ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

尾上町をゆく(2) 「今津村」高砂に移住

2023-09-17 10:22:07 | 加古川市尾上町探訪

 

     尾上町をゆく(2) 「今津村」高砂に移住

 中世の頃、今津村のあった加古川河口から尾上神社付近にかけての地域は、瀬戸内を行き交う船の停泊地として大いに栄えていました。

 その今津村に慶長6年(1611)、藩主(池田輝政)から通達がありました。

 内容は、「高砂村へ移り住み、砂浜の開作をする者は、諸役を免ずる」というものでした。

 なお、この通達文(池田輝政定)は、『高砂市史(第五巻・資料編(近世)』p154に解読文があります。詳しくは、それをご覧ください。

 前号で述べたように中世に栄えた今津村(現:加古川市尾上町)も、この頃になると砂の堆積により、その機能を失ない、それも、予想を超える砂の堆積でした。

 藩主・池田輝政は、新たに右岸の高砂に城を築き、町場をつくることにしました。

 結果、加古川東岸の今津村は慶長・元和の頃に消滅しました。

 高砂に「今津町」ができたのです。

 「今津町」は、対岸の今津から村を挙げて移住した者をはじめ、養田・池田・長田・安田等近在の農民があいついで移住し、つくられた町です。

 *高砂町の地図で「今津町」を確認ください。



 現在でも、加古川市尾上町に「今津」が通称名として残っていますが、尾上の「今津」は400年も昔に、消えた地名です。

 

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