志方町をゆく(10) 今市札(藩札)
写真の今市で発行した藩札の「播州今市」に注目してください。
渋沢は、売買の便利をはかるために木綿預手形(今市札・藩札)を発行しました。
この木綿手形の背景には当時金相場が高騰して、正貨である幕府貨幣の流通が滞っていたという事情がありました。
そして、どこの藩(天領を含む)台所は火の車でした。
一橋家の慶喜は第15代の将軍で、何かと物入りでしたした。十分な準備金はありません。
そこで、渋沢は一ツ橋家のために裕福な者から借銀をして準備金を用意し、今市札の発行考えました。
今市札への出資者は、揖東郡日飼村(たつの市)堀彦左衛門(2500両)、加東郡垂水村(加東市)藤浦常八(1250両)、多可郡下比延村(西脇市)広田傳左衛門(800両)のほか地元・今市村伊藤長次郎(600両)、同村入江十郎(300両)、同村鈴木又蔵(200)両、同村入江亀太郎(150両)、その他一人(120両)、四人(200両)両ずつ、一人(60両)で、総額6330両を集めました。利息は年8朱で10年返済でした。
これらの出資者は、すべて産物会所及び引替所の役職に就き、一橋家の発行する手形は、大きな信用を得ることができました。
そのため、一橋家領の木綿預手形は一匁のものはいつでも一匁と額面通り流通したといいます。
今市村の商は、大いに繁栄しました。
*写真:今市札、『高砂市史(伊保篇)』(『旧高砂史』)より