「石の宝殿の謎」終了
石の宝殿研究会のフェイスブックを乗っ取ったようで申し訳ございませんでした。
少し飽きて来られたでしょう
この辺りで「シリーズ・石の宝殿の謎」を終了させます。
最後に少しだけ蛇足です。
① 『石の宝殿』は、動かせない。
石の宝殿は、何となく「石棺ではないか」と想像されています。でも、こんなでかい石棺を地方の豪族は作るはずがありません。
となれば、当然「都(明日香)」まで運ぶことになります。建設当時は、物部・蘇我氏の時代です。彼ら以外の権力者がつくったとは考えられません。
でも、常識論者の私は「物部であれ、蘇我であれこんなバカでかい代物がはたして都まで運ぶことができると考えただろうか」と考えてしまいます。そして「いや絶対にだめだ・・・」という声がどこからともなく聞こえてきます。皆さんはどうですか。
そして、「石の宝殿」は、岩盤からはがそうとして形跡はないようです。
ということは「別の目的で作ろうとした」と想像した方がよさそうです。
② 高御位山~魚橋山峡~宝殿山はボーダー(防御)の地か?
では「別の目的」となると、たちまち思考停止になります。
あえて考えました。石の宝殿は、石の魔力で西国の敵から都を守るために作ったと考えますが、次のような目的もあったのではないでしょうか。
いま、地球はグローバルの時代です。中国発のコロナは、瞬く間に世界を席巻してしまいました。物部・蘇我の時代も「大陸から仏教をとり入れるか否か」の問題が巻き起こりました。『日本書紀』にも伝染病広がりを記しています。
「目に見えない病魔の都への侵入を防ぐために、畿外と畿内のボーダーになるこの地にデンと設置したのではないか」と考えました。
「はじめから移動を考えたのではなかったのではないか」と考えました。いかがでしょうか。
③ NHKの大河ドラマに松右衛門と高田屋嘉兵衛を!
時代は飛びます。江戸時代の終わりのころです。工楽松右衛門は竜山石を使って、箱館港を建設しました。
高田屋嘉兵衛と松右衛門のみごとなコンビでした。このふたりは、箱館港だけではありません。外にも、日本史を動かすようなビックリするようなたくさんの仕事をしています。
高田屋嘉兵衛は淡路出身の方です。そして地元では、「大河ドラマに高田屋嘉兵衛を」の運動をされています。
高砂市も、高田屋嘉兵衛・工楽松右衛門をNHKに売り込んでいただけないでしょうか。大河ドラマ「高田屋嘉兵衛と工楽松右衛門(仮称)」で取りあげてもらいたいですね。
〈お詫び〉
このシリーズを随分、かってな考えで書いています。多くの方から、お叱りを声が聞こえてきそうです。そのお叱りや感想をお聞かせいただければ嬉しいです。よろしくお願いします。
*写真:石の宝殿(石の宝殿研究会提供)