野口町をゆく(63) 野口と戦争(6) 攻撃の目標は、高射砲隊?
戦争も終わりの頃です。神戸・明石は大規模な空襲を受けました。
そして、7月3日(昭和20)、姫路が空襲を受け、加古川町も空襲が近いとの流説が飛び交い、疎開が続出しました。
ついに、7月23日にグラマン戦闘機が加古川駅を機銃掃射しました。
続いて、翌24日アメリカ機三機が、小門口(加古川町)に爆弾を投下し、加古川駅に停車中の急行列車を銃撃し、死者1名、負傷者3名の犠牲者がでました。 しかし、実際の被害はさらに大きかったようです。
写真は、水足の集落の中心部にある歌碑です。注意してご覧ください。上部が小さく欠けています。
この欠けた部分は、昭和20年7月30日、連合軍の戦闘機が加古川地域を機銃掃射した時、弾丸が当たり欠けたものです。
この日の加古川小学校の沿革誌には、「加古川町に第二回目の米機の来襲あり被害軽微」と記していますが、日毛加古川工場および寺家町三丁目に50キロ爆弾十数個が落下し、死者2名・負傷者数名がでたと記録しています。
ともかく、加古川は神戸・明石・姫路等に比べ、幸いにも大規模な空襲を免れることができました。
*写真:(加古川市野口町水足)の米谷十三郎の歌碑。