

 もうすこしで春です。

 黄昏のお爺さん。春の予感を感じながら散歩を楽しんできました。(no119)

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がんの語源はカニ座

2018-02-20 09:12:36 | 余話として

 きのう(219)の神戸新聞の夕刊に面白い話がありました。

 こんな記事を読むと、誰かに話したくなります。

 お聞きください。

    がんの語源はカニ座

 歯科口腔外科医の仕事の喜びのひとつに、患者さんがおいしものを食べ、幸せになるということがあります。 

 おいしいものといえば、カニが思い浮かびませんか?

 種類によっては裁くことが少しむずかしいのですが、生あるもの食物としていただくからには食べつくすことが礼儀です。

 綺麗に食べつくすと、カニは無事天に昇り、夜空のお星さんになるなんてことも。

 そしたらきっと「カニ座」になりますよね。

 さて、このカニ座のことを英語で何というかご存じでしょうか。

 キャンサー(Cancer)。

 はて?

 そう「がん」のことですね。

 実は「がん」の語源は、カニなのだそうです。

 乳がんが広がっていくさまが、まるでカニが脚を伸ばしているように見えたことから医学の父・ヒポクラテスが、(がんのことを)カニ(キャンサー)と名付けたといわれています。

 もちろん、カニを食べると癌(がん)になりやすくなるわけではありません。(以下略)(no118

 *記事・挿絵ともに神戸新夕刊(2/19)より

               

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古新堰堤(こしんえんてい)

2018-02-19 08:33:21 | 散歩学

    古新堰堤(こしんえんてい)

 1週間前の寒さがウソのような陽気になりました。

 散歩していると、うっすらと汗さえかきます。

 こんな天気の日には、水の風景が見たくなります。加古川の右岸(西岸の)遊歩道を歩きました。

 高砂文化会館あたりから古新の堰堤まで、水の風景を見ながらの散歩は気持ちの良いものです。春の気配がいっぱいです。

 明日もこのコースを歩くことにします。せっかくここまで来ました。説明板もあります。少し学習をしておきます。

      塩 害

 河口あたり水の一つの問題は、塩水が混じった気水域であることです。

 塩水を含んだ水は直接、田畑に利用できませんし、飲料水にも適しません。

 河口から少し離れた米田町古新辺りでは塩も薄くなっているのですが、大潮のときなどは、ここで塩水を防ぎ、加古川の水をその堰の上流から取水する必要がありました。

 この塩水を防ぐために「古新堰堤」がつくられました。

   東はりま加古川・水の新百景に

 写真の古新堰堤について、「東はりま加古川・水の新百景」として説明板がありました。読んでみます。

 「・・・古新堰堤(こしんえんてい)」は、河口より3.8km地点にある加古川最下流部の河川構造物です。

 河床の低下を防止するとおともに、高砂町の水源に対する塩水遡上防止のために作られました。

 この堤防は、昭和4年(1929年)に起工され、翌年竣工されましたが、丸太が基礎になっており、後に加古川を襲った度重なる出水により被害を受けました。

 現在の堤防は、上下流に鉄矢板を用いた新しい広報により、昭和32年(1957)から3年間を経て改築されたものです。

 これによって地下水の逸散を止め、防潮の役目を果たすものとなりました。勉強になります。(no117)

 *写真:古新堰堤(ここに水鳥が来て、魚を狙っています。きのうは水鳥はいませんでした)

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小説『死都日本(石黒耀著)』を読んでいます

2018-02-18 08:35:00 | 読書

   小説『死都日本(石黒耀著)』を読んでいます

 最近、耳が遠くなり、テレビをあまり見なくなりました。

 その代わり、新聞・本は以前よりよく読みます。

 散歩の途中で本屋さんへもよく寄ります。

 先日、紀伊国屋書店により、読みたい本を探しましたがなかったんです。

 こんな時も、たいがい興味のある別の本を買います。

 それが、かえって面白い場合がよくあります。そんな時は、得をした気分になります。

 その日は『死都と日本(石黒耀著)』(講談社文庫)を買いました。

 本を買うときは、少しだけの予備知識がある本を選びます。

 この本の書名と簡単な内容については、新聞で知っていました。

 とりわけ、この本では日本を滅ぼしてしまうような猛烈な火山噴火を初めて「破局的噴火」と名付けています。

 この用語は現在、学術用語として普通に使われるようになっています。

 衝動買いをしてしまいました。

 文庫版とは言うものの「解説」も含めてp631の大作です。

 きょう、11章のうち1と2章を読みました。

 面白い(知らない)だけでなく、考えさせられる内容のようです。

 読み終わったときに、また感想を報告します。

 小松左京の『日本沈没』を読んだ時のような強烈な印象が残る小説になりそうです。(no116)

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梅の花が咲き始めました

2018-02-17 08:22:14 | 風景

 とにかく今年の冬は異常です。寒い!

 歳のせいでもあるのですが、そうばかりではなさそうです。

 昨日(2/16)と一昨日は、久しぶりで風もなく暖かな日でした。

 梅の花が咲きました。少しだけ春に近づいたようです。

 はやく、冬のトンネルを抜けてほしい。

    梅の花が咲き始めました

 我が家の梅(写真)もやっと、咲き始めました。

 例年なら我が家の草花にあまり関心はありません。今年は少し事情が違ってきました。

 というのは、去年の秋まで自宅の東も南も畑と水田で誰も見向きもしなかったのですが、今年は、一斉に宅地に変身してしまいました。

 もうすぐに新築の50軒ほどのが一斉に完成します。

 自宅と南の宅地との間に6㍍の道(空間)ができました。玄関と裏のようすがすっかり違ってしまいました。

 裏の方が、表より華やいだ風景になります。

 片づけて、少しはきれいにしなければなりません。

 この道ですが、旧の集落の道に続くため交通量はあまり多くありません。

 

 この裏庭に、いま梅がやっと咲き出しました。

 そのうちに、チュ―リップも咲き始めます。

 今年は、暖かくなれば「ハナサカ爺さん」になり、梅の花の周りに花壇でもつくろうかと計画しています。

 春よ、はやく来い・・・(no115

 *写真:やっと咲き出した梅の花

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桜の咲くころだった。その女性は転がるように庭に降りた。

2018-02-16 07:10:08 | 余話として

 きのう(2/15)の神戸新聞のコラム(正平調)です。

 再掲させていただきました。

 お読みください。

     桜の咲くころだった

      その女性は転がるように庭に降りた

 桜の散るころだった。その女性は転がるように庭へ降りた。「おかしゃん、はなば」と。体の自由を奪われたので、這(は)って花びらを拾おうとするのだが、曲がった指ではつかめない。

 生前の出来事を思い起こしながら、母の話は続く。娘の望みは、たった1枚の花びらを拾うことだった。だから「あなたにお願いです」「桜の時期に花びらば1枚かわりに拾ってやって下さいませんでしょうか」

 「お願いです」と頼まれたのは作家の石牟礼(いしむれ)道子さんである。このほど90歳で亡くなった。代表作の「苦海浄土(くがいじょうど)」以来、水俣病を鋭く問う執筆と支援活動を続けてきた。冒頭の話は随筆集「花びら供養」から。

 高度経済成長の陰でいったい何が起きていたのか。水銀の公害で「青春も老後も失い、人間性もはぎ取られた」患者や家族がいた。差別や偏見も吹き荒れた。筆のやいばを「日本人の失った倫理観」に突きつけた。

 弱い人の立場に立つ。そう語るのはたやすいが、行うのは難しい。涙する人の背に静かに手を当て、激しい抗議の声を心に刻み込む。寄り添うには使命感と覚悟が求められると、石牟礼さんの半世紀に教わる。

 娘に代わって花びらを拾い、また別の花びらを。白い小片は手からあふれたろうと想像しながら、目を閉じる。(no114)

 *写真:石牟礼(いしむれ)道子さん(2012年撮影)

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幸せのベンチ

2018-02-15 08:33:39 | 余話として

 きのう(2/14)は、チョコをもらう日でした。

 毎年、チョコを2つもらいます。

 一つは孫からです。自分の好きなチョコをくれます。

 というのは、おじいちゃんが一つだけ食べて残りをくれることを知っているからです。

 それでも、うれしいね・・・ 

 もう一つは妻からです。

     幸せのベンチ

 ところで、何かこの日にふさわしい話題はないかとお爺さんは考えました。この年になって、そんな、楽しい話なんてありません。

 それでも、チラッと高砂の駅前のベンチ(写真)のことが頭に浮かびました。

 昼から散歩を兼ねて撮影に行きました。

 ダメですね。最近、ピンボケの写真を撮ることは難しくなりましたが、見事なピンボケ。

 今日はこれでご辛抱ください。後日、クリアーな写真と入れ替えます。

 でも、あまり趣味の良い(人気のある)ベンチとは思えません。

 が、今度孫とここに来たら写真を撮ることにします。

 このベンチの説明がありますので、掲載しておきます。

   〈ベンチの説明〉

 このベンチに使われている石は、兵庫県高砂市にて産出している「竜山石」です。

 上品さと素朴さが共存し、柔らかな表情を持ち、水磨きをすることで得られるやさしい肌触りのある竜山石は、人の心に響き、人の心へ安らぎを与えてくれる石です。

 ブライダル都市「高砂」の新しい名所として、このベンチにペアで座ると「縁が結ばれる」よう、ベンチの両座に傾斜を取り、座った二人が寄り添うようにしてあります。

 ここに座られた方々が「尉と姥」のように、末永く仲睦まじいお二人でありますように。(no113

 *写真:幸せのベンチ(高砂駅前)

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首相の会見発言、どこか変ではないですか

2018-02-14 08:37:21 | 政治

    首相の会見発言、どこか変ではないですか

 最近、新聞の社説を読むようにしています。

 (私は)日ごろ、時代の風潮に流されています。

 そんな時、社説に指摘され、ハッとすることが多くあります。

 きのう(2/13)の社説もそうでした。

 

 戦前・戦中の国の指導者は、国民をがむしゃらに戦争に追い立てました。

 そのため、戦後は戦争をしないために(できないように)公務員は憲法を守ること義務づけられました。

 中でも公務員の最高職の首相は、一番の仕事は憲法を厳守するように義務づけました。

 社説は、そのことを改めて指摘しています。

 以下は、神戸新聞社説の一部です。記事のつまみ食いのため内容が正確に伝わっているか心配です。

     〈以下、神戸新聞社説より抜粋〉      

 安倍晋三首相がこのところ、憲法改正について踏み込んだ発言をしている。

 首をかしげるような言葉が耳につく。例えば先日の参院予算委員会では、改憲議論を国会の「義務」と表現した。

 大臣や国会議員に改憲を論じる義務はない。憲法が求めているのは、憲法を尊重し擁護する義務だ。首相発言は肝心の部分がまったく逆になっている。

 今国会の施政方針演説では「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法」と語り、国家の統治を重視する考えを示した。

 個人の尊厳や権利よりも国家や秩序を重んじる考え方がにじむ。

 首相は今年を改憲の正念場と捉えているとされる。早ければ秋の臨時国会で改憲の発議にこぎ着けるもくろみという。

 一方、持論である9条への自衛隊明記には公明党が慎重姿勢を見せ、自民党内にも異論がある。何とか前に進めたいとの思いが強くあるようだ。

 憲法とは何か、本当に変える必要があるのか。虚心坦懐(きょしんたんかい)に問い直すべきだろう。(no112)

 *写真:国会予算委員会(1/31)で憲法改正の必要性を説く安倍首相(産経ニュースより)

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