故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

6次産業化(Part2)

2016-02-29 16:44:58 | プロジェクトエンジニアー
 
昭和記念公園にあった「菰の雪囲い」です。
牡丹にかぶせていました。
日本のクールです。


過疎の問題を考える時、不思議に思うことがあります。
地方都市から一時間で行ける場所なのに過疎になってしまうことです。

東京なら、大阪ならなんでもないことです。
一時間、満員電車に揺られて通勤したり通学します。
マイホームを持ちたいけど、都心は地価が高く買えないから
郊外へと広がっていきました。
朝弁当、昼弁当を持って通勤する人の話を聞きました。
あるいは、職場か職場の近くで朝食をとる人もいます。

東京でも過疎になっていく場所があります。
一斉に売り出された団地などが、少子高齢化であらゆる商業施設が無くなっていき
過疎になる例です。

過疎ということは、人が少しずつ減少していくことを言います。
どうして減っていくのでしょう。
ひと言で言えば、魅力がないからです。
人それぞれ興味の対象がことなります。
過疎になっていく地域は選択性がないように思います。
価値の一元化です。

地方でも都会でも、過疎の地域はつながりが薄くなっています。
車通勤であり、隣と没交渉の団地などです。
かつての地方には、都会の商店街にはいろんな職業の方(自営業)たちが住んでいました。
どの人にも役割があって、その人がいなかったら村や町はまわりませんでした。
ところが今は、皆さんが同じような職業(サラリーマン)になっています。
仮に、その人がいなくても回り始めるようになりました。

情報や決まり事も、皆で話して伝わり決まっていました。
今は、情報はテレビやインターネットで入手できます。
決まりごとも、人々が介在しなくなりました。
情報は、一方的な流れです。発信元ではなくなりました。
自分たちで決めていた価値も、遠くの知らない人々が
トレンドと言って決めるようになりました。

過疎は起こるべくして起きています。
どの地域もそのことで悩んでいます。
そのうち自分の地域もそうなるのじゃないかと。
すでに日本全体が、少子高齢化で購買力も生産力も落ちてきています。
外国で出来たものを食べ、生産されたものを着、外国で加工された木材の家に住んでいます。
私達は、地産地消から段々遠ざかる生活をしています。

日本全体が過疎になりつつあるのです。

私は、スイスでこんなことを聞きました。
息子の嫁は、ポーランドから来ていると。
ドイツでも、家で働いている家事手伝い(料理と子守)は、
ジョージアから来てドイツの学校に通っていると。
日本でも多くの外国人が働いています。

過疎の日本から、グローバリゼーションと言ってどんどん海外で働く人が増えてきました。
日本国内の購買力や生産力では生きていけないからです。

過疎だからと言って嘆くことはありません。
日本全体がそうなりつつあるからです。

では、過疎地域はどうしたら良いのか。
何といっても、食べなきゃなりません。
強みを産業に変えなければなりません。
インバウンド(観光客誘致)が叫ばれ、クールジャパンが取り上げられています。
住んでいる人には当たり前のことが、
実はとてもユニークでクールなことかもしれません。

6次産業化もその一つです。

作って加工して売るところまで責任を持つ姿勢です。
どれをとっても手が抜けないことばかりです。
人任せの生産体制(農協など)は、経費ばかりかかって生産者に戻ってきません。
反応(情報)も今一つ伝わってきません。

何かを始めようとすると、資本が必要です。
そうですか。資本も人手も豊富にあるはずです。
空き家があって、ゲートボールばかりやっている老人がいます。
誰も働きたい。自分が作ったもので人を喜ばせたい。と思っています。

6次産業化をしたからと言って、続くとは限りません。
ものづくりは、品質管理とスケジュール管理と金銭管理が伴います。
どれも一流でなければなりません。
それには指導者が必要です。盛り上がりがなければなりません。
若い人は、積極的に指導者になり引っ張らなければなりません。
若い人には、小さな成功が必要です。
小さな成功で自信が出てきます。
自分だけが良ければなんて誰も思っていません。
そんな余裕なんてありません。
毎日一生懸命やらなければ、既存の製品(ナショナルブランド)に
勝てるわけがないからです。

素人のものづくりは、危険が伴います。
素人ゆえのまじめな取り組みは、クールです。
皆の顔が見えるものづくりです。

良いもの(原料)を作らなければと思います。
この良いものを大事に加工しなきゃと思います。
皆が作った素晴らしいものを分ってもらおうと売るものは一生懸命です。
なにより風通しの良い職場が求められます。
面白くない訳がない。

人任せにしないことです。
自分たちで知恵を絞ることです。
専門家も黙ってはいません。
誰もが故郷を想っています。
過疎ならば、かつて住んでいた多くの専門家が
友人たちを引き連れて馳せ参じるはずです。
誰もが、故郷に恩返しをしたいと思っているけどできないからです。
この時とばかり、地域の力がよみがえるのです。

出ていった人たちに対しては、一時勉強するために出しているんだと
思うくらいで丁度よいのではないでしょうか。

6次産業化が進めば、インバウンドも増えてきます。
ほう。そんなに面白いところかと。

北海道で、大規模農家の人が機械の購入をやめて人手に頼る生産体制を試したそうです。
これまで毎年1,000万円の機械のローンを払っていました。
それが、地域の人たちに回ることになりました。
品質は上がり、生産高も上がりました。
儲けが出るようになり、地域の人に分配ができるようになりました。
かつて、ソ連のコルホーズやソホーズでは18cm以下のじゃがいもは放置したそうです。
一生懸命やっても、給料は変わらないからです。共産主義の盲点です。

だからと言って、6次産業化がうまくいくとは限りません。
ものづくりは、目の付け所(方針とコンセプト)が大事であり、
本当に一生懸命に良いものを作り続けないと、リピーターは増えないからです。

私達は、同じものを買うなら、あの店員さんから買いたいと思います。
あの店員さんがいる店に行きたいと思います。
ぶれないサービス精神(笑顔)が、リピーターの気持ちよさに繋がります。
インバウンドは、口コミで広がりさらにリピーターを増やします。

なにしろ、産業を起こさなければなりません。
それには、顔が見える仕事が良いでしょう。
次回は、さらに考察を深めるものとします。

花をたて 来る人待ちて 水をまく

2016年2月29日

2015年12月26日投稿記事「6次産業化」を参照ください。
牡蠣の6次産業化に関する記事です。

筆者







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あるがまま、受け止める

2016-02-28 07:08:25 | よもやま話

今日のタイトルに合うかなと思い載せます。
使いまわしで、申し訳ありません。
この絵は、あるプロフェッショナルをリスペクトして描きました。



残念ながら、今回の面接も受かりませんでした。
熱量を持って語りました。
多分、すれ違ったんだと思います。
相手が求めるものと、自分がやりたいことがマッチしなかった。
地域が気に入って、応募しました。
地域が求める即戦力ではなかった。それだけです。

私は、間違いなく地域を活性化できると信じています。
人を大事にできる。私は、地域を活性することがしたい。
しかし、それは長い時間を要します。

今回の経験(この4ケ月)は、自分の人生にも大きなものをもたらしました。

家族と対話ができました。
自分は、こういうことがしたいんだけどどうでしょう。
お父さんがやりたいなら反対はしないよ。
貴方のことは、信頼しています。と言ってくれました。
でも、結婚には反対です。とも。

長い間補助してきた義兄の相続に関していろいろと司法書士に相談しました。
ケアマネや病院と打ち合わせてきました。
すべての金の流れがうまくいくようにできました。
義兄は、サポートを受けながら自活する道が開けました。
司法書士の若い方が、すべての手続きが終了した後、私に聞きました。
どうして、そんなに一生懸命やるのですか。
私がしなければならないからです。と答えました。
そうしなければ、この人は死んでしまう。

就職で、考えさせられたことがあります。
やりたいことは何。それを追求してきました。
むしろ、この仕事はこうあるべきだと主張してきました。

少し考えなおしました。
自分ができることは何。
これから短い期間の仕事です。
即戦力として役立てる仕事を選びます。

今日のテーマは、「あるがまま、受け止める」です。
私の熱量(今は熱ではなく、熱量と言われるようです)は
ひとまず置くことにします。
できることをやる。
幸い、身体はいたって元気です。精神も自分ではまともと感じます。
このままではいられない。

私は故郷のために役に立ちたい。と思っていました。
またこれで遠のきました。
私を求めるところで働きたい。
故郷の範囲を広げます。
ボタンの掛け違いは仕方がないことです。
「あるがまま」を受け入れます。
来る者は拒まず、去る者は追わず。

自分も含め、人は自分を過大評価しがちです。
動くことが大切です。
世間は甘くない。それを知ることです。
動くことが、自分を知るチャンスです。
自分で壁を造らない。
動いてみれば、新鮮な空気に触れます。

私は、もっと挑戦することに決めました。
この位のことは、いつもあったことです。
私は、悲観的な若者でした。しかし、プラス思考でした。
だから、生きてこれました。だから友人が助けてくれました。
自らあきらめない。一歩ずつ歩くしかありません。

「あるがまま」とは、等身大の自分を見ることであり、知ることです。
見ることは、世間が見せてくれます。
知ることは、自分が己を評価することです。
身体を動かせば、すぐわかります。頭の命令と違う動きをする身体です。
頭の命令は、理想像です。妄想とも言えます。

「あるがまま」を受け入れるのは辛いことです。
それは、短い間のことだと分かっています。
一歩ずつ歩いていれば、ほとんどのもやもやは消えていきます。
その短い辛い時期をどうやって過ごすかで、人の人生は大きく変わります。
私は、これまでどおり一歩ずつ歩きます。
読者の皆様、これまでどおり応援してください。

この一歩 決めて進んで 振り返らず

2016年2月28日

2014年11月22日投稿記事「プラス思考」を参照してください。
プラス思考がどれだけ自分を助けてくれたか書いています。

2014年11月12日投稿記事「来る者は拒まず、去る者は追わず」を参照ください。
2015年1月12日投稿記事「来る者は拒まず、去る者は追わず」(Part2)
併せて参照ください。

(ハイライト部分をクリックすると記事が現れます)

筆者

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絵ごころ

2016-02-27 05:48:32 | よもやま話

昭和記念公園にあった梅林です。
幹も花も枝ぶりも申し分なく面白いはずでした。

次の梅は、どうでしょう。



昨年4月、モザンビークに出張中の先輩に届けた梅の絵です。
こっちの絵が面白い。



まだまだ寒い日が続きます。
冷たくなった手をこすりながら書いています。

人が持つ印象は様々です。
写実的な絵は、上手な方が見栄えがします。
心を打つかとなると、違ってきます。
下手な絵でも、一生懸命書いた絵が印象に残る時があります。
どうしてなんでしょう。
私は、次の絵を見て絵手紙を描いてみようとしました。


  

この絵は、横浜の幼稚園の年中組の子が描きました。
一生懸命描いています。
この子は、クワガタが好きなんでしょう。
自慢したかったかもしれませんね。



絵は上手でなくても良い。
そう思って毎日描いています。
感動を伝えたいと描いています。
上手に描こうとすれば面白くなくなります。
所謂、「なんちゃって絵」になってしまいます。
絵が写真より良いなと思うのは、拙いからです。
拙くても、「これが伝えたい」と描き手の気持ちが出るからです。

人物画もよく挑戦します。
似てないと、いつも家族にブーイングです。
人物画の場合、その人の特徴はこれだの部分から描き始めます。
口ができて、鼻ができて、眉毛にいたり、それから唇となります。
すでにバランスが崩れています。
でも、特徴だけは強調されています。その部分は、タッチを強くします。
構わない。
この人の特徴はここだが描けていれば良しとします。
これが、意外とその人の印象をとらえていたりします。

うまくいかないと私がぶつぶつ言っていると、
妻が「上手に描けている」と褒めてくれます。
猿は、どこまでも登ってしまいます。

上手いはずがないのです。
でも毎日描いています。
それで良しとします。
描かなければ上手にならないからです。

急ぎ足 カラス上から 糞落とす

2016年2月27日

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不倫、その後

2016-02-26 13:43:27 | よもやま話

昭和記念公園にあった風車です。
見えない風を表現したかったのですが、出ませんでした。
失敗も、勉強と載せることにしました。



ガス燈を観ました。
きれいな女優さんが出ていました。
最後の字幕に、「イングリッドバーグマン」と紹介されました。

1915年生まれだそうです。
ギリシャ彫刻のように研ぎ澄まされた美人でした。
カサブランカも良かった。

彼女は、不倫・結婚をして長い間アメリカ(ハリウッド)に帰れなかった。
エド・サリヴァンは、それが故に彼女をエド・サリヴァン・ショーに出さなかった。
イングリッドバーグマンも普通の人であり、素晴らしい女優さんだった。

宮崎議員も不倫で国会議員を辞めることになりました。
ベッキーも不倫が発覚し、復帰さえ危ぶまれています。

フランスでは、私生活と仕事は別と考えられる。
政治家の不倫も鷹揚に対応されます。

心の扉を閉ざすことはできません。
不倫はエネルギーを要するものです。
二重生活のようなものです。

不倫発覚後、ほとんどの方がバッシングに会います。
世間は許してくれません。
卵が先か鶏が先かわかりません。
結婚したけど、こんなはずじゃなかった。
隣りの芝生はよく見えたりします。

去る者は追わず、来る者は拒まず。
寛容な態度です。冷たいようでもあります。
人それぞれの理由があって、くっついたり離れたりします。
完璧な人なんていないように思います。
証文のような愛情もありません。
釣りあげた魚に餌をやらないとも言われます。

皆さんにも、心当たりがあるかもしれません。
今日のタイトルは、「不倫、その後」です。

心の迷い、隠せば隠すほど蜜の味です。
困ったものです。

問題は、その後です。
バッシングに会って賢くなったはずです。
痛い目を見たはずです。
ばれなくても心の呵責にはなっています。
墓場まで持ってゆかなければならないでしょう。

潔くありたいものです。
起こったものは仕方がありません。
忘れてはならないのは、努力をすることです。
孤独になるでしょう。後ろ指もさされるでしょう。
受け止めなければなりません。
新しい自分を発見する良い機会です。
世間で言われるほど良い人ではないだけです。

人は謙虚でなければなりません。
なになにしちゃるけん。はいけません。
喜んでさせていただきます。と考えましょう。
その人の良いところが見えてきます。
その人も愛されていると実感できるようになります。
結婚したら、片目をつぶり何十年も経つと両目もつぶりが世間相場です。
悪いところが見えてくるからです。
両目を開けて、良いところを探すようにしましょう。
褒めて欲しいところを探しましょう。

最初からそうしていれば、不倫などは起こらなかったはずです。
それでも、心が動いたら仕方がない。
正直に打ち明けましょう。
愛されていない人と暮らすことは、辛いことです。
自分は至らなかった。と自分のことは許すでしょう。
しかし、生まれて来た命には責任があります。
三重生活になりますが、頑張るしかありません。

イングリッドバーグマンは、その後も変わらず活躍されました。
彼女が不倫の末離婚された記事を見て、書いた次第です。
どのように彼女が克服されたのか、その後の作品を見たいと思います。
きっと厚みが増したことでしょう。

心の迷いは肯定も否定もできません。
その人の心の動きだからです。
しかし行動には、責任が伴うというだけです。

あじさいが 雨に酔いしれ 色変える

2016年2月26日

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余韻

2016-02-25 13:08:03 | よもやま話

夜中に雨が雪に変わりました。温度が0℃近くになりました。
これは、珍しいと絵に描きました。


いつも、描き過ぎてしまいます。
もっと、よくなるんじゃないかと無計画になぞっているからです。
下書きがしっかりしていれば、少しの色をつけるだけで十分それとわかります。
それがなかなかできません。

今日のテーマは「余韻」です。
「音の消えたあとまで残る響き」、「転じて、事が終わったあとも残る風情や味わい」と
広辞苑に出ていました。

かつて、アバのアグネッタのインタビュー番組を見て思ったことがあります。
アグネッタは、私達に感動そのものではなく、「感動する力」をくれているのじゃないかと。
「感動する力」が産まれるからこそ、深いところで印象に残ります。
普通の自分では、そこまで感動しなかったかもしれない。
アグネッタの声が、私に「感動する力」をくれた。
余韻は、作法としてとても大切にされてきました。
剣道の残心(激突した後、敵の反撃に備える心の構え:広辞苑より)は、
倒したかもしれない敵が反撃することを前提にした心の持ち方です。
敵をリスペクトしているからです。準備です。

茶道でも残心は、次のような心得として教えられているようです。
「所作の一つ一つに心を込め、余韻をもって所作に当る」ことを意味します。
一期一会はもてなしの精神ですが、残心は茶の湯の作法として言われています。

絵を描いていて、文章を書いていて思うことがあります。
優れた作品は、見る人や読む人に記憶の情景を思い出させてくれます。
歌もそうです。良い歌を聞いていると、情景を思い浮かべます。
つまり、かきすぎない。
あとは、判断を任せることでしょうか。

教育も同じです。
すべて説明しない。子供に考えるきっかけを与えるだけで良い。
全部、答えも解釈も伝えないようにします。

本当に優しい人は、静かに話を聞く人です。
親もそうあって欲しい。そうなりたいと若い時に考えていればよかった。

上手い噺家は、間のとり方が抜群に上手です。
聞き手に、理解する絶妙の間を与えてくれます。

余韻について、話を進めてきました。
今日は種明かしをします。
どうして、余韻について書こうとしたかについてです。

私はいつも過ぎてしまいます。
頃合い(適当な程度)が下手です。
料理も出汁を入れすぎます。
酒も飲み過ぎます。
絵も描きすぎます。
ギャンブルも欲張りです。

仏教は、茶の湯にありと言われます。
普段が大事ということです。
小さき幸せこそ大切です。

自分が未熟と思えることは、毎日のことです。
例えは、切りがないほどあります。

余韻を楽しめない男です。
余韻を作れないと言っても良いかもしれません。

余韻とな 空飛ぶとんび 教えてよ

2016年2月25日

2015年6月5日投稿記事「感動する力」を参照ください。
アグネッタについて書いています。


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