尾上町をゆく(7) 白旗観音寺(3) 山岡鉄舟と山号(生竹山)の書
山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)
『日本大百科全書(小学館)』から、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)の紹介です。
鉄舟は幕末・明治前期の剣客、政治家それに書道家です。
彼は、天保7年(1836)、旗本小野朝右衛門の長男としてうまれ、安政2年(1855)槍の師である山岡家を継ぎ、また、千葉周作に剣を学び自らも門弟を教えました。
文久2年(1868)3月、戊辰戦争の際、勝海舟の使者として駿府に行き、西郷隆盛と会見して、江戸開城について勝・西郷会談の道を開きました。
明治5年(1872)、明治天皇の侍従に就任し、明治21年(1888)7月21日没。53才の若さでした。
山岡鉄舟の書の額
観音寺の山門に生竹山(しょうちくさん)の書(写真)が掛けられています。
この山号の書は、山岡鉄舟の筆によるものです。
郷土史家の木戸正氏は、『ふるさとの文化遺産(第3巻)』に「・・・“剣禅一如”の哲人といわれ、当代随一の剣聖たる山岡鉄舟が観音寺の山号を書かれた謂れは禅を通じてか・・・」とだけ書かれています。
観音寺と鉄舟の関係は、はっきりしません。
白旗観音寺と鉄舟の関係を知りたいですね。