故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

毎日が楽しい

2016-09-30 04:50:00 | よもやま話

毎日、一生懸命になりがちです。
休みながらでも良いでしょう。
そのうち、調子が出てきます。


今日のタイトルは、「毎日が楽しい」です。
馬鹿言うんじゃないよ。と多くの人から聞こえてきそうです。
実際、自分の中からも叫びだしそうです。
でも、言わない。

言わないと決めたからには言わない。
ぐっと、我慢する。
どうせ続かないのだけど、その時も言わない。
「毎日が楽しい」と思えるようになると素晴らしいことです。
そんな必要もないかもしれません。
それこそ、ちょっと重苦しい。
坦々と毎日を過ごす。

何々しなきゃと思います。
そんな時の絵手紙は、うまく描けません。
どこかでうまく描いてやろうと邪心が入ります。
自分の実力はこんなものと開き直って、無心になって描きます。
出来たものはこんなものですが、清々しい気持ちが湧いてきます。

線さがし、色さがしを、ただ続けるだけです。
それだけでは足りません。
この人は、ここが素晴らしい。この表情を出したい。
笑顔を視ながら、描き手もいつしか笑顔になってくるから不思議です。
共に笑って、はい出来上がりです。

毎日が楽しい。
それは、心の持ちようと言うより、心の出し方のようにも思います。
決めてかかる。かかったからには一段落するまでやり抜く。
その繰り返しです。結果は後からついてきます。
結果は楽しい時も、そうでない時もあります。
でも前向きに取り組んだ。やろうとした。
そのことの方が、毎日が楽しいに近づけるような気がします。
考えずに、躊躇しないでやってみる。
出来なくても、またやってみる。
やろうとする気持ちをはぐらかさないで、少しずつやることです。
身体が動かなくてできない時がきっときます。
その時は、その時です。心配しても始まらない。

滝の水 素直に落ちて しぶき飛ぶ

2016年9月30日
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まどろむ

2016-09-29 17:26:45 | よもやま話

たくさん寝たのに、まだ眠たい。
そんな時間のことでしょうか。

今日のテーマは、「まどろむ」です。

オーストリアのザルツブルグに行った時のこと。
その土地の営業所長(オーストリア人)が、地域のレストランに連れて行ってくれました。
料理が旨くて酒(ワイン)も美味かった。所長は、実は遊び人じゃないかと思いました。
早く(夕方5時)飲み始めたのは、理由がありました。
「行こう」というのでついていったら、宮殿のようなホールに入って行きました。
音楽ホールに、カルテットが準備していました。
私達は、早かったらしく一番前の席でした。
日本から一緒に来た、会社のお客さんと座りました。

良い音色の音楽を聴いて、我々4人はぐっすり寝てしまったようです。
うつらうつらと、実に気持ちが良かったのを覚えています。
遊び人の所長さんは、それでよいんだと言ってくれました。
良い音楽を聴くと、気持ちが良くなるもんですとも。
「まどろむ」ではなかったかもしれません。

もう少し眠たい。今日は何もやることがない。
こんな至福の時はありません。
「まどろむ」ことを忘れてしまったような働き蜂のような生活でした。
今では、腰が痛くなるので、長く眠れなくなりました。

家で飲む酒は、実に効率的で、妻の噂話を聞きながらうつらうつら。
聞いてる風で、うなづくのか船を漕いでいるのか見境がなくなりました。

まどろむなんて、幸せなんだなと思います。

雲隠し 眠ったふりして お月さん

2016年9月29日
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蜂の一刺し

2016-09-27 23:39:21 | よもやま話

春先には、毛虫にやられました。
伸び放題の植木や垣根に毛虫がいたのです。
アメリカシロヒトリの名前も覚えました。
毛虫の毒針が衣服について、洗濯したのを着ても
痒いことがありました。
毎日、妻と二人でキンカンを塗りあっていました。
それからは、完全防御をしました。
長袖に手ぬぐいの首巻、手甲と脚絆を付けました。
それからは、虫にやられることはありませんでした。

今日のテーマは「蜂の一刺し」です。
昔からある、女の人の仕返しの一刺しではありません。
この時期の蜂は、攻撃的です。
空き家の草を刈っていたら、腕にちくりと痛みが走りました。
辺りを見ると草むらから何匹かのスズメバチが出てきました。
飛んでいるやつもいました。

さっそく家に帰りキンカンを塗っては乾かしさらに塗りました。
巣がどこにあるのか確かめなければなりません。
カッパを着て、フマキラーを持って、草むらを笹竹でたたきながら
見つけました。空き家の床下の通風口から、次々に出てきました。
フマキラーを通風口に吹きかけながら笹竹で蜂の群れをたたくこと数回。
今度は指先と尻を刺されました。
また家に帰り、キンカンを塗りました。

キンカンを塗った当初は、痛みは緩和されたようでした。
ひどくならないうちにと薬局に行き、
それなりの塗り薬をもらい、今度刺されたらショックで緊急事態も考えられる。
と脅かされました。救急車を呼ぶしかありませんとも。
実は、この夏に一度、蜂(あしなが)に刺されていました。
一度刺された人の20%の人は、二度目刺された時、異常な反応をするとのことでした。
私は、きっと残りの80%に入るのでしょう。

もう蜂には近づきません。
冬に、名人に蜂の巣をとってもらうよう依頼しましょう。
刺されたところが腫れてきました。
アイスノンで冷やしながら熱をとっています。
3日も経って、痒くなってきたら、直り始めです。

田舎での 蜂虫慣れて 次はなに

2016年9月28日
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秋深し

2016-09-27 07:12:56 | よもやま話

先輩が、カナダ旅行から帰って来られました。
一週間の弾丸ツアーです。機中泊が2泊あったそうです。
70歳を越えての旅です。
お元気としか言いようがない。
土産話が楽しみです。

秋が始まり、いつの間にか深くなっていました。
栗を拾ったよと、何回もいただきました。
妻が、渋皮付きの栗の甘露煮を作ってくれました。
いただくばっかりじゃと甘露煮を瓶詰にして配ることにしました。
妻は、何故か瓶詰した後、出かけるのを躊躇しています。

美味くできなかった。最初に作った時のほうが美味しかった。

仲人さんに、絵手紙を送ろうと思うけど、この頃描く絵は似顔絵ばかりで
彼女を楽しませるような絵が描けておりません。
地域の秋の風景の絵を描いてみようかなと思い始めています。
さらに、忙しくなります。

地域の人に何でも話すようにしています。
仕事の悩みが多いのです。面白がって、相談にのってくれます。
昨日のブログに書いたように、
巻き込まないように気を配り、
面白さや楽しさを、分かちあうことができれば良いのです。

栗に米 芋食わずとも らっぱ鳴る

2016年9月27日
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巻き込むと分かつの違い

2016-09-26 05:33:37 | プロジェクトエンジニアー

京都永観堂で見た地蔵さんです。
何も言わないけれど、にこやかに包んでくれてるようでした。


お前、馬鹿だね。
本当に馬鹿だね。
私にとっては、最高の褒め言葉です。

今日のタイトルは、「巻き込むと分かつの違い」
仲が良い4人がいました。
気が合って、バンドを組みました。
曲を作り、路上ライブに一生懸命でした。
いつしか認められるようになり、最初はラジオに、次にテレビに出るようになり
彼らは、メジャーになりました。
それから、4年経ちました。

メンバーの一人が解散しようと言いました。
時代が、変わり彼らはテレビに出なくなっていました。
メンバーのリーダーだけは、売れ続けていました。
ある人は、田舎に帰り家業を継ぎたい。
またある人は、大学に戻って医学の道を究めたい。
最後のメンバーは、俳優になりたいと言います。
リーダーは、あんなに仲が良かったのに、どうしてこんなことになったのか。
いつからだろうか。と思い始めます。
数か月後に彼らは解散し、各々の道をたどり始めました。

リーダーが求める音楽感は、彼らの成長と共に飛躍的に伸びて生きました。
次から次に作るバラードはファンの心をわしづかみにしました。
でも、他のメンバーは、そんなものを目指していたんじゃないと思い始めました。
一時のあがきのような青春のため息を伝えたかったのです。

リーダーは決断をしました。
巻き込むのはやめよう。
あの時代の4人では、もうなかったのです。
それぞれの道を見つけたのです。
家業を継いだ人、医者になった人、俳優になった人も
それぞれ今でも音楽を楽しんでいます。

あの時代、4人は自分たちの造る音楽で、喜びを分かち合っていました。

リーダーは今でも、彼の音楽でファンを痺れさせています。
彼は表舞台から消えるように、今では若い歌手に彼が作った楽曲を提供しています。
どの歌も、心に滲みるものでした。

「巻き込むと分かつの違い」について、書いてみました。

私は、今悩んでいます。
いつもの飲み仲間に、私が企画したイベントに参加してほしいとお願いに行きました。
仲間内で時々飲む分には良いけれど、まったく知らない人と交流のためとは言え、
参加をするには歳をとり過ぎたから。別のイベントの準備があって忙しいから。
そうなんです。人にはそれぞれの事情と都合があります。
その事情を乗り越えても一緒にやる理由がないのです。
私は、さらに求めることをやめました。

喜びを分かつことが出来なくなったら、別の仲間を探した方が良いのです。
そして、またいつもの飲み仲間とあったことを話して気軽に飲んだら良いと思います。

遊んだね 幼な友達 今昔

2016年9月26日

2016年8月3日投稿記事「去る者は追わず、来る者は拒まず(Part3)」
参照ください。ハイライトの部分(記事)をクリックすると記事が出ます。





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