ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

後期高齢者になりました

2018-06-30 08:11:29 | 余話として

      きょう、後期高齢者になりました

 きょうは、630日です。1年でちょうど半分が終わる日なんです。

 私にとって、ちょっとだけ、意味を持った日なんです。

 実をいうと、誕生日です。75才になりました。

 75才(後期高齢者)なんて、ちっともいいことはありません。

 今年は運転免許の切り替えの年でした。先日、更新所で手続きを済ませました。

 世間からは信用されない年のようです。

 認知症テストがあり、高齢者講習があり、それからやっと更新の手続きの資格ができました。

 それに、耳が悪くなりました。眼も手術が必要のようです。

 それに入れ歯もつくりました。

    でも、散歩とブログを続けます

 定年(60才)の時は「老い」の意識は全くありませんでした。これから、時間ができて自由に生活ができると希望がいっぱいでした。

 それなりに、退職後の15年は楽しめました。

 あれから15年。最近上記のように老いの兆候が見え始めました。

 これには何とか抵抗しなければなりません。

 まず体力の維持です。

 昨年の513日より散歩をはじめました。

 チョットしんどい日もあるのですが、以来110.000歩の散歩を続けています。

 皆勤です。

 それというのも孫のせいです。孫が学校を卒業するまで元気でいなくちゃ!

 それまで「ひろかずのブログ」は続かないと思います。まもなく頭がお花畑になるでしょうね。とにかく、それまで頑張ります。

 ブログは押し売りになりますが、お付き合いください。(no425

 *写真:自宅に咲いてたバラ(ひと月前ごろに枯れました)

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夏の風景

2018-06-29 10:18:58 | 風景

    古新堰堤(こしんえんてい)

 加古川は大きな川ですが、特に米田町古新辺りから川幅を広げて、瀬戸内海に流れ込みます。

 むかしから加古川は、大量の土砂が河口辺りで堆積させ、その流れを妨げてきました。

 そのため、浅くなった川底のためにしばしば氾濫し、水害を引き起こした暴れ川でした。

 特に、江戸時代、河口の高砂港は、この堆積により港が浅くなることが最大の問題でした。

    塩 害

 河口あたり水のもう一つの問題は、塩水が混じった気水域であることです。

 塩水を含んだ水は直接、田畑に利用できませんし、飲料水にも適しません。

 河口から少し離れた米田町古新辺りでは塩も薄くなっているのですが、大潮のときなどは、ここで塩水を防ぎ、加古川の水をその堰の上流から取水する必要がありました。

 この塩水を防ぐために「古新堰堤」がつくられました。

      夏の風景

 きのう(6/28)、東岸の散歩の途中、古新堰堤を歩きました。

 昨日は、特に蒸し暑い日でしたが、川の流れを遮る堰堤の上は、水の流れと風ひんやりとして、別世界です。

 それに水音と、水しぶきは夏の風景でした。近くに気持ちの良い、素晴らしい風景があるんですね。(no424)

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ヤハズ(矢筈)

2018-06-28 13:28:39 | 風景

 

        ヤハズ(矢筈)

 子どもの頃、小さな葉っぱの上下を引っ張って弓の羽の形にして遊んだことはありませんか。

 葉っぱの名前は、ヤハズ(矢筈)です。

 今朝、散歩から帰ってきて腰を下ろすと、ヤハズが群生(写真)しているのです。

 しばらく忘れていた名前です。

   フワッとしていて座ってみたくなりました。

 葉っぱを引っ張ると「切り口」が「く」になり見事な矢羽のようになります。

 子どもの頃そうして、よく遊びました。

 もちろん名前はここからきています。

 最近は、子供はこんな遊びをしませんね。

 カラスノエンドウの実ができるときに近所の子供とカラスノエンドウの笛をつくり遊びました。

 やめようとしませんでしたよ。

 ヤハズは、それほどのインパクトはないと思いますが、教えてあげようと思います。

 日曜日が楽しみです。

 ヤハズ(矢筈)は、いまの時期どこにでもある草ですで、試みてください。

 大人でも初めての方は驚かれますよ。(no423)

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ネジバナ・モジズリ

2018-06-27 06:29:22 | 風景

     ネジバナ・モジズリ

 小倉百人一首の有名な一首に「モジズリ」があります。

 「みちのくの  しのぶもぢずり 誰ゆゑに  乱れそめにし 我ならなくに」です。
 「モヂズリ」は、しばしば「ネジバナ」(捻花)を指すと言われます。 
 「ネジバナ」の別名は「モジズリ」(捩摺)です。 
 ネジバナ(ラン科ネジバナ属)の花が、花茎にラセン形によじれて付く様子を、身をよじるほどの恋心にたとえたものであるとの解釈です。

 

 この花を久しぶりで見つけました。

 場所は、日岡山の水源地跡の展望台です。

 そこは、静かな小さな公園です。

 日岡山散歩のときは、いつもここへ寄ります。

 静かな、落ち着いた公園です。

 時々、散歩の人が東屋(あずまや)のベンチで休んでおられます。

 そこの芝生の一角にねじ花(もじずり)が密集して咲いていす。

 ここに来られるのは、お年寄りがほとんどで、あまり子どもが喜ぶ公園でないので、荒らされることがなく咲いているのかもしれません。

 「モジズリ」の開花期は、もうすぐ終わります。

 日岡公園へ行かれた時には、水源地跡の展望台にも足を運んでください。

 珍しい花です。摘み取らないように、写真でご辛抱ください。(no242

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ノウゼンカズラが満開になりました

2018-06-26 12:41:29 | 風景

 

  

    ノウゼンカズラが満開になりました

 6月19日のブログで「ノウゼンカズラが咲き始めました」と紹介しましたが、

 今朝の我が家のノウゼンカズラ(写真上)は満開になりました

 2年前に円照寺さんから頂いた小さなノウゼンカズラですがこんなに花を咲かせてくれました。。

 

 お知らせです。

 円照寺(東志方広尾)では、いまノウゼンカズラ(写真下)のように見事に咲いていることでしょう。

 ぜひ、ご覧になって下さい。

 おそらく新聞でも紹介されると思いますが、本堂のローカから見る境内のノーゼンカズラの風景は絶品です。

 6月下旬から7月上旬見頃です。私も日曜日にでかける予定です。(no241)

 *写真下は、昨年撮影した円照寺のノウゼンカズラです。

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麻生氏「新聞読まない人は自民支持」

2018-06-25 12:25:16 | 政治

 24日の読売新聞は、次のような記事を掲載しました。

 (以下の記事は、インターネットからお借りしていす) 

   麻生氏「新聞読まない人は自民支持」…不満示す

 麻生副総理兼財務相は24日、新潟県新発田市で講演し、「はっきりしていることは10代、20代、30代前半、一番新聞を読まない世代だ。新聞読まない人たちは全部、自民党(支持)だ。新聞取るのに協力しない方がいいよ」と述べた。
 最近の選挙では若年層の自民党支持率が高い傾向にあるとして、安倍内閣に批判的な新聞への不満を示したものだ。

 

 不満であれ、冗談あれこんな意見を講演会で堂々と主張する政治家を持つ日本は不幸です。

 「若者よ!新聞をよく読んで、何が正しいのか自分の意見を持とう・・・」と呼びかけるのが政治家の役割のはずです。

 こんな政治家は即やめていただきたいですね。(no240)

 *写真:講演会(新潟県新発田市で)

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アガパンサス

2018-06-24 11:24:04 | 散歩学

   アガパンサス

 散歩をしていると、いろんなんことを発見します。

 玄関にたくさんの花が飾ってある家も多くなりました。

 だいたいは、見たことのあるのですが、名前となると分からない花が結構あるんです。

 散歩のとき、デジカメで撮影しておきます。

 そんな花の名前を辞典で調べてみる者も楽しいです。

 が、わからないことが多いですね。

 

 この時期、アジサイの花が多いのですが、アガパンサスの花も結構植えておられます。

 そんな関係で、「アガパンサス」の名前を辞典で覚えました。

 自宅にもアガパンサスが咲いているんです。

 最近まで名前は知らないままでした。

 先日、近所の人が「その青い彼岸花のような花、きれいですね・・・」と花の名前を聞かれたんです。

 「これ、アガパンサス」ですと教えてあげると、私は現芸に詳しい人だと思われたようです。

 花の名前を覚えることは、きっとボケ防止にもなると思います。

 花の名前を一番覚えるのは園芸店です。

 最近は、園芸店にもよく行くようになりました。(no239

 *写真:自宅のアガパンサス

 

 

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加古川市は、日本で最も自然災害が少ないところ

2018-06-22 14:32:24 | 余話として

  加古川市は、

        日本で最も自然災害が少ないところ

 加古川市長・市議会議員の選挙の真っ最中です。

 それぞれの立候補者は加古川市の人口減を気にされているようです。つまり「住環境を改善すべき・・・」と考えておられるようです。

 少し違った方向からみておきます。

 今、地震・火山い活動が多いと思われませんか。

 地震・火山学者は活動期に入った主張されています。

 とすると、将来の都市づくりの最重要課題は地震対策のはずです。

 さいわい加古川市を含む東播磨地域は、日本でもっと災害の少ない地方といってよい地域です。

 津波も、淡路島がデンと横たわり防いでくれています。

    加古川遷都論

 関東大震災の後、安全な土地に首都を移転させようという計画がありました。

 その有力な候補のひとつが加古川(市)地方だったのです。

 「加古川首都・加古川(幻の遷都論)」を見ておきましょう。

 

 大正12年(1923)9月1日、東京を中心に未曾有の大震災がおき、政府の一部に壊滅した首都を東京以外の場所に移そうとする遷都論がおきました。

 「今村均・回顧録」(当時の参謀本部少佐、後に陸軍大将)によれば、国土防衛上の観点から首都移転を極秘に検討し、加古川の地を候補地の一つにあげています。

加古川が候補にあげられたのは、第一に災害が少ない地域であるということであったようです。

が、その他に「中国大陸侵略に備え、日本の首都を西に移すべきである」との考えがありました。

 候補地として、加古川の他に八王子(東京都)はともかく、ソウル(韓国)が、あげられていました。

 ソウルを日本の首都に候補に挙げたのは、露骨な中国大陸侵略に備えた遷都論です。

 「遷都(八幡和郎著)」(中公新書)では、加古川への遷都の理由を次のように述べています。

 「・・・(首都の候補地は)兵庫県加古川の平地である。歴史上、(大きな)大地震にみまわれたこともなく、水資源も量・質ともに条件がよい。

 防空という観点からも理想的である。

 商工業都市としての機能は、阪神に任せ、皇室、政府機関、教育施設のみを移し、ワシントンをモデルに設計する・・・」

 この遷都論は、やがて各方面にもれ、動揺が起こり、立ち消えになりました。

 関東大震災の後、新しい首都選びの最大の基準あ在外の少ない土地、つまり加古川地方だったのです。(no238)

*写真:関東大震災(東京)

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オシロイバナ

2018-06-21 18:16:39 | 余話として

     オシロイバナ

 オシロイバナは園芸種でしょうか、それとも雑草の仲間でしょうか。

 園芸種にしては、たくましい生命力を持っています。

 自宅の前にもこんもりとオシロイバナが咲いています。

 いい香りを放っています。

 水をやったり、肥料をやったことはありません。

 でも、毎年見事な花をつけています。その勢力範囲も広げています。

      英語ではFour o'clock

 オシロイバナの説明をウィキペディアでは、次のようにあります。

 ・・・全体にみずみずしい緑

 花は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない。

 花は夕方開き、芳香がある。

 このため和名としてユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれる。

  高校時代の同窓生(女性)のブログを読んでいました。

 花もお好きなようで、ブログではよくは、花について投稿されています。

 あるとき、オシロイバナの英語名について投稿されていました。

 「Four o’clockといい、夕方から花が開く・・・」と。

 以来、この花を見るとFour o’clockの単語が浮かびます。

 そういえば、昼間は花弁を閉じています。

 Four o’clockは、機械的な呼称で、私はオシロイバナの方が好きですが、夕方の涼しい風を感じますね。(no237)

 *写真:自宅前のオシロイバナ(5:30撮影)

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 旧大庄屋・大歳家の改修が始まりました

2018-06-20 08:52:17 | 歴史・文学

 旧大庄屋・大歳家(加古川市別府町新野辺)の傷みが激しく、改修工事が始まりました。17日(日)午後2時から、大歳家の改修・大歳家の歴史の説明会が行われ、出かけました。

 今朝(6/20)、その記事が神戸新聞で報告されていますので転載させていただきます。(記事・写真ともに神戸新聞から)

   旧大庄屋・大歳家の改修が始まりました

 老朽化に伴う改修工事が進められている江戸時代の邸宅「大歳家住宅」(兵庫県加古川市別府町新野辺)でこのほど、近隣住民が邸宅の歴史について理解を深める見学会が開かれ、約80人が参加した。

 大歳家は、1838~71年に加古川河口付近一帯の庄屋を取りまとめた「大庄屋」。約2千平方メートルの邸宅の敷地に並ぶ9棟の母屋や茶室などが国の登録有形文化財となっている。

 末裔の大歳正明さん(52)が敷地内に住んで管理しているが、老朽化が進行。外壁は傾き、昨年11月の台風で屋根の瓦が数カ所外れて雨漏りが起こった。大歳さんと近隣住民、建築士らで改修プロジェクトを立ち上げ、4月下旬から瓦の葺き替え工事など、第1期の改修工事を進めている。

 見学会では、1級建築士田村真一さん(44)が、工事計画を説明。また、県文化財保護指導委員の小林誠司さん(52)が大歳家住宅の歴史的価値を解説し、古文書千点以上が残されていることなどを紹介した。

 第1期工事は秋ごろの完了予定。その後も補修工事を重ね、将来的には住民が使うスペースとして活用することも検討しているという。近くに住む男性(75)は「書院造りの部屋やふすま絵に、建物の長い歴史を感じた。地域が守っていかなければ」と話していた。(小森有喜)(no236)

 

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ノウゼンカズラが咲きはじめました

2018-06-19 11:13:23 | 風景

 

   ノウゼンカズラが咲きはじめました

 6月終わりから7月にかけてノウゼンカズラが、満開になります。

 その時、円照寺(東志方広尾)の山門をくぐると、ノウゼンカズラがみなさんを、お迎えします。

 みごとなノウゼンカズラに驚かれると思います。

 それもそのはず、「日本一のノウゼンカズラ」の風景となります。

 「日本一とは、大げさな・・・」と思われるかもしれませんが、今のところ、これ以上のノウゼンカズラの風景について聞いていません。

 この素晴らしいノウゼンカズラを多くの方にご覧いただきたいですね。

 写真は、今日(6/19)の我が家のノウゼンカズラです。

 きのうから咲き始めました。

 いっぱい蕾をつけています。明日あたりは、もっと多くの花をつけるでしょう。

 このノウゼンカズラは、2年前に円照寺からに小さな苗をいただきました。

 ですから、円照寺と同じ花です。

 もうすぐ円照寺のノウゼンカズラも見頃になります。

 みごとな花なので、毎年新聞でも大きく報道されます。

 その時は、円照寺へ出かけましょう。(no235)

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地震

2018-06-18 16:27:40 | できごと

       地 震

 きょうの午前中の地震には驚きました。

 でも、地震の規模はそれほど驚くほどの地震ではないようです。

 きのう、親戚の人が足のけがで明石の市民病院に入院をしましたので、地震の後、お見舞いに出かけました。

 バイパスではたちまちに渋滞に見舞われてしまいました。土山で下道に出るとそこも大渋滞。結局明石の病院までは2時間以上かかってしまいました。

 原因は間接的ですが、地震のためです。

 日本の国は震災に弱いですね。

    首都機能の移転から

 言葉は悪いですが、この程度の地震でも生活に直接結びつきます。

 それが南海地震に見舞われるとどうなるのでしょう。

 日ごろ南海地震などについては意識しないで生活しています。

 でも、30年以内に確実に襲われるようです。

 それでも、みんな「私たちの地域は大丈夫だろう。私たちの生きている間は起きないだろう・・」と考えて生活をしているんですね。

 そんな大(巨大)地震が東京・名古屋・大阪等太平洋岸を襲うとどうなるのでしょう。

 それを防ぐために策がなされているかといえば個人を含めてほとんど無策です。

 人々を適正規模で地方へ分散する策を急いで、こうじるべきなんでしょうね。

 いい考えは思いつきません。

 でも、そうしなければ日本の壊滅です。先日「新聞は、日本は巨大震災で世界の最貧国になるかもしれない」と報じていました。

 利害は絡みますが、とりあえず、首都機能の地方分散から手を付けるべきなんでしょう。

 無理でも考えなくてはいけない、待ったなしの時代のようです。(no234

 写真:大阪府枚方市(神戸新聞より)

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孫と遊ぶ

2018-06-17 10:31:42 | 散歩学

     孫と遊ぶ

 梅雨とは言え、きのうは快晴! そのせいで暑かったですね。

 それに、土曜日で孫は学校が休み。テレビの前でゴロゴロしています。

 「宿題は終わった」というし、勉強をする気持ちもなさそう。

 このままではいけないので、昼食後外へ連れ出しました。

 やはり子供は、外で体を動かすことが一番いいですね。

 「昼からどないしょう」というと、パークタウンへ行きたいという。

 「パークタウンのあと、お爺ちゃんの散歩に付き合うか」というと「うん・・」という。

 まず、パークタウンへ出発しました。行くお店は、まず「百円ショップ」です。

 孫は、ハート型の眼鏡と肩から下げるビニールのバックを買って大喜び。

 私に、造花のアジサイの花を進めてくれました。全部で500円ぐらい買い物でした。

 それから本屋により少しだけ文字の多い本を選んだのです。本が好きな子供になってほしいね。お爺ちゃんバカですね。

 アジサイの花は、写真のように書斎に飾りました。造花ですが華やいだ雰囲気になりました。

 216円でこんな気持ちになれるなんて安い買い物です。

    平荘湖遊歩道の散歩

 その後、孫は買ったばかりのハート形の眼鏡をかけて平荘湖の遊歩道を一緒に歩きました。

 途中でネズミの死骸を見つけて大騒ぎ。

 途中休み休みの散歩でしたので、散歩を楽しむことができました。

 孫は、お喋りの好きな子です。時間がたつのが早いです。

 歩数計を見ると9,000歩を超えています。

 散歩を意識しないで歩いたからなんですね。

 今朝は、机上のアジサイを見ながらこの文を書いています。

 昼から、旧大庄屋・大歳家の説明会に出かけます。(no233

 

 

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コスモス

2018-06-16 09:38:27 | 風景

     コスモス

 去年のことです。

 正確にいえば、その土地は自宅ではありません。

 お隣さんの土地なのですが、そこは空き地で、自宅の玄関の真向いです。

 お隣のおばあちゃんが「草も刈らないでごめんなさい・・・」と気にしておられます。

 私の方は全然気にしていません。自然があって、自分の家のビオトープみたいで楽しんでいます。

 その庭に去年は、許可を得てコスモスの種を蒔いてみました。

 蒔くだけです。その後の手入ればしません。土もかぶせませんでした。

 でも、コスモスはみごとに咲いてくれました。。

 今年は、その種が散らばったのか、去年よりたくさんのコスモスが育っています。秋が楽しみです。

     小さなコスモスが花がさきました

 コスモスは強い植物ですね。自宅の玄関先はコンクリートの通路になぅていますが、そのひび割れからも数本のコスモスが生えています。

 これらの、コスモスは邪魔になるので、抜こうと思っているのですが、その一本になんと秋でもないのに花を咲かせているんです。15センチぐらいの小さなコスモスが咲かせた花です。

 もう花をつけてから1週間にもなります。

 コスモスに目があったら「私・・・間違ったかな・・」と考えるかもしれません。

 かまいません。かまいません。それが個性なんです。(no232)

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延命寺(えんめいじ)の写真みつかる

2018-06-15 08:17:53 | 歴史・文学

〈史料として:画像の悪い写真ですが、写真がありました〉

      延命寺(えんめいじ):大正時代末に廃寺

 西国三十三観音めぐりは、平安時代中期ごろ、庶民尾間に流行し始めて、後に貴族たちがまねるようになりました。

 人々は病気の平癒(へいゆ)を願い、病気が癒えると、お礼のために、また亡き人の供養のために、罪を犯した者は滅罪のために、さらには自らの死後の平安を求めて、人々は西国三十三観音めぐりにでかけました。

 第一番の札所、那智山西岸渡寺(和歌山県)から最後の谷汲山華厳寺(岐阜県)までの旅は、現在と違い苦行そのものでした。

 江戸時代になり治安もよいくなり、交通機関も整備され、三十三か所めぐりも比較的やりやすくなり、かつての苦行巡礼は、レクレーション的な性格さえ持つようになりました。

 しかし、誰でも気軽に巡礼の旅に出ることはできません。生活の苦しい庶民にとっては、現在の外国旅行よりもずっと縁の遠いものでした。

 そこで考えられたのが播磨の国の中に、三十三か寺を定めて、それらの寺を巡礼すれば「西国三十三所めぐり」と同じ功徳があるとする「はりま西国三十三所めぐり」です。

 このような巡礼がはじまったのは、江戸時代の初めの頃です。

 この播磨西国三十三所めぐりの二十八札所として池田の観音寺が選ばれました。

    郡西国巡礼七番札所・延命寺

 さらに、もっと巡礼しやすいものとして、加古郡内に三十三か寺の巡礼のための寺が決められました。

 これが「郡西国三十三札所(郡西国とも言う)」です。

 郡西国の一番札所は、池田の観音寺です。そして、七番札所が今福延命寺でした。

 延命寺は、明治の廃仏毀釈で建物は残ったものの廃寺となりました。

 今福公会堂の入り口の右のところに、公会堂の入り口にしては不似合いな柱が二本(写真)ありますが、それらは延命寺の山門で、わずかに延命寺の面影を残しています。(no231)

 *写真:延命寺(大正末に廃寺・ある本に画像が悪い写真がありました。資料として掲載しておきます。自宅の西となりです)

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