故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

雪降る前は忙しい

2020-12-29 05:18:42 | よもやま話

絵のタイトルは、「熊の摩崖仏」です。
神仏に頼る前に、できることをやる。
身体が悲鳴をあげています。
よく休んで、あとは敬虔にお願いするしかありません。


やっと、書けるようになりました。
今日のタイトルは、「雪降る前は忙しい」です。
雪が降る前にと、忙しく働きました。
雪が降ると、外では何にもできなくなります。
温室の屋根を付け、やっと完工しました。
温室の中で、キャベツは4月収穫に間に合うでしょうか。

豆のつるが枯れたまま放置されていました。
豆のつるを架構からはずし、切り刻み畑にばらまきました。
取り込んだ葱の畝もそのままでした。
畝の北側は、凍っていました。
今のうちに、土に空気をいれてやろうと耕し始めました。
カンリキ(耕運機)についていく長靴越しに冷たい地面を感じました。
手は悴むほどなのに、汗をかきました。
この時期、皆さんが自家用に精米(餅米が多い)をされます。
コイン精米所に糠を取りに行きコンポストに混ぜた。

コロナで東京は大変なことになっています。
怖がりたちが、田舎の誰も来ない我がカフェを利用してくれます。
先月より忙しい。
雪が降る前は、カフェも忙しい。
孫へのクリスマスプレゼントとして、手首を骨折した娘の臨時食料としてパンを大量に焼いた。
カフェのお客さんも事情は同じ。アップルパイやテイクアウト(お好み焼き、ピザ)の注文が多い。
どこにも行けない地域のお腹空かしが、夜の予約をする。

カフェが忙しいのに、農業ばかりと言ってもおられない。
昼飯抜きはいつものこと。朝ごはんをしっかり食べられない妻は、カップヌードルをすする。
そして、今年の営業は終わった。畑もきれいになった。

今年は特別な年になった。
サリン事件(無差別殺人を連想)の時、自分の身にも起こることとして覚悟した。
コロナで、外出要請が出された。病院も緊急事態である。
とにかく、健康でいなければならない。
来年は、コロナも収まり穏やかな年となってほしい。

蜜なのが いけないことに とろりとな

2020年12月29日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それから5年が経ちました

2020-12-25 06:52:01 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「鳴門海峡夕景」です。
四国を出て淡路島に入りました。
あと少しのガソリン残量を見ながら、どこまで行ってもないガソリンスタンドを探しました。


今日のタイトルは、「それから5年が経ちました」です。
私が尊敬するプロフェッショナルに送った手紙を載せることにしました。

「Nさん、お元気ですか。
こちらに来て5年が過ぎようとしています。
こんなに充実した日々を送れるなんて思いもしませんでした。
妻が、私を食わしてやると畑を始めました。
30種類も植えましたが、地面の下で太る物(ジャガイモ、さつま芋、里芋)しか収穫できませんでした。
虫でやられ、地力が足りず、時期を誤りさんざんな一年目でした。
そこそこ役に立つ仕事をしてきたと自負がありました。
過去は一切通用しない。期待されない不自由を初めて感じました。
地縁血縁のない私達は、最下等の人種(食い詰め者)のようでした。
仕事で来ていなかったら、早々にしっぽを巻いて逃げ出していたでしょう。

どうして過疎になるのか、空き家が増えているのを人々はどう感じているのか。活性化なんてできるのか。
自分にできることがあるのか。最後のプロジェクトと覚悟を決めていました。
個人的には、再婚したことで、私が家を出て妻も家を出て終の棲家探しになりました。
総合的に思い返すと、「自分探し」の5年間でした。

ここでも人々は点から点の生活です。潤いのための線を紡ぐことができない生活です。
都会より毎日往復2時間も得する現実を有効活用できていません。
コロナ禍になって、田舎も捨てたもんでもないかなんて適当なことを言っています。
東京が風邪をひくと、田舎はくしゃみをする。
地域で回っていたサービスもお金も中央を循環して自分たちのところへ戻ってきていると実感する人は驚くほど少ない。
なんか変だな。
すべてを取り仕切っていた大工(プロジェクトマネージャ―)もセキスイハウスの常雇で暮らしています。

今までやってきたことが活きています。
人を使ってきましたが、ここでは何でも自分でやらなくては生活できない。
種を植えて、草を刈り収穫するまで一人でやらないといけない。
足元ばかりを見て来た者が、山をみて雲の流れを観察するようになりました。
明日は、何が始まるのか。敷かれたレールはありませんでした。
不自由でした。不自由故に自由なんだと感じ始めて助かりました。
放っておかれるから、何をしてもよいのでした。
カフェは赤字続きでした。
ピークカットをするために、商圏を10Kmから2kmに変更しました。地元優先です。
SNSやマスコミは排除しました。
注文生産にこだわりました。注文を受けてから仕込む。
コーヒーもお好み焼きもピザも注文を受けてから豆を砕き生地を焼き始めます。
リードタイムがかかるパンはできるだけ少なく作り、売れ残りはその夕方近所に無償で配る。のちに野菜が届く。
夜の予約は、1組のみです。お酒は持ち込みでお願いしています。出す料理は、「お任せ料理」だけです。
お酒の好みをカバーできないし、いつまた飲まれるか、キープの場所がもったいない。
来店後のメニューに応える見込み生産はできない。おまかせ料理も注文生産です。
グループの人数を聞き、年齢を聞きお酒の飲み方も聞いたうえで、
畑から採ってきたもので冷蔵庫にあるもので作っています。
問題は、味付けです。お客さんが普段使っている食材でちょっと違う料理を作る。
敵は、料理自慢の主婦ですから。
常連さんに低料金で試食会をお願いしています。この会で承認された料理だけを出す。
営業から試運転までのプロジェクト経験が、生きています。
嫌と言うほど飲まされた「あとからクレーム」の煮え湯が活きています。

感性だけで生きています。
空き家がうっそうとしているのは美しくない。耕作放棄地もうざい。
近所は、11軒中8軒が空き家です。そのうち5軒の草刈と剪定をしています。畑も5畝から2反に増やしました。
刈らしてくださいと持ち主に頼むと、シルバーと勘違いされたり金はいくらと言われたりしました。
それが今では、刈ってくださいと電話で依頼されたり、黙ってみておられます。助かったというのが実情です。
近所から苦情を言われていた方がよかったのかとも思います。つながりが切れないからです。
死んだまんまが空き家です。
いつか片づけたいと使わない部屋に使わない物を詰め込んで、やりたいけど手が付けられなくなって逝ってしまった。
残された者も近所の手前何とかしなければと思いながら、だんだん遠のく足です。
大正時代は7000万人の人口だった。好景気と戦争で産めよ増やせよの時代が続いて増えてきた。
ピークは終わり、100年後には7000万人になるのです。
空き家も畑も必要ないのです。そう、思うようになりました。

カフェは、「さんぽみち」と名付けました。
カフェ前を散歩する人が増えてきました。してやったりです。
足立美術館を見てきました。借景の考えをこの地で採り入れました。
森に侵食し続ける竹を伐り始めました。高木を伐り倒しています。手に余るものは樵に頼んでいます。
竹を利用した構築物が増え続けています。好き勝手してよいのです。
台風で倒される豆の架構を作ったり、温室を作ったり、ゴルフ練習場を作っています。
切った木に茸菌を植えて腐らせています。採れた茸は近所に配りカフェで使っています。
梅の木を剪定すると、近所の者が銀杏の高木を伐りました。
空き家の庭の草を刈ると、近所の庭の草も刈られ始めます。これまでの知らん顔がうそのようです。
自分の家の周りだけ汚くはできない。へーえてなもんです。

地域の活性化なんて言いながら、協議会ができます。
おらが村には、ブランド米があり果樹が美味しいと自慢をしたがっています。
私は、ここの良さは、「何にもないのがよい」と公言しました。皆さん不満顔でした。
ここには、補助金で作られた今は使われない構築物がありません。政治力がないのがよい。
稲作は、大規模農家や農業会社に依頼し、果樹園の後継者は17軒中5軒のみです。
依頼された田んぼは、サラリーマンがやることなので稗粟だらけです。秋は黄金色のはずが、緑です。
馬鹿にされた農業会社は、慌てて薬を撒いています。

私の取り組みは、「こうだったらな」の連続です。
ここには、来られたお客さんが座るベンチがありません。
不要な竹で、必要なおもてなしを造りたい。
何をやってもよい生活はしんどい。
やることがない老後をやっていたはずです。
あと、20年は生きたい。試したいことがたくさんあるのです。」

このように書き送信しました。
私は、人生の楽園を生きているわけではありません。
未だに仕事と思っています。給料の払われない仕事です。

生きたいが 刻一刻と 過ぎていく

2020年12月25日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きる

2020-12-22 05:12:22 | よもやま話

絵のタイトルは、「やっちまったぜ」です。
いろいろあんだよ。どちらかと言うと、楽しそうだな。


今日のタイトルは、「生きる」です。
1952年、黒澤明監督、志村喬主演で封切られた東宝映画が思い出される。
市役所の公園課課長の志村が、生い先短いことを覚り、自分がやりたいことを実現する映画である。
大真面目に、「生きる」ことを探るとこうなるのかと思わせる。

すべての人が生きている。それぞれの役目を背負って、日々務めている。
生きている価値を問われると、すべての人がはたと考えてしまう。
自分は、世の中の役に立っているのか。この仕事が、自分のやりたいことだったのか。
多くの人から注目される人ではないかもしれない、それでも生きている。

毎朝起きると、生きている、そして健康であるらしい。少なくとも風邪は引いていない。
さて、何をしよう。とりあえず欲求のままにトイレに行き、喉の渇きを癒す。

一服をし、コーヒーを飲む。とりあえずは終わった。さて、どうしよう。
「生きる」は、この後の行動のような気がする。
新聞を読む人もいるでしょう。
テレビを点ける人もいる。どちらも、情報をとりたい。
炊事をし、洗濯掃除を始める人もいる。
生き抜くための次の行動である。ここまでも必然である。

何のために生きる。
家族のため、会社のため、そして自分のためと生きて来た。今は違う。
しなければならないことは、何にもない。

何がしたい。この辺りから己の本性が見えてくる。
趣味であり、嗜好かもしれない。
目的かもしれない。夢と言ってもよいかもしれない。
自分がやりたいことがある。なんだろう。
地域は、廃れていく。色んな原因が考えられる。
どうしたら、活性化できるのか。自分でもできるのか。

こうして、移住した。
妻は、畑を耕して野菜を作り始めた。野菜を作って、私を食べさせてやると言った。
試しに、30種類の野菜を植えたが、ことごとく駄目だった。
虫にやられ、地力のなさで育たず、草に負けた。
竹の根を追い、セイタカアワダチソウの根を追い、山際に塹壕を掘った。補給路を断て。
陽があたらないと、森の高木を自ら伐ったり、持ち主にお願いした。

何をしなければならないか、志向が変化してきた。
すべてを己の感受性に委ねる。
庭に続く、森の借景が気に入らない。足立美術館とはいかぬまでも、森の下草だけでもと刈り始める。
畑の周りの草を刈る。空き家の草を刈る。耕作放棄地を耕す。どこまでも侵食する竹を伐る。
美しくないから。
地力をつけるために、カフェで出た食物残渣とコイン精米所でいただく糠を混ぜコンポストを作る。
広大な畑に順繰りに施肥をする。化学肥料に頼らない。
虫がつけば初めはピンセットで、今は手でとる。虫にも飛来虫と地面内に住む歩行虫がいると知る。
剪定をすれば、クリーンセンターに90円/kgで捨てた。友人が、持山に捨てても良いと許可してくれた。
少しならと、風のない日に燃やしてしまう。灰は畑に。

何が楽しいか。これが「生きる」なのかな。
何でも分ける。もらってくれる人がいないと、「分ける」は成立しない。
欲しい人に、満腹にならない程度に分ける。
それもその人が欲しい時に。
顔色を窺い、信用してもらうまで付き合いがなければ、欲しいのかどうかさえ判らない。
こっち都合の商売を恥じる。生きざまを反省する。

色んなことが分かってくる。知識欲が洗われる。
筋肉が、自ずとついてくる。野菜中心の食事でありながら、たんぱく質を欲しがる身体になっていく。
自分は何ができると、問うようになる。頭が澄んでくる。
生きていて楽しい。
もっと試したいことがある。
これも、「生きる」であろう。もう少し生きたいとなる。
残念ながら、先は長くはない。少し光が見えた。生きているうちに見えたような気がする。

もうできぬ 頭で犯す 年頃さ

2020年12月22日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餅つき

2020-12-20 11:04:11 | よもやま話

絵のタイトルは、「たまねぎのダンス」です。
そよ風に任せて、くねくねと踊っています。


りんごを剥く。
りんごはとても冷たい。
冷たいけど凍らない、糖分が高いからだそうです。
寒中を耐え抜く野菜は、どれも甘くて深い味わいになる。
特に、山芋は甘くなる。凍えそうになりながら、笹薮で掘るのである。
糖を増加させて、凍らないようにする防御本能を植物は備えている。

今日のタイトルは、「餅つき」です。
昨日、6升の餅米を洗米して浸漬した。155g/合の餅米が水を吸い220g/合となった。
餅つき機で、蒸かし搗くのに40分かかる。
広島では、雑煮用は丸餅にする。豆を入れたり蓬を入れたりする加工餅は四角にする。
これから両方作る。丸は熱いのを適当にちぎって手で丸める。
角餅は、牛乳パックに詰めて冷めたら、包丁で適当な厚さに切る。
防腐剤を入れないので、すぐに食べるか冷凍にして保存する。
私達は、1升もあれば十分正月を迎えられる。
あとは、正月までに届くように都会の友人や子供たちに送る。
土に埋めた大根と葱を掘り出し、植えたままの白菜と餅を送る。

1升の餅は、牛乳箱2つに丁度納まった。3升は角餅、残り3升は丸餅にすることにした。
牛乳箱が1つ足りないので、家に取りに行った。
牛乳箱の保管状況を見たうえで、汚れたものもあるかもと1つ余計に持ってきた。

かつて、外資系の機械メーカーに勤めていた頃、故障対応に困ったことがあった。
部品を注文しても、本国から届くのは1か月後である。
ユーザーや日本支社は、それを見越して主要な部品はストックしていた。
私は無駄なことと感じると同時に、サービスがビジネスチャンスを広げることにならないか考えた。
日本支社の自社が売った機械のメンテナンス比率は、10%だった。
多くは、注文された部品の供給にとどまっていた。
理由は、機械が丈夫で長持ちし、日本人のサービスマンは経験が浅く対処できなかったからである。

無償で点検サービスをし、事前に機械の状態を知り、計画的なサービスを本社に提案した。
サービスマンの教育と最新技術の講義、世界的なトレンドをレクチャーすることを追加した。
日本のサービスマン教育も兼ねて、イギリス人のエキスパートを1人、1年間レンタルした。
新規機械の建設途中に時間が空いたので、近くの工場を訪ね、自社の機械の点検をした。
お客さんは、無償の対応に喜んだ。不幸なことに、重大故障が見つかった。
工場側はリコールだと、襞詰め談判となった。
世界中で類似の機械を立ち上げ、メンテナンスをしてきたエキスパートに、お客が直接尋ねた。
今まで、このような故障を経験したか?

今まで16年間この会社で働いているが、
「一台だけ」と彼は答えた。

まったくゼロは疑わしい、2台は、それ見たことかにつながる。
お客さんの機嫌を損ねない、かと言って自社の過失を広げない絶妙な対応を勉強した。

自社の機械の点検を無償にすることは、革命的にビジネスチャンスを広げた。
日本支社は、少ないサービスマンで計画的(一年中平たく)にメンテナンスができるようになった。
顧客は、無駄な部品ストックをやめ、社員のメンテンス能力を上げることができた。
数年後には、自社が売った機械のメンテンナンス比率は80%になり、サービスの売上も1億円になった。

営業として、本社の中堅クラスや工場トップの接待をしてきた。
1晩、10~20万円かかった。トップは移動が激しく2~3年で本社や違う部署に行った。
工場の方に頼んで、一人5000円で飲める場所を予約していただき、20人の顧客社員を接待することにした。
何か面白そうだと、工場長は混ぜてくれと言われ、工場長が出席されるなら日本支社長も呼ぼうとなった。
日本支社から5人、顧客から20人の大宴会をすることにした。
情報量は格段に増えて、若手だった顧客も偉くなり私への依頼(営業、コンサル)も格段に増えた。

「一台」だけのセンスの良い回答が生んだ結果であった。

搗きたての餅の塊は熱いので、ねじりながら伸ばし、冷まして1個の大きさに切っていく。
妻が教えてくれる通りに私は動く。動きながら覚えていく。オンジョブトレーニングである。

一休さん 洋の東西 おられます

2020年12月20日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

できることをやる(Part2)

2020-12-19 10:40:57 | よもやま話

絵のタイトルは、「できたがな」です。
この子の表情は、不安半分、自信半分です。
さて、どちらに転ぶか。


外は雪模様です。
積もるかもしれない。
心配しても仕方がないことを、起きぬ前に悩みます。
だから対処ができると言われるかもしれない。
しかし、多くの場合悩みが先に立ち、道を塞いでしまう。
私は、「できることをやる(Part2)」(今日のタイトル)と、あきらめにも似た気持ちになることがある。
寒いから動きたくない。
寒くないように厚着をし、部屋を暖めれば動けるようになる。よくわかっているができない。

ブログを書く時、ほとんどの場合タイトルが決まらない。
考えることをやめ、できることをやる。
洗い物をしたり、洗濯をしたり、できるだけ悩まない単純な作業から入ることにしている。
気がかりなことが、沸々と湧いてくる。あれもこれもと湧いてくる。
身体を動かせば、身体の中に溜まったもの(多くの場合、毒)を出そうとする。
出せば、体が軽くなり、食欲も湧いてくる。

身体の仕組みに詳しくはない。
血液が巡るようになると、いろんな器官が刺激を受け、ついでに脳も働き始める。
腸が典型的で、脳のいうことなんか聞いてはいない。
脳は都合の良いことを始めようとする。脳は欲望の塊である。
できることをやることは、身体の全器官のバランスを保つことになる。
脳は、何でもできると命令する。
他の器官は、出来るはずがないだろとトライする。やっぱりできない。それでよい。

歳を重ねると、どこか変調をきたすことになる。
そこが悪くても、他があるだろうと脳は判断する。脳がやっと良いことをし始める。
糖の値が高く、高コレストロールの血液であった。結果として、腹囲が大きくなる。
わずか、1cm標準より腹囲が大きいからと保健婦さんの指導を受けた。
指導通り、野菜から食べ、背筋を伸ばし背中や腰と足の筋肉を使う。
背中を伸ばすだけで、あちこちの筋肉が張る。これだけのことである。
溜まった体内脂肪は、筋肉で燃やすしかないと指導を受ける。
やってやろうじゃないと、毎日体重計にのり成果を記録した。
めでたく、無罪放免となった。また、私達に呼ばれないように頑張ってくださいと褒めてくれた。
老人は、美しい中年女性に弱い。お世話になってもよいが、頑張るか。

「できることをやる(Part2)」を考えるだけでも、これだけ書けるとうそぶいている自分がいる。
あれこれ悩むことで病気になる。できることをやるだけで病気が逃げていく。
そんなことかなあ。

たっちから 伝い歩きが でき走る

2020年12月19日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする