故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

選択する勇気

2024-05-26 07:22:48 | よもやま話

絵のタイトルは、「憧れ一献」です。
たいして高いものじゃない。
でも買えなかった。
今でも重宝しています。


スケジュールが埋まらないのが寂しい。
埋まるのは、自由が無くなったようでうっとうしい。
人の気持ちは勝手であり、もろい。

今日のタイトルは、「選択する勇気」です。
地区の世話役になり、カレンダーにその日がメモされます。
なじむために、知るために、よいとはわかっている。
新しいことを始めるのは、とかく億劫です。

先日、草刈りのお礼と言って、その人が使わなくなったドライバーをいただきました。
44.5インチと使っているドライバーより1/2インチ短い。
ヘッドが重く、振り負けます。
腹筋も総動員しないと振り切れない。
くれた人は、もう振れなくなったんだな。
新しいものなので、10年近く使ったドライバーと入れ替えました。

朝起きて、何をするにもだるい感じです。
簡単なことから始めます。
パジャマから普段着に着替える。
着たいシャツが見当たらない。
リュックサックにスペア用として入れていたものを引き出し、そのほかの物も片づける。
布団を干したいが、ごみが落ちている。
掃除機を出しごみをとる。ついでに、全室やってしまう。
着替えで出た下着を洗濯場に持っていき、洗濯を始める。
布団を干す。

やりたくないことが、後回しになる。
ママから、あれをしなさい、これがまだでしょと声がかかる。
今からやろうと思っていたのに、ママの注意に腹を立てる。
私も同じです。

付き合った彼女の数は多くはない。
今になって、誰ともうまくやれたのではないかとうそぶく。
多くの場合自分の努力が足りなかったと知っている。
拾ってくれた妻に感謝する。
億劫なんて言ってられない。
勝とうと思ってギャンブルをするわけではない。
その場逃れの安易な道と知っている。

都度、勇気ある「選択」をしてきたのである。
さあ、書いたことだし、面倒だった朝ご飯作りにとりかかろう。

2024年5月26日
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ブルーオーシャン

2024-05-25 04:03:03 | よもやま話

絵のタイトルは、「川筋気質」です。
誰もができぬ危険な仕事のうちは、ブルーオーシャンでした。
トンネルが穿たれ、列車とトラックが現れレッドオーシャンになりました。


今日のタイトルは、「ブルーオーシャン」です。
競争原理で経済は成り立ちます。
ニッチの仕事で、競争がない経済活動をブルーオーシャンと言います。

お金を持たない、
モノを持たない。
友達がいない。
こんな生活を推奨します。

私たちは、田舎暮らしです。
都会まで公共交通機関で1時間だから不便を感じない。
耕作放棄地の草刈りを一生懸命(趣味のように)やっています。
糖尿病にもなりにくいし、ジムや公民館(スポーツ、趣味)に通いません。
友達もいないので、付き合い(3つのグループに属し、1つが仲良し)もありません。
モノを極力捨てて、持ちません。
掃除が簡単ですし、片づけも必要ありません。
最低限(ゴルフと釣り)しか金を使わない、
イーブン(種、苗、農機具、ガソリンが経費、食べるものが収穫)の暮らしです。
他人(主にギブアップされる年寄り)の放置された畑の草刈りです。
隠れるようにやっています。
忙しい分(2週間に一回の草刈りを春先から晩秋まで)だけ、体力を使います。

では、この暮らしのどこが「ブルーオーシャン」なのでしょう。
時間(対価をもらうと8時間)が自由です。
疲れたら、やめる。
だけど、少しずつ毎日やります。
お金をもらわない。
不思議なことに、お礼(食べ物、飲み物)が届きます。
余ったもの(主に食料品、労力:サービス)を足りないところに届ける役目です。
例えば、耕作放棄地の伐った雑木をキャンプ場に届ける。
風呂を沸かすのに薪を使う家庭に届ける。
余ったもの(釣った魚、獲った猪肉、できすぎた果物や野菜)をいただきます。
私たちだけでは食べきれないので、近所や都会の友人(捌ける人)に送ります。
都会から届く返礼品は、くれた人と共有します。

競争がありません。
困りごと(耕作放棄地など)に誰も近づきません。
お金が介在しないから、対価を求める人も近づきません。
口コミだけなので、情報が拡散することはありません。
スケジュールは、こちら次第です。
こんなニッチな役割があるのです。
身体はきついけど、一人勝ちです。
再生した耕作放棄地に何を植えようか。
全部の草刈り場に、何かを植えることは不可能です。
かつての景色が見えるようになり、気持ちが楽になります。
抜ける景色は、タワマン(住んだことがない)からは見ることができないかな。

できる人は限られている。
草刈りが好きでなきゃ続きません。
真っ黒になっても気にしない。
細々と長ーくできるサービスです。
してやったりかどうかは、人それぞれです。
惜しまぬ先に光が見えます。

2024年5月25日
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書く責任

2024-05-25 01:56:27 | よもやま話

絵のタイトルは、「永観堂」です。
いつも、この場所に戻りたい。
辿り着けない境地です。


毎日のように書いている。
何を書こうか。
どう書こうか。
エッセイより、小説のほうが面白い。
小説は次へと進めるが、エッセイはタイトルごと止まる。
小説は本当の話のようで嘘のオンパレードだから、無責任に読めるし書ける。
私のブログは、暮らしを切り取り、要領の悪さが漏れてしまう。
今日のタイトルは、「書く責任」です。

それでも書き続けたい。
今しかないと、ピン止めするようなメモ書きです。
ボケ防止とうそぶいているが、案外真剣です。
書いたがゆえに、行動に責任が生じる。
自戒のような文章では息が詰まる。
面白いことを探すが、目の前に転がっているわけではない。
こう考えたらと、日常をこねくり回す。

書く目的とは、「生きたい」意欲そのものです。
書ける喜びと後ろめたさは、裏表です。
頭に浮かんだ、「はて」(朝ドラで絶妙な言い回し)を勇気をもって深める。
このままでは辛いばかりだから、助けが欲しいと書いています。

自分が可愛い分だけ、真実から遠ざかる。
それでも潔さを極めたいと書いています。
お前も馬鹿だねと思ってもらえれば、私への誉め言葉と信じます。

2024年5月25日
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接頭語:ところで

2024-05-23 09:16:47 | よもやま話

どっこいしょ。
何をするにも、掛け声が必要です。
「毎日がおりゃてなもんで」(絵のタイトル)と私です。


またまた、妻の話で恐縮です。
今日のタイトルは、「接頭語:ところで」です。

食事のあと寛いでいるときも、車を運転しているときも、
「ところで」と、妻が話しかけてくる。
私は、都度ドキッとする。

今度、なになにがしたい。
あれがあったら、これがやれたら。
ほとんど、「あんたがやれ」という相談です。
心臓に悪いので、「自分でやれば」と3回に1回は返している。
そうすると、その話は終わりになる。
狭量の奴と思われます。

昨日の草刈のダメージが続きます。
痛い左足ふくらはぎを揉んで欲しい。
草刈りに行こうと思っていたけど、できなくなったわよ。
ダメージより草刈りのほうが優先事項でした。
痛みは自分で治すものよ。
それ、ストレッチ、ストレッチ。
追い打ちです。

ああああああああ!
カメ(かめむしのこと)がいる。
あなたの出番よ。
蠅たたきを持って向かいます。
外に出してよ!
窓を開けてよ。
ハイ出ましたよ。
窓を閉めてよ。届かないんだから。
(????)開けたのは誰?
そうか、閉める場合は手が届きにくいのか。
蠅たたきの柄のほうで閉めていました。

「ところで」は、危険な言葉と妻に告げました。
次は、どんな接頭語になるんでしょう。
カープ観戦をした際、妻はポットを忘れました。
あなたが、確認しないからいけないのよ。
忘れたのは、あなたのせいよ、ふふん。
ハイハイ。

2024年5月23日
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男も辛い

2024-05-22 08:37:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「阿吽」です。
男と女の距離感は、つかず離れず。
見えないようで見える。
見えるようで永遠に見えない。
よく手入れした盆栽を観賞する距離感です。


喧嘩を始めたのは、男でした。
愛する男を応援するのは、女でした。
そうでしょうか。
喧嘩の原因は何で、男は何をどうしたいと始めたのだろうか。
今日のタイトルは、「男も辛い」です。

許されるなら、女が代理戦争をしてもよかった。
できないと決められているような気がした。
でも、できるようになった。
そうだろうか。
女は結婚によって、大いに人生が変わる。
アウェーに入り、ホームになるまでの長い時間を過ごす。
その間に、世間の見方も自分自身さえ変わってしまう。

そんなことがあってよいのだろうか。
女である前に人間であったはずです。
若い時に思い描いた夢を究めることはできたはずでした。
結婚をし、子供を持つことも夢でした。
子育てに、家庭を守ることに全エネルギーを費やすうちに何かがはがれていった。
おばあさんになり、はがれたばかりじゃないと気づくも遅い。

もっと早く、若いうちだけでなく、社会に出てからも女として生きていける。
そうなるには、私たち男の意識が変わらなければならない。
役割なんて、なにも決まってはいないはずである。
どちらもできる。
女は辛い。
幸せにできない男も辛い。
男の幸福感は、妄想なんだと気づくのに遅すぎることはない。
ますます混迷となるも、暗闇に一筋の灯りをともしたいと生きている。
救いとなるのか分からぬが、パートナーをますます尊敬することができる。

2024年5月22日
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