故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

楽しく生きなきゃ

2024-03-31 17:27:30 | よもやま話

絵のタイトルは、「こんな日が来るんだね」です。
50年前には、想像だにしなかった今です。
感じて、見ることができてよかった。


幼子の 君の名前が 読めたっけ

今日のタイトルは、「楽しく生きなきゃ」です。
50年以上前に卒業した校友たちと会って、話してきました。
病気だった人も、苦しかった闘病生活を話せるようになった。
こんな人だったのと、笑わせてもらいました。
多少の経年変化も、皺というチャーミングポイントです。
こうでなきゃ。

高校時代の打ち明け話は、知らなかったと驚くことばかりでした。
自分のことで精一杯だったと気づくばかりです。
その後の壮絶も、バラ色に聞こえました。
上手に話すものだと感心するばかりです。

同窓会に出てくるものは、うまくいった人たちと思っていました。
そうとも言えるし、そうでもないかもしれない。
実のところよくわかりません。
自分を素敵に見せなくてもよくなった。
見栄を張る必要はなんにもない。
ただただ懐かしい。

憧れの人のその後を観たい。
忘却の昔に少しだけ触れたい。
少年のころを思い出し、大いに楽しませていただきました。

2024年3月31日
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まともなのか、やばいのか

2024-03-30 02:42:05 | よもやま話

絵のタイトルは、「寒椿」です。


夏越せた 秋から冬へ 春よ来て

今日のタイトルは、「まともなのか、やばいのか」です。
眠れないので、JOHN WALKER & SONSのXR21のスコッチをナイトキャップに飲んでいます。
喉が焼けます。
実家のように自由に来訪される先輩が、「申し訳ない」と毎回おいて行かれます。

体重をキープするために、ストレッチと筋肉運動を続けています。
農作業をしなかった日は、体重が心配です。
風呂に10分間浸かり、汗を絞り出しています。
夕飯で一杯やったら、あとは虫の息です。
妻に大丈夫と訊かれますが、本当のことは言えません。
精神的に追い詰めるやばいことです。

仕事だけでなく、やりたいことがあったはずです。
仕事を口実に、他人に嘘をつき、自分をかばい続けてきました。
やっと、生きたいように生きられるときが来ました。
今更、こんなことがしたかったのかと、自問しても始まりません。
体調と相談し、隊長(妻)の同意を得て挑戦する日々です。
切ったはずの縁(仕事仲間、地縁血縁)が、どんどん膨らみます。
こんなにも放っていたのかと、改めて自戒の念が堪えません。
「まとも」な精神状態と思うようにしています。

体調管理をやり始めてまだ半年です。
美人の保健婦さんに会わなかったらと恐怖です。
明日は同窓会に出席です。
50年の経年変化にさらされた面々と会うことになります。
くたびれた人も多い。
50年前よりきれいになっている女性もいる。
正直に伝えると、彼女は困惑顔でした。
どれだけ、ひどかったん。と内心抗議でしょう。

こんな人だったんだと、同窓会で話すのが興味津々です。
見る目がなかった。
惜しいことをした。
今は少しはましになったかな。
病気の人も、不幸と思っている人も出席しません。
病院の待合室で来ない人を、「病気なんじゃない」というのに似ています。

言わば、戦友です。
よくぞ、生き延びた。
大変だったでしょう。
これからも大変です。
自嘲気味に笑顔で応えます。

生きざまは、誰に聞いても
「まともなのか、やばいのか」と決めつけられません。
考え方一つです。
生かされていることを感謝するのみです。

2024年3月30日
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この一発

2024-03-29 03:44:59 | よもやま話

絵のタイトルは、「はばたき」です。(小説さなさんより抜粋)
ハンググライダーは、斜面や断崖から飛び立ちます。
地面や岩から離れるときの感覚はいかに。
ええい、ままよ。
何度も練習したことを、「この一発」と決めるしかありません。


型にこだわり、振りに気を付けボールを打つ。
それは、練習場でのことです。
コースに出たら、一心不乱に「この一発」(今日のタイトル)と渾身の力で振り抜く。
昨日のゴルフでは、それだけをやり抜きました。
スコア?
聞かないでください。

掃除をする。
このごみを見逃したら、もう二度と会えないぞと拾い続けます。
張り付いた野菜くずは、爪で剥がし掃除機で吸い取ります。
床に付いた油じみは、これから洗濯するシャツでふき取ります。

草を刈る。
高い草は、上をはがし、中間を切り、根元を飛ばします。
草刈り機をフルスロットルで回し続けます。
雨上がりの草はピント立っています。
水しぶきをあげながら、なぎ倒します。

料理をする。
冷蔵庫の残っている食材を見ます。
どんな料理にしようか。
枯れた葉を取り、熱の通り具合が均一になるよう刻みます。
野菜をフライパンに投入するタイミングを計ります。
茎に熱が通ったら、葉を投入し、味付けを考えます。
もう遅かりし。
酒をぶち込み、味醂が先で、醤油が後なんてどうでしょう。
そんな具合ですから、味は都度違います。
妻は、箸をつけ、「おなか一杯」と残します。

「この一発」は不発となること多しです。
それも実力と諦めます。
だけど、振り切った。
節々がきしみ、風呂で汗を絞り、8時過ぎにはお陀仏です。
翌朝元気に目覚める。
そして、ルーチンワークができる。

2024年3月29日
(あとがき)
昆布茶の効能は、胃で糖の吸収を和らげるでした。
(筆者)
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恥はかいても嘘は書くまい

2024-03-28 03:09:04 | よもやま話

「すべてお見通し」(絵のタイトル)と言ってほしい。
さすれば、苦労して伝えることもあるまい。


昆布茶を飲んでいる。
あさイチでなにかによいと聞いた。
多分、お通じに良いのだろう。
今日のタイトルは、「恥はかいても嘘は書くまい」です。
話している端から、書いてる冒頭から、ほとんどが嘘です。
嘘ではないけど、本当の気持ちを表現するのは簡単ではない。
頭の中で話そうとする内容が、相手の顔をみて変化する。
聞きたくないな。
嫌そうだな。
馬鹿にしているな。

文章力がないとも言える。
勇気がないのかも。
昆布茶を飲み干した。
もう一杯飲もうか思案している。
仮に、便秘に効能があるなら、2杯目は危険水域となる。
やめておこう。
頭に浮かんだことは、日本語である。
単に、そのまま話せばよいことです。
感情が混ざると、聞くものは内容より先に表情や仕草に驚いてしまう。
遠くの人に、五官で感じるさまを紙の上で(今はPC)伝えるのは至難の業である。

天才阿久悠が描いたファンタジーの世界が、切ない恋歌に聞こえてしまう。
あるものは、別れ歌。
また、あるものは新しき自分との出会いとなる。
聞くものにとって、天才の言葉は平易でありながら難解である。
誰かが、背景を説明してくれて初めて情感が湧く。
暮らしのなかで、するすると入ってもくる。

伝えることは簡単ではない。
自分の脳の中をほじくり返す。
何故、こんなことを書きたくなったのか。
正直が売りではない。
身体の中の何かが突き動かし、心情を吐露する。

2024年3月28日
(あとがき)
夢のなかにスナイパー3人が出てきた。
黒づくめでトランクを引いているCAの様子だった。
いきなり、消音銃で玄関のガラスを抜いた。
鍵を外そうとする手を木刀ではたいた。
1人が裏口に回った。
先日、猫が体当たりをして簡単に割れたガラス戸などひとたまりもない。
110番に電話をし、消火器と熱湯で抵抗するも、あとがない。
そして、目が覚めた。
現実は笑顔でも、夢はどろどろである。
まだ、正直は生きている。
(筆者)
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なんでも話せる

2024-03-27 17:49:39 | よもやま話

彼岸なので、遅ればせながら墓参りをしました。
お前さん、「やることがいっぱいある」(絵のタイトル)だろうとは言われませんでした。
いつ、こっちに来るんだいとも言われませんでした。
もう少し、自由に生きてよいんだなと思いました。


何度も書いてきましたが、記憶が怪しくなってきて、「嘘の上塗り」はできなくなりました。
夫婦の間でも、これ言っちゃまずいかなもありません。
その時言わないと、もう聞いてもらえる機会が失われます。
なにしろ、隣の部屋まで行って、「あれ、なにしに来たんだっけ」ですから。

今日のタイトルは、「なんでも話せる」です。
子供や近所の人と話す機会が増えました。
現役時代は、意外と話す機会が少ない方たちです。
出かけるときも帰った時も、星が出ていました。
休日も毎週仕事でした。
子供たちとは、もっぱらかみさんを通じて話していました。
近所の方たちとも会う機会がありませんでした。
仕事馬鹿でした。

子供たちを「さん」付けで呼ぶようになりました。
敬意も払い、対等です。
亡くなったかみさんの分も相談に乗ります。
墓場までの話も今や曖昧になりつつあります。
やらかしたことも許してもらえる。

テレビに話しかけることも続きません。
屋外で作業をしていれば、近所の方が話しかけてくれます。
若いころは、大人たちに話されるのが苦手でした。
どう答えても、悪だくみを見透かされてるような気がしたものです。
子供たちは、なにやかやと安否確認をしてきます。

これ以上望むことも少ない。
お金より大事なものがあると気づいてからは、なんでも話せるようになりました。
年寄りたちの会話は、先がない分正直です。
繕ったって、歩く姿をみれば推測がつきます。
嫌いな人とは話さなくてもすみます。
これからも、そんな風に生きていけると嬉しい。

2024年3月27日
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