別府町をゆく(98) 別府町新野辺(24) 新野辺住吉神社
現代、新野辺の住吉神社は、新野辺以外の人にはあまり知られていないようです。
かつて「境内には松が生い茂っていた立派な神社である」という記録(社寺明細帳・天明二年)がありますが、今は、広い境内の一角にちょこんと本殿があるだけです。
写真は、昭和46年に撮影されたの新野辺住吉神社です。『加古川市誌(第二巻)』の写真(665p)に大きな拝殿が残っています。
玉垣は、大庫輸送機さんの協力より新しい玉垣になっています。
◇綿屋源四郎
残された社殿を囲む玉垣の前に一対の灯籠があります。
向かって左の灯籠の文字は、はっきり読むことはできませんでしたが、右の灯籠は、延享二年(1745)正月の綿屋源四郎寄進の銘をはっきりと読むことができます。
江戸時代後期~明治時代の初めの頃、加古川地方、特に浜手は木綿の生産が盛んでした。
燈籠にある綿屋源四郎は、どんな人か確かめることはできませんが、綿を商う商人で成功し、そのお礼の印に灯籠を奉納したのであろうと考えられます。
◇新野辺住吉神社に残る「肥料王」の玉垣
先に、「別府町をゆく(45)で、肥料王(主)多木久米次郎」を紹介しています。 久米次郎は、設立当時、自分の像に誇らしく「肥料王」と刻んだのです。
時代は戦前で、天皇の時代に、いくらなんでも「マズカロウ」との声が上がりました。 そのため、久米次郎は「王」を「主」とごまかしました。
この時他の石碑の「肥料王」も「肥料主」と変えていますが、新野辺住吉神社の玉垣の石碑銘は行書のためかは訂正されていません。
珈琲飲みながらスマホいじってたら、ふと雑談的で日々の楽しげな風景が垣間見えて、癒されました。とても若々しいですね、あやかりたいです😅✌