故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

飲む、打つ、買う

2021-05-04 04:25:20 | 思い出話

この顔「熊の摩崖仏」(絵のタイトル)を何度見たことか。
それでも、許してもらえた。
一生懸命になるのは、ずーっと後のことだった。


偉そうに 飲む打つ買うと おっしゃるな

今日のタイトルは、「飲む、打つ、買う」です。
大酒を飲む、ばくちを打つ、女を買う。
男の代表的な放蕩(ほうとう)とされるもの。
(広辞苑より)
公式会議にプレゼンテーターとして呼ばれました。
主催者が人物紹介のアンケート表を私に渡してくれました。
趣味の欄に「飲む打つ買う」と書きました。
議長と主催者が、その欄を見て、「こりゃ、駄目だ」と笑顔でした。

一番ナイーブなことを簡単に聞くなと、私の抗議の回答でした。
男が、義理のある人の前に顔を出せなくなる。
ほとんどが、こんなことでしょう。
昔は、そう言われていたように思う。

秋田県に営業で行くと、買主側は一升瓶を2本、売主側との間に置く。
共に空けたら、話を聞きましょうということらしい。

先輩に連れられて競艇場に行った。
先輩から教わる通りに舟券を買った。
先輩はおけら、ビギナーズラックで教わった方が先輩にご馳走した。
そこが、ギャンブルの闇への入り口だった。
いつしか、先輩と同じように「おけら街道」を駅まで歩く。

同期の仲間と飲んだ後は、吉原までタクシーを飛ばした。
「まだかあ」の声に、「もうちょっとじゃあ」と返す。
こうして覚えてしまった。

あり得ないことの三題噺のようなものと、気づくまで時間はかからない。
「あとで」と女将に優しく手を握られ、その気になる程度で済まされる。
火傷しないうちに生還出来たら、儲けものです。
もっと面白いことがあると気づくのは、大人になってからのことである。

2021年5月4日
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苦手な娘

2021-04-28 04:53:54 | 思い出話

絵のタイトルは、「いつかきっと」です。
娘にしたいが、孫に返すことしかできない。


文章を書いてから、描き貯めた絵の中から文章に合う一枚を選ぶ。
以前は、絵を描き載せて文章を書いていました。
よって、ブログを書くたびに4時間を要しました。
元気でした。人物画を描くことが楽しかった。

今日のタイトルは、「苦手な娘」です。
娘から電話があった。
孫の写真を送ると言う内容だった。
娘は、私達(亡きかみさん)の初めての子だった。
大いに期待し、親が新米ゆえに手を掛けた。
娘は両親の期待に応えようとして頑張った。
傍から見ていて心配なほど良い子でした。
頑張り過ぎて、小さなほころび(ほつれ)が、時として破壊に発展した。

娘とののしり合いの喧嘩をしたこともある。
互いに傷をかかえ、一生懸命だった。
それが尾を引いているのか、未だにうちとけない。
電話をしても、一瞬の沈黙がまどろこしい。
警戒心がそうさせるのか気まずいのである。

次女は、長女の葛藤を傍で見て学習している分、要領がよい。
要領がよい分だけ、決断が遅い。
三女は、写真が圧倒的に少ない分、勝手に育った。
「苦手な娘」本人の資質なのか、私達の関わり過ぎのせいなのかぎくしゃくとしている。

私は二十歳で家を出た。
成人後の親父の記憶が乏しい。
成人前の怒られた記憶しかないとも言える。

「苦手な娘」を俯瞰では見られぬ自分がいる。
いつまでも、身内感が強いと言える。
申し訳ないと密かに想う自分がいる。
未熟な親だった。

打ちかけた 娘の涙 わが涙

2021年4月28日
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2021-04-08 09:59:56 | 思い出話


初めて海に浸かった飼い犬ジンは、戸惑いながらも、孫娘と同じように喜ぶまで時間はかからなかった。
臨終30分前に、彼と言葉を交わすことができた。
ありがとう。
君がいたから家族がばらばらにならずにすんだよ。

鬼が肉を喰らう。
口の周りに血がまとわりついても、ぬぐおうともしない。
己のためだけに、肉を喰らう。
自らもいずれは、食われる身なのに今を生きる。

鳥は、自分が飛べるだけの餌を食べ、多くの獲物を子供に与える。
魚は、自らの屍をプランクトンに与え、虫に食われやがて孵化した小魚の餌となる。
動植物は、食物連鎖の中に身を投じ、人だけが肥え太る。

家を継ぐ。
何を継ぐというのか。
自らのルーツを守ることがそんなに偉いことなのか。
ルーツのために生きてるものを殺しても許される。
恨みつらみも、カエルの面に小便のごとく、唯々己のために生きる。
どうぞ、みな持って行ってください。
あの世に宅急便などありはしない。
抱えていくのだって、わずかなものだけなのにそんなに稼いでどうするの。
美味しいものも、不味いものも体を通り抜ければ同じです。

鬼は、身の程知らずである。
自らの醜さなど見たこともない。
他人の醜さだけを指摘する。
笑わすんじゃないよ。
野菜も作れない。漁もできない。
人からいただくこともない。奪うだけしか能がない。

苦労したことが、そんなに誇ることなのか。
笑ったこともないくせに、生き方など語るんじゃないよ。
(小休止)
人々の心に棲む鬼です。
鬼を改心させることなどできるのでしょうか。
滓のように、私の体に凍みこんでいく。

鬼さえも 笑わしたろか おちよはん

2021年4月8日

<<あとがき>>
欲と善意の葛藤の毎日です。
親が残した財産で喜ぶ人もいれば、
難儀なことじゃのと、逃げ出したい人もいる。
過疎地に空き家と耕作放棄地が増えていく。
近所の手前、お世話になった先祖に申し訳ない。
気だけが揉めて、身体は動かない。
貝塚に混じって人骨が現れる。
私たちは、特別ではありません。
自然の成り行きに身を任せるしかない。
100年もすれば、空き家も朽ちて畑も原野に返る。
宿った想いを誰かが掘り出し、役にたててもらえばよい。
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開戦と終戦

2021-03-29 03:58:32 | 思い出話

立川駅前にある彫像です。タイトルは、「跳べよ未来へ」です。
東京都下のこの辺りは台地が多い。飛行場も多かった。
かつて、飛行場跡地に食品工場を建てた時、地盤がよく杭が必要ないと知りました。
そんなこともあったのでしょうか。


テレビドラマ、「おちよやん」も「澪つくし」も第二次世界大戦に突入し、終戦となりました。
現代ドラマは、この第二次世界大戦を外しては描けない。
大戦前後で、日本だけでなく世界が大きく変化しました。
私の青春も、「開戦と終戦」(今日のタイトル)に関係していました。
初恋の人の誕生日が、12月8日でした。
妻の誕生日が、8月15日です。
妻に私の初恋を話した時に教えてもらいました。

妻と初恋の人は、同じ大学の同じ学部で友人でした。
東京にいる頃、妻が私の初恋の人に会わせてくれました。
その人の名前さえ呼べなかった、初心な頃に初恋をしました。
やっと大学に入れた頃、その人の職場(小学校)を訪ねました。
普通に話せ、初恋の淡い想いを題材にした小品(小説)を手渡すことができました。

長い年月が流れ、私は妻を題材にした小説「さなさん」を書きました。
訪ねたその方の家で、事前に送っていた「さなさん」の感想を聞くことができました。
故郷を想う気持ちがよく書かれていたと、褒めてくださいました。

初恋の面白いエピソードなどを話しました。
興味のある方は、2015年11月18日投稿記事「あっさりさーのさあ」を参照ください。
その翌年、その人に出した妻の年賀状に、私も寄せ書きをしました。
「思い残すことはありません」と書きました。
初恋からやっと卒業できました。

私の開戦から終戦まで、数多の恋をし、無残にも散っていきました。
やっと、終戦を迎えられた。
そんな思いだよと妻に伝えると、笑っていました。

第二次大戦の終戦を待ちに待ったと喜んだ方々も多くいたことでしょう。
それまでの生き方を全否定されたと悔やんだ方もおられたでしょう。
共に、その後を力強く生きてこられました。
私は、その想いが綴った軌跡(良いことも悪いことも)を辿る仕事を近々したいと考えています。
明日から、いや一年後までには始めましょう。

ユリが揺れ 高嶺の花と 気づけしも 

2021年3月29日
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地域おこし協力隊員に求められるもの(Part2)

2021-03-23 02:11:46 | 思い出話

19歳で島から島に嫁に来て、御年95歳のおばあちゃんに、石川さゆりさんがインタビューした。
今でも覚えています。嫁に来た日、宴会真っ最中に
「あんたは、納戸に行って布団に入って待っとれ」と嫁子は言われた。
石川さゆりさんは、赤くなって笑い転げた。


今日のタイトルは、「地域おこし協力隊員に求められるもの(Part2)」です。
協力隊員に応募しようと、6年前に書いた記事です。
2015年11月27日投稿記事「地域おこし協力隊員に求められるもの」では、
「求められていることは、光を当てることです。
ここにもこんな素晴らしいものがあり、人がいることを共有することなのです。
(中略)
本当にできるのでしょうか。
まさに自分の多くを試されるのです。
知らない(地縁、血縁がない)土地で生き抜くには、柔軟性が求められます。」
(記事より抜粋)
隊員としての3年間を、血縁も地縁もない地域で過ごしました。
現在も、この地に住みついています。
5年が過ぎました。
よくぞ私を見つけてくれました。
縁とはいえ、私達夫婦を仲間にしてくれました。

ミッションフリーでした。
任期3年間、ひたすら「自分探し」をしました。
「こうしたらどうかな」と思うことがあっても、誰にも相談できませんでした。
答えが見いだせないので、誰かにすがりたかったのでしょう。
企画される隊員の会合に出て、キーワードを集めました。
自らリスクを負う。
「分ける」が大事。
日々を面白がる。
このような言葉が沁みました。

小さな投資でできるだろうと似顔絵を描き始めました。
誰にもあるもんだと、美しいところを探しました。
高じて、地域のよいところを見る癖がついたようです。
地域活性化を唱える人たちは、住民の15%だと気づきました。
都会と同じく、点と点を行き来する人たちの声を聴きたくなりました。
一年目の終わりに、カフェを始めました。

地域を見て、かつては、こうだったんかなと想像しました。
イベントの合間に、こうだったらよいなと、耕作放棄地のしの竹を伐りました。
空き家問題を知りたいと、空き家を借りました。自宅の周りも空き家だらけでした。
空き家の持ち主の許可をいただき、近所の空き家の草刈を始めました。
移住の不自由(期待されない)を感じ、自由(何をしてもよいんだ)を楽しむようになりました。
面白そうだから、俺にも手伝わせろと地域の友人から声がかかりました。
言葉にはしませんでしたが、心の中で「手伝わせてやるか」と面白さを分けました。

5軒の空き家の草刈を続けています。カフェだけきれいでは面白くない。
そのうち事情が飲み込めました。
遠くにいる人に代わり、稼ぐのに精いっぱいの人に代わり、年をとった人に代わり草刈を続けています。
初春から晩秋迄草刈ローテーションは続きます。
空き家の持ち主から、草を刈ってと電話がかかるようになりました。
初めは、理解できませんでした。そのうち、草刈が仕事になりました。
森の下草を刈り陽を遮る高木を切っています。
かつて行き交った山道を熊野古道にしてやろうと、野望を持つようになりました。

地域でひきつがれる伝統行事の「盆祭り」と「奉納相撲」は、他のイベントとは違いました。
誰もが、「次は、何をしよう」と積極的でした。
これは何だろう。
昔はこうだったではなく、昔からこうだったと村人は自慢したいと気づいた。
カフェの経営方針を変えた。
SNS発信で遠くに呼びかけることをやめて、リピーターを大事にすることにした。
中野や新橋と同じ値段で飲めるように、酒の持ち込みOKの一組だけの夜の予約を始めた。
耕作放棄地を借りた。収穫した自家製野菜でお任せ料理を作り、リピーターに出した。
経費を抑えるために、注文生産に特化した。
やれるかな、できるともと「自分探し」の延長線を歩いている。

地域おこし協力隊員になる前、終わった後も何も変わってはいない。
地域も自分も昔のままです。
来てよかった。
やってよかった。
今でも、「分ける」ことを楽しんでいる。
視線の先は、果たせぬ「故郷へ恩返し」である。
返す人は、もういない。
故郷へ帰ったとて、浦島太郎である。
故郷の姿が、漠然と大きくなっていく。
時間の流れに身を任せる。
ここちよい。
隊員になって、学んだことです。

嫁子どん 納戸行き待ち 花火見た

2021年3月23日
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