八幡町をゆく(28) 望理の里(2) 上村村池遺跡は、望里の里の役所あとか
2017年3月上村池遺跡の説会に出かけました。上村遺跡の場所は、地図で確認ください。
以下の文章は、3月1日の神戸新聞の記事からお借りしています。(一部省略)
8世紀の建物遺跡など確認 加古川・上村池遺跡
・・・加古川市教育委員会は、兵庫県加古川市八幡町上西条の上村池遺跡を発掘調査し、奈良時代後期(8世紀)の掘立柱建物跡や竪穴建物跡、平安時代後期(12世紀)の溝状遺構を確認した。
上村池遺跡は、弥生時代から平安時代にかけての遺構・遺物が確認される複合遺跡で、本格的な発掘調査は初めて。
見つかった掘立柱建物跡の中には、通常の集落では見られない大型の建物跡も含まれている。
奈良時代の瓦が出土する場所もあり、瓦ぶきの建物が付近に立っていた可能性も考えられるという。
市教委は「遺構の状況を実際に見られるのは発掘現場が唯一の機会なので、多くの皆さんに見学してほしい」としています。(以上神戸新聞より)
調査員さんの説明では、上村池遺跡(うえむらいけいせき)は、奈良時代の望理里(まがりのさと)があった場所ではないかとも想像しておられましした。
私も長い間「望理里はどこかな」と思っていたのすが。一挙に解決ような気分でした。
なりました。
八幡地区の平地部は水害の多い地域です。景色の良い村(里)であったとしても政治の中心地(役場がなどが置かれた場所)生活の場所には不向きな場所ではなかったのではなか」と想像していました。
でも、上村遺跡の調査員の方がつぶやかれた「上村池遺跡は丘の上で、望里の役所の置かれた場所ではないか・・・」と考えています。
*写真:上村池遺跡(奈良時代後期・8世紀)の場所
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