尾上町をゆく(6) 白旗観音(2) 播磨西国二十八番・郡西国一番札所
西国三十三観音めぐりは、平安時代中ごろ、庶民の間に流行しはじめて、後に貴族たちがまねるようになりました。
人々は病気の平癒(へいゆ)を願い、病気が癒えると、お礼のために、また亡き人の供養のために、罪を犯した者は滅罪のために、さらには自らの死後の平安を求めて、人々は西国三十三観音の巡礼にでかけました。
第一番の札所の那智山西岸渡寺(和歌山県)から最後の谷汲山華厳寺(岐阜県)までの旅は、現在と違い苦行そのものでした。
江戸時代になり治安も確立し、交通機関も整備され、三十三か所めぐりも比較的やりやすくなりました。
◇播磨西国二十八番札所・生竹山白幡観音寺
しかし、誰でも気軽に巡礼の旅に出ることはできません。
生活の苦しい庶民にとっては、現在の外国旅行よりもずっと縁の遠いものでした。
そこで考えられたのが播磨の国の中に、三十三か寺を定めて、それらの寺を巡礼すれば「西国三十三所めぐり」と同じ功徳があるとする「播磨西国三十三所めぐり」です。
このような巡礼がはじまったのは、江戸時代の初めの頃です。
◇郡西国一番札所
さらに、巡礼しやすいものとして、加古郡内に三十三か寺の巡礼のための寺が決められました。
これが「郡西国三十三札所(郡西国とも言う)」です。
郡西国の一番札所は、池田の白幡観音寺です。
* 写真は、白旗観音寺の三十三体の観音像。
観音堂の本尊は聖観音(秘仏)で、写真の観音像は観音堂の内陣の向かって左に祀られています。