故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。



我が家の「こぶりな野菜たち」です。
畑で採れた「大根 in Summer」です。
賞味期限を迎えた数々の残り物でにぎやかします。
雀が我が家の畑に毎朝飛んできます。
時期なのか、寄り添い仲が良い。
胡瓜の苗の根っこに藁を敷きました。
藁につられてきたのでしょう。
野菜についた虫もついばんでくれる。
今日のタイトルは、「できそこないの料理」です。
趣味は?に「飲む打つ買う」と答える出来損ないがつくります。
ジャガイモは大っきくて立派なものばかりではありません。
大根だって。
さて、朝ご飯に何を作ろうと始めました。
妻から、「野菜を使って朝ご飯」とミッションが届きました。
それなら使っちゃうかと始めました。
どれも、「できそこないの野菜」です。
捨てるにはしのびない。
皮をはぎ、剥いたら、残った野菜と同等の野菜くず(コンポスト行)の量でした。
冷蔵庫の隅に眠っている豆腐、人参、唐辛子、にんにくと生姜も飛び入り参加です。
すぐに食べるはずが、できるまで時間がかかります。
妻は、もうひと眠り。
おーおー。
圧力なべの威力は絶大。
煮えにくい大根だって、小ぶりゆえに煮えるのが早い。
もうすぐ、ごったにの「できそこないの料理」ができてしまいます。
妻が勧める「秘伝のたれ」を拒否したお味はいかがなものでしょう。
できたけど、もう少し寝かしてやるか。
2025年6月24日

娘の絵を描いた。
納得がいかず20枚描いた。
結局、彼女の良さを紡げなかった。
よさげな5枚を手渡した。
ごめんね。
すると、皆で書いた寄せ書き(お礼)に、
小学4年生の娘が「伝わりました」(絵のタイトル)と書いていた。
自分の想いを、どれだけ文字に復元できることでしょう。
こんなことを書いたら嫌われる。
それじゃ伝わらないと、ラブレターを前にして苦悩しました。
結局伝えられず、その恋は闇に葬られました。
今日のタイトルは、「書くことは素敵」です。
アフリカの奥地を訪ねると、歌が聞こえます。
ご飯を作ろうか。
洗濯しようか。
畑仕事に出かけようか。
たくさんの女たちの歌声が一つに聞こえます。
出かけた亭主が獲物を担いで帰る夢を歌います。
時には、歌だけでエクスタシーを迎えることだってある。
独奏の連鎖が続く。
誰かが歌い、誰かが引き継ぐ。
それぞれの想いは膨らみ、ハーモニーとなる。
歌わぬものは一人としていない。
下手でも上手でも。
合唱は、下手がいても素敵に聞こえる。
雑音のような調子ぱっずれが、艶を生む。
忘れてはならぬ、今しか書けないと綴ります。
誰かに知らせたいことでもない。
想いを正確に文字にしたいと綴る。
阿久悠さんのように、5感に訴えたい。
アバのように、聞く人が感動する力も一緒に伝えたい。
書き手と読み手の人生は異なる。
書き手の恨みは、聞き手の懺悔に昇華する。
歌のように伝わる文(ふみ)を書きたい。
血を騒がせる詩が書きたい。
想いを文字にする。
太古の昔より、私たちはそうしてきた。
書くことは、仕事と同じ。
良い仕事は、万人が見ても感動する。
浮かんでくる想いを探すうちに語彙が増えていく。
簡単明瞭に伝えたいから。
「書く」ことに上手も下手もない。
幼稚園生が描いた、クワガタの絵に感動した。
似顔絵を描こうと、きっかけになった。
線探し、色探しのアドバイスが助けてくれた。
書くことは、自分の人生を耕すだけでなく、人のやる気を倍増させるかもしれない。
「愛してる」と書けなかった若い時が懐かしい。
2025年6月23日

絵のタイトルは、「あなたに会いたい」です。
会いたいけど、もういない。
会いたいけど、免許を返納したから出かけられない。
7月には、妻の友人が静岡から来られます。
旦那さんの癌が小康状態になったから。
もてなしの献立表は不要です。
冷蔵庫にある食材で料理を作っていただきましょう。
妻も妻の友人も主婦で、料理のベテランです。
したくてもできなかったことが、できる。
このことだけで、高揚感満載です。
今日のタイトルは、「書けなくなって本物」です。
歳を重ねるごとに、似顔絵や風景画を描かなくなりました。
描けなくなりましたとは、言いたくない。
先輩が東京から我が家を訪ねられました。
3泊四日の滞在でした。
もてなしの準備をしました。
先輩は私たちより11歳上です。
一日目はゴルフ。
迎えに行った空港からゴルフ場へ直行しました。
3日目は、先輩は友人と会われる。
2日目は、一緒にじゃがいもを掘る予定でした。
ところが、ゴルフで全員疲れてしまい、昼間から寝てしまいました。
献立表を作りましたが、食べきることができず、翌日の朝に残り物を食べました。
先輩は友人(先輩より4つ上)と飲む予定で出かけました。
どうやら、友人は酒を飲まなかったとのことでした。
先輩は自分のゴルフ道具を我が家に預けて帰りました。
ゴルフ仲間も少なくなった。
車の運転が億劫になった。
東京ではゴルフをやらないから置いていくと言われました。
又、秋に来るからなと、元気に帰られました。
来年からは少し植えることにしようと、15Kgの種からできたジャガイモを掘っています。
約150Kgの収穫予定です。
4人の友人から頼まれました。
2人は、子供と一緒に掘りに来てくれます。
残りは熱中症を心配しながら掘っています。
掘ったジャガイモが乾くような暑い日が掘り時です。
大きいジャガイモは、友人や子供に送ります。
たくさん送っても腐らすだけです。
よって、送る人が多くなる。
キャベツ、白菜、大根の一本一個を消費するのに、我が家では一週間かかります。
植えるのを少しにしようが毎年の合言葉ですが、年々上手になり評判も良く増えています。
似顔絵を描く時間が欲しい。
仮にあったとて、描けるか不安です。
畑で野菜が収穫できるということは、一緒に成長する草刈りが必須です。
草を生やしたくなければ、耕し次の作物を植えなければなりません。
手話講座にでかけ、日本語教育のボランティアをし、夕方はカープで決まりです。
ブログを書くことができればよいことになります。
書きたいことはいっぱいあります。
「書けなくなって本物」でした。
2025年6月21日
(あとがき)
70歳より前の方々には、物足りない(インスタ受けしない)記事の連続です。
認知症の医者が、変わりゆく自分の脳から吐き出す暇乞いのような記事です。
分かってもらえない。
分かってたまるか。
自分も同じでした。
年寄りの記事はつまらない。
爪に火をともすような貧乏生活です。
それでも歯を食いしばる。
やらかしたことの反省であり、これから来る者への少しの案内です。
なにより、不安な未来への葛藤です。
いつまでも姑息な自分へのエールです。
(筆者)

絵のタイトルは、「夕雲燃ゆ」です。
五日市街道で家路を急いでいたら、信号の向こうに夕雲が現れました。
大きさと美しさに、信号が青になったのも忘れてシャッターを押しました。
精米後の白米が以外の他軽く(糠分約10%)なり、もったいない気がしていた。
玄米のままか、5歩搗きの白米に16穀を加えて炊くことにした。
噛むのに時間がかかります。
いつもの一品、納豆が使えなくなった。
夏大根は少し辛みがある。
皮を厚く剥き、きんぴら(京料理のおばんざい風)に加える。
小松菜の茎も固いので、きんぴら行である。
葉っぱは、味噌汁の具(火を止める前に投入)とする。
今日のタイトルは、「今どきの朝ご飯」です。
白米だけの時は、納豆が付く。
まず大根を3cmx2切を切り取り、大根すりにする。
摺りきらないで、残った薄い大根を刻んで味噌汁に入れる。
大根すりの汁を搾り味噌汁に入れ、残りを攪拌した納豆に加える。
朝ご飯作りは、冷蔵庫に保管するタッパーとジップロックの点検から始まる。
卵と牛乳を混ぜたものに刻んだパセリを入れ、食べ残しの果物(今だとブルーベリー)を加える。
昨日残ったおかずも加えて、軽く炒め、一品とする。
ナス、きゅうりも時期になると、毎日2-3本収穫します。
塩もみで一品とする。
トマトは、生で食べきれないから具材でも使う。
冷蔵庫には作り置きの物もある。
簡単漬けのきゅうりやナスの漬物です。
製造日が不明なので、漬けた妻に出してもらう。
私には時間がある。
ていねいに、食べられるものと食べられないものに仕分け、刻み、炒める。
食べられないもの(野菜の黄色くなった葉っぱ、根、卵の殻、食物残渣)を、乾燥コンポストにする。
我が家に生ごみはない。
出来上がったころに、早朝から畑に出かけた妻が「やった気分」で帰ってくる。
朝ドラを仲良く二人で観る。
フライパンや鍋で出来上がっている料理に、もうひと熱加えて、時間をかけて食べる。
残った味噌汁は、夕食でいただく。
料理が出来上がるころには、洗濯も終わっている。
料理を作りながら、筋肉を使い、脂肪も燃やす。
できれば、健康寿命を延ばしたい。
いつも空腹で、本能のままに生きれば、脳が貪欲(ポジティブ)になる。
そして、あらゆる臓器を活用して生き延びようとする。
ピンピンコロリが人生最大の目標となる。
2025年6月20日

絵のタイトルは、「熊の摩崖仏」です。
このおっちゃんに、「しっかりせよ」と怒られそうです。
今日のタイトルは、「ちぐはぐな会話」です。
心配していたことが、やってきた。
そんな感じです。
あることをイメージし、話す。
相手の言葉を待たずに、もう一方が話す。
相手の話を聞くことが億劫になってきました。
話すごとに、感情がかぶさる。
タイミングがずれるため、会話になりません。
例えば、ガソリンを入れに行くのを私が忘れた。
慌ててスーパーの駐車場に入り引き返そうとする。
妻が、腐葉土が欲しいと買ってくる。
ガソリンスタンドに向かおうとすると、どうしてまっすぐ帰らないのと妻が言う。
部屋に来たが、「何しに来たの?」と、ひとつ前の記憶が怪しいのです。
我慢も効かなくなりました。
一昔前の不満が口を突いて出る。
出たものは仕方がないと、妻は臨戦態勢に入ります。
不満が油となり、妻の怒りの炎は燃え盛ります。
ぶり返すかと聞き流すこともできず、私は白旗を掲げます。
「勝手にやったら」と、他人には分からぬ二人だけの秘密です。
私たちもそんな夫婦になりつつあります。
先輩たちは、もっと苛烈らしい。
身体が動かぬだけに、「あれせえ、これせえ」と、やっと帰ってきた者を残された者は怒ります。
畑仕事をしておったほうが気が楽だと、杖をつきながら言われました。
これを通り越したら、すれ違いの会話になるのだろう。
一人が話す。
もう一人は聞いたことに関係ない、思い付きの話をする。
うなづく。
もう一方もうなづく。
聞いてくれていると嬉しくなり、どちらも楽しい。
二人とも笑いが止まらない。
軽重の差はあれ、二人とも認知症です。
恐ろしいことだけど、やってきます。
可愛い女房殿も、般若になったり恵比寿になったり忙しい。
そういう私も、鬼になったり駄々っ子になるのでしょう。
どうしたものかいな。
罵り合おうが夫婦です。
そのうち一人になるのです。
経験したことがない孤独がやってきます。
「亭主元気で留守がよい」と言われていた奥様も一時は落ち込みます。
世間並みに辛い時期を過ごした後は、羽が生えたように楽しくなるようです。
私は、負けてなるものかと一計を案じました。
妻が出かけたら、妻の枕を尻に敷いてやることにしました。
情けないけど、うふふ。
2025年6月14日