故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

私ゃ、そこまで呆けとらん

2024-01-30 01:08:39 | よもやま話

絵のタイトルは、「あんなあ」です。
親は、子供に弱い。
「外で偉くなれ」と送り出した手前、言えないのです。
子供にも都合があり、休日だけで農業ができるものでもありません。
もう少し時間がかかります。
そのころには、恩返しの相手がおりません。


王様だ キウイにレモン Cがチャー 

キウイ畑が草ぼうぼうでした。
こっそり、草刈りをしました。
ばれてしまい、持ち主のお姉さまがある日訪ねてきました。
訪ねる前に、知らぬ人がビールを1ケース届けてくれました。
お礼をしたいと、言われました。
お札をがま口から出されました。
丁重にお断りしました。
後日、また訪ねてこられました。
今度は、お金を包んでこられました。
それも、丁重にお断りしました。
すると、お姉さまは、「このほうが、いいんじゃが」と言われました。
その後、他の耕作放棄地(果樹園と畑)も管理してほしいと言われました。
快く引き受けました。
そして、畑を案内していただき、即日草を刈りました。

次は、息子さんがビールをお礼として持ってこられました。
ビールは受け取ってくれるが、持ってくるのが重たいということでした。
そして、4回目の来訪時には、息子さんと相談したと言って「商品券」を持ってこられました。
そう来たかと快く受け取りました。

訪ねてこられる時は、いつも一時間ばかり話していかれます。
私たちが加工したジャム、アップルパイやパンをお土産で持って帰っていただきます。
来るのは、電動の老人車です。
杖を突きながら坂道を上り、我が家を訪ねてくれます。
帰りは、老人車を駐車したところまで送ります。
後ろの籠に、お土産を載せました。
「忘れないでね」と伝えると、
「私ゃ、そこまで呆けとらん」と叱られました。
頭を下げて見送りしました。
暗くなりかけでしたが、ライトがない老人車で悠々と帰って行かれました。

家の前のキウイの実を落としてほしいと、訪ねて来て言われました。
キウイの実は、500個ばかり付いていました。
実を落とし、拾い集め、我が家の畑に肥やしとして埋めました。
まともな実でも酸っぱくて、多くて食べられません。
シロップ漬けにし、焼酎漬けにし、試しています。
さすが、キウイは果物の王様です。
ビタミンCが豊富で消化を助けてくれます。
食べ過ぎは、腹下しになるから、少しだけ毎日いただいています。

2024年1月30日
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秒針の音

2024-01-29 11:49:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「昭島夕暮れ」です。
にぎにぎしいに違いない駅の風景です。
この絵を選んだのは、寂しいから無音だったに違いないという理由からです。
あなたは、何かのおとが常に聞こえていますか。
そして、気づいていますか。


図書館で借りた本を返す期日が来ました。
姜尚中(かんさんじゅ)さんの「希望と絆」(いま、日本を問う)を読んでいます。
「秒針の音」(今日のタイトル)が、耳に付きます。
久しぶりに聞いたような気がします。

毎日、「何かをしなきゃ」と追われる気持ちがあります。
何かに夢中になると、秒針の音は気にならなくなります。
夢中になることも少ない暮らしです。
それなのに、秒針の音を聞き逃していました。

何を気にして暮らしていたのでしょう。
日々やるルーチンワークのことでしょうか。
出来てない野良仕事のことでしょうか。
妻のリクエストや小言が耳を塞いでいたのでしょうか。
釣りなど、やりたいと思うことに、気がとられていたのでしょうか。
ニュートラルではない、何かが追い立てていたのではないかと気づきました。

また、秒針の音が聞こえなくなりました。
耳を澄ますと、聞こえてきます。
鳥の声、車が通る音以外無音です。
島で初めての夜、無音の世界に不気味さを感じました。
いつしか慣れて、秒針の音を聞き逃すようになっていました。
よいことなのか、恥ずべきことなのかわかりません。

時計を眺めていました。
秒針が1-7まで動く間は音を出します。
それ以外の時は、無音です。
錯覚ではありませんでした。
どんなに集中しても、1-7の間でも秒針の音が聞こえなくなります。
不思議です。
何なんでしょう。

秒針の音の不思議を、普段の暮らしの中に落とし込むことが馬鹿々々しくなりました。
音は、人々の心に届いたり届かなかったりするのです。
それでいいじゃない。
また、本を読むことにしました。

2024年1月29日
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何かをやり遂げる

2024-01-26 10:42:06 | よもやま話

絵のタイトルは、「この子のために」です。
この子の夢も応援したい。
自分の夢も実現したい。
やってはいけないことだけは、解っている。
自分の夢を押し付けないことです。
親の気持ちは複雑です。
そうして、人類は成長してきました。


今日のタイトルは、「何かをやり遂げる」です。
そもそも、何をやりたいのか分かりません。
ぼんやりと分かったとしても、どうしたらと漠然です。
実現するためのタイムテーブルなんて、思いも及びません。
タイムテーブルと言えば、「大谷選手の夢タイムテーブル」が浮かびます。
実現不可能とさえ思える夢があるから、あそこまで野球を好きでいられるのでしょう。

壮大な夢ややるきを持続するためには、「小さな成功」を積み重ねることが大切だと言われます。
私の「小さな成功」は、毎日続けるルーチンワーク(家事全般)です。
成功しても、するりと逃げる水のように儚いものです。
達成した瞬間、過去のものとなります。
小さな成功は、単なる準備です。
何をやりたいか、見つける入口のようなものです。
入口を見つけて、入る勇気を持ち、少し見える光を頼りに穴倉を掘り続けます。
やがて、引き返すのも困難な状況になります。

そこで試されます。
方針変更しても、辛かった経験は残ります。
次に何かを始めても、何とか乗り越えた峠までは辿り着けます。
そこから、また挑戦が始まります。
ドイツでよく聞きました。
今度やるときは、イタリア抜きでやろうと。
あまりよくない例えでした。

頭では分かっていても、人に伝えることは簡単ではないのが夢です。
試しに書き出します。
考えないで、どんどん書き出します。
なんか違うなと訂正します。
潜在意識が顕在化します。
コンセプトであり、実現に必要な事項を書き出します。
困難さがわかるにつれて、タイムテーブルが出来上がってきます。
タイムテーブルができれば、陣容と予算が見えてきます。
壮大であればあるほど、緻密になります。
失敗が許されないからです。

「何かをやり遂げる」ためには、毎日続けなければなりません。
知力と体力をつけないと、耐えることができません。
準備を常にやらなければならなくなります。
大きな目標が見えていれば、準備作業が苦になることはありません。
こうして、人は強くなっていきます。
子供に夢を押し付けることはできない。
夢を見るのも実現するのも子供です。
理解と応援がせいぜいでしょう。

「何かをやり遂げる」夢を見れば、気分が楽になり、人が許せるようになるから不思議です。
できない自分に出会うだけでも儲けものです。

2024年1月26日
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雑木の活用

2024-01-24 11:37:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「島の大事な宝物」です。
描いた当初は、うっすら見える灌漑用の池でした。
今見ると、雑木もいずれ宝物になるやもしれません。


刈った草は、刈ったものが片づける。
東北で教えていただいた鉄則です。
今日のタイトルは、「雑木の活用」です。

この地域では、私は年下で若輩者です。
近所や実家がある里で、耕作放棄地の剪定や管理を依頼されます。
年配の親戚や友人から剪定を依頼されます。
切った枝を軽トラに積んで、管理依頼された田んぼに持ち帰ります。
穴を掘って、乾いた雑木を燃やし、消火のため土をかけます。
一雨後に燻炭を掘り出します。
バケツの下に穴をあけ、魚を焼く網(円形)を置き、土を篩います。
網上に残った炭は、七輪で熾し、魚、干し肉と干し芋を焼きます。
篩いの下に落ちた屑炭と焼けた土を一輪車で畑に運びます。

管理を任されたキウイ畑で、落としたキウイを拾い集め軽トラに積んで畑に運びます。
屑炭もキウイも畑に穴を掘り埋めます。
刈った草を囲いの中で熟成し畑に入れます。
家庭で出た生ごみは、乾燥コンポストにし、畑に入れます。
畑は花崗岩が砕けた真砂土で栄養(有機物)が不足しています。
微生物の力を借りて、有機物を多く含んだ土づくりをしています。
何年かければ地力がつくのか分かりません。
去年より今年と、スコップで掘ったり、カンリ機で鋤くのが容易になっています。

耕作放棄地の再生が夢ではありません。
せっかくの風景を邪魔する雑木や草がうざったいだけです。
一度手をかけたら、次の年もやることになります。
風景を楽しみたいし、雑木の使いまわしのために必要な作業です。
きれいになって、肥沃になると、作物が取れます。
耕作放棄地には、誰もが採らない果物が豊富に実っています。
私たちだけでは食べきれません。

近所に配り、迷惑も顧みず都会に送ります。
最初は迷惑顔の都会の友人も、妻(や夫)との共同作業になり、毎年待ってくれるようになりました。
雑木を束にして、道行く人に「自由にどうぞ」とおすそ分けにするまで、続けます。
だから何だと思っています。
やりたいことだし、皆が喜んでくれる。
それだけのことです。
熊野古道だって、そうして長年かけて再生されました。

2024年1月24日
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丸ごとの幸せ

2024-01-22 00:45:00 | よもやま話

絵のタイトルは、「愛の椅子」です。
なまめかしい唇が覗いているわけではありません。
元気をくれる。
唇があれば、かたい椅子も座り心地がよくなるかしらと入れてみました。
幸せとは、そんなものではないでしょうか。


チームメイトが帰ってきた。
私が営業で、彼がサービスマンでした。
このくらいはやってくれると想い、いつもそれ以上の男でした。
売っていた機械で、これはリコールものじゃないかと気づきました。
客先も私たちもそう思っていました。
世界中でメンテナンスをやっていた男に質問がありました。
これまでこのような欠陥を見たことがあるか?
2回目です。と彼は答えた。
普通は見たことがない。と答えます。
それは、嘘だと客先は怒ります。
そうか、運がないなと客先に思わせました。
営業の私は、とことん向き合おうと決断しました。

今日のタイトルは、「丸ごとの幸せ」です。
その男は、陽気で破天荒なイギリス人です。
彼を連れてきてくれた友人と3人で、広島駅前で大いにビールを飲みました。

あの人と結婚したら、自分は幸せになる自信がある。
普通は、あの人が幸せにしてくれるんじゃないかと想像します。
何故なら、好きだから。
ここに落とし穴がある。

仕事でよくありました。
任せるから、工場診断をし解決策を施し、知らぬままでよいから儲かる工場にしてください。
ふざけるなと思いましたが、言いませんでした。
「丸ごとの幸せ」などありはしない。

結婚したら、こんなはずじゃなかった。
幸せにしてくれるはずが、どんどん不幸にします。
どこに勘違いがあったのでしょう。
子供もできて、スタート地点にもどることなど到底できない。
あれあれ、幸せになる自信があったんじゃないんかい。

前向きにしてくれる金言や行動がある。
なになにしてくれない。
こんなことはどうでもよい。
やっぱり私が選んだ人だ。
これからも一緒にいたい。
頑張れます。

ここまで考えたけど、最後のピースがはまらない。
それに気づかせてくれて、最後のピースを選ぶ自信を与えてくれる。
誰も、私の幸せをお膳立てしてはくれません。
私の幸せは、自分にしかわからない。
「丸ごとの幸せ」なんて、はなからないのです。

2024年1月22日

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