故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

竹トンボ

2014-10-26 18:10:55 | プロジェクトエンジニアー

P1030094

4つ目の竹とんぼを、施主にプレゼントしました。
プロジェクトの完成と共に、出来立ての製品と一緒に渡しました。18年前に初めて渡して、13年前、6年前そして今年です。

その間に会社を3つ変わりました。
会社を変わっても同じ施主からプロジェクトを任されました。
エンジニアリングは、もうやっていませんと6年前に断りました。
どうしてもと言われて、外資系の会社の営業をやりながら実施しました。

プロジェクトの経験は、人について回ります。
会社ではないようです。

左利きの息子のために特別に作りかけた竹とんぼを完成し渡したことがありました。施主は右利きだったために、飛ばそうと回されましたが見事に下降しました。さらに発展して欲しいという願いを込めて送りました。その時は、さすがにばつが悪かったのでした。施主は笑いながら、左巻きにとんぼを切ってくれました。

13年前は、プロジェクトの終了前に作りました。会社の先輩と現場小屋で、最後の書類を作っておりました。やおら始めた竹とんぼ作りに没頭する私を見て、先輩は「とうとう、気が触れたのではないか。」と思われたとのこと。

5つ目の竹とんぼ作りはもうないでしょうか?

2014年10月26日

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更に好みは薄く

2014-10-15 03:23:47 | よもやま話

001_3   島の魚売り

薄味が良いと思います。
ほんのりと味が付いているのが好みです。
微妙な味つけに優しさを感じます。
 

はっきりとした主張より、隠し味が良いのです。
奥ゆかしいと思うのです。
 

信号にまつわる話を思い出しました。
関西に行くと、あと何秒で青信号に変わるという表示を見ます。せっかちな関西人の気質を表しているのでしょうか。関西のおっちゃんは、大きな産業道路でも、平気で自転車で渡ります。時々事故に会うそうです。関西出身の方と待ち合わせをし、飲むために道を急いでおりました。車の往来のなさそうな赤信号にでくわしました。おっちゃんは、左右を確認していそいそと渡りました。私も続きました。
赤信号を待っていた関東の紳士が注意しました。
おっちゃんは、「赤信号でもこうして渡るねんど。」と子供に教える方がよっぽど教育的だと私にささやきました。青信号でも、車が止まってくれるとは限らないというのが彼の主張でした。
それもそうだなと思いました。
 

関西に行って、二三人が話しているのを聞くと、2言か3言に必ずぼけをかまします。相手に対する大いなる気遣いとも取れます。ついていくのがやっとの会話です。ぼけの中に言外の隠し味が埋め込まれているのです。それこそ、永年鍛え上げた知恵であり主張なのです。 

「おぶう(お茶)でも飲んでいきよし。」の誘いに、玄関を上がるのはご法度と京都では言われます。「忙しいので失礼する。」のが礼儀とか。動乱の時代を生き抜く京都人の知恵だとか。誰も信用などしないのが理由とも聞きました。 

味にまつわる話です。何か違うよなと思いますか。
そうです。何か違うのです。それこそ一ひねりした知恵の味付けです。面倒くさいと思わず、微妙な味のやり取りが楽しめる余裕を大事にしたいのです。
今見えている赤は、本当にその色(常識では赤)でしょうか。
朱色であったり、オレンジ色であったり、はたまた黒に近い赤だったりします。同じ色でも、水で薄めていくと千変万化の赤色が現れてきます。
それが面白いのです。
 

2014年10月15日

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再会

2014-10-13 02:28:59 | よもやま話

Photo   苦みも味わい  

高校時代の同窓会に出席しました。

幹事さんの努力を感じました。
日程と場所を決め、関東にいる同級生に案内を出されました。
出席者を確認し、レストランを決められたのでしょう。
出席できない方々にも気を回されていることに感心しました。
感謝の気持ちで、楽しませていただきました。

帰りに、出席できなかった還暦記念同窓会のDVDをお借りしました。懐かしい面々のほとんどの名前が出てきませんでした。
しかし、記憶に刻まれている面影から数人は判別できました。

あいつはどうしたかなと名札を頼りに現在の顔を凝視しました。
顔に年輪が刻まれており、それぞれ美しいと思いました。
現在の顔を見て、「やはり」、「こんなに」と驚きました。
歳をとることは素晴らしいと改めて思いました。
DVDに写ってない友人の顔が併せて思い出されました。

食事をしながら自己紹介をしました。一言では語れない長い年月を、皆さん上手に説明されていました。話される内容もさることながら、表情や反応で人柄が推察できました。男女の縁は異なもの味なものと言われます。男女に限らず、多感な時の出会いは、偶然であり、必然でもあったのかなと感じました。

2014年10月12日

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今を生きる

2014-10-04 06:01:39 | プロジェクトエンジニアー

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私達に唯一できること。
今を生きること、この一瞬だけは自分の責任で生きていけます。
明日のことは分からないと言っても良いのです。
何が待っているか予想もできないのです。
だから、明日のことは心配しても仕方がないのです。
只々、今を生きることで良いのです。

私は、プロジェクトエンジニアーです。
かつてプラント設計者として、将来構想を埋め込んだ設計をしていました。起こりうる未来を予想して、拡張性と機能性を追求し、得意になって説明していました。
さて、5年後、10年後、予想した未来は起こらなかったのです。
未来になってから、その時のベストを考えた方がより現実的でした。
むしろ、当時ベストであったか問われたのです。これ以上ないと考えたものは、時代を越えても人々をうならせるのです。

未来を憂うことをやめました。未来は、未来の人にゆだねるしかないのです。技術伝承とは、未来の人に今ある人が教育の機会を与えることです。自分のコピー(賛同者)など作っても意味がないのです。
今と異なる未来になっても、教育を受けている人が対処できるのです。

だから、私は今を一生懸命生きます。

2014年10月4日

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