
今朝、だるま朝日の撮影に、行ってみました。しかし、朝日は雲に隠れて、だるまは見られませんでした。それでも、観光客の方は、室戸岬で朝日が見られたということで、歓声をあげながら撮影していました。
室戸岬では、だるま朝日と、夕日の両方が見られますが、室戸岬といえば、ふつう、だるま朝日です。ところが、だるま朝日は、見られる確率がたいへん小さくて、だいたい、月に一度程度しか見られません。
だるま朝日を室戸岬で見られるということは、とても幸運なことなのです。だるま朝日を見られ確率が小さいだけではなくて、室戸岬で、だるま朝日を見るということは特別なものです。なぜなら、室戸岬は、空海が悟りを開いた場所だからです。
空海は、『虚空蔵菩薩』のマントラ(真言)を百万回唱えることによって、室戸岬の『御厨人窟』で悟りを開いたといわれています。1日、一万回『虚空蔵菩薩』のマントラを唱えても、百日かかる計算になります。
空海が悟りの場所として、室戸岬を選んだのは、偶然では、ありません。室戸岬は、朝日と、夕日の両方が見られる特別な場所です。朝日、夕日は、『虚空蔵菩薩』の化現とも言われます。
空海が悟りを開いた場所で、だるま朝日を見ることはたいへん大きな意義があります。たとえ、だるまにならなくても、室戸岬で朝日を見ることは、意義があります。
さらには、『だるま』という言葉もたへんありがたいものなのです。何気に『だるま』という言葉使っていますが、その意味するところが分かっている方は少ないと思います。
一般的に、よく知られている『だるま』の形から、何を連想できるでしょうか。『だるま』とは、選挙の時に登場するただの『置物』なのでしょうか。いいえ、違います。
『だるま』をよく見てください。人の頭と、同体の形をしています。ふつうは、『だるま』には手と足がないので、人間というふうには思われないかも知れません。
しかし、『だるま』とは、実在した人物です。『だるま』というには、あまりにも畏れ多い気もします。中国に、『禅宗』をもたらした、禅宗の開祖さまが、『達磨大師』でです。
『少林寺拳法』で、日本では馴染みの深い、『少林寺』で、『達磨大師』は、9年間、壁に向かって『座禅』を組んで、悟りを開いたといわれています。9年間も座禅を組んでいたので、足が腐ってしまったということです。
もう、おわかりのように、『だるま』とは、『達磨大師』が座禅を組んだ形です。空海が悟りを開いた、室戸岬で朝日を見るだけで、ありがたい上に、その朝日が『だるま』になるということは、たとえようもなく、ありがたいということです。
ですから、室戸岬という特別な場所で見る『だるま朝日』は、格別なもので、それを見たものに幸運をもたらさないはずがないと思います。
画像は、過去10年ほど、室戸岬に通い続けて撮影しただるま朝日の中で、もっとも珍しいものです。撮影したのは、今から6年ほど前だったと思います。リバーサルのフィルムでの撮影です。
レンズは、300ミリF2.8に2倍のテレコンを2個つけて、合焦点距離は、1,200ミリになります。撮影当日は、ガスがかかっていて、たぶん、だるまは見られないだろうと思っていたのですが、それでもあきらめずに、日の出のを待っていると、ガスの向こうに、だるま朝日が現れました。
太陽を横切る雲が、まるで、ストライプのような模様を作りました。モニターで分かるでしょうか。見事に、ストライプ模様になっています。
こういう、ストライプ模様のだるま朝日を見たのは、この時だけでした。おそらく、10年とか、20年に1度しか見られないものだと思います。室戸岬で、だるま朝日を見られるだけで幸運なのに、さらに、こういう、珍しいストライプ模様のだるま朝日を見られるということは、よほど、強運だったのだと思います。
これだけのめずらしいだるま朝日ですが、コンテストではまったく評価されません。室戸岬でのだるま朝日の撮影ポイントは、『水掛地蔵』の前の海岸から、『観光ホテル』前の海岸あたりです。
室戸岬で、だるま朝日を撮影して、コンテストで入賞するには、波と組み合わせか、船と組み合わせるしかないようです。やはり、甲浦のような、手前に絵になる岩のあるところでないと、入賞は難しいでしょう。
しかし、甲浦で、だるま朝日を見ても、ご利益は、ないように思います。だるま朝日は、空海が悟りを開いた、室戸岬に限ります。
