故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

読者

2019-12-30 07:45:17 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「島影に沈む夕日」です。
この人にも、話を聞いてくれる人がいるんだろうな。


人生において、信念を貫く。
わが信念と書けない自分がいる。

今日のタイトルは、「読者」です。
阿川佐和子さんのファミリーヒストリーを観ました。
父、阿川弘之さんが、すでに出版された佐和子さんの書かれた本にチェックを入れておられた。
お父様の心境を想うと、泣けてきます。
今更、手直しをしてなんになるのかと、エピソードを語られた佐和子さんのいとこの方が言われていました。
佐和子さんの原稿を手直ししていたと、後に佐和子さんの弟が話されていました。

小説家は孤高の人ではありません。
読者がいるからベストセラーも生まれるわけです。
人々の共感を得られるから続けられるというような。
物書きは、身を削るように湧いてくるアイデアや心情を正直に書き留めているのです。

私のブログの読者で、昨日と同じ絵があったらがっかりする。
少し読んで面白くなさそうだったら、読むのをやめると言われた方がいらっしゃいます。
読者の便宜を量って、タイトルをつけているのだと説明した。
読者にとって、無駄な時間を費やさせたくないという私の気づかいです。
タイトルを決めたら、タイトルに沿って書き続けます。

妻は、とうに読者の一人ではなくなりました。
読者数を増やしたいと、知り合いにブログのアドレスを教えています。
私が意図的にかき集めた読者数と言ってもよい。

最初は勧められて読んだとしても、面白くなければすぐに読まないであろうとも思う。
先輩のところへ送られてくる友人の旅日記のように、未読のまま積まれてしまうだろう。
旅日記は、捨てることもできず往生する代物となるのである。

聞く力は、推理ゲームのようなもの。
私ではない人の気持ちを推し量る。
そして、自分の言葉で理解する。
コップに半分だけの水がある。
いっぱいにしたいと思うのが普通である。
こんなにも残っている命の水と思えるか、私の正念場である。

書いていると、語彙は確実に増えていく。
今の心情を表現するために適切な言葉を選ぼうと葛藤するからである。
優れた作家の文章には、饒舌でない簡潔な言葉が続く。
できるだけ短い文章で伝えようとする。
文字数では、稼げない。
それもこれも読者の想像力にゆだねるからである。
アバのアグネッタのように、感動する力さえも一緒に、歌を聞くものに与えてくれる。

一人ごち 見えざる声に 語りかけ 

2019年12月30日
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毎日を過ごす

2019-12-29 12:28:13 | よもやま話

大病から生還された奥様です。
旦那様がしっかり支えておられます。
タイトルは、「どの日も一日」です。
どちらにも見習いたいし、エールを送りたい。


今日のテーマは、「毎日を過ごす」です。
商売をやっていると、休みがない。
お客さんが無くてもあっても開店する。
今年からカフェ一本でやってきました。
お客さんがない日でも忙しく過ごしています。

予約客に出す仕込みに精を出します。
カフェの中では、りんごジャムを作ったり、餃子を作ったり、辛子味噌を作り普段できないことをする。
カフェの外では、草を刈ったり木を伐ったり、畑では耕したり土づくりをしたりする。
夏は草刈、冬は剪定が加わる。

価格は維持したい、赤字は出したくない。
そんな理由で、自分たちで作った野菜を取り込んだ料理の研究に余念がありません。
すべての料理が美味しくなくてはならない。
野菜の出来具合をみて、何を作るか地域の方に教えていただいたり、インターネットで検索しています。
今時風に言えば、6次産業化の実践です。
必要に迫られて辿り着いた解決法です。

料理に使うからには、美味しい野菜を作らなければならない。
料理方法を研究し、お客様の食事の進み具合に合わせて料理を出していく。
メンバーを見て、酒の飲み具合を観察して、減らしたり増やしたりします。
冷蔵庫にある材料を使ったり、畑に走ったりします。

こんな毎日です。
忙しくてもブログは書きたい。
今しか思いつかないから書き留めておきたい。
歳をとるごとに忙しくなるようです。
仕事より暮らしに眼を向けるようになってから、どんどん忙しくなりました。
やりたいことがさらにさらに増えていく感じです。
できないとわかったら、うじうじせずにすっぱりとあきらめる。
他にもやりたいことがいっぱいあるからです。

目下のテーマは、赤字の出ない人生設計です。
わずかでもよい貯金をしたい。
やりたいことをし続けながらできれば最高です。
これまで見向きもしなかった健康にも気を付けています。
眼科に歯科、メタボにならぬよう毎日体重計に乗り記録しています。
市の保健の先生に会うのを楽しみにしています。
カフェに来られるお客さんを見ていると、60代は元気そのものです。
70代になると、食も細くなりがちでなんとなく元気がありません。
身体の不調も出てくるようです。

故郷で、素晴らしい88歳に会いました。
元気そのもので、今でも現役の農家です。
2000人が暮らす村で、2軒だけの農家です。
やらなきゃしょうがない。と重いタンクを背負い除草剤を撒いておられました。
足が悪い、病院に通う同年代が多い中、元気ばりばりでした。

何かに追われているでもなく、大きな目標に向かうでもなく、
毎日を過ごしておられました。
やることがないなんて、贅沢な話です。
一日が長くて、一年が短い。
忘れることが多いから仕方がありません。
忘れたっていいじゃない。
新たに覚えることを喜びたい。

一歩だけ 進めたかなと 前を向く

2019年12月29日
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励ましと甘え

2019-12-28 08:50:55 | よもやま話

熊の摩崖仏です。
このおっちゃんの「うっとり」を想像しています。


今日のタイトルは、「励ましと甘え」です。
料理人にとって、励ましは美味しいよであったり、客の数でしょうか。
同じように毎日ご飯を作っているお母さんにとって、励ましとはなんでしょう。
残さず、いっぱい食べてくれることでしょうか。

甘えとは何でしょう。
美味しいと言ってくれることだったり、残さず食べてくれることでよしと思うことでしょうか。
料理人は、さらに美味しいものを作りたいと、食材選びと技を磨くことでしょう。
お母さんは、冷蔵庫にあるものでさらに素早く作る。
それで、よいのでしょうか。

料理人がどんなに美味しいものを作っても、料金が高くては食べてもらえません。
病気になった子は、お母さんの作るものを食べたくても食べられない。

価値観が変わる。人それぞれ刻々と変わる事情を抱えている。
それぞれの料理人にとって、励ましを感じられなくなってしまった時、喜びは薄れてしまう。
そして、それぞれの料理は冷めてしまう。

励ましが無くても努力することが、なぜできないのでしょう。
励ましに甘えがあるからなのだと感じます。
私が書くブログにとって、読者の数が励ましです。
いいねと言ってくれてるような気持ちになるのです。
問題は、書いてる内容です。
もっと、読みたいなと思ってもらえることです。

励ましの意味を考えてみました。
強い子には、もっと頑張れという。
一生懸命やっているけど、なかなか成果が出ない子に、もっと頑張れとは言わない。
どちらの子にも、心に響く言葉はなんでしょう。

広さと高みを感じてもらうことでしょうか。
世の中は広いで、こうすればそれぞれ上手になるでと、力量に合わせた言葉を発する。
勉強はなぜするの、しなければならないの。
この問いに答えられる両親はいない。
お父ちゃんより偉くなるためや。と言えますか。思っていても言えないでしょう。
お母ちゃんだって、自分には当てないでと念じていたのです。

価値観に気づく。
高くてもこれを食べるために貯金をしてきた。
さっきまで冷蔵庫に入っていたものが、魔法のごとく好みの味付けで出てくる。
食べたい人は、それぞれの事情を抱えています。
より美味しいものを、お腹がすばやくいっぱいになるものを食べたい。
これって、励ましは要らないんじゃない。
それぞれの事情が、それぞれの答えを選ぶ。
それでよいのです。
応えるのは、料理人でありお母さんです。
応えつづけてくれるから、名店でありお袋の味なんです。
誰が、励ましを求めていますか。
淡々と想いを綴るようなブログで良いのです。
ああ、気持ちがすっきりしました。

ありがとう 顔見りゃわかる うっとりと

2019年12月28日
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故郷へ恩返し(Part3)

2019-12-27 06:07:32 | プロジェクトエンジニアー

やむちん焼きのシーサーと一緒に写っています。
タイトルは、「阿吽」です。
シーサーのように生きたい。


今日のタイトルは、「故郷へ恩返し(Part3)」です。
「私は故郷へ何か恩返しをしたい。」と、このブログを始めました。
故郷へ何も恩返しができずに、すでに5年が経ちました。

自分だけの想いで、生活をするわけにはいかないのです。
義兄が亡くなり、長兄が亡くなった。
義兄の葬式を出し、納骨をし、義兄が墓守だった墓の始末をした。
義兄が住んでいた家の解体が残っている。来年中には方をつける。
なんとなく曖昧にしていた、故郷の相続もしなければならなくなった。
残された者が、片づけの仕事をする。

これまで世話になった人を訪ねる。感謝の気持ちでものを送る。
少ないとは言え、できないことだった。

我が家にも、コンパクトシティー構想が適用されなければならなくなった。
人の終活の手伝いをする。自らの終活の準備をする。
拡大したままの生き方を収束しなければならない。
年賀状を出さなくなって10年以上が過ぎた。
会社に勤めている時は、勤めを免罪符にしてきた。
これからも生きていく。スリムにならなければならない。

年金生活者には、勤め人とは違う生き方がある。
収入が、右肩上がりとはいかなくなった。
やりたいことがある。そのためのスペースを作る。

この5年間、学びやってこれた。
これまでの人生を卒業し、新たな人生に入学をする。
「故郷へ恩返し」をするのにも準備が必要だった。
その心構えこそ、恩返しかもしれない。

心技体 不動の構え 振り下ろす

2019年12月27日
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優しいを貯金

2019-12-26 04:30:24 | よもやま話

自画像に凝った時期がありました。
タイトルは。「ありし日」です。
これじゃ、死神だって近寄らない。


今日のテーマは、「優しいを貯金」です。
「街録」という番組を観た。
誰にも、人に話せない心の愁いと彷彿がある。

優しい言葉を掛けられるのは、日々のこと。
日々、心身ともに健康に生きてこそできることです。
貯めてできるものではない。
今では利息もつかないから、気づくことができないほど些細な声掛けです。

しかし、感動は一瞬でおこるもの。
あの言葉が無かったら、今の人生は考えられないほど優しい言葉に出会ってきました。
心酔する大学の先輩の語録を取ってきた。
今は、その語録もどこに行ったのか行方不明です。
「あの言葉」を覚えている人もいるでしょう。
何かの拍子に思い出される言葉です。
だから、忘れてよいのです。
潜在貯金とでも言いましょうか。
苦しい時に、落ち込みそうなときに、どん底を見たように思った時、蘇る言葉です。

私達は、「優しいを貯金」しています。
血となり小便となったものもあるでしょう。
それだけ役立ったのです。
あなたの体を通り抜けた言葉が役に立ったのです。

誰も、我のためと苦い薬を飲んできたわけじゃない。
人が話すべてでもない。
ほんのキーワードに触れただけです。
それでも、引き金のように涙が溢れてきた。
言葉の主の生きざまがそうさせるのです。

子供は、親の本当の姿を知らぬものです。
子供の時は気づかなかった。
人の親になり、年を重ねるごとに浸みてくる。
やっと、親の真剣さに気づくのです。

私は、多くの優しい言葉に救われた。
ほわっと、今でも温かくしてくれる。
また、生きてみようかと勇気をくれる。
「優しいを貯金」は出来ぬものです。
するっと手からこぼれ落ちます。

貯金なんてやめて、ばらまきなはれ。
優しいをばらまくのです。
歳をとるごとに、表情がなくなる私達です。
口角をあげて、目じりを下げて優しく微笑みましょう。
それから、言葉を発するのです。
ああーでも、うーでもよい。
感じるのは、あなたの周りの人です。
あなたが、心地よくなってどうする。
でも、そうなるかもね。
いや、周りがあなたに優しくしてくれますよ。きっと。

「優しいを貯金」でした。

利息なし 儲けなしとて 笑わんか

2019年12月26日
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