故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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これしかないでしょう。
僕らは今日も生きている。
絵のタイトルです。
頑張ろう。
知らんけど(大阪のおばちゃん風に)
2017年11月24日投稿記事「復活」を読んで、
今日のタイトル「心の一勝一敗」を書くことにしました。
誰しも落ち込むし、なんらかのきっかけで生きようかと思う。
2015年1月16日投稿記事「一勝一敗」では、
過酷な現場で監督をする若者は、同期の華麗な生き方を羨望しているが、
長い間の苦労は健康な体を作ってくれると知ることで、心のバランスを保った。
毎日繰り返す心の浮き沈みについて考えます。
「悲しみと共に生きている」と、朝ドラに出てくる写真屋のおじさんは言った。
愛妻に先立たれたおじさんが強く見えたのである。
借金取りに追われ、今日のことより数時間先のことしか考えられなくなる。
こんな淵にいながら、心を強くすることができる。
何だろうと想像する。
無我夢中。
きっと、自分のためにとは考えていないだろう。
この子のために、この人のためにと生きてきた。
こんなことじゃ終われない。
歯を食いしばる気持ちはなんだろう。
何とか道がある。一縷の望みがある。
究極は、まだ生きている。
生きていていいんだよと言われているような。
男を渡り歩く女がいる。
武器は美貌。
歳を重ね、容色は衰えるばかり。
若い時を知っている男には、年も容色も関係ない。
自分さえ歳をとっている。
女に責任は無い。男が勝手に恋をしているに過ぎない。
女はこうして生き抜いていく。
「心の一勝一敗」は、生きることそのもののような気がする。
何が一勝、何が一敗と再考する。
あなたの人生は、何勝何敗ですかと聞かれて、
二勝ゼロ敗と答える方はいない。
ゼロ勝二敗と答える方はいるかもしれない。
向上心の塊か、本当の欲張りです。
欲張り故に、いつしか気付く。
大事だと思っていたものが崩れ、新たな価値を見つける。
写真屋のおじさんは、「生きていると、楽しいことがある」と言った。
何時間先のことしか考えられない人も、
生きているうちに、少しずつ時間が延びるかもしれない。
明日のことを考えられるようになれば良い。
生きるために食べる。
食べるために生きる。
そんなところかもしれないな。
だけど、犯罪者が刑務所に帰る再犯率は意外と高い。
あきらめないで、決めつけないで生きて欲しい。
生きることが、一勝一敗なんだから。
主無き 棗(なつめ)今年も 実を付けた
2018年9月29日
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絵のタイトルは、「どこまでも美しく」です。
しかし本物には敵いません。
表情が少しきつめになりました。
いつものようにごめんなさい。
今日のタイトルは、「まず動く」です。
夕ご飯の洗い物をし、洗濯物を干しました。
今日が、この一週間で唯一の晴れ間と天気予報が言っていました。
米を研ぎ、ちょっぴり飲み残した酒を足しました。
朝炊くはずの舞茸ごはんの準備です。
炒めた舞茸をご飯に足して少し蒸らすとできるのよ。
と妻から教わりました。
早起きの私に作れといわれているような。できるのかいな。
ここまで約一時間、3時前のことです。
目下の気がかりは、似顔絵を描くことです。
棗(なつめ)と山椒を収穫することです。
畑と空き家の草刈りです。
仕事のことは気にかかりません。
時間が割り振られているから、その時やれば良い。
自由な時間のやりくりに悩んでいます。
永遠のテーマのような、やりたいのに時間がない。
葛藤のように、お茶を濁すように、いつも何かにとりかかりました。
似顔絵を描くためには、2時間それに集中しなければなりません。
この集中が億劫になっているのです。
美人がいっぱい待っているのに、この体たらくは情けない。
妻が寝ている今こそチャンスです。
今日こそ 計画倒れ 今昔
2018年9月28日
<<舞茸ごはん料理後のこと>>
出汁も酒もなんにも入れないのよ。とのこと。
酒も出汁も入れてしまいました。
汁の残っている舞茸を入れようとしたら、妻よりNG。
ご飯が炊けたら、炒めた舞茸をいれ混ぜると伝えると、これまたNG。
炊きあがったご飯の上に、炒めた舞茸を載せて蒸らす。
15分蒸らしたら、かき混ぜるのが正しい。
勉強になりました。
(筆者)
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水無月人恋し。絵のタイトルです。
雨の音で目が覚めました。
軒をたたく優しい音でした。
パラパラでもない、バシャバシャでもない。
衣擦れのような音でした。
雨上がりはくっきりと景色が見えます。
草が生えています。緑が濃く、健気に見えます。
必要な野菜だけとはいかないのです。
枯れる前に、今年最後の草刈りをしよう。
子供の頃、雨上がりに板塀から湯気が上がるのを眺めていました。
これで、外で遊べると思ったのでしょう。
一雨ごとに気温が下がっていくようです。
北海道の峠を越える時、雪と紅葉を同時に見ました。
革靴にしみ込む融ける雪に難儀をしたものでした。
秋です。
秋の雨は静かで哀しい。
ユーミンの「12月の雨」の雪まではもう少しあります。
何をして遊ぼうか。
思いつかない年齢になってしまいました。
雨音に 待ち人気配 襟を立て
2018年9月27日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/bd/4b9f748497700ee34285ffabf2f4ae1e.jpg)
まだまだ。絵のタイトルです。
食べるにゃまだまだ、と思ったんでしょうか。
今日のタイトルは、「読み応え」です。
ブログを書いたときは、読者人数が増えます。
書いてない時は減ります。それは常にあることです。
閲覧数は、変わりません。内容を問われているのです。
書き手の日常や想いに興味がある。
読み始めると嵌ってしまう。
他にはどんなことを書いているんだい。次から次と飽きるまで読んでしまう。
「読み応え」があるか、ないか。
身を削るような想いで記事にしています。
プロフェッショナルでまたキーワードに会いました。
「自分にうそをつかない」
気の利いた話をする。どこかで仕込んだ受け売りです。
にじみ出たオンリーワンの想いを綴りたいと続けています。
本当にそうなの。突き詰めてみればなんか違うような。
ここです。
地域おこしの仕事をしています。
誰かの褌で相撲を取るようなこと(企画)をします。
長続きはしないものです。何故か。
損得勘定が働くからです。
関係者の無償の努力がいつの日か無くなってしまう。
これが必要だと伝わらなくなっているのです。
つまり熱量を感じない企画は、駄目なのです。
人の褌の色も褪せていくのです。
楽をするんじゃないと、教えられています。
「読み応え」は、毎日の生き様そのものです。
簡単なことなのです。
本当に好きなことなの。
本心からそう思うの。
ほとんどの生きざまが、「人受け」することになってしまう。
ちょっとでも良い。
これが良いんだと報せることが出来たなら。
昨日とは違うんだ。きりがない少しずつの上積みをしたい。
コーヒーの 匂い懐かし 靴音と
2018年9月26日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/30/43092f7642e126dea2153fb783f1f54a.jpg)
絵のタイトルは、「めんそーれ」
片付けに行った私達は、
亡くなった義兄にも近所の人たちにも、
「めんそーれ」と迎えられたような気持ちになりました。
あとは任せてください。
東北道を南下しました。
佐野サービスエリアの前で大渋滞にはまりました。
動かぬ車列にギブアップしたのは、私ではなく愛車でした。
サービエリアのガソリンスタンドで紹介していただいた車の修理工場に行きました。
アイドリング時にラジエーターの冷却ファンが回っていないと指摘されました。
地域で車の板金工場を営む友人に電話で相談しました。
それは、ラジエーターの温度センサーが悪いかもしれない。
覚悟を決めて、ひたすら走ることにしました。
走れば、ラジエーターは空冷される。
首都高を80Km/時で走り抜け、帰路は国道4号線を使いました。
いつでも路側帯でラジエーターが冷めるまで待つ覚悟でした。
今日のタイトルは、「空き家事情」です。
見事なゴミ屋敷でした。
半年以上空けて、締め切りでした。
歩く部屋のカビ取りから始めました。
6LDKの大きなうちでも、使っているのはわずか1Kのみでした。
あとの部屋は、「とりあえず」と置いた保管スペースでした。
それが、70年。
空き家の片づけは、近所へのあいさつからでした。
不審者のようなものが、亡くなった人の家に入り込んでいる。
9割以上は捨てる物と思えました。
捨てる手順を考えて、市役所の環境センターに相談に行きました。
衣類(無料)と粗大ごみ(有料)は、環境センターへ持ち込めることになりました。
普通ごみは、指定日に多めに出しても良いと、収集係に電話でOKをいただきました。
試しに30個(45リットル袋、剪定した木々)ほど出しました。
本当に持って行ってくれました。
100個くらいの普通ごみなら、収集車を1台仕立ててくれる。
相談してみるものです。
家電(有料)は電気業者へ、箪笥などは古物商へ相談することにしました。
使えるものは、持ち帰ります。
めったに長期滞在はできない。
都会でしかできないことをしました。
そんなにあるものでもありません。
デパートに行き、帽子と商品券(お返し)を買いました。
映画を観て、イタリアレストランでピザとパスタの味見をしました。
この際と、子供達のサポートをもらいながらスマホに切り替えました。
菩提寺で義兄の納骨を済ませ、和尚に墓守継続の相談をし、
司法書士と相続の手続きを進めました。
合間に片づけをしました。
2泊3日の繰り返しを5度ほど続けると片付くと推測できました。
思い出の品々が気がかりでしたが、わずかな量でした。
あっけない。
これが生きた証かと思えるほどでした。
彼岸花 年に二回は 思い出す
2018年9月24日