ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

私の散歩学(31) オシロイバナ:Four o'clock

2017-08-25 07:14:56 | 散歩学

 

     オシロイバナ

 オシロイバナは,園芸種でしょうか、それとも雑草の仲間でしょうか。

 園芸種にしては、たくましい生命力を持っています。

 自宅の前にもこんもりとオシロイバナが咲いています。

 いい香りを放っています。

 水をやったり、肥料をやったことはありません。

 でも、毎年見事な花をつけています。その勢力範囲を広げています。

 散歩の途中でも、よく見かけます。

      英語ではFour o'clock

 オシロイバナの説明をウィキペディアでは、次のようにあります。

 ・・・全体にみずみずしい緑。

 花は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない。

 花は夕方開き、芳香がある。

 そのため和名としてはユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれる。

 

 高校時代の同窓生(女性)のブログを読んでいました。彼女は、現在自宅で英語を教えておられます。

 花も好きでブログではよくは、花について投稿されています。

 あるとき、オシロイバナの英語名について投稿されていました。

「Four o’clockといい、夕方から花が開く・・・」と。

 以来、この花を見るとFour o’clockの単語が浮かびます。

 そういえば、昼間は花弁を閉じています。

 ブログのオシロイバナは、22日の午後7時ごろに撮りました。

 Four o’clockは、機械的な呼称で、私はオシロイバナの方が好きですが、夕方の涼しい風を感じますね。

 *写真:自宅前のオシロイバナ

 ◇きのう(8/24)の散歩(10.344歩)

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私の散歩学(30)  松本清張、『Dの複合』で、天下原の羽衣伝説を紹介

2017-08-24 08:45:37 | 散歩学

 「散歩について」のある本では、「ゆっくりした散歩と、一週間に1~2回の少しきつめの運動が必要である・・・」と書いています。

 22日(火)、平荘湖の入口にある ウェルネス・パークから500mほど、まっすぐに行くと毘沙門堂があり、そこの階段を上ることにしました。

 かなり急な石段です。登ったところにある毘沙門堂には羽衣伝説があります。

     松本清張、小説『Dの複合』で、

           天下原の羽衣伝説を紹介

 ここ(東神吉町)天ヶ原(あまがはら)の呼称は、ここに羽衣が舞い降りたという伝説から名づけられています。

 松本清張は、小説「Dの複合」で、少しだけ天ヶ原ついて少し書いています。

 

  ・・・・余裕があれば加古川まで引っ返して、羽衣の伝説地を見たいのです。「へえ、加古川にも羽衣伝説がある?」伊勢はビックリした。「少し北に行ったところに、印南郡神吉村(加古川市東神吉町)というのがあって、そこに天ヶ原(天下原)という土地があり、羽衣伝説が遺っているそうです・・・・。

  清張は、もう少し天ヶ原について続けているが、省略します。

ともかく、天ヶ原に関しての詳しい記述ではありません。これらの文章から判断すると、清張は加古川に寄っていないのでしょう。

 上記の記述の前のところで、「・・・(姫路から汽車で)加古川の町を通り抜け、右側の方に淡路見え隠れしているうちに明石に入り、着いたところが海岸に面した、人丸花壇という旅館だった・・・」とも書いています。

 小説『Dの複合』の取材では、加古川へ寄ったとは言えませんが、彼の小説に『火の路(ひのみち)』があります。

 ここでは「石の宝殿」について詳述しています。

 現地の調査なくしては書けない記述です。

 ともかく、『Dの複合』や『火の路』の取材で、天ヶ原のことを知ったのでしょう。

 ウェルネス・パークへ行ったついでに、毘沙門堂によって、羽衣伝説を思い出すのも一興ですよ。

 *写真:天下原、毘沙門堂の羽衣の絵馬

 ◇きのう(8/23)の散歩(11.286歩)

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私の散歩学(29) 平荘湖の白いユリ

2017-08-23 10:20:56 | 散歩学

 

 太宰治は「富士には月見草がよくにあう・・・」といっていますが、富士山を借景にすると、どんな物でも似合いますよ。

 富士山は、そんな山です。

 歩きながら「ふと」太宰治の文章が浮かびました。

     平荘湖には白いユリがよくにあう

 いま、平荘湖の遊歩道ではで白いユリの花が見事に咲いています。

 自宅でも同じ種類のユリが咲いていますが、ビオトープ状態の我が家のユリはあまりきれいとは思いません。

 でも、富士山を借景にした月見草ほどではないでしょうが、平荘湖の湖面を借景にした白いユリは絵になります。

 期間限定の風景ですので是非、お出かけください。

 平荘湖にはユリがよくにあうようです。

 写真の場所は、第三堰堤を東へ100㍍ほど行ったところです。

 さいわい、自動車が禁止されている散歩道ですので、歩く方のみが鑑賞できる花園です。

     提案です

 どこの都市でも新しい観光地をつくろうと一生懸命です。でも、そのためにはアイディアと場所と費用がかかります。

 平荘湖の周辺にユリの種を蒔いておきませんか。その種は、ことし咲いている種を集めて蒔くだけでいいんです。

 きっと来年には、よりみごとな花園が誕生すると思います。

 その時、新聞は「平荘湖には白いユリがよく似合う」と大きく報道しますよ。

 そして、散歩する人も増えるでしょうね・・・

 歩きながらそんなことを考えました。

 *写真:ユリの花(平荘湖第三堰堤の東100㍍:22日撮影)

 ◇きのう(8/22)の散歩(10.943歩)

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私の散歩学(28) カラスウリ

2017-08-22 07:56:07 | 散歩学

       

    カラスウリ

 童謡「真っ赤な秋」の歌詞の2番を紹介しておきます。


  まっかだな まっかだな
  からすうりって まっかだな
  とんぼのせなかも まっかだな
  夕焼雲(ゆうやけぐも)を ゆびさして
  まっかなほっぺたの 君と僕
  まっかな 秋に よびかけて いる

 

 カラスウリが登場しています。

 今の小学生に、カラスウリといっても知らないと思います。

 山で遊ばないし、遊んでも最近カラスウリを見つけることはほとんどなくなりました。

 カラスウリの実は秋の草が枯れるころ、赤い実が印象的です。

 最近は、珍しくなったカラスウリですが、なんと新幹線下のネットにびっしり咲いているんです。

 もっとも、今は緑の実です。

 その代わり、カラスウリの花も見ることができます。

 不思議なフリルを持ったような不思議な花です。

 散歩では、こんな町場では珍しくなった植物を見つけることがあります。

 秋が楽しみです。私の秘密の場所です。

 *写真上:カラスウリの実(まだ緑です)

   同下: カラスウリの花 

 ◇きのう(8/21)の散(13.882歩)

 

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私の散歩学(27) 権現ダムの散歩

2017-08-21 10:41:21 | 散歩学

 

     権現ダムの散歩

 平荘湖と権現ダム周辺をよく散歩します。

 この二つの貯水ダムの周囲を歩くことが好きなんです。

 どちらを選択するかは、その日の気分です。

 コースの違いは、平荘湖の方は周囲を一周できますが、権現ダムの方は西側の山裾に沿ってのコースだけです。

 一番の違いは、権現ダムの方は散歩しておられる人がほとんどないことです。

 そして道は、ダムの西の山裾に沿って志方町の野尻に通じています。そのため時々車が通り抜けます。

 湖畔の西が山になっているため、夕暮れが早くなります。

 そのためか、夕方の女性の散歩は、ほとんど見かけません。

 でも、権現ダムの散歩は好きですね。

 権現ダムの散歩をしていると得をしたような気分になれます。

 風の音と虫の声と水の風景を背にした散歩になります。

 ですから、どんな変なパホーマンスをしようと恥ずかしくありません。

 散歩ですから腕を大きくふって散歩ができます。

 平荘湖の場合はそうはいきません。

 70半ばのおじいさんでも腕を大げさに振って歩くことは少し恥ずかしいものです。

 でも、権現ダムの場合は平気です。

 さすがに歌いませんが、歌でも歌いながら散歩ができそうです。

 一度権現ダムの周辺もお歩きください。

 ツクツクボウシも鳴き始めています。

 秋はもうすぐです。

 *絵:YとS

 ◇きのう(8/21)の散歩(11.467歩)

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私の散歩学(26) 平成21年4月山火事があった

2017-08-19 15:57:56 | 散歩学

     平成21年4月山火事があった

 夕方、権現ダムへ散歩に出かけました。

 平荘湖と違い、散歩する人もほとんどありません。

 志方町野尻へ通じる道を兼ねているのですが、野尻へは、近くの広い道があるためほとんど車もありません。

 ここは、水の風景と、風の音と虫の鳴き声があるだけの散歩道です。

 それだけに、何かあると目にとまります。

 道沿いに説明板があります。読んでみます。

     説明板を読む

 草谷国有林は、兵庫県加古川市の北側に位置しており、弁財天山風景林として地域住民に親しまれています。

 しかし、平成214月に発生した山火事により、国有林4.96ha、民有林49.haを焼失してしまいました。

 被災地の山裾には、住宅地、田畑、権現ダムがあり、このままでは山火事により裸地化した表土の流失によって下流域の生活環境に影響をもたらす可能性があります。

 このため、コナラやヤマモモ、ヤマザクラの広葉樹を植えるなど、草谷国有林防災林造成事業を実施し、森林の持つ防災機能の復活を図り、表土の流失をの防止することとしています。(以上、説明板より)

 

 思い出しました。この山火事の起きたとき加西へ用事に出かける途中で、この山火事に出くわしました。もう8年も前のことなんです・・・

 もう、すっかり山は再生しています。

 説明板にはコナラを植えたとあります。とするとドングリがあるはずです。

 その時は、孫とドングリ拾いを兼ねて散歩をします。

 ◇きのう(8/18)の散歩(12.477歩)

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8月は事実としての歴史を知る月に

2017-08-17 09:10:14 | 余話として

 8月になると新聞でも平和に関する記事が増えます。

 でも「ブログ」では長崎・広島の原爆の日、8月15日の敗戦の日について述べずに、のん気に散歩の話題ばかりを書いていました。

   8月は事実としての歴史を知る月に

 最近、ついつい「若者は・・・」と、愚痴りそうになります。歳ですね。

 若者が全体的に保守化(プチナショナリズム化)していることが気になります。

 一方で、これもしかたのないことかもしれません。

 若者は、歴史の事実をまなんでいないのですから。

 学校の歴史では、ほとんど現代史を学習しません。時間が足りないんです。また入学試験にあまり出題されません。

 ひどい場合、高校で日本史を学んでいない生徒がいるんです。

 小学校では、伊勢神社へ修学旅行は減っています。そして長崎・広島へ修学旅行が増えました。

 それは、いいことだと思いますが、「しかし・・・」なんです。

 第二次世界大戦では小学校生~大学生まで広島・長崎の原爆投下等、日本が戦争の被害者と考えているのではないでしょうか。

 加害者としての歴史認識がないと、中国・朝鮮、東南アジア諸国の国民と歴史認識」のずれが拡大します。

 いま、学校の歴史教育では加害者としての歴史が抜け落ちています。

 いまこそ、歴史の事実を踏まえて戦争を考えることが必要です。

 しかし、日本のある政党の指導者は、大声で叫んでいます。

 「美しい日本」「世界に誇る日本であった」と。

 若者は、もっと事実としての歴史(加害者としての歴史)も同時に知ることが必要です。

 決して、事実を知ることを「自虐史観」とかたずけては、世界との溝(ずれ)をつくるだけです。

 *昨日(8/16)の散歩(13.061歩)

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私の散歩学(25) ヒルガオ

2017-08-16 07:39:41 | 散歩学

 

   ヒルガオ

 ヒルガオの名前は、当然のように以前からよく知っていました。

 名前に何の不思議も感じませんでした。

 アサガオは、朝に咲いて、午後にはしぼみ、ヒルガオは昼から咲く花と考えていました。

   「ヒルガオは昼になっても咲いている」から

 朝咲いて昼にしおれるのをアサガオといい、昼から咲くのをヒルガオと信じていたのです。

 長らくこの思いこみを疑いなく信じ込んでいました。

 インターネットで調べてみました。

 ヒルガオは「ヒルガオ科の植物で、アサガオ同様に朝に開花するが、昼になってもがしぼむことがないためこの名がある」とあります。

 先日、朝の6時ごろ散歩をしました。

 新幹線の下のフェンスにアサガオのような花(写真)が咲いているのです。

 アサガオより、どこか野性味があります。

 このあたりをよく自動車で通ります。午後の遅い時間でしたが咲いていました。間違いなくヒルガオです。

 ヒルガオといえば、ハマヒルガオも思いうかべます。

 6月ごろ、ヒルガオが加古川の河口あたりで絨毯のように期間限定の見事な風景をつくります。

 ハマヒルガオは潮風に花を揺らして咲いています。

 *写真:ヒルガオ(新幹線下の金網のヒルガオ)

 :◇きのう(8/15)の散歩 万歩計を忘れ須磨へ出かけたため、記録なし。

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私の散歩学(24) 余話として・福田寺の層塔

2017-08-15 08:31:01 | 散歩学

 余話として、福田寺の層塔に触れておきます。

 でも、唐突に、文観・後醍醐天皇・層塔の話が出てきましたので、筋が追えないと思われます。

 詳しくは「ひろかすのブログ」のカテゴリーで「東播磨の石塔と文観」をお読みください。

    余話として: 福田寺の層塔

 稲屋は、『日本書紀』に「鹿子の水門(かこのみなと)」が加古川の河口部にあったという場所です。

 研究者は、「鹿子の水門」は、現在の稲屋(加古川市加古川町稲屋)辺りで、当時は、このあたりまで海が迫っていたと推定しています。

 稲屋の近くにある泊神社は、地域の氏神であり、古代の港(水門・みなと)の守護神であったと考えられています。

 この稲屋に福田寺という古刹があります。。

 福田寺の山門をくぐるとすぐ左(西側)に、現高355㎝の花崗岩製層塔があります。

 現在は十一重ですが、本来は十三重であったと思われます。

 塔身(初層軸)には、三面に如来像を浮き彫りされています。

 この反対の面の如来像両協に銘文があり、銘からこの層塔は、正和二年(1313)に、尼西河弥陀仏を願主として造立されたものであることがわかりました。

 大野の常楽寺の宝塔と比較すると格狭間の下端幅は福田寺噌塔の方が狭いことが判明していますが、研究者は、「この層塔の格狭間(こうざま)は、常楽寺宝塔の基礎格狭間と酷似しており、格狭問が入る区画の規模は両者でまったく共通し、かつ格狭間自体も酷似ている」と指摘されています。

 したがって、「その地理的・時期的近さを考えると福田寺層塔と常楽寺の宝塔は同じ石工(集団)によって造立されたとみなしてよい」とされています。

西大寺と後醍醐天皇は密接な関係を持っています。その西大寺で文観は一時籍を置いています。

 ここでも、西大寺・後醍醐天皇・文観の結びつきが浮かび上がってきました。)

 *写真:福田寺の層塔(周りにユリが咲いています。3/13日撮影)

 *「東播磨の中世石塔と文観」(山川均論文)参照

◇きのう(8/14)の散歩(11.001歩)

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私の散歩学(23) 福田寺のユリ(2)

2017-08-14 10:37:50 | 散歩学

 

   福田寺のユリ(2)・地蔵堂横のユリ

 きょうも福田寺(ふくでんじ)のユリの話です。

 山門をくぐると、境内いっぱいにユリの花が咲いています。

 突き当りは本堂で、その西に地蔵堂があり、通路は西に折れています。

 その突き当たるところの門まで、境内と同じようにユリの花がいっぱいです。

 名前を知りたいのですが、知識がありません。

 図鑑で調べてみました。ユリはテッポウユリのようですが、葉がテッポウユリのように広くありません。

 タカサゴユリではないかと思われます。

 違っているかもしれません。ご存知の方は一報ください。

 福田寺は曹洞宗の小さな寺です。

 白いユリは、ぴったりとしているんです。

 きのう(13日)は昼間の熱い時間のせいか、お参りもなく、境内には静まり返っていました。

 ユリだけの世界のようでした。

   福田寺・宮崎奕保(みやざきえきほ)

 福田寺は、曹洞宗の寺です。

 曹洞宗といえばすぐ永平寺が思い浮かびます。

 なんと、福田寺の住職、宮崎奕保(みやざきえきほ)氏は、1993年、永平寺の貫主に就任されています。

 ウィキペデアでは宮崎氏を次のように説明しています。

 ・・・・

 厳格な仏教僧として知られ、肉は一切食さず生涯独身を貫いた。史上最高齢の住職として100歳を過ぎても若い僧と修行を続けた。

 2004にはNHKにて、立松和平がインタビュアーを務めたドキュメンタリー「永平寺 104歳の禅師」で取り上げられ、大きな反響を呼んだ。

 *写真:福田寺地蔵・地蔵堂横のユリ

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私の散歩学(22) 福田寺(ふくでんじ)のユリ(1) 

2017-08-13 12:50:56 | 散歩学

    

福田寺(ふくでんじ)のユリ(1)

 歴史から始はじめます。

 『日本書紀』応神天皇13年の条に、次のような話があります。

  ・・・天皇が淡路島に狩に出かけた時に、多くの鹿が「鹿子水門(かこのみなと)」に入るのを見たので、調べてみると、日向(宮崎)の豪族の娘(髪長媛-かみながひめ)が都に仕えるために東上するための一行だった。

 

 彼らが鹿皮の衣を着ていたので、鹿と見あやまったのだった・・・

 これは、地名説話ですが、九州と畿内を結ぶ瀬戸内海の泊()のひとつに、「鹿子水門(かこのみなと)」があったことを物語っています。

 古代には河口が港として利用される場合が多かったが、航海に必要な水や食料も得やすかったし、それに、木造船に穴をあけるフナ虫の害を少しでも少なくするためだったのでしょう。

 また、加古川の河口は内陸部と結ぶ重要な拠点でした。

 「鹿子水門」がどこにあったかは、明らかではないが、加古川東岸は西岸と比べ若干土地が高く、加古川の流れは西岸より安定していました。

 古い古墳も東岸に集中しています。そんなことを総合して考えると、現在の稲屋(加古川市加古川町)辺りが、「鹿子水門」であろうと考えられています。

 現在の稲屋は、やや内陸部になっていますが、当時はこの辺りまで海が迫っていたと思われます。

 この稲屋に曹洞宗の福田寺があります。

 散歩中にみつけました。今、福田寺の境内にユリが見事に咲いています。(次回も福田寺のユリの話を続けます)

 *『加古の流れ(市史余話)』『加古川市史(一巻)」

 *写真:福田寺とユリ

 ◇きのう(8/12)の散歩(10.526歩)

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私の散歩学(21) ヘクソカズラ

2017-08-12 14:25:25 | 散歩学

 

    ヘクソカズラ

 この花の名前は、子どものころから不思議と覚えています。

 たぶん、子供のころ遊び仲間が「この花揉んで嗅いでみな・・・」とでも言って、その反応を楽しんだからと思われます。

 嗅いで見ると、たしかに、ほのかな「ウンコ」のような匂がいします。

 それにしても凄まじい名前です。この花がかわいそう。

 万葉集にも「クソカズラ」とあるそうなので、れっきとした伝統ある名前なんですね。

 インターネットでヘクソカズラを調べてみると、次のような説明があります。

 ・開花時期は、 7/10 ~ 9/15頃。

 ・つる状でどんどん伸びてくる。

  道端のフェンスなどで夏によく見かける。

 ・筒状の、こげ茶色の花。

 ・すごい名前だが、枝や葉をもむと悪臭があるからこの名前になったとのこと。

 匂いのため、この植物を食べる虫はほとんどいないらしい。

     新幹線下の散歩道

 この頃、とにかく暑い日が続いています。

 そんな時、昼間でも散歩によい場所があるんです。

 新幹線の下の左右は歩道です。

 そこは、どちらかがいつも日陰になっています。

 もちろん、新幹線の下は立ち入り禁止でネットが張ってあり、そのネットにヘクソカズラが張り付いて咲いています。

 (写真は、そのネットのヘクソカズラではなく、近くの荒れ地で撮影したものです)

 ここで、一つ発見がありました。

 自宅の周辺を歩いていると宅地が広がり草地が少なくなってきました。

 でも、新幹線の線路下ばかりは立ち入り禁止で、ビオトープ状なって草地が残っています。秋の虫の絶好の隅かとなっているようです。

 *写真:ヘクソカズラ(新幹線の近くの草地で撮影)

 ◇きのう(8/11)の散歩(11.419歩)

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私の散歩学(20) サンキラ

2017-08-11 08:56:17 | 散歩学

     サンキラ

  

 散歩の途中でサンキラ(写真)の葉をよく見かけます。

 サンキラの名前を昔から知っているため、目につくのかもしれません。

 個人的なことで申し訳ないのですが、母はずいぶん前に亡くなりましたが、実家が高砂市阿弥陀町で、裏がすぐ山でした。

 裏山に、サンキラがたくさんありました。

 あったから知っていたのかというとそうではなく、祖母が作ってくれる柏餅が楽しみでした。祖母のつくる柏餅は、柏の葉でくるんだ餅ではなく、二枚のサンキラの葉でくるんでつくってくれました。

 当然、小学校のころまではサンキラでくるんだのが柏餅であると信じていました。

 ですから、サンキラを見たらいつもおばあちゃんの柏餅を思い出します。

    なぜ「サンキラ」

 それにしてもサンキラとは不思議な名前です。インターネットで調べてみました。

 「・・・・サンキラの葉っぱは、腹痛によく効くといわれています。

 山でお腹が痛くなっても木の葉があれば、痛みもなって「無事に帰って来れるところか」ところから「山帰来(サンキライ)」とよばれ、それがなまって〝サンキラ″になったといわれる。・・・・」とあります。

 そういえば、たしかに、おばあちゃんは「サンキライ」とも言っていたようです。

 *写真:サンキラ(平荘湖畔にて撮影)

 ◇きのう(8/9)の散歩(12.243歩)

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私の散歩学(19) ユリ

2017-08-10 09:14:04 | 散歩学

 

     ユ リ

 私の散歩学(8)で、志方町成井に群生しているオニユリを紹介しましたが、もっと普通にみられるユリが平荘湖の第三堰堤のすぐ東のところにたくさん咲きかけています。

「ユリ」とだけ書いたのは、まだ咲いていないためユリの種類(名前)が参考書で特定できません。

 オニユリでないことだけは確かです。

 自宅の庭にも、どうして育ったのかわかりませんが、同じ種類と思われるユリが開花しはじめました。

 真っ白なユリです。

    ユリは野生がよく似合う

 ユリは野生がよく似合うようです。

 庭のユリはひょろひょろと背が高く頼りなく感じられますが、野生のユリはその白さが目立ち、野草の中でたくましささえ感じます。

 もうすぐに開花するようです。

 その時は、ユリの花を再度紹介することにします。

 その時ご存じ方は、ユリの名前(種類)を教えてください。

 写真:ユリ(撮影:平荘湖の第三堰堤のすぐ東)

 ◇きのう(8/9)の散歩(11.273歩)

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私の散歩学(18) 槿(ムクゲ)

2017-08-09 10:57:40 | 散歩学

       散歩で見つけた草や花(1)・ムクゲ

 前号で、散歩中の草(花)を取り上げることを宣言しました。

 さっそく、午後平荘湖の周辺を散歩しました。

 いつもと違って、今日は草(花)の撮影が目的です。

 午前中、自宅周辺を散歩をしたり、ごみ出しやごそごそしていると約4000歩になりました。

 昼から、照り付けるような日差しでしたが、花の撮影です。

 もちろん歩くのは残り6000歩が目標です。

 出発点は、平荘湖のアジサイ園のそばの停車場から始めます。

 アジサイ園のアジサイは、とっくに盛りを過ぎ、茶色いドライフラワー状の花が残っているだけです。

 先週まで出発地点に大きなムクゲの木が二本あり、一本は真っ白な花を、他のムクゲはピンク色で二本ともいっぱい花をつけていたんです。

 それがどうしたことか、今日、撮影しようと改めて見るとほとんどの花が散っているんです。

    韓国の国花

 花の名前を知らない私なんですが、このムクゲだけは絶対に忘れることはできません。

 というのは、ある大学で朝鮮現代史を専攻したんです。

 蛇足を書いておきます。

 槿(ムクゲ)は、夏から秋にかけて毎朝咲きかわり、咲き続けます。

 朝鮮では槿を「無窮花(ムグンファ)」“かぎりなく咲き続ける花”ともいい、主権を奪われた朝鮮民族はムグンファを慰めとしました。

 韓国の国花となっています。

 主権を奪ったのは、もちろん日本です。

 ◇きのう(7/8)の散歩(11.107歩)

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