散歩を楽しんでいます
本来、私は「宗教」についてあまり良い感情を持っていません。
それは、宗教が社会問題に果たしてきた事実からです。
沖縄・原発等々に対して、あまり発言や行動がありません。
むしろ、一般的にそれを抑える役割を果たしているとさえ思えます。
そんな私ですが、最近たて続けに宗教(禅宗)関係の本を3冊読みました。
歳かもしれません。
頭の隅になぜか「禅(坐禅)」の問題がどっかりと居座ったようです。
読書の余韻でしょうね。
毎日、今のところ一日10.000歩の散歩は1年半ほど続いています。
きのうは、歩きながら気が付いてみると坐禅について考えていました。
それにしても、永平寺のお坊さんたちは、すさまじいまでの坐禅の修行をされているんですね。
これから寒くなります。
私の散歩は、永平寺の坊さんに修行に比べれば、あまりにも簡単なことです。
でも、「私の散歩道」として散歩を続けてみます。
いろんなこと(もの)を発見したり、考えたりします。
一昨日(11/7)は、銀杏の黄色が普段と違ってみえました。きれいでした・・・
*写真:平荘湖の少年自然の家の前のイチョウ
永田耕衣さんをウィキペディア(Wikipedia)で検索すると、「禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作」「社内に座禅会を結成し、毎月、宮崎奕保和尚の鉗鎚を受ける。」と出てきます。
そして、「大本山永平寺諸禅師略伝」の宮崎奕保禅師の項には、「昭和7年(1932)6月12日 32歳 福昌寺専門僧堂の単頭となる」との記述がありますが、修行道場「福昌寺」は、現在「八王寺(神戸市兵庫区羽坂通2丁目」と改称されていますが、境内には工楽松右衛門(「工楽」ではなく、「苦楽」と刻まれています)の顕彰碑があります。
若き日に修行されたお寺に工楽松右衛門の顕彰碑があり、若き日の永田耕衣さんに坐禅指導したとのことに偶然とはいえ、何か縁を感じます。
また、ブッダ(釈迦)は坐禅(瞑想)によって悟っていますが、その内容は現代の科学や思想と矛盾しない理知的なもの(縁起の理法)のようです。