故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

想像力

2021-10-31 08:46:36 | プロジェクトエンジニアー

いつも、「ふわふわからぴょんと生まれます」(絵のタイトル)
柔軟に謙虚に生きたいものです。


朱くなり 青く残るも それが森

音楽を聴いて、小説を読んで勝手に想像力を働かせます。
今日のタイトルは、「想像力」です。

なんか違う、工場見学をさせていただいたとき思いました。
私のフィルターを通過するとき、違和感を感じるものが不具合であり長所でした。
瞬時の判断です。見学後一時間で、数枚のレポート(解決策含む)に書き上げました。
受け取った工場長のレポート評価は、真っ二つに分かれました。
何がわかるか。
ありがとう、参考にします。

大きな地震があった。
この地の被害は少なかった。理由は、地下は岩盤で強いから。
都心から一時間で来れるし、原発事故後、自然由来の発電が進んでいる。
サーバー基地にどうか。
ヤフーは先見の明があり、すでに基地を造っている。

食品の売価は、1円/gである。薬は、10円/g。そしてセラミックは、100円/gである。
近くの町で採れる海化石の主たる用途は、肥料(0.1円/g)である。
海化石を焼結金属にすれば、排水設備の嫌気で使える。
玉葱生産の地中菌を退治できる。
栗田工業は一億円で買い取りたいと申し出た。

ごみを廃棄物として処分すると、1万円/tである。
果物のB級品を加工する六次化が進んでいる。
りんごジュースの売価は600円。
生産者(六次化の当事者)の取り分は100円(運賃、加工・瓶詰を引いた額)である。
しかも、売れ残りは生産者の責任である。
ロット(加工ラインに合わせ、最低ロットが1t。保管冷蔵庫が必要)が小さいのか、
保存料を入れるから味が落ちるのか、理由はわからないが売れない。
きっと、もう一工夫必要だったのだろう。

プロジェクトエンジニアーにとって、想像力は必須能力です。
想定外の事象はない。あったら、会社を去ることになる。
プラントを売る時から、エンディング(正しい使い方、損益計算書)ストーリーを描いて見せる。
大きな会社のゴーストライター(本社へ提案)も引き受けました。
面白いことに、本社から私的に提案内容について相談を受けました。

旦那様が口を開けると、奥様が「あーよね。こうよね」と後を引き継ぐ。
旦那は、人の悪口を言う機会がない。いい人だ。
奥様に「大助花子」の漫才の下りの話をした。
「皆さん聞いてえーな。この人は黙っているだけ、私がすべて話していますねんで」と。
大うけだったのか、少し奥様の弾丸トークが一時期鳴りを潜めた。

似顔絵を描く時、私の好きなショットを絵にする。
きっと、こんな方なんだろうな。コメントを付ける。
絵もコメントもぴったりだったらしく感謝される。
あとは、十年来のお友達となる。

「想像力」は、両刃の剣です。
感性を磨くには柔らかくありたい。
悟性を鍛えるには、休んでいられない。
他人にやさしくないと、どちらも得られないであろう。

2021年10月31日

想像力とは、
カントでは、感性と悟性の性質を分有し、両者を媒介して認識を成立させる能力。構想力。
ニーチェ・サルトルらでは、芸術経験の創造・享受両面における形象生産の契機。
悟性とは、思考であり、カントのいう理性と感性の中間にあり科学的思考の主体。
形象とは、表にあらわれた形。姿。
人間によって知覚された事物の像、また観念などの具象化された像。
(広辞苑より)
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自分探しと自己満足

2021-10-30 05:12:18 | よもやま話

絵のタイトル「似島」沖にある小さな灯台です。
広島に通う船から、毎日見る風景でした。
往くときは、もうすぐ宇品だ。
還る時は、もうすぐ自分の住む島だ。
「自分探しと自己満足」のヒントをくれた灯台でした。


覚えなし 鶏三歩 人一生

鋤いた後の広い畑に、葱が2筋とニラが10株残っている。
カフェの周りの草刈と畑を鋤けば、農機具の役目も終わる。
軽トラに積んで、軽トラごと引っ越せる。

今日のタイトルは、「自分探しと自己満足」です。
プロジェクトエンジニアーとして、ハード(工場、機械など)を残してきた。
この地で、6年間を過ごした。
どうすれば生き抜けるのか、日々「自分探し」の毎日でした。
常雇ではない職人同様、ニッチ(大手が入れない地域限定)の仕事を探してきた。
地域に足りない物(者)を嘆くことをやめ、残る宝を追い求めたともいえる。
出会った人の似顔絵を描き、6次化をカフェ(野菜を作り、料理し、一組の客に提供)でやった。
B級品(農作物、果物、山で採れるもの)を加工し、皆さんに食べていただいた。
ソフト(考え方と工夫)だけが、自分の中に残った。

朝、窓から見える風景を借景に変えられないかと、空き家を隠す草と森の入り口の下草を刈った。
草ぼうぼうの耕作放棄地を借り、農作物を植えた。
伸び放題の草をマルチに使い、カフェで出た残渣をコンポストにし畑に入れて、土づくりに励んだ。
何かをやれば、別の何かが始まる。
本来こうではなかったと、自分にできることをした。
国の縦割り行政がこの地でも展開されている。
縦割りから取り残された人々が集まる場所になればと、カフェをやった。

プロジェクトエンジニアーは、設計図と構築物を残すことが出来る。
しかし、Know-how(ソフト)を伝えることは容易ではなかった。
ここでも、「自己満足」だけに終わった。
私が取り組むプロジェクト(地域活性化)は、続編(移住後)に引き継がれる。
この地でやったことは、別の地域では通用しない。
ここで学んだソフト(考え方)を活かせるはずである。

急こう配の島で育ち、都会で足元ばかりを見て暮らした。
この広い平坦な大地(台地)で、山や空を見る癖がついた。
ここは素晴らしいところだと、子ども達に気づいて欲しい。
どうしてなのかは、子ども達に任せたい。

2021年10月30日
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一日を始める

2021-10-25 05:59:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「あんた誰、私ね」です。
人々に会うごとに交わされる挨拶です。
威圧することもなく、怯むこともなく、淡々と「一日を始める」。


舞台とは 闇夜にカラス ススキ原

何から始めよう。
ブログに何を書こう。
毎日のことです。

今日のタイトルは、「一日を始める」です。
勤め人の頃は、「一日が始まる」でした。
「を」と「が」、「ま」と「め」の違いです。
決まった日々の連鎖でした。
家族のため、自分のため、会社のために生きて来た。

ここでは、何をしてもよいのだよ。
皮肉に考えれば、何をしなくても生きていける。
この6年間で、人生の大事なそして危ういコーナリングを切り抜けられた。
早く逝かれた人たちの暮らしに寄り添えた。
無き者(こと)のごとく、忘れ去られる過疎に向き合えた。
ほころびを繕いながら生きている。

ルーチンワークをこなし、よいしょと「一日を始める」ことができる。
「一日が始まる」なんて、遠い昔になった。
なにもかも、漕ぎ出さなければ辿り着けない。
健康、不健康に関わらず生きている。
誰しも、世の中をけん引する機関車の歯車です。
堂々と生きてよい。

昨日、この地区の方々が、「お別れ会」を開いてくれた。
誰とも物語を話すことが出来た。
年に二回は来るよ。
その時は、「お前まだいるのか」と声をかけてくれるように頼んだ。

2021年10月25日
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できることをやる

2021-10-22 06:41:41 | よもやま話

絵のタイトルは、「そばを作る人」です。
道行く人誰もが、こんな山奥で作らなくても、
麓の平らなところがいっぱい余っていると勧める。
寒くても険しくても、ここで採れたものが美味しい。
どうしてかなと、自問自答する。


耕して 広き畑に 葱一つ

汚点のない人生など、ないと思っている。
失敗のない事業もない。
誰もがこけている。

今日のタイトルは、「できることをやる」です。
やることが山積みな上に、引っ越しのエンディングにつれ、さらに行事が増えていく。
里芋を掘り、小豆を収穫し、残っていた牛蒡を掘った。
里芋を風に当て、小豆のさやを剥き、ゴボウを洗う。
私達は、収穫したほんの少しを口に入れる。
あとは、みんなあげることにしている。

今日からは、トロ芋を掘ってみる。
寒くなって、甘みが増す頃に掘るのがよいのはわかっている。
でも、もう時間がない。

こまごまとした片づけとゴミ出しが山のようにある。
山に捨て、クリーンセンターに持って行く。

身体がきしんでいる。
誰もが、今日は休もうかなと思う。
楽をしてもいいんだよ。
幸せになっても良いんだよ。

仕事だから、学校だから、デイケアだからと腰を上げる。
みんなが、「できることをやる」と頑張っている。
それでよい。
それしかない。
生きているんだから。

2021年10月22日
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秒読みの引っ越し

2021-10-20 02:35:11 | よもやま話

絵のタイトルは、「想いの丈」です。
楽しいことは上を見、辛い時は下を見る。
少女の視線は、平行線です。
想いを楽しんでね。


身一つ 枯野に朽ちて せいせいだ

引っ越しは容易ではない。
今日のタイトルは、「秒読みの引っ越し」です。
カフェの片づけは8月から始め9月中に終わった。
住む家は、9月から始め10月になるも終わらない。
暮らしに必要なものを2回運んだ。

畑の収穫を終えるのが、10月になった。
2.5反の草を刈り、耕して終わる。
剪定した木や竹をクリーンセンターに運ぶ。

カフェの前オーナーが残した残置物をクリーンセンターに運ぶ。
片付けた場所に、同じくオーナーが残した空き家の食器類を洗って収納する。
次のカフェ利用者が使ってくれたらよいと願う。
住む前と住んだのちの残置物(ふとん、服、ごみ等)をクリーンセンターに運ぶ。
粗大ごみの申請をし、業者に渡す。

これからも、2回荷物を運ぶ。
住む家の修繕に立ち会う。
この地でお世話になった方々に挨拶をする。
都会の友人に収穫物を送る。

近くにある空き家の整理が進まない。
必要なものとゴミの選別に日数がかかる。
草取りは2週間ごとであり、剪定も年に数回やらなければならない。
業者に依頼すると、数百万近い金がかかる。
躊躇していると、空き家の評価額は年々下落する。
さらに、モチベーションが下がる。

私達の引っ越しは、トータル4カ月に及ぶことになった。
引っ越してきたときも、5カ月をかけた。
残置物の片づけ、家の修繕、庭と畑の再生に時間と金がかかった。
サラリーマン時代の引っ越しとは、大きく違った。
引っ越す先でも同じことが繰り返される。

引っ越し貧乏の醍醐味を味わう。
断捨離ができてよいことではある。
楽しもうと思うものの、「秒読みの引っ越し」は重くのしかかる。
明けぬ夜はない。
やるしかない。

2021年10月21日
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