故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

できることを、たんたんと

2014-07-31 03:51:48 | よもやま話

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人は孤独でしょうか。
何に怯えているのでしょう。

一杯仲間はいるではないですか。
先頭に立つことが嫌なのでしょうか。

考えてみてください。
人と関わりを持つときは、いつも先頭です。
変りがないのです。

今、自分ができることを、恥じぬようやるしかないのです。
人のやることが間違っていると思えたら、ユーモアを交えて話しましょう。自分しかできないことがあるはずです。ユーモアが言えなければ黙々とやりましょう。長い時間が経過するうちに、どうでも良いことになります。

悩むことは止めましょう。出来ることをこつこつとやり続けるのです。そして疲れたら休みましょう。心の羅針盤はいつも同じ方向を示しているでしょう。時々は、羅針盤を覗いてみるのも悪くはない。幸せな気持ちになります。

2014年7月31日

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正直に話す

2014-07-30 02:51:56 | よもやま話

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いつものように、正直に話すことにしました。
記憶容量が小さくなったせいか、ごまかしや繕いの発言は続かなくなりました。こちらではこんな風に話した、あちらではあんな風に伝えた。細かく覚えられなくなりました。よって、感じたまま、その時のベストの考えを伝えることにしてから、かなり経つように思います。伝えにくいことも率直に話すことにしました。

先輩と同様、同じ話題を何度も話すこともしばしばあります。
そんな風に感じた時は、「前にも話したかもしれないが」と前置きすることにしました。自分がこんな風になってから、先輩のテープレコーダーのような話も許せるようになりました。注意して聞いてみると、前後関係、脈絡が都度異なることに気づき、違う話の展開として聞けるようになりました。

今のプロジェクトエンジニアーを辞めると、「聞くボランティア」をやりたいなんて考えています。年寄りは孤独です。連れ合いに先立たれ、親しい友人も減っていきます。先輩のように、尊敬できる作家も医者もいなくなっていきます。価値観を共有できる人が少なくなるのが孤独のはじまりです。聞くことで人助けができるならこんな良いことはありません。時代背景も、その人のパーソナルヒストリーも勉強しなければなりません。面白いことだと思いますが、皆さんいかがでしょう。

感動は、追体験で起きるように思います。その人と同じ経験も工夫もできません。映画のワンシーン、歌のワンフレーズに感動します。涙の訳は、笑いの根源はすべて自分の中にある追体験ではないかと思います。米丸師匠のように、「それだけのことです。」と言って笑わせるなんて最高です。重みを感じます。

正直に話すことにしました。少しくどくなりますが、許してください。皆さんもそんなに変わりはないでしょう。

それだけの話です。期待させてすみません。

2014年7月29日



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それでも、緩めない

2014-07-27 05:09:08 | プロジェクトエンジニアー

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梯子を外されるようなことが、時々ある。
工事現場には危険が潜んでいる。原因の第一が勘違いである。
経験者は、安全に見えても潜んでいる危険を察知できるようになる。多くの人は、自分の五感で危険を予見するのではなく、先輩に教えてもらった規律で、未然に防ぐまねごとをするのである。
上に登っている人にとっては、梯子は下に降りる貴重な手段である。しかし、なにげなく通りかかった人から見ると、梯子は通路を塞ぐ邪魔者なのである。そして規律に従って片付けてしまうのである。仕事の流れが分かっていれば、上に人がいることを認識でき、外すことはないのである。

集団社会では、しばしば起こる現象である。
今日のように、縦割りのセクショナリズムで構成される組織でよく見られるのである。そのセクションごとに規律は異なるのである。「売り上げを競うな、サービスを競え」を社是としている眼鏡やさんがある。私は、この社是が気に入って、この眼鏡屋さんを長年利用している。この考え方だと、梯子を外すようなことは起こりにくいのである。

売上至上主義は、まことに自分勝手な発想で、自分の組織のことだけを考えるようになるのである。セクショナリズムを優先するあまり、ひどくなるとコンプライアンスを無視することも起るのである。会社が発行している仲良し新聞を読むことで満足し、いつしか一般紙を読まなくても生きていけるようになるのである。一つの組織に長くいると、気がつかないうちにそうなりやすいのである。成功者である社長は、いつしか裸の王様となってしまうのである。洋の東西や時代の流れの中で良く見られる現象である。

工場を「作る側」と「使う側」において、どちらの側も「売り上げ重視」の考え方に立つとしたら、「作る側」は良かれと思って勝手に作り、「使う側」は、壊れるまで使ってしまうのである。その後、どちらもお互いを認めなくなり、関係は冷めていくのである。

誰でも、梯子を外すことを知らず知らずやってしまうことがある。工事現場では、危険予知を「KY活動」と略して呼び、日々実践している。これが、組織の中に埋もれてしまうと、「空気を読めない」(KY)人たちだらけとなり、梯子を外すような危険を平気でやるようになるのである。やがて、組織のボトルネックとなりリスク(危険)を吐きだすようになってしまい、その毒で組織は消滅するのである。

では、どうすればその「梯子を外す」ことを阻止できるのか。
眼鏡やさんの社是のように、「売り上げを競うな、サービスを競え」と考え方を改める活動をするのである。工事現場では、作業者を安全に家族の元へ返すことを第一に考えるのである。
真のサービスを競うに
は、相手のことを考え、満足させる工夫と工夫を実現できる考え方と技術を磨かなければできないのである。すべての人が、プロフェッショナルとなるには、変化に気づく人がまず実践し、草の根運動を展開することである。それには、大いにサービス精神旺盛な人がふさわしい。そのサービスは無償であるほど価値が出るのである。 

私は、時々孤独になることがある。
それでも緩めるわけにはいかない。

2014年7月27日

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子供へ助言

2014-07-25 04:11:09 | よもやま話

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長男から電話があった。
転職を計画しており、明日最終面接だとのこと。職種はシステムエンジニアーである。アドバイスをくれというのが、息子の電話してきた理由である。就職あっせん業者は、息子にまだまだ甘いとアドバイスしているようである。ありがたい話である。私が言っても聞く耳もたぬ息子は、他人の若いアドバイザーの話は聞くのである。甘いというのは、現職が嫌だから転職したいという息子の本音が透けて見えてしまう。どんなに繕っても隠せないというのがアドバイザーの意見である。確かにその通りである。

私のアドバイスは、これからでも遅くはない、「30年後の自分をイメージして面接に臨みなさい。」と伝えた。漠然としたアドバイスである。知らないことも、嫌だからやめたいという本音も面接官には御見通しなのである。だから、隠す必要もないし怖がる必要もないとアドバイスする。しかし、30年後の自分像は、オリジナリティーがあり、面接官は興味をもつはずだと伝えた。
システムエンジニアーは使い捨てである。どんなことでもやります。24時間頑張ります。タフマン的なアピールはだめだとも伝えた。顧客のために真摯に仕事をし、常識人としてプロに徹することができる人材が求められているのだとも伝えたが、まだ難しいであろう。

子供に話すことは、あまりないのである。ましてやアドバイスなどもってのほかである。そう思ってきた。親から言われることは、勉強しなさい、頑張りなさいばかりである。私は、「力を抜いて楽しみなさい。」というのがせきの山であった。子供は、親が育てるのではないと思っている。社会が育てるのである。そして、次の世代につなぐのが子どもの役目である。

出来れば避けていたいと思うのが、子どもの親への思いである。
そう、思ってきた。大人になったら違うのだろうか。きっと、身近に信頼でき、相談できる大人がいなかったんだろうなと感じたのである。ここにきて、息子の私の仕事に対する感じ方が変わってきていると思うことがある。仕事のプロと見ているのである。
興味を持つことが肝要であり、プロフェッショナルの始まりである。少しは子どもの役に立ったかなと思った日であった。

2014年7月24日

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勘違いは時として大胆

2014-07-19 05:57:16 | 思い出話

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桂米丸師匠の落語を聞く。
先輩は、この米丸師匠の落語は面白いと言われた。
先輩は、自分より年上の作家が書いた小説しか読まない。
自分より年上の医者の言うことしか信用できないと言われる。
「読むものも無くなっていくし、だんだん呆けて来た医者の話を聞いてもしょうがないだろう。」と先輩に話すのだけど受け付けてくれない。私は、先輩より年下だから仕方がない。

米丸師匠の「ただそれだけの話ですがね。」の連発が面白い。
これだけの師匠だから、なにか特別な落ちをと期待して聴いている客の逆手をとる。客は、期待した自分を笑うのである。

米丸師匠の話を聞きながら、どうしても思い出したいことがあると、何だったけな、ここまで出てきているんだがなと一生懸命思い出そうとしていた。やっぱりだめか、いやあきらめないぞ、もうちょっと。そこへ「今日は、傘がいるかしら。」と妻が聞いてくる。「うん」としか答えようがない。もうちょっとと格闘しながら、黙考していると、「雨がふるかしらね。」とまた聞く。

あっ、思い出した。と手を打つ私。なんなのと妻。
いやいや、今は話せないと出し惜しみする私。ひたすら、にやにやしながら満足する私。

件の先輩といろいろ抱えている酒豪と4人で飲む中野へ向かう。
電車の中でも、良いタイミングで話そうとあれこれ考えている私。

よもやま話が、ひと段落したところで、米丸師匠は面白いと切り出した。新作ネタの電車の中での面白い話を反芻した。件の先輩も米丸師匠に関連した話をしたそうなのを抑えて、私は話したかったやっと思い出した話を始めた。

ある春の日、昼下がりの東西線を舞台にした話である。まばらな乗客を乗せた電車内での出来事である。気持ちよく揺られてあちこちで居眠りが始まっていた。その時、ある紳士の頭(かつら)が突然落ちたのである。あろうことか、やはりうつらうつらしていた隣の紳士の股間に落ちたのである。
現れた禿げ頭が相変わらず前に後ろに揺れていた。
クスクスと乗客たち。のんびりとした空気に一瞬緊張が走る。
隣の紳士は、クスクスという笑い声を聞いたように思った。
目を落として驚いた。股間に黒い毛むくじゃら(かつら)が付いていた

紳士は、あわててズボンのチャックをおろし、その毛むくじゃらをズボンの中にあわてて納めたのであった。なんという荒業。
それだけの話である。

落とした紳士、納めた紳士。二度驚いた乗客たち。

笑い転げる4人。その日は、大いに盛り上がりいつになく深酔いしたのである。
米丸師匠ありがとう。

2014年7月19日

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