故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

防寒対策

2015-11-30 08:30:22 | よもやま話
  名も知らぬ、軒下の日陰に咲く花です。


寒くて、たまりません。
レッグウォーマーをつけ、靴下を穿きました。
マフラーをして毛糸の帽子を被り、手首にはリストトウォーマーをつけました。
エアコンを入れるのは、まだまだと頑張っています。

さあ、今日も書き始めましょう。

私は常春の島で育ったせいか、寒さにとても弱いのです。
雪が5年に一回降りました。
集めて雪だるまを作りましたが、真っ黒な雪だるまでした。
日陰に残った雪でいつまでもそり遊びをしました。
枯れ枝には、百舌鳥が残した蛙の干からびたのがついていました。

冬の寒い日は、島の周りの海面から湯気が昇っていました。
霜柱もできました。昼までに融けてびちゃびちゃでした。
火鉢に、こたつ。それに湯たんぽでした。
火鉢であぶる餅は、とてもよく膨れてくれました。
砂糖醤油でいただきました。
餅をたくさん搗きました。食べきれない餅は、水餅にして保存しました。
2月頃までありました。だからおやつには困りませんでした。

山の端に隠れ家を作り、持ち込んだ七輪で餅を炙って食べました。
ほくほくと楽しかった。

若い頃は、素足に下駄で過ごしました。
腰に手ぬぐいをして予備校に通っていました。
履くものがなくなり、親父の褌をしていました。
薄着でしたが、寒いと感じたことはありませんでした。

時々、広島大学の図書館に通っていました。
どこから見ても、食い詰めの若者でした。
家庭教師のアルバイトをしないかとスカウトされました。
予備校に通いながら、中学生を教えていました。

いい加減なものです。
のんびりしていました。
アルバイトで稼いだ金で、予備校に行かず、一日いても500円の映画館で過ごしました。
200本以上の名画を見た頃、飽きてしまいました。
やっと予備校に行くようになりましたが、手遅れでした。
もう1年、予備校に行こうと2か月建設現場で働きました。

それから、何回も冬を過ごしました。

防寒対策が功を奏したのか、温かくなってきました。
ちゃんとした対策をすれば、冬も耐えられるのです。
今日が、また動き出しました。
やらなければならないことが、まだまだあります。
頑張りましょう。

冬枯れの 朝日を待つも 雲隠れ

2015年11月30日

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パクリの是非

2015-11-29 05:11:43 | よもやま話
  
21世紀初頭、中国の首脳とアメリカの首脳が会談をしました。
その後、中国の市場開放が加速されました。

かつて中国は、穀物の輸出国でした。
中国の沿岸部に、次から次と外国資本の搾油工場ができました。
原料は、中国国内で獲れた大豆が原料でした。

搾油の真の価値は、搾油後の搾りかすです。
蛋白質が42%以上と厳密に規格されています。
この搾りかすが余っているのです。

中国の陸地内では、相変わらず中国メーカーの搾油工場が生産をしています。
植物油の値段は、暴落しなかったのです。

どちらも、中国の輸送インフラが成熟していないのが理由でした。
沿岸部で搾油した植物油は中国内陸部に思うように輸送できないのです。
TPPが成立した今、中国沿岸の搾油工場で生産され、余った搾りかすが
日本国内の搾油メーカーの再編を引き起こすことでしょう。

自動車も、ガソリン車より電気自動車の普及の方が、加速されています。
固定電話より、携帯電話です。
ガソリンの供給網ができていないからです。電話網も未発達です。

中国では、模倣がトレンドです。
見分けがつかないほど模倣されていれば、かえって価値が高まるのです。
ブラジルでも市場開放されましたたが、南アメリカ大陸の工場で生産されたものでなければ、
関税は安くなりません。

穀物関連の世界市場において、模倣はつきものです。
しかし、ほとんどの模倣業者が「売り切りごめん」なのです。
2-3年後には消えて無くなっているのです。当然、純正部品は供給されません。
その時になって、やっと模倣ではない業者に回帰するのです。

穀物関連の機械は、20-30年間は働き続けます。
日本の製粉会社の役員は、新工場を立ち上げる時、
自分の任期中は耐えられる機械を選択せざるを得ないのです。

模倣は、文化です。潮流を停めることはできません。

私は、プロジェクトを遂行する上で、数々の工夫をしてきました。
先輩たちは、「技術は盗むもの」と背中で教えてくれました。
私は、どんどん伝えるようにしています。
5-10年に一回やれるかどうかのプロジェクトに、固執しても意味がないのです。
本当に伝えたいのは、「やる気」であったり、「やり方」なのです。
これは、なかなか伝わらないのです。私の努力が足りないとも言えます。

中国で日本のメーカーのポテトチップスを買って、中国人が「良くできている」と褒めました。
中国で売られているポテトチップスと変わらない味だったからです。
中国の模倣業者が、日本のメーカーの製造方法を真似たのです。
その業者は、いち早く自社の販売網で、市場を支配したのでした。
構わないのです。日本のメーカーだって、最初は同じです。

パクリは、特許侵害されない限り認められているのです。
大いに結構なことです。
しかし、こちらで成功したからと言って、あちらでうまくいくとは限らないのです。
あちらで定着させるのは、幾千の知恵と工夫が必要なのです。
車を安く生産できる中国だって、ガソリンが供給されなきゃ売れないのです。
日本においても生産効率だけで、市場を確保できるのはせいぜい10年です。
よって、生産効率をあげることができる「賢い人」の賞味期限も10年です。
飽くなき戦いに没頭できる「変人」と柔軟な知恵者だけが、センチュリーカンパニーを存続できるのです。

パクリの是非について考えてみました。

鴨流に 白鳥育て 巣立つのさ

2015年11月29日

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口からでまかせ

2015-11-28 08:03:29 | よもやま話

立川駅北口にあった像です。生き生きと飛行機を飛ばそうとしているのです。


今まで、いろんなことを書いてきました。

口からでまかせのようで、真剣なようで。
大急ぎで歩いて来たような。ゆっくり歩いて来たような。

どちらでも大事でした。

のんびりと朝を迎えました。
昨夜は、寒くて風をひくのではないかと心配しました。
今朝はもうぴんぴんです。

ご飯も炊いて、コーヒーも淹れて、洗濯もしました。
昨日、新しく加わった、ベランダ野菜の玉ねぎとスナックえんどうにも水をやりました。
さあ、大きくなれと励ましました。

忘れ去られたのではないかと、不安な日もありました。
だが、こうして温かく朝を迎えております。
これだから、人生は楽しい。

心配事も、やっておかなければならないことも、大方済ませました。
あとは、自由に羽を伸ばします。

新たに、やっかいな道に進むことになるでしょう。
のんびりと過ごすのも一日、大股で急ぐのも一日。
どちらも楽しい。

こんな穏やかな朝を迎えられました。

口から出まかせでも、自らの口からでたもの。
思っているから出る言葉です。
責任はとることにしています。

いつものように準備をして、また新しい道を歩き始めます。
第一歩は胸を張って、二歩目からは前を向いて自分を信じて歩きます。

ほうほうと 林の中で 野鳩なく

2015年11月28日

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地域おこし協力隊員に求められるもの

2015-11-27 07:28:48 | プロジェクトエンジニアー
  
今さら故郷に帰って何ができる。
と思ったものです。

就職活動をしています。
インターネットの転職斡旋サイトに登録しました。
雇用主側が自由に私の履歴書と職歴を見てオファーをくれる仕組みになっています。

キャリアーを見て、年齢を見てオファーが来ます。
見る側も、てっとり早く「検索キーワード」を入れて探すのでしょう。
恐らく、年齢でほとんどのオファーが見送られているように思います。
プロジェクトエンジニアーのキャリアを買ってくれるのは、ほとんどが派遣業の会社です。

プロジェクトエンジニアーを続けるのであれば、会社を辞める必要はなかったのです。
社内のプロジェクトや技術の仕事を続けて行けばよかったのです。
技術を生かすのも殺すのも、すべて経営者の判断です。
会社を元気にする提案書を出しました。
何の反応もなく、お蔵入り(引き出しの中)となってしまいました。
まだこの時期ではないと判断されたのでしょう。
私はプロジェクトエンジニアーですが、経営者と同じように会社の行く末を案じていました。
給料は保証されていました。飽き足りないものがあり、辞職することにしました。

故郷再生をする道はないものかと、このブログを始めました。
冒頭の「今さら故郷に帰って何ができる」の壁に当りました。
故郷は、身近なものにすり替わってきました。
生活のありようを試行錯誤するようになりました。

そんな折、地域起こし協力隊の募集要項を見ました。
すべての地域が過疎です。平均年齢が高い地域を元気にするプロジェクトです。
年寄りを元気にし、地域を活性化する方法が少ないから過疎になっているのです。
これは日本がこれから向かう将来の縮図のように思います。
私でも役に立てるのではないかと、心が動いています。
65歳までと言わず、ずっとできる仕事です。
妻も賛成してくれています。

では、地域おこし協力隊員に求められているものは何でしょう。
募集要項には、経済の立て直し(地産地消、都会との結びつき)があり、
地域のコミュニケーション(介護、文化の発信)を活性化することが求められています。
必ずあるのが、三大都市圏に住んでいる方とあります。
一人でも、二人でも田舎に住むようにする総務省の施策なのです。
そして、次は元気な若い人を呼び戻すことなのです。
櫛の歯が抜けるがごとく空き家が増えているのです。
この空き家を有効活用したいのです。
業務内容のどれも一筋縄ではいかぬものばかりです。
智慧だけで解決出来るものとは思えないものばかりです。

求められていることは、光を当てることです。
ここにもこんな素晴らしいものがあり、人がいることを共有することなのです。
一年間、ブログを書き続けています。
情報発信ということであれば、金がなくても続けられるのではないかと考えます。
体力は、夏から草取りをして鍛えていくぶん自信があります。
ボランティアで、年寄りの話を聞くことをしたいと考えていました。
本当にできるのでしょうか。
まさに自分の多くを試されるのです。
知らない(地縁、血縁がない)土地で生き抜くには、柔軟性が求められます。

これこそ、究極のプロジェクトとも思えます。

古木がね 日陰を作り 一休み

2015年11月27日

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この凝りは、いつのもの

2015-11-26 06:49:11 | よもやま話
  
2-3日後に、頑張り(運動)の凝りがでてくるようになりました。
先輩に話すと、まだましな方だ。今では、1週間前の運動の凝りが出てくるから。

毎日、ゴルフの練習や草取りや散歩をして身体を動かしていると、
もうどの分の痛みか分からなくなりました。年中、背中などに張りがあるのです。
今は、気にならなくなりました。どこか痛いのです。

妻のお母さんは、痛む箇所を柱に押し付けて凝りを取られているそうです。
先輩に話すと、「熊みたいだな」と笑いながらの返事でした。

心の凝りは、いつしか淀みとなって、澱のようにドロドロになったものが、
時々胃液のごとく思い出されることがあります。
この凝りは、明確に日時と情景が思い出されるのです。
つまらないことをしたものだ。
誰にも言えず反省するのです。

精神的な「凝り」は、誰かに話して楽になったほうが良いのです。
ドラマ「まれ」で、田中裕子さんが言われていました。
「若い時のどろどろは、歳をとれば笑い話」と。

今日も、朝のルーチンワーク(炊事、洗濯、コーヒー淹れ)は、終わりました。
そしてまた、なにかやりだすのです。凝りとなっても仕方がないと諦めています。
身体の張りは、風呂にはいりゆっくりとほぐせば治るのです。

寒くなり、妻のレッグウォーマーを引っ張りだして履いています。
空調はかけずに頑張っているので、足元がスースーするのです。
これは良いのです。でも私は勧めません。

病気の奥さんと一緒に、車で川に飛び込んだ年寄り夫婦が気の毒でなりません。
娘がほう助の罪で逮捕されました。
市役所に生活保護を、介護施設にお母さんのことを相談されたそうです。
切羽詰まっておられたのです。がんじがらめの規則が、判断を鈍らせたのでしょうか。

これからも、私の「笑い話」の数々を書いていきたいと思います。
歳をとっています。笑い話に昇華できるでしょうか。
愚痴にならぬよう、皆さんに笑っていただけるよう表現力を研鑚したいと思います。
これが、すでに好きものの始まりです。

お前、本当に馬鹿だね。

くらいが丁度よいのです。

よもぎ餅 露ぬれ取りし 母の手で

2015年11月26日

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