故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

同窓会に出席

2014-05-25 10:21:42 | よもやま話

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同窓会に出席する。
子育ても終わり、役も解かれ、属するグループから解放される時期なのである。
そして、自分がたどって来た道を思い返す時期なのでもある。
同窓会は、自分探しかもしれない。
室生犀星の詩句に、「故郷は遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」とある。中には、出席するのを躊躇する人がいる。かつては、私もそうであった。故郷を捨てて、早40年。さんざん世話になった故郷なのに、恩返しもままならない自分が今更出かける場所でもないような気がしたのである。昨年、久しぶりに出席してみるとそれは要らぬ取りこし苦労であったと実感した。故郷の変わらぬ山河を見て、改めて美しいと思った。多くの懐かしい顔に会い話して思うことは、実は本当の友の姿を見ていなかったのではないかということ。40年経った今だから気づくのだろうか。
同窓会に出たからと言って、若かった頃を追体験し、そこから再スタートすることはできない。急いで生きて来た自分のことを、これで良かったと思える場所なのかもしれない。他になかったではないかと慰める場所かもしれない。同窓会に出席したほとんどの人が精一杯生きて来たのである。
中には、同窓会の魔法にかかって新たな出会いを始めるものもいるであろう。私もその一人で、昨年同窓会で出会った女性と今年大人婚をしたのである。そして故郷が一気に近づいた。彼女をモチーフに小説を書き、懐かしい追体験をしたのである。
同窓会は、これからの長い人生の互いに交すエールの場所であり、ちょっとだけ休息する時間である。
 

2014年5月

      

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トマト誰の子

2014-05-19 22:36:03 | よもやま話

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狭いベランダに、最初は花を次に野菜をそして日よけのすだれを作ることになった。
水分補給は、風呂の残り水をいったん桶に受けたものである。生き物は日々刻々変化する。家人は見逃すまいと毎日観察を怠らない。私には、サルカニ合戦の蟹が柿の種を世話する(脅かす)姿に見えるのである。
花が咲き始めると、実を結んだか心配な様子である。このトマトはいったい誰の子なのか、はなはだ不思議なやりとりと私には映るのである。
田舎では、道路に飛び出た果物は誰が食べても文句は出ない。都会では、なぜか恥ずかしい行為となる。ベランダのトマトの所有者は決まり切っているのである。最初に食べる人(さる)のためにトマトはあるのである。
 

日々好日(口実)山荘かな

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素人剣道

2014-05-18 08:23:36 | 思い出話

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さて、S様は、相当お強い剣士であったと風の便りに聞いております。 私も、悪友に誘われまして、2年間大学の剣道部に所属しておりました。 年6回の合宿を経験させていただきました。

特に厳しかったのは、寒合宿と夏合宿でございました。

寒合宿におきましては、五時より稽古です。都下のK市の寒さは相当厳しうございました。我々1年生がまず、雑巾がけをいたします。かけた後から凍るのでございます。

終わるころには、道着から湯気が沸き立っておりました。


夏合宿は、新潟県の山奥でした。山道を越えて道場に行くのです。
 延々と続く掛かり稽古。20人から回り、小突かれ突き倒され、道場の壁にたたきつけられ、床に押し倒されます。それでも掛からなければなりません。すり足も習いたてでした。そりゃ地獄でした。1日3回の練習にはついて行くのがやっとでした。
道場からの帰り道の峠で山から流れてくる
清流に一時身を投げたものです。

合宿最終日には、宴会がありました。

芸のない私は、床柱にしがみつき、上の方まで昇り、尻を振ってセミをやるのでございます。 疲れ切った体に回る酒、おいでおいでをしている女先輩がいます。

「Oよ、飲ませてやるから来い。」普段ない優しい誘いに、すぐに不覚状態でした。


朝目覚めて、トイレに行きました。おや何か違う。

赤チンが塗られ、つっぱります。
その上、赤いりぼんが巻かれているではありませんか。

いや、やられたと笑おうにも、ほおが動きません。涙が流れてきます。急性アルコール中毒になっていました。

夕方には、寮にたどり着きました。二度とやりたくないと思いました。それから2年やりました。

剣道は、懐かしい。


その道ではご高名なS様、今度一度、稽古をつけていただきますようお願いいたします。 すり足が出来るようになりましたらよろしくお願いいたします。
 

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腰痛とお友達

2014-05-18 08:16:26 | よもやま話

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も慌てることはない。
こう、思った瞬間から肩から力が抜けました。
不思議なもので、頑張らなくてもよくなると頑張れるものなのです。お金と引き換えにサービスを提供するのが、会社員の宿命です。お金は、今は必要ありません。とにかく治します。
と宣言してから、頑張ろうと決意しました。
腰痛は、痛みを膨らませないことが唯一リハビリの極意です。
痛みがひどくならなければ、少し痛んでもその痛みを我慢して緩和すれば治ります。痛み止めは長く使用しない方が良いと感じました。痛み止めに頼るようになり、どんどん増えていきます。判断力がそがれていきます。そしてひどい時は、パニックになるのです。腰痛と上手に付き合いましょう。
決めてから、腰痛以外のリハビリが進みました。体の疲れが取れていき、気持ちは楽になり、腰痛を楽しめるようになりました。慌ててはいけないのです。
こんな簡単なことが、どうして分からなかったのでしょう。
人間の体は意外と丈夫なのです。

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忙中閑あり

2014-05-16 18:18:55 | プロジェクトエンジニアー

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よくなりかけていた腰痛です。
油断しました。痛みに付き合う粘り強さが問われます。
体を休ませてしまったのが、再悪化につながりました。
そしてあわてました。どうしよう、こんなはずではと、少々ショックでした。あっけなく、身体は悪化の一途です。眠れない夜を二晩過ごしてギブアップしました。
 

会社を休むことにしました。
度胸が据わりこれ以上よくならないと自覚してから
体を休ませないことにしました。気長にストレッチを繰り返し、
痛くなったら休む、痺れが取れたら立ちつづけることにしました。
座ると痛いので、食事卓を座机から椅子にしました。
体を冷やさない、我慢が出来ないほど追い込まない。
痛くなる原因を取り去ることにしました。
 

言い訳ができない状態にし、根競べのような痛みとの程よい付き合いを始めました。手術がいつでもできるよう、会社は休職し、MRIを撮り、準備を整えました。 

心の負担も、良くならなきゃというプレッシャーもぬぐえて初めて腰痛(坐骨神経痛)とまともに付き合えるようになりました。
よく眠れます。痛み止めを飲む量を半分にしたせいか、頭がはっきりし判断力がもどりました。とことん付き合います。一生抱える病気として覚悟を決めました。
 

忙しい毎日でした。一休みすることで伸び切ろうとしていた緊張感が解き放たれた気がします。取り戻せたようです。 

また、経過を書き続けます。

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