志方町をゆく(165) 関東大震災横死供養之碑(細工所・安楽寺)
今日は、関東大震災から100年目です。
8月21日の神戸新聞に、加古川市志方町細工所の安楽寺の犠牲者を悼む「関東大震災横死供養之碑」についての記事がありました。一部を転載させていただきます。
(神戸新聞より)
加古川史学会の岡田功さん(71)同市加古川町溝之ロが、建立の経緯などを紹介する冊子「加古川『関東大震災横死供養之碑』」を発行した。1923(大正12)年に、約10万5千人の死者・行方不明者を出した未曽有の大災害から、9月1日で100年。岡田さんは「当時の惨事に、少しでも思いを巡らせてほしい」と話す。 (斉藤正志)
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岡田さんによると、当時、同寺周辺では、法要などで御詠歌に合わせて扇子を手に舞い、死者を弔う念仏踊りの風習があった。
「関東大震災」の約ーカ月後、東京在住の志方町出身者から、踊りによる供養の依頼があったという。
同年12月の百日忌に合わせ、同檀家を中心に、20歳前後の女性ら約20人が、自費で列車を乗り継いで東京へ。
浅草など10カ所ほどで舞い、被災者らが感涙したとされる。
一行が加古川に帰った後に石碑が建てられ、「関大震災供養之碑」と刻印。裏面には建立の経緯と、東京に行った女性ら20人の名前を刻んだ。
その後(岡田氏の調査)、地元住民に話を聞くなどして、ミニコミ誌に石碑にいて記事を書き神戸新聞にも情報提供。
97年9月の神戸新聞には、踊り子として供養の旅に参加した女性記事が掲載された。 その後は、当時を知る人や資料を探したが新たな情報はなかった。「このままでは、これまで調べてきた結果も忘れられてしまう」との危機感から、地震発生100年を機にに、冊子にまとめることにした。
(以下略)
*写真:関東大震災横死供養之碑(細工所・安楽寺)