尾上町をゆく(10) 白旗観音寺(6) 綿里小学校
江戸時代、大坂や江戸の巨大都市が生まれました。また、交通も発達し商品流通は盛んになりました。
江戸時代の後半、綿花は商品として大規模に栽培されるようになりました。
特に姫路藩は、財政改善の切り札として綿作を藩の専売として奨励しました。
姫路木綿は品質がよく、江戸で大好評を得、この姫路木綿の原料の綿の多くは、加古川地方で栽培されました。
中でも、尾上では綿作が盛んで、池田村(加古川市尾上町)と養田村(ようたむら)にその状況をみると、安政4年(1857)池田村では、畑作の中で綿作の占める割合が86%で、養田では73%にも及びました。
全田畑では池田村は66.8%、養田村は63.8%とずいぶん綿作が盛んでした。
秋には、真っ白い綿花の風景が一面に広がっていたことでしょう。
綿里小学校
明治9年、尾上に3小学校(後に統合して尾上小学校になる)が設置されたまし。
そのうちの一つは、池田の白旗観音寺に置かれ、学校の名前を「綿里小学校」としました。
校名は、綿作が盛んであったことを語っています。
*挿絵:綿の花
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