故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

鬼に探されない日々(Part2)

2019-11-29 08:05:38 | よもやま話

渡る世間は、鬼ばかり。
似島の灯台は、今日も航海の無事のため暗い海を照らしています。
鬼も集えば、善人ばかりなり。


一週間も開けてる間に、紅葉した葉が全部落ちていました。
今日のタイトルは、「鬼に探されない日々(Part2)」です。

2015年6月8日投稿記事「鬼に探されない日々」では、

鬼に探されないかくれんぼ。
私はここにいるよ。探して欲しいな。
定年が近づいてくると思いました。

探して欲しいのですが、
いつか決断しなければならないのです。
かくれんぼから降りる(第一線から引く)ときのことを。
(記事から抜粋)

この年の9月に、唐突に辞職願を出しました。
私は、求められていないと気づいたからです。
常に、いただく給料の3倍の利益を会社にもたらせるのだと頑張っていました。
会社の規定に従って、年齢に見合う新たな給料をほのめかされました。

翌年、新たな仕事に就きました。
地域おこし協力隊でした。
給料のことは言っておられない。
「使ってもらってなんぼ」でした。
ここから、逆転人生は始まりました。

鬼に探されないことを寂しく思わなくなるまで時間がかかりました。
移住者は、地縁血縁がないことから、期待されない。
いてもいなくてもどっちでもよい人です。
私は、隠れることにしました。
鬼なんてどうでもよい。

探されることをやめました。
履歴を真っ白にして、正直にやりたいことを続けました。
お世話になった方たちにお返しはできないと覚悟をしました。
新しく出会った方たちに、恩返しをすることにしました。
狭くなると思っていた世間が、広がりました。

今回の旅で、多くの方たちと会いました。
「会える人がいる」ことを喜びました。
鬼にかくまわれている人生ではないと気づきました。
私が何かを探す鬼になっていたのです。

ドラマで同じ俳優が、二役をやることがあります。
まったく違うキャラクターを演じ切ります。
極めつけは、悪役と善人役の違いです。
リアル人生でもこんなことが、可能だと感じます。

私は、この旅でもう一度挑戦する決心をしました。
私でなければできぬことが見つかりました。
しんどいと言ってられない。
その挑戦には年月がかかります。
だから、さらにもう20年を生きる選択をしました。
鬼に探されないかくれんぼ。
どうしましょ。

かくれんぼ 探し探され あんた鬼

2019年11月29日
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バイパスの旅

2019-11-27 03:17:13 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「まだまだ」です。
強がり言って、泣き言で気を引き、生きるのです。


今日のテーマは、「バイパスの旅」です。
バイパスをつなぐ旅となりました。

バイパスとは、
・交通量の多い市街地の道路の混雑を避け、車を迂回 (うかい) させるために設ける道路。
・血管に閉塞 (へいそく) 部が生じたとき、手術によって人工血管や本人の静脈を用いて作る側副路。「バイパス手術」
・障害物や問題などを回避すること。

鹿児島のほうに、リハビリの名医がいると聞いた。
脳梗塞で半身麻痺、一部麻痺となる。
指が曲がらないのが曲がるようになった、ものが掴めるようになった。
疑似信号を送り続け、指を曲げることを補助的に繰り返す。
脳のダメージ個所をバイパスして、命令信号が伝わり運動信号が指の筋肉を動かすまで回復する。
名医は、どこを刺激すれば動くようになるか知っており、根気よく刺激(疑似信号)を繰り返す。
気の遠くなるようなリハビリである。

日本の動脈は、道路にあり。
西日本に行くほど、バイパスは完備されている。
関東や静岡、関西にはバイパスのバイパスまである。
高速道路は、信号もなく快適に走れるのだけど、料金が高く、塀も高く面白みに欠ける。
特に前しか見ることができない運転者にとっては、高速道路は変化もなく退屈な道路である。

いやいや、鉄道だってバイパスはある。
新幹線は、高速で快適だが料金が高い。そのうえ、トンネルばかりで車窓の楽しみがない。
在来線は、時間がたっぷりある人には、良い慰めになるがちと遅い。
ちょぴり早くて、景色も楽しめるのが快速電車である。快速電車の乗り継ぎ旅は面白い。

人生にもバイパスありかな。
転職や移住を繰り返してきた。

教育は、環境を整え、金も補助し、子どもに合わせたプログラムを用意する。
いわゆる高速道路教育である。
時代は自由。短期離職も離婚も増えてきた。我慢がなくなったのではない。
応用が利かなくなったというか、人それぞれの逃げ道(楽しみ、趣味)を探せない。
危機回避の能力が足りない。代用の考え方、創造力にかけるというか。
究極は、判断力である。
備えてくれる人もいなければ、助けてくれる人も見つからない。
転職や移住や思わぬハラスメントに出会ったときにどうするか。
境遇を楽しめるか。
刑務所に入ったって、ゴキブリのレースを楽しんでいる。タンポポコーヒーを飲んでいる。

あと、20年生きることにした。
どうしたら生きられるか考えなければならない。
運も味方につけるほど、周りに注意をし、起こった事象を良いほうに変え続けなければなるまい。
特別養護老人ホームに入れられても、抜け出すくらいの体力と知力をつけるのです。

一歩道 迷い道さえ 楽しむぞ

2019年11月27日
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見て聞いて感じて

2019-11-22 05:20:40 | プロジェクトエンジニアー

足立美術館の庭に植えてある木である。
タイトルを、「寄り添って天に」と勝手につけた。
抜ける空間を感じた。



娘を訪ねて、片道1700Kmを走破した。
途中、足立美術館を訪ね、お世話になった製粉会社にりんごを届けた。

今日のテーマは、「見て聞いて感じて」です。
人生における財産は、友人とよく言われる。
友人との交流は、まさに手間暇かけてである。

足立美術館で、多くの素晴らしい日本画に出会った。
横山大観の「無我」、「曳舟」と松と紅葉の絵三点を見た。
風景画の構図の素晴らしさ、のびのびとした表情に魅かれた。
足立美術館の借景(庭園と野山の遠景の融合)は、噂通り素晴らしかった。
野山の管理があってこそ実現する壮大な構想を感じた。
見入ってしまい、ガラスにかかる我が鼻息の白さに我に返った。

中国自動車縦貫道は、山間を抜ける長距離トラックの輸送通路であった。
多くのトラックを抜き去り快調に走った。

翌日、製粉会社を訪ねた。
会長が対応してくださった。
話は尽きず、いまだ旺盛な知識欲に驚いた。
新社長は、格好良くなっていた。会長の似顔絵を描くと約束して辞した。

さらに南下し、妻の娘の住む町に辿り着いた。
かつて、海軍が本拠地を置いた町のほとんどが坂道だらけで、自然の要衝である。
猫二匹と夫の帰りをひっそりと待っている娘であった。漁師の妻と同じである。
長距離運転の疲れもあり、しばし横になった。
晩御飯をごちそうになった。こはだの刺身は、歯ごたえがあり瀬戸内育ちの私たちの舌をうならした。

旅は続く。
まさに、「見て聞いて感じて」である。
Liveの感動は、五感を持って静かに体内に取り込まれる。
来てよかった。

ひらひらと 落ちる紅葉に 時流る

2019年11月22日


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もう干した

2019-11-18 09:06:12 | よもやま話

絵のタイトルは、「命の水」です。
(短編小説「さなさん」より)
上手でなくてもよい、伝わればと描きました。
楽しかった。


今日も3組の予約があります。
夜だったら受けないのですが、昼間だから受けました。
朝11時に、おばちゃんたちが来ます。
正午に2組が来ます。
予算に見合ったお任せ料理を作ります。
妻は、パンの仕込みに行きました。帰ってきました。

今日のテーマ、「もう、干した」と伝えました。
よし、と言う顔をしていました。
未だに、妻の下着を覆うように私のパンツと靴下を干しています。
隣りのおじさんに、きっと見られたくないだろうな。見せてなるものか。
亡き妻が、洗濯物について怒っていたことがありました。
子供の下着だけ盗って、私のを残していたと。

霜柱はまだ立ちませんが、霜は何度か降りました。
緑が残っていた紅葉も、全葉が色づいた。
明日から、九州へ旅行です。
しばらく、お休みとさせていただきます。

(筆者)
外に干す あれまと凍り 部屋干しに

2019年11月18日
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不徳

2019-11-17 10:44:46 | よもやま話

絵のタイトルは、「笑うかどに、福来たる」です。
孫娘の満面笑みです。
良いことがあるように。


今日のタイトルは、「不徳」です。

不徳とは、
身に徳の備わっていないこと。
人の行うべき道に反すること。また、そのさま。不道徳。
(goo国語辞典より)

では、徳とは、
・精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。
・めぐみ。恩恵。神仏などの加護。
・⇒得 (とく) 1
・富。財産。
・生まれつき備わった能力・性質。天性。

なぜ、「不徳」について書こうとしたか。
日々、自分なりに一生懸命生きている。
一生懸命生きてるだけでは、足りないのではないか。
考えることは疾しいことばかり。ついで、口から出る言葉に品性がない。
怠けたい気持ちがいっぱいある。できれば、楽をしたい。
自分から仕掛けるのではなく、安全な場所に身を置いて楽しみたい。
それが、本性です。

しかし、日々やっていることは一生懸命である。
精神修養にはなっている。
なにかの恩恵がなければ、こうまで楽しくない。
生まれつき備わった能力もなければ、性質も悪い。天性と誇れるものもない。
自分で、徳について語るのが、そもそも無理がある。

それでも、挑戦する。
旅人の服を脱がせようと、猛烈な風を浴びせる話がある。
分かり切ったことだが、旅人は服を飛ばされまいとさらに身構えた。
太陽はというと、ぽかぽかにして、旅人は喜んで服を取った。
この場合、太陽の出現が、徳なんであろう。

万人が、できれば生きたいと思う。
限られたものを奪い合う世の中である。
無尽蔵にあるのが、徳であろう。
それは何か。

自分にできることは、限られている。
私は生きている。時々楽しいと思う。
楽しいと思うことは、生きている限り無尽蔵である。
生きていて、楽しいと思うこと。
これに尽きる。
他にごちゃごちゃ考えることはやめた。

さあ、次の行動に向かおう。
今日も楽しいことが待っている。

眉下げて 口元あげて ありがとう

2019年11月17日
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