ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

懐かしい風景(7) 農業用に、そして食肉用に

2021-10-31 11:50:11 | 懐かしい風景

  

 農業用に、そして食肉用に

 

 この牛の放牧の風景は、まるで外国のようです。戦後しばらくの日本(加古川)の河川敷にこんな風景がみられました。

 農家は、労働力の大切な一部として、たいてい牛を飼っていました。

 その他に戦前から神戸肉は美味しく有名でしたが、神戸は戦災で肉の生産はストップしてしまいました。

 そのため、戦後加古川は、神戸に代わる肉の生産地となりました。

 放牧の風景が撮影されたのは、昭和30年代の初めのころです。

 農作業・食肉のために、加古川で牛の放牧が盛んに行われました。(no7

 

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懐かしい風景(6) 山陽電車浜ノ宮駅

2021-10-30 09:08:58 | 懐かしい風景

    懐かしい風景(6) 山陽電車浜ノ宮駅

 

 写真は、昭和35年撮影のものです。どこか、寂しい感が漂っています。この時代を想像してみます。

 ・・・

 当時の加古川市の財政は火の車でした。

 昭和36年(1961)2月、3億8000万円の赤字を抱えて、地方財政再建準備団体の指定を受けるまで手前にいたっていました。

 この時(昭和37年)加古川市に甘いささやきがありました。

 東は明石から西は赤穂にいたる地域が「播磨工業地帯」として指定を受けたのです。

 そして、昭和37年、加古川市・兵庫県・神戸製鋼所は、神戸製鋼所加古川工場建設に関する協定書に調印し、加古川市は工業都市に向けて一歩をふみだしました。

 神戸製鋼所が本格的創業を始めた昭和45年(1970)頃から、加古川市の財政は徐々に改善されました。

 このころから、加古川市の景観は一変しました。

 写真の浜ノ宮駅は、神戸製鋼所が本格的創業を開始した10年ほど前のものです。

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懐かしい風景(5) 国鉄(現:JR)高砂駅

2021-10-29 11:50:22 | 懐かしい風景
       
 懐かしい風景(5)  国鉄(現:JR)高砂駅
 
 個人的な思い出で申し訳ありません。私は、小学校は加古川小学校の卒業です。
 高学年の夏休み前は、ワクワクしていました。
 それは、列車で数日続けて、高砂の海水場へ出かけました。
 加古川駅に集合して、高砂線の国鉄高砂駅まで車両は貸し切りでした。列車の中は、嬉しさではちきれていました。
 駅に降りると潮の匂がありました。浜までは、約1キロ程の歩きでした。
 高砂駅は、アーケードのある「高砂銀座商店街」の道を隔てた突き当り(写真)でした。
 最近、用事でこのあたりによく出かけますが、潮の匂いがほとんどないんです。
 懐かしさ半分の場所になってしまいました(no5)
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懐かしい風景(4) 別府鉄道坂井駅

2021-10-28 08:19:39 | 懐かしい風景
 
   
   懐かしい風景(4)・別府鉄道坂井駅
 
 別府鉄道の別府港~野口間が完成したのは、大正10年です。
 その間に別府港・別府口・坂井・円長寺・藤原製作所前・野口駅の各駅が設けられました。それぞれ、停車駅時間を含めて5分もあれば到着する距離にある駅でした。
 写真の駅は、昭和35年ごろの別府湊駅から2つ目の「坂井駅」の風景です。
 別府口駅から坂井駅に車両が到着です。
 子どもは、この小さな車両を「がったん」とか「マッチ箱」と呼んでいました。
 おばさん方は、おめかしをしておられます。
 加古川へ買い物に出かけられるのかな?(no4)
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懐かしい風景(3) 聖徳閣と加古川線日岡駅

2021-10-27 08:46:43 | 懐かしい風景
   
 
    懐かしい風景(3)・聖徳閣と加古川線日岡駅
 
 加古川線の日岡駅の向こうに聖徳閣がみえます。
 でも、この建物を知る人は少数派になりました。
 昭和11年、聖徳閣はつくられています。
 確か、昭和40年頃まで聖徳閣はあったように記憶しています。
 さいきん、数字には自信が無くなりました。
 聖徳閣を通りぬける風をはっきり覚えています。
 それにしても、思い出すのは夏の風ばかりです。
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懐かしい風景(2) 高砂線・別府鉄道野口駅

2021-10-26 09:32:32 | 懐かしい風景

   

   懐かしい風景(2) 高砂線・別府鉄道野口駅

  ・・・
 別府鉄道の前身・別府軽便鉄道(別府鉄道)が開業したのは大正10年の9月でした。
 現在の加古川市役所のすぐ東に高砂線の野口駅がありました。
 別府鉄道は、別府湊駅から土山線もあり、主な役割は、多木製肥所(現多木化学)で生産される肥料の運搬でしたが、その後、沿線住民の加古川の商店街への買い物の足として、あるいは通勤、通学手段として、別府鉄道はなくてはならないものになりました。
 最も賑わったのは昭和30年代の初め頃で、別府の浜での潮干狩り、また海水浴へと多くの客を運びました。
 しかし、こうした風景も、同42年頃から加古川市臨海部の工場用地の造成が始まり、海水浴場も閉鎖になると、以後急速に様変わりしました。
 モータリゼーションの波で同59年2月、土山駅での貨物取り扱いの停止が決定的な打撃になり、高砂線と同じ昭和59年に、63年の歴史を閉じました。

 *写真:野口駅(電車が停車しているのが別府鉄道)
 列車とポプラの木の間に高圧線の鉄柱がありますね。そのあたりに現在の加古川市役所が建設されています。(no2)

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懐かしい風景(1) 国鉄高砂線

2021-10-25 12:08:33 | 懐かしい風景

 「ひろかずのブログ」は、終了しました。

 生活環境を急に変えると「ボケ」が始まりそうです。

 幸い、「ひろかずの日記」は休眠していますので、このブログを利用して、迷惑ですが気軽な文を書いてみようと思います。

 いま、別のところでフェイスを発信しています。

 当面は、休憩もかねて「ひろかずの日記」に再掲させていただきます。

 「ひろかずの日記」は、再出発のため、今日を創刊号とさせていただきます。

 

    

    懐かしい風景(1) 国鉄高砂線

 間もなく定年から20年になります。
 部屋や倉庫にわんさとゴミがたまりました。
 先日から整理をしています。結構忙しいですね。
 いろんなものが出てきます。
 そんな中にしまい込んで、誰から頂いたのか分からなくなったCDを見つけました。
 貴重な加古川・高砂市の風景です。いただいた方に申し訳ないです。
 しばらく、FBで少しずつ紹介します。
 これらの風景になつかしい思い出をお持ちの方も多いともいます。コメントをお寄せください。
 *CDをいただいた方は、FBの仲間の方かもしれません、ご一報ください。
 *写真:右の鉄道は山陽電鉄で、対岸の工場は三菱製紙です。(no1

 

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